(Leaf Visual Novel Series vol.3) "To Heart" Another Side Story

for 「本日のお題」

 

「秘めた想い」

Episode:セバスチャン

 

Original Works "To Heart"  Copyright (C) 1997 Leaf/Aqua co. all rights reserved

written by 尾張  1997/10/13

「かぁーーーーーーーーーーっ!」
 いつものごとく、わしはそういってあの若者…浩之とかいったか…を一喝した。
 まったく、懲りないというか元気な若者だ。芹香お嬢様に付きまとい始めたうちは頼
りなさそうな馬の骨に見えたものだが、どうしてどうして、根性もあるし行動力もある。
 元気な若い者は、わしも嫌いではない。認めたくはないが、あやつに好意を持つよう
になっているのかもしれん。
 あの小僧と出会ってからの芹香お嬢様は、感情をよく表に出されるようになった。
 あやつと話を交わした後には、必ず嬉しそうな顔をなさっておられる。
 お嬢様と小僧のやりとりを見ていると、昔のことが思い出されてくる。
 そう、あれはまだわしが二十を少しすぎたあたりだったか…。


 その頃のわしは、鎖につながれていない猛犬だった。
 だれかれとなく吠えかかり、噛み付き、憂さを晴らしては日々を暮らしていた。
 幼いころから身につけさせられていた空手のおかげで、ほとんどの者はわしの拳の元
に倒れていった。負け知らずの男として、裏の世界に名前は徐々に広がっていく。次第
に、自分の力もわきまえず噛み付いてくるものも減り、わしにとって住みやすいが退屈
な街になっていた。
 ある日、わしが街の裏通りを歩いていると、人影組の連中が集まっているのが目に入った。
 もともと殺人は元より、麻薬、誘拐、人売りといったまっとうでない商いばかりをし
ている連中だ。虫が好かない奴らだったが、下っ端のほとんどは恐れてわしには近寄っ
て来なかったものだ。たまに命知らずな若いモンとやりあうこともあったが、その場限
りの喧嘩として納められていたのか、組の連中と本格的にやり合うこともなかった。
 おそらくは上層部の人間が話を徹底していたのであろう。
 その時、人影組の連中が集まっていたのはもともと物騒な場所で、今日は誰が殺され
たとか、半死半生の目にあったとか、そういった話が世間話のように語られる街の一角
だった。気を抜いて歩いていれば、わしですら物陰からいつ襲われて命を落としてもお
かしくはないようなところだ。
 そんなところに、場違いな黒塗りのリムジンが止まっていた。いや、正確には、止め
られていた、というべきか。すでに車体にはいくつものへこみがつき、エンジンからは
煙が上がり、いくつかのガラスには蜘蛛の巣状のひびが一面に走っていた。割れていな
いところを見ると防弾仕様になっているのかもしれないが、いくら車が頑丈でも、そう
遠くない未来に中の人間が引きずり出されるのは明らかだった。
 わしのほかには、見ている者もいなかった。もっともいたとしても、何も見なかった
ふりをしながら通り過ぎていっただろうが。そうしなければ、この街では長生きするこ
とはできないのだから。
 ちらりと、車の中にいる人影が見えた。歳はわからぬがおそらくは運転手であろう男
が一人と、そして後部座席に座っているのは…髪の長い…少女か?
 特にその少女を助けようと思っていたわけではなかったが、わしは何かに引き寄せら
れるように、そのリムジンへと近づいていった。顔に覚えのある人影組の人間が、露骨
に顔をしかめてこちらを見ていた。
「長瀬さん、いかがなさったんで?」
 愛想笑いを浮かべて、確かかなり組内でも幅をきかせていた…そのインテリ顔の男が
近づいてきた。どうやら、車に近づかれるのがよほど困るらしい。
「今度は…なにをやらかす気なんだ? よってたかって車を襲うとは、天下の人影組ら
しくもないが…」
「勘弁してくださいよ、長瀬さん。わたしらの商売にもいろいろありましてね。上の者
のいうことは聞かなきゃならんですし、カタギの人間をそりゃちょっとは巻き込んでし
まうこともあるんでさね」
「カタギ…な。お嬢さんを襲うのに、いくら理屈をこねたって恰好はつかないぜ」
 『お嬢さん』という単語に反応して、インテリの口元がひきつった。確信はなかった
が、どうやら図星か。対立組織か、あるいはどこかの成金の娘か
「長瀬さん…どこまで知っていなさるんで? ことと次第によっては、あたしらもあま
り使いたくないものを使わなければいけなくなっちまいますが」
 そう言い終わると同時に、インテリが後ろにいた大男に一瞥をくれた。大男の懐から、
ゆっくりと鈍い光を放つ物体が取り出される。
「アメリカ軍が使っているものと同じものですよ。弾も入っていますし、人も殺せます。
…試しに撃ってみましょうか」
 そう言い終わると同時に、拳銃を手にした大男の腕がゆっくりと上がり、狙いを定めた。
 …リムジンの窓ガラスに向けて。
「おい、まてっ!」
 わしが叫ぶのとほぼ同時に、かん高い破裂音が三度、聞こえた。ひびが入って白色に
曇っていたガラスが、内側から赤色に染まる。
 狂ってやがる。
 なんのためらいもなく引き金を引いた大男に対して、またそれを命じたインテリに対
して、言い様のない怒りが沸き上がってくるのが感じられた。
「とまぁ、防弾ガラスもすべての弾丸を止めることはできないってことでさぁね。特に
痛めつけられた後にはね。ましてや人の身体なんてのは、そりゃもうもろいもので」
 言いながら、懐に手を入れて自分のものとおぼしき新しい拳銃を取り出した。インテ
リの目が、妖しい光を帯びる。
「おい…娘を引きずり出せ」
 インテリが、先ほどの大男に命令を出した。拳銃の柄で二度、三度と叩きつけられた
運転席のガラスが、ビニールを引きはがすように取り去られ、ドアのロックが外された。
 中から、少女が引きずり出された。
 わしは、思わず息を止めた。日本人形のように整った顔だち。つややかな黒い髪が長
く、腰のあたりまで伸びている。 涙をためた黒い瞳が、インテリをキッと睨みつけて
いた。目の前で人が撃たれたばかりだというのに、気丈な娘だ。
「この、人殺しっ」
 叫ぶなり少女は、その細い腕でインテリの頬を張ろうとした。だが、寸前で受け止め
られ、そのまま腕をとられて羽交い締めにされる。
「よくも…」
 振り払おうともがけばもがくほど、少女の身体はより強く動きを封じられていった。
 だが、それでもなお、少女は抵抗をやめなかった。
「別に、あの運転手に恨みがあるわけではありませんでね。しいていえば、彼は運が悪
かったんですよ。我々はあなたを捕らえろ、と言われていただけで、それ以外の者に関
しては運転手に関しては何の指示もいただいていなかったものでね」
 インテリが、間近になった少女の顔を軽く持ち上げながら言った。怒りをたたえた目
が、自分をとらえているのに何の感傷も抱いてはいないようだった。
「さて、長瀬さん、あっしらはこれで失礼させていただきやすよ。さっきも言ったよう
に、あっしらはこのお嬢さんに用があっただけでしてね」
「…待ちな」
 考えるより先に、わしの口は勝手に言葉を発していた。
 インテリが、怪訝な顔をしてわしを見た。
「長瀬さん、なにかおっしゃいましたかね? 賢明な長瀬さんのことだ、まさかあっし
らを止めるような不粋なまねはせんと思いますが」
「…待てと言っている」
 インテリの表情が、あざけるようなものへとゆっくりと変化した。回りの手下に、目
で合図を送る。それと同時に、彼らが懐に呑んでいた拳銃が取り出された。
 ひとつ、ふたつ、みっつ…。予想していたよりも、その数は多かった。手下の数が、
十人ほどだろうか。その半分近くが、拳銃を手にこちらの様子をうかがっている。
「…やめてください。わたくしのために、あなたが死ぬことはありません」
 少女が、悲鳴に近い声を上げた。泣き出しそうなその表情が、美しく見えた。
「…心配しなくても、誰も死んだりはしないさ。あんたと、わしを含めてな」
 わしのその言葉を待っていたかのように、奴らが一斉に動いた。


 十分ほどたった後、その場に立っているのはわしを含めて三人しかいなかった。イン
テリは、目の前で起こったことが信じられないといった顔つきでわしのほうを見ていた。
「どうしてだ…これだけの人数が、ハジキも持たないたった一人の人間に」
 インテリが、ぼつりとつぶやいた。無理もない。絶対的優位を確信していたのが、あっ
という間に崩されてしまったのだ。
 わしには、闘いの前から五分五分の自信があった。慣れない人間が持った拳銃は、
必ずしも自分たちの優位を保証してくれるものではないのだ。人が思っているほどには、
拳銃から放たれた弾は当たらないものであるし、敵を狙って撃った弾が、逆に味方を傷
つけることのほうがむしろ多い。
 心配していたのは、わしの身体よりもむしろ少女の身体のほうだった。流れ弾に当たっ
て傷つけてしまっては元も子もない。だが、それも今のところは杞憂に終わっていた。
 問題は…ここからだ。どうやってインテリの手から少女を取り戻すか。
「長瀬さん…あっしは少しあなたを見くびっていたようですね」
 ほうけていたインテリの目が、少しずつ先ほどの妖しい光を取り戻し始めていた。
 自分が手にしているカードが、万能であることを確信している目だ。
 手の中に光る拳銃が、少女の横顔に当てられている。
「だが、これからどうなさるおつもりで? このお嬢さんがあっしの手の中にある限り、
あなたに勝ち目はない」
「その自信に満ちた言葉は、さっきも聞かせてもらったぜ。いくら自信があっても、
それをくつがえすことができるということも証明して見せたはずだがな」
 わしは、とにかくインテリの注意を少女からそらせることに専心した。あまり追いつ
めてしまっては、少女を傷つけることにもなりかねない。
「わからないのは、なんであんたらがそんなにそのお嬢さんにこだわるのかだ」
「綾小路のたったひとりの後継ぎ娘だと知っても、か?」
 そのひとことが、わしの中にあった疑念をすべて説き明かした。
 …綾小路といえば、この街で知らないものはない。戦後の混乱の中、工業製品を足が
かりに急成長した小財閥だ。創業者が最近病に倒れたという話は聞いていたが。
「これまで、裏の世界でもりたててやってきたあっしらの恩を忘れて、暴力はなにも生
み出さない、これからは平和な世の中が繁栄を作っていくんだ、ときましたよ」
 ちらりと、脇に抱えている少女のほうを見やる。
「それもこれも、可愛がっているお孫さんの影響だとかでね。だからこうして、そのお
孫さんを手にしてしまえば…もう一度、意見を変えていただけるだろうってことでさぁね」
「だが、失敗した。そうだろ?」
 インテリの顔が、怒りで染まった。少女の顔に向けていた拳銃を、わしのほうに向け
て狙いをしぼる。
「まだですぜ。ここであなたを殺して、めでたくおしまいといきましょうや」
 わしが待っていた瞬間がきた。身体を飛ばすようにして、インテリめがけて突き進ん
でいく。当たればおそらく死ぬ…が、今をおいて他に機会はない。
 乾いた音が響き渡った。同時に、わずかなうめき声が聞こえた。
 放たれた弾丸は、わずかに身体をそれて後方へと飛び去っていた。怒りにまかせて、
少女を突き飛ばそうとしているインテリの姿が見えた。少女が、引き金の落ちる寸前に、
インテリの手に噛み付いていたのだ。
 二発目の狙いをつける間もなく、インテリの身体はわしの体当たりで宙へと飛んだ。


 安全と思われる場所に移動した後、追っ手のこないことを確認して、わしは少女に話
しかけた。
「大丈夫だったかい、お嬢さん。怖い目に合わせてすまなかったね」
「平気です。それと、わたくしのことは、香織と…呼んでください」
 可愛らしい唇が、そう言葉を形づくった。かすかに震えているのが、はっきりと見て
とれる。いくら気丈とはいえ、恐怖が染み込むように思い出されているのだろう。
 少し落ち着かせるために、わしはたわいのない話をはじめた。
「長瀬さんは、どうしてこんなところで暮らしているのですか?」
 しばらくして、香織が、不思議そうに聞いた。確かにこれといって納得できるような
理由を持っているわけではなかった。しいていえば、虐げられながらも、この街で一生
懸命に生きている人たちを見るのが好きだから、というだけの理由かもしれない。
「自分でも、よくわからんな」
 わしは、正直にそう答えた。
「生まれたときからこの街にいたから、かな。特にひどいところだとも思わんし、わし
にとってはこういった生活が性にあっているのかもしれん」
「人と闘い続ける生活が、ですか?」
 香織の声は、震えていた。
「どんなに理由をつけたって、人を傷つけながら生きていくのが正しい生き方だとは、
わたくしには思えません。長瀬さんだって、本当は分かっていらっしゃるんでしょう?」
 黒い大きな瞳が、うるんでいる。わしはその瞳から目をそらせることができなかった。
 彼女の言葉ひとつひとつが、わしの心の奥深くへと突き刺さっていた。
「…わたくしは、自分が人を争わせる原因を作り出しているなどと、思ってもいません
でした。何も知ろうとはしていなかったのです。お爺様のお仕事のことも、それが生み
出す人の悲しみも」
「香織…さん。あんたは強いよ。わしなんかよりもずっと。わしには、そこまで強くな
ることはできない」
「どうして逃げるのですか!?」
 彼女の頬を、涙が流れ落ちた。それを見て、やるせない気持ちになった。自分のため
にではなく、他人のために涙を流すことのできる彼女の優しさに、応えようとしない自分に。
 だが、わしの心は決まっていた。
「わしは、しばらく身を隠さなければならん。おそらく人影組のやつらは、血まなこに
なってわしを捜すだろう。あんたに迷惑をかけるわけにはいかん」
「迷惑だなんて…迷惑だなんてことありません」
「だが…」
「一緒にいてくださるだけでよいのです。わたくしと一緒に、いてくださるだけで…」
 切なげな彼女の表情に、心が痛んだ。だが、わしは立ち上がって、
「さて、あんたを送り届けなければならん。行こうか」
としか言えなかった。
 彼女も、それ以上なにも言おうとはしなかった。


 門をくぐると、心配していた屋敷の連中に、彼女は取り囲まれた。口々に無事を祝う
者たちが、心からその言葉を発しているのは明らかだった。
 彼らに連れられて見えなくなる最後の瞬間に、彼女がこちらを振り返った。
 振り返って、わしのほうを見た彼女の悲しげな瞳が、わしの心に深く焼き付いた。
 その瞳が、すべてを語っていた。彼女の想いが、手に取るようにはっきりと感じられた。
 痛いほどに。
 だが、わしは彼女から離れて歩き出した。すべての想いを振り切るように。
 それから先は、追っ手から身を隠すのに必死だった。ありとあらゆる職業に見をやつし、
目立たぬように、町の片隅で生きるようになった。
 そしていつしか、綾小路のお嬢様が来栖川財閥に嫁いだという噂を、風の便りに聞いた。
 その数年後、来栖川の大旦那様に請われて使用人に召し抱えられる日がこようなどと
は、その時のわしには思い付きもしなかった…。


 いつもどおり、下校時に迎えに出ると、芹香お嬢様は校門の前で静かにたたずんでお
られた。今日は、あの若造の姿はないようだ。心なしか、芹香様のお姿が寂しそうに見
えた。
「今日は、浩之とかいうあの若造の姿が見えませんな。なにか、あったのですかな?」
 わしがそう話しかけると、芹香お嬢様の瞳が困惑に揺れた。わしの言葉の意味を、は
かりかねてでもいるかのようだった。
 しばらくして、芹香お嬢様が口を開かれた。
「……」
「浩之さんのことをどう思われますか、ですと? あの若造のことですか。悪いやつに
は見えませんが、ご友人になされるには少々品がないような感じもいたしますな」
「……」
「え? ああ見えても彼は紳士ですと? …それについては賛同いたしかねますが、見
ていて退屈はしませんな。お嬢様はあまり、ああいったタイプの人間とのお付き合いが
なかったわけですから、勉強をするつもりでご友人としての付き合いをされるのがいい
かとも考えますが」
 そう芹香お嬢様には答えながらも、わしは全然別のことを考えていた。
 浩之どのと芹香お嬢様。彼らなら、わしがかなえられなかった想いをかなえるかもし
れん。芹香お嬢様は、こう見えて芯はなかなか強くていらっしゃる。浩之どのも、まわ
りの障害を排除してでも自分の気持ちにまっすぐになれる男だ。
 お嬢様、そして、浩之どの。二人の気持ちが本当に真摯なものであるのならば、わし
も、少しはその気持ちを応援させていただきますぞ。大旦那様には申し訳ありませんがな。
 若者は素直に生きなければいけないのですぞ。歳を取ってから悔いを残さないためにも…。
 その言葉は、わしの口から発せられる前に宙へと飲み込まれて、消えた。
 わしが口を開かずとも、二人は分かっていらっしゃるだろう。年寄りの余計な感傷を、
あえて差し挟まずともよい。
 空を見上げると、雲ひとつなく澄み渡った青色の中を、二羽の小鳥が気持ち良さそう
に舞っていた。近付き、離れ、お互いに飛線をからませながら、小鳥たちは、青い空の
中に吸い込まれるように消えていった…。
 
 
あとがき:すんません、本編の設定と違うところがあるかもしれません(いや、きっと
     あるだろう(笑))
     …ツッコミ待ってます。

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