(Leaf Visual Novel Series vol.2) "『痕』" Another Side Story

温泉行

Episode:千鶴

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written by 尾張




「温泉に、行きましょう」
 さも明暗だとばかりに、千鶴さんがぽんと手を打ちながら言い出した。
「……はぁ」
 意図がつかめない。
 思わず横を見ると、楓ちゃんは俺と同じように頭の上に“?”を浮かばせて小首を傾げ
ていた。
 初音ちゃんは、困ったように千鶴さんを見て、曖昧な笑顔。
 梓は、部活が遅れているのか、まだ帰っていない。
「やっぱり、旅行は温泉ですよね」
 千鶴さんにそうやって言われると、説得力があるんだかないんだか。
 浴衣を着た千鶴さんにポスターなんかで言われたら、かなりいいかもしれない。
 ……今度提案してみよう。
「旅行……ですか?」
 まだ頭の上に“?”を浮かべたままの楓ちゃんが、聞き返す。
 初音ちゃんは、千鶴さんとこっちを交互に見て、微妙な顔つきだった。
「そう。ちょうどちょっと視察しなきゃいけないところがあるから、それも兼ねて」
 てへ、と千鶴さんが舌を出す。
 ……その姿は、どう見ても視察よりも温泉に入る方が優先であるようにしか見えなかっ
た。



「……どうでしょうか?」
 千鶴さんの声が、少し反響しながら耳に届く。
「いや、湯加減とか雰囲気なんかは非常に良いんですけど」
 それ以上に、緊張する。
「うーん、やっぱり、自分の目で確かめた方がいいかもしれませんね。……その、耕一さ
ん」
 ためらいがちに、少し恥ずかしそうに。
「ちょっとおじゃまさせてもらってもいいですか?」
 ……はい?
「いま、なんて言いました?」
「あ……その、ご一緒させてもらってもいいかなぁって」
「……はあ、でも、ここ混浴じゃないですよ」
「オープン前ですから、大丈夫です」
 自信たっぷりに帰ってくる、答え。
 いや、そういう問題ではないように思うのですが、千鶴さん。
「別に俺はかまいませんけど、水着とか持ってきてるんですか?」
「い、いえその……」
 ごにょごにょと、語尾が小さくなる。
「持ってきてないんですけど、平気ですから」
 平気って、何が。
 と、問う間もなく。
 ちゃぷ、とお湯が揺れる音がして。
 いつの間にきていたのか、千鶴さんと楓ちゃんが、肩までお湯につかっていた。
「い、いつの間にきてたんですかっ」
 素早い。
 しかもなぜ楓ちゃんまでっ。
「か、楓ってばいつの間に」
 あ、千鶴さんも驚いてる。
 気配一つさせずに現れるから、こっちも驚いたけど。
「……ずるいです」
 うつむき加減の真っ赤な顔で、非難するように楓ちゃんが俺たちを見る。
 すこしだけお湯につかりかかっている口から、ぷくぷくと泡がはき出されてくる。
 上目遣いのその顔は、破壊的なくらいに可愛らしい。
「いや、これは別に……っていうか、千鶴さんの仕事の延長みたいなものだし、その」
 言語中枢が麻痺したかのように、うまく言葉が出てこない。
 湯気の向こうに見える、白い肌。
 バスタオルに身を包んだ、二人がいる。
「あ、でも本当に気持ちいいですね、ここからの景色」
 少し不満げだった千鶴さんが、顔を上げた。
「あれ? 見るのはじめてなんですか?」
「いえ、もちろん工事前とか、図面を引いてもらう前に何度か視察はしていますけど……
なんだか、完成前に見ていた景色とは、また違う気がします」
 千鶴さんは、自分の言葉に照れるように、顔を伏せた。
「一緒にいる人が違う、せいかもしれませんけど」
「あ……」
 言葉に含まれた気持ちが、妙に嬉しくて、照れる。
 頬のあたりが、少し熱く感じる。
「……風が」
 楓ちゃんが、声を上げた。
 かすかに動いた風に乗って、湯気が流れていく。
 すこしだけ、楓ちゃんが身を寄せてきた。
 触れた肌が、吸い付くように柔らかい。
「気持ちいいです……」
 同感。
 でも、千鶴さんの目がちょっと怖い。
「こういちー、入るぞー」
「や、やっぱりやめようよお姉ちゃん」
 ガラス戸を引きあける音とともに、湯気の向こうに人影が二つ。
 残りの二人、登場。
「……って、なにやってんだ千鶴姉っ、楓っ」
 俺の横にいる二人を見て、梓があきれたような声を出す。
「どうも部屋にいないと思ったら、二人で抜け駆けしてたのか……」
「抜け駆けなんて、そんな……ちょっと仕事を済ませようと思って」
「はいはい。どうせそうでしょうよ。……それで、何で仕事で温泉はいるのに裸で来てる
わけ?」
 梓と初音ちゃんは、水着をつけて入ってきていた。
 まあ、俺がいるから、ということなんだろうけど。
 ちょっと残念なような、これはこれで眼福というか目の保養というか。
「ま、いいけどさ」
 幼さの残る初音ちゃんと、胸のボリュームたっぷりの梓と。
 組み合わせの妙というか、並んでいるとより引き立って見えた。
 きっちりとかけ湯をしてから、二人が湯船に入ってくる。
「ご、ごめんねお兄ちゃん」
 申し訳なさそうに、初音ちゃんが謝った。
 何に謝っているのかは分からなかったが、とりあえず頭をなでてやる。
「えへへ……」
「それにしても千鶴姉も、ひとこと言っていけよな。……どうせまた、耕一と二人っきり
で温泉、とか考えていたんだろうけどさ」
 ぎくぎくっと、音が聞こえそうなほど、千鶴さんの身体がこわばる。
「な、なに言ってるのよ」
 反射的にだろうか、千鶴さんは使っていた湯船から立ち上がろうとして……。
 その、あまりボリュームのない胸の上でとめられていたバスタオルは、少しずれて、滑
り落ちそうになった。
「きゃあっ」
 あわてて、両手で抱え込むようにして身体を隠す。
 ……千鶴さん、プラス修正で二センチ。
 どこがかは、あえて言うまい。
「と、とにかく」
 コホンと、千鶴さんが咳払いを一つ。
「一応仕事ではありますし」
 なんかもうすでに、それ自体は結構投げやりなたんなる口実に堕していますけど。
「耕一さんのほうから、感想というか、ここの印象を聞かせてもらえませんか」
 口調を改めて、千鶴さんが俺を見た。
 残りの三人も、じっと俺のほうを見る。
「そうですね……」
 ここが、ではなく、この四人に囲まれていることが。
 それだけで。
「とても」
 そう。
 たぶん、自分を受け入れてくれる、たった一つの場所だからだと思う。
「……とても、あったかい、ですよ」







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