「黄金の月」

a side story of "To Heart"

tribute of SUGA SIKAO

Written by 尾張




ぼくの情熱はいまや 流したはずの涙より
冷たくなってしまった


 その曲が流れはじめたとき、カウンターの奥でマスターが少しだけ顔を上げた。
 なにか、思い入れでもあるのか、少しの間メロディに耳を傾け、ゆっくりと手元のグラスに視線を戻す。
 普段よりも浮かれた街の中で、まるで取り残されたかのように静かで、落ち着いた店の中。
 ゆっくりとした、少し切ないメロディが、店内のすみずみまで染み渡っていく。
 客は、オレの他には数人だけ――まばらに席について、くつろいでいる。
 カラン、と入口の扉が、軽い音を立てた。
 まるで猫科の動物のように、しなやかな身体が、その音を追いかけるように店内に滑り込んでくる。
 街の雑踏が奏でる様々な音が、一瞬だけ聞こえて、消えた。
 そして店内に降りる、一瞬の静寂。
 足音は、まっすぐにオレの席を目指して近づいてくる。
 顔を上げると、そこには懐かしい笑顔があった。
「……久しぶり」
 自分から口を開いて、そしてすぐに、少しだけ後悔する。
 そんな言葉で軽く流してしまえるほど、簡単な想いでもなかったはずなのに。
「――二年ぶり、かしら?」
 アイツが、そう応えた。
 口調は、少しふざけたようにも、からかっているようにも聞こえる。
 その姿がなぜかまぶしく思えて、少しだけ目を細めた。


どんな人よりもうまく 自分のことを偽れる
力を持ってしまった


 二人で一緒にいたときですら、好きだと、はっきり言ったことがあったかどうか。
 いま思い返しても、あまり自信がない。
 そんな言葉を当てにはしていなかったし、されていないと思っていた。
 二年前、二人の関係が唐突に途切れるまでは。
「変わってないな……って言ったら失礼か」
 身にまとう雰囲気が変わったからだろうか、一瞬はっとするほどに綺麗になっていたのは確かだった。
 にもかかわらず、その瞳を見ていると、以前と変わらない輝きが宿っている。
「失礼だけどね……、許したげる」
「サンキュ。病院送りは逃れそうでほっとした」
「しないわよ。……もう、いい大人なんだから」
「なんか、妙に安心したよ。やっぱりかわってないな、綾香」


大事な言葉を 何度も言おうとして
すいこむ息は ムネの途中でつかえた


「葵ちゃんには、何度か会ってたんだろ?」
「ん……まあね。セコンドっていうか、試合の時とか、色々と」
「強くなってるって、思うか?」
「なってるわね。精神面も、技術面も、確実に」
「真っ赤な顔して頑張ってるもんな」
「いずれは、私より強くなるわよ、あのコは――いえ、技術面だけならもう負けてるかもしれないけど、ね」
「珍しく、謙虚だな」
「自分を知っているの。そして、葵のこともよく知ってる。……強弱がシビアに見られなければ、闘いの場では勝てな――なによ、笑ったりして」
「いや、わりぃ。話のコシ折っちまって。続けてくれ――」


どんな言葉で 君に伝えればいい
吐き出す声は いつも途中で途切れた


「先輩にもなかなか会えないんだけど、元気?」
「相変わらずだけど、姉さん寂しがってたわよ。口に出すわけじゃないけど。……時々、悲しそうな目をしてるとき、あるから」
「今度、一緒に会いたいって伝えて――いや、オレから誘ったほうがいいか」
 そうね、と綾香が微笑む。
 ――昔に戻ったように。
 言葉は少なくても、気持ちは伝わっているという感覚。
「ところで、相変わらずあやしい儀式に凝ってたりするのか?」
「……ご想像におまかせしとく」
「想像すると、一つの結論しか思い浮かばないけどな」
「姉さんのこと、すごく好きだけど――だけど、あれを手伝わされるのだけは、ちょっとね」
「半裸にマントとかって格好、してたりするのか?」
「…………………してないわよ」
「なんか、あやしい間だな」


知らない間にぼくらは 真夏の午後を通りすぎ
闇を背負ってしまった


「オレたちさあ」
「なに?」
「どこで、ズレたのかって思ってたんだけど」
「ん、どうだろ。真面目すぎたのかな」
「オレたちがか?」
「そうね、私たちがね」
「……似合わない単語だな」
「浮かれてたのよ、たぶんね」
 昔の自分たちの姿を思い浮かべながら、思い出の中に、探し物をするように言葉を交わす。
「こんな美人とつきあってたんじゃ、浮かれてたって誰も責められやしないけど」
「……それがオレの発言なら、いい口説き文句になるんだけどな」
「あら、まさか思わなかったなんて言うつもりじゃないでしょうね――?」
「青筋立てて、指を鳴らしながら聞かれてもな」
「どうなの?」
「美人だけど、それだけに笑顔なのが妙に怖い」
「……そこから先は、五体満足でいられるのを確認してからしゃべったほうがいいと思うわよ」
「人ごとみたいに言うな」


そのうす明かりの中で 手さぐりだけで
なにもかも うまくやろうとしてきた


「あんな風に好きになったことがなかったから、余裕が無くなっていたのかな、私」
 綾香が、指先を組んだ手の上にあごをのせて、視線を落とした。
 昔のオレたちの姿が、一瞬脳裏に浮かんでは、消えていく。
「真面目で、浮かれて、余裕もなく、か?」
「……なんか、ダメになるべくしてダメになった、って感じよね。それだけ聞いてると」
「でも、自分たちはそんな気がなくても、そうだったのかもしれないな、確かに」
「私は、それなりにうまくやっているんだと思ってたんだけどね」
「オレも、な」


君の願いと ぼくのウソをあわせて
6月の夜 永遠をちかうキスをしよう


「これ、どんな歌だって思う?」
「結婚を求めてくるオンナと、断り切れないオトコ」
 綾香が、即答する。
「優しすぎるオトコと、それにつけ込むオンナ、でもいいけど」
「……情緒のかけらもないな」
「現実は厳しいのよ」
 くすっと、いたずらっぽく笑った。
「主に、オトコに不利なように出来てるんだから」
「そんなもんか」
「嘘よ、ウソ。惚れたほうが弱いのに決まってるじゃない」
 くすくすと笑ったまま、上目遣いにオレを見る。
「さて、いまの私たちの場合は、弱いのは……どっちかしら?」
 またこっちを見て、綾香が笑う。
「……どうだろ。オレのほうかな」
 一瞬、時間が止まる。
 意外なことに、綾香の笑い顔が、ちょっと崩れた。
「――え?」
 かあっと、その綺麗な頬に血が上る。
「――う。えっと、その……ありがと」
 分かりづらいというか、分かり易すぎるというか。
 綾香が、照れた。


そして夜空に 黄金の月をえがこう


「でも、おあいこでしょ。弱いのは、私も同じ」
 横を向いたまま、まだ赤みの残った横顔を見せて、綾香がぼそりとささやく。
「相思相愛ってヤツか?」
「そうね。ハッピーエンドの第一条件かな。すれ違いが多いと、望まない結果にたどり着くこともあるけど」
「望まない結果を生んでしまった場合、やり直せることはあるのか?」
「ふたりが、もう一度それを望めばね」


ぼくにできるだけの 光をあつめて
光をあつめて…


「……優しいよね、この詞。この世のすべてを包み込んでくれるくらい優しくて、残酷」
 綾香が、窓の外に視線を向けた。
 いくつかのカップルが幸せそうに笑いながら、腕を組んで歩き去っていく。
「まるで道化じゃない? 自分のために、犠牲にすべきではないものを犠牲にしてもらって……自分だけが、そんな相手の気持ちを知らないなんて」
 指先が、グラスに入ったストローを弾く。
 大振りな氷が、位置を変えて軽い音を立てた。
「そんなのは、……イヤだな」
 哀しげに、綾香が目を伏せる。
「例えそれでぼろぼろになっても、泣かされてもいいから、知らされるほうがいいと思う」
 当たり前のように、明るく、それでいて真剣な口調で。
「耳当たりのいい言葉だけ云われてても仕方がないんだから」


ぼくの未来に 光などなくても
誰かがぼくのことを どこかでわらっていても


「オレが、綾香の前から姿を消したとき。――さよならも言わずに」
「――うん」
「甘いかもしれないけど、オマエのほうから追いかけて欲しかったんだ――と、思う」
「追いかけてれば……私のこと、迎えてくれた?」
「たぶん」
「……たぶん、なの?」
「仮定の話は好きじゃないからな。でも、たぶん」
「追いかけていれば、かぁ……」
「できないだろ。オレも意地悪だよな」


君のあしたが みにくくゆがんでも
ぼくらが二度と 純粋を手に入れられなくても


「昔の私にはできなくても、いまの私ならできるわよ」
「――え?」
「二年間、待たせちゃったよね」
 少し顔をゆがめて、綾香がぽつりと言った。
 まるで泣き出しそうな少女のように、はかなげに。
「今度は、ちゃんと言うから」
 オレは――綾香にこんな顔をさせる資格が、あるのだろうか。
 どうしたら、彼女にふさわしいオトコになれるのだろうか。


夜空に光る 黄金の月などなくても


「私の、気持ちはね――」
「待ってくれ」
 やり直すのか、新しく始めるのか、それすら定かではないけれど。
「先に、言わせてくれないか?」
 最初の言葉は、自分の口で発しておきたかった。
 相手に……綾香に、オレの言葉が、気持ちが、伝わるように。
「オレは、綾香のこと――」



                〈終〉



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