(Leaf Visual Novel Series vol.3) "To Heart" Another Side Story

for 「本日のお題」

 

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Episode:松原 葵

 

Original Works "To Heart"  Copyright (C) 1997 Leaf/Aqua co. all rights reserved

written by 尾張  1997/10/28


 バシッ、バシッ、バシッ。
 一番に道場にきたはずなのに、誰もいないはずの道場から、サンドバッグを叩く音が
立て続けに響いていた。
 あの軽快なリズムは、もしかして…。
 心が浮き立つのを押さえきれなかった。
 先輩が来ているんだ。
 バシッ、バシッ、バシッバシッ。
 音に合わせるように、気合いの声が飛んでいる。あの声は…間違いない。聞き間違え
たりするものか。
 知らず知らずのうちに、小走りになっていた。はやる心が押さえきれない。
 脱いだ靴をそろえるのももどかしく、道場の扉を開ける。
 僕の目に、激しくサンドバッグを打ち続ける先輩の姿が飛び込んできた。
 ワンツーから上段回し蹴り。葵先輩の得意の連携技だ。本気で蹴られたら…たぶん、
僕なんかじゃまともに受けきれない。
「葵先輩、おはようございますっ」
 一礼するのももどかしく、声を出していた。
 先輩が、僕に気付いて動きを止める。
「あ、おはようございます。どうしたんですか…今日は、こんな早くから」
「それをいうなら、先輩だって、こんな早くから…一人で練習してたんでしょう?」
「そ、そうでしたっけ。なんか、いてもたってもいられなくなって、身体を動かしたかっ
たんです。こういう気持ちになるときって、ありますよね」
 先輩は、そういって照れたようにうつむいた。葵先輩は、年下の人間に対しても、
妙に気を使った喋り方をしてくれる。
 同級の仲間うちでは、きさくな態度の綾香先輩のほうが人気があるけど、僕は、そん
な葵先輩が…好きだった。
「先輩…たしか高校は坂下さんと同じところに行くんでしたよね」
 タオルを渡しながら、僕は何げなくそう聞いた。
「いいなぁ…坂下さんは高校空手界でも有名ですし、やっぱり一緒に練習、したいです
よね」
 そんななにげない問いかけに、先輩はなぜか、ちょっと表情を曇らせた。
 心なしか、寂しそうに見える。
「あ、ご、ごめんなさい、変なこと聞いちゃいました?」
 その表情に不安になった僕は、おもわずそう言葉を続けた。
「べつに変なことじゃ…ないんですけど…ね」
 葵先輩が、困ったような表情でとぎれとぎれに言った。さっきからずっと、うつむい
たままで、いつも元気な先輩らしくない。
 こういう先輩を見ると、守ってあげたい、という気持ちが僕の中に湧いてくる。闘っ
ているときの先輩はとても強いけれども、普段の先輩は、年上に見えなくなるときもあ
る、可愛らしい女の子だ。
 もっとも、実際には僕のほうが守られてばかりなんだけど。
 そう、初めて先輩に会ったときだって…。


「だから、ぶつかってきたのはそっちだろう」
 恐怖に声が震えているのが、自分でもはっきり分かった。情けないけど、暴力的な雰
囲気が苦手なので、身体が勝手に反応してしまう。
 素直に謝っておけばよかったかな…。
 声に出してしまってから、後悔が頭の中をよぎる。相手は…どう見ても高校生だ。
  しかも、身体は僕よりもかなり大きい。それも、三人。
 一緒にいた友人の晶は、鼻から血を出してうずくまっていた。前触れもなくいきなり、
目の前にいる高校生たちの一人に殴られたのだ。ちょっと身体が触れたから、という理由で。
 あざけるような顔で、高校生が晶を蹴った。仰向けに吹っ飛んで、二三度せきこむと、
晶は、怯えた目を高校生に向ける。
「こいつが失礼なことしたんだろうが。オマエの連れなら…ちゃんと教育しとけ」
 無造作に近づくと、そいつはさらにもう一度蹴った。腹を押さえてうずくまった晶が、
耐えられなくなって嘔吐する。
「汚ねぇなぁ」
 吐き捨てるようにいうと、嘔吐を続ける晶に、つばを吐きかける。
「これだけ失礼が続くと、もうこいつが殴られるだけじゃすまされないよ、なあ?」
 仲間のほうに向かって、そいつがいやらしい笑みを浮かべた。
 次の瞬間、視界が真っ白に染まった。
 じんじんとした痛みが、突き刺すように左頬を襲った。
 息がつまる。
 鉄のつーんとした味が、口の中に広がった。
 ああ、殴られたんだ、とぼんやりとした意識の中で理解していた。
 視界の端に、倒れたままの晶が映った。身体を丸め込んで、何度も何度も蹴られるの
に耐えている。
「やめてくれっ! そいつに…手を出すなっ」
 思わず、そう叫んでいた。
 晶を蹴っていた高校生の動きが、一瞬止まる。
「なんだ、えらく元気がいいじゃねぇか。…自分がどういう立場にいるのか、分かって
んのか、お前はっ」
 声と同時に、目の前で火花が散ったような気がした。身体が浮いて、次の瞬間、地面
に叩きつけられる。ざりっとした石混じりの土が、肌を削った。
 痛みで、涙がにじみ出していた。ピントのあわない視界が、次第に広がっていく。
「やめてくれ…」
 しわがれた声が、自分のものではないように感じられた。
 と、その時。
「やめてくださいっ」
 よく通る、女の子の声が、遠くから聞こえた。
 涙の向こうに、同い年か一つ下くらいの小柄な女の子が、制服姿で立っているのが見えた。
「ひどいケガじゃないですか、抵抗もしない相手に、なんてことを…」
 一瞬、けおされた高校生たちが、相手が女の子であることを知って、いやらしい笑み
を浮かべた。
「ひっこんでな」
 興味なさそうに、そう言い放つ。
「やめないつもりなんですか。それなら、私にも考えがあります」
 女の子は、高校生三人相手に一歩も引かずに、はっきりと答えた。
「どう、考えがあるって…」
 そう言いながら近寄った高校生のうちの一人が、言い終わらないうちに横へとはじけ
飛んだ。
 何が起こったのか、僕には分からなかった。おそらく、そこにいる誰にも分かってい
なかっただろう。ただ、その女の子一人を除いて。
 広がっていたスカートのすそが、ふわりと落ちた。浮いていた右足が、静かに地面へ
と戻される。
 倒れた高校生は、うめき声を上げてうずくまったままだった。
 呆然としていた残りの二人が、怒りの声を上げて女の子に襲いかかった。
 …そこまでしか、僕は見届けることができなかった。痛みとともにやってきたぼんや
りとした感覚の中に、意識が沈んでいった。


 気がつくと、病院の中だった。
 身を起こすと、傷口に貼られたガーゼを押さえるテープが、引っ張られて鈍い痛みを
引き起こした。と同時に、傷口のほうの本当の痛みもやってくる。
 思わず、傷口を押さえると、
「怪我…大丈夫ですか?」
と、心配そうにたずねる声が聞こえてきた。
 声の先では、先ほどの小柄な女の子が、不安げな表情でこちらを見ている。
「まぁ…なんとか」
 いてて、と顔をしかめながらそう強がってみせた。が、すぐにさっきの姿を見られて
るんだから強がっても仕方がないかな、という気分になって、
「実は大丈夫じゃないんですけど」
と正直に答えた。
「もう一人のかたは…気分が悪いのが直らないらしいんですけど、内臓には異常がない
から大丈夫だろうって」
 それを聞いて、ほっとした。晶がひどいことになってたりしたら、傷口がどうのなん
て言っている場合じゃなくなってしまう。
「あの…助けてくれて、どうもありがとうございました」
 痛みを我慢しながら、そういって頭を下げた。
「えっ、あの…えっと、そんなに大したことじゃ…ないんですけど。私、ああいうの見
ると、見逃せなくて、わけわかんなくなってしまって…」
 赤い顔をして、恥ずかしそうにしゃべる姿がとっても可愛くて、なんだか僕は初めて
会ったこの女の子を、気に入ってしまった。
「なになに、彼、目を覚ましたんだって〜」
 そこに、女の子がもう一人入ってきた。やけに陽気で、その場の雰囲気が突然ぱっと
明るくなったような感じだった。
「あ、綾香さん」
「まいったわよ、葵ったら、突然走り出したかと思うとこれでしょ。おまけに最初の一
撃の後にはっと我に返って、おろおろしているし。私が一緒にいなかったらどうなって
いたのかしら」
 綾香と呼ばれた、長い黒髪のちょっときつい目をした女の子は、そういって笑った。
「それは…えっと、あの…ありがとうございした」
「いや、別に礼はいいんだけどね。でも葵、もうちょっとあと先、考えて行動したほう
がいいわよ」
 そういって、もう一度楽しそうに笑った。
「葵さんと…綾香さん、ですか?」
「あ、まだ名乗ってなかったわね。私は来栖川綾香。このコは…」
「松原…葵です。すいません、自己紹介遅れてしまって」
 話をしていくうちに、同い年か年下だと思っていた女の子が、僕の一年先輩だという
ことを知った。


「葵に、惚れた?」
 葵先輩がちょっと席を外したのを見計らって、横に座った綾香先輩が、真顔で聞いた。
 突然の言葉に、僕は頬が熱くなるのが自分でもはっきりと分かった。
 そんなに分かりやすい顔をしていたんだろうか?
「ど、ど、どうしてそんなこと…」
「まあ…見てればわかるわよ。…別にいいけど。葵はね、鈍いからはっきり言わないと、
分からないわよ。ぐずぐずしているうちに、他の男に取られちゃっても、知らないからね」
 そう言って、綾香先輩は楽しそうに笑った。怪我をしていないほうの、僕の肩を軽く
ぽんと叩く。
「ま、君はなかなかイイ線いってると思うな。ケンカは弱くても、友だちを守ろうとし
ていたところは立派だと思うし。最近のオトコはそういうの少ないからね〜」
「でも、守れなかった、ですよね」
 やられた時と同じ情けない気持ちが、言葉とともに沸き出していた。
 思わず、
「綾香先輩…僕、葵先輩を守れるような男になりたいです」
言葉が、僕の口から勝手に飛び出していた。
 言ってしまってから、恥ずかしくなった。その女の子についさっき助けられた男のい
う言葉じゃない気がした。
「空手、やってみたら?」
 少しの間があってから、綾香先輩がゆっくりと言った。
「空手を?」
「そ、とりあえず努力してみることよ。気持ちは負けてないんだから、あとは少しづつ
でも鍛えていけば、いずれ、ね」
 綾香先輩の言葉が、僕の中で繰り返されていた。
 少しづつでも…か。
 その瞬間、僕の心に迷いはなくなっていた。


 葵先輩の声で、僕は過去の世界から引き戻された。
「高校に入ったら、エクストリームの大会に出ようと思っているんです」
 葵先輩が、消えそうな声でぽつりとつぶやいていた。
「だから、もうここの道場にはこれなくなってしまうと思います。師範、エクストリーム
のこと、認めてくれてないし…綾香さんだって、破門のような扱いでしょう」
「エクストリーム…ですか」
 それほど違和感は感じなかった。綾香先輩が切り開いた道に、葵先輩も進もうとして
いるのだ。
「だから、こことも今日でお別れなんです」
 いとおしそうに、道場の中を見渡す。
 葵先輩が、悲しそうな顔をしている理由が、やっと分かった。
「…葵先輩っ」
 思わず、僕は叫んでいた。
「僕、応援します。先輩のことも、綾香さんのことも。そして、いつかきっと、僕も先
輩たちに追いつけるように、頑張りますっ」
 葵先輩が、笑顔を見せた。自分の迷いを吹っ切るように。
「ありがとうございますっ。私も、頑張りますね」
 そういって、もう一度、道場をゆっくりと見渡した。
「ありがとうございましたっ」
 誰もいない道場の中へ、声をかけながら、深々と頭を下げる。
 顔を上げたとき、そこにいたのは、元気を取り戻したいつもの先輩だった。


 …そして、一年後の春。
 僕は、葵先輩と同じ高校に入る。一緒にエクストリームを目指すために…。

                                 fin.



あと書き:
『葵先輩』っていう単語を出したがったためにこんな話を書いてしまいました。
彼の恋が成就するかどうかは…本編の主人公の行動次第なわけですが(笑)。まあ失恋も
男を強くするプロセスですから…とかいって。
本編に出てこないキャラクターという要素と、主人公以外の視点という、二次創作SS
のマイナス要因を二つも抱えているのを、カバーできるほどの筆力があればいいのです
が…現実はなかなか厳しいようです(笑)。
なにはともあれ、読んでくださってありがとうございました。気にいっていただければ
嬉しいです。もし、気に入っていただけたのなら、また次回の作品でもお会いしましょう〜。

『教えてよ 僕に 夢の見方を誰か
 目の前に起こる 全て見届けるから
 教えてよ 僕に 夢の見方を誰か
 生まれた時に 知っていたはずの答えを』(ZABADAK「夢を見る方法」)


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