お題 “学園祭”
Sidestory of "To Heart"
 

「二つの指輪、一つの願い」


Written by 尾張


「…学園祭?」
 綾香が、間の抜けた声で問い返した。
「…そう」
 オレの返事も、ちょっと間の抜けたものになった。
「もしかして、誘ってくれてたりする?」
 期待を込めた瞳で、ちょっとおどけた言葉。
「ああ、誘ってる」
 綾香の言葉に、オレは頷いた。
 もちろん、そのつもりだった。
「お誘いを受けていただけませんでしょうか、お姫様」
 おかしな言い回しで、芝居がかって頭を下げた。
「相手の態度次第といったところですわね」
 オレに合わせて、綾香も芝居がかったそぶりで返す。
「行くことにやぶさかではない、と王子様にお伝えいただけますでしょうか」
 なんかいきなり、王子様ではなくてそのしもべ扱いされていたりする。
「あー、悪かったよ。…綾香」
 真面目な顔に戻って、綾香の顔をしっかりと見つめる。
「一緒に回りたいんだ。来てくれるかな?」
「態度次第だって言ったでしょ。よかった…実は、誘ってくれるの待ってたんだ」
 いたずらっぽく笑って、ほっと息を吐いた。
 途端に、見て分かるくらいに上機嫌になる。
「楽しみにしてるからね。迷って遅刻したりしたら許さないからね」
「…あのな、自分の学校でやるっていうのに、迷うわけないだろうが」
「迷わなくても遅れるんだから、あてにならないわよね〜」
「ぐっ」
 まったく、ああ言えばこう言う…口の減らないやつだ。
「起こしに行ってあげようか」
「大丈夫だって」
「本当に?」
「本当だ…たぶん」
 繰り返し念を押されるのも情けないが、前科があるんだから仕方がない。
「あやしいなー」
「見てろよ、オレの本気を見せてやるからな」
「…約束守ったくらいでいばられても困るんだけど」
「そうだな」
 …あかりのやつにでも、こっそり頼んでおくか。



 口の悪い志保なんかに言わせると、オレと綾香が付き合っているというのは
学園七不思議のひとつなんだそうだ。
 じゃあ、あとの六つはなんなんだ、とオレが問い詰めたら、
・綾香がオレのことを好きになった
・いまも好きであり続けている
・綾香がオレに飽きない
・綾香がオレを見捨てない
・オレが綾香にフラれない
・綾香が他の男に乗り換えない
と並べやがった。ぬかせ。
 全部一緒のことじゃねーか。
 だいたい、これのどこが“学園”七不思議なんだ。
 まあ、人の気持ちは確かに分からない…というか不思議なものだ。
 オレが、綾香のことを好きになったのだって、きっかけが何だったのかは
よく分からない。
 考えてみて、思いあたる理由はいくつかある。
 とは言っても、だから好きになったのか? と聞かれたら、答えを出すことが
出来るかどうか…。
 綾香も、同じじゃないだろうか。
 一緒にいるのが楽しい。
 そばにいると安心できる。
 そんな、ちょっとしたことだ。



 その、学園祭当日。
 ぷるるるるる…。
「ん…」
 電話のベルで、目が覚める。
「なんだ、こんな朝早くから…」
 寝ぼけた頭で、時計を見る、
 ──全然、朝早くなかった。
「だああああああっ、なんでこんな時間なんだ〜」
 どう考えても、綾香との待ち合わせの時間には間に合いそうもなかった。
 ぷるるるるる…。
 電話のベルが、何かを主張するように鳴り続けている。
 どうやら、出るまで鳴らし続けるつもりのようだ。
 踏み外さないように気をつけながら、急いで階段を下りる.
 ぷるる…がちゃ。
「はい、藤田です」
『…どうして電話に出てるのかしら?』
 案の定、綾香からだった。
 あきれた様子が、受話器ごしに伝わってくる。
「…出るまで掛け続けてるからだよ。すまん、寝過ごした。すぐ行くから」
『なんか、こうなるような予感はしてたのよね。じゃ、校門のところで待って
いるから、気をつけてね』
「気をつけるって…なにを」
『道に迷ったり、転んだりしちゃダメよ』
「…しないって」
『どうかしら? 浩之があてにならないのは、実証済みだしね』
 電話の向こうから、冷たい声が返ってくる。
 ううっ…こりゃ、今日は一日言われ続けそうだな。



「だから、起こしに行こうかって言ったのに」
「…すまん」
 あれから慌てて支度をして、学校についたのは結局20分ほど遅れてから
だった。
 校門に作られたアーチの下で待っていた綾香は、着くなりオレの姿を見つけて
駆け寄ってきた。
 結果、発せられた第一声がこれである。
 言い訳のしようもない状況とは、こういうときのことを言うのだろう。
「自分を信じたオレが悪かった」
 そう言って頭を下げたオレを見て、綾香が吹き出した。
「もういいわよ。なんか、慣れてきちゃったあたしもあたしだわ」
 しょうがないわね、といった感じで、綾香が肩をすくめる。
「さーて、なにオゴってもらっちゃおっかなっ」
 何も言わないうちから、すっかりその気になっている。
 オレは、今日が学園祭の日であることに心から感謝した。
 他の日だったら、明日から昼食もままならないほどオゴらされていたかもしれない。
 さすがに、学校の中ではそんなことにもならないだろう。
「ね、出店回っていい?」
「ああ。適当にオゴってやるから、好きに回っていいぜ」



「おい」
「ん? なに、浩之」
「…適当に、って言わなかったか、オレ」
「罰よ、バツ」
 綾香は上機嫌だ。
 そりゃ、あんだけ色々食えば気もすむだろう。
 たこ焼き、綿菓子、ホットドッグに焼きそば…。
 このままいけば、食べ物屋を完全制覇できそうなくらいだった。
 おかげで、こっちの財布の中は少々心もとない。
 最後に寄った店で買った、コーラのコップを手に持ったまま、オレは綾香に
引きずられるように歩いていた。
「あ、あそこ、見ていこう。ねっ?」
 綾香が、小物アクセサリーを販売している出店を指差した。
「もう勘弁してくれー」
「これで最後、本っ当に最後だから。お願いっ」
 綾香が、両手を合わせてこっちを見る。
 そこまで言われて断れるはずもなく、オレは付き合うことにした。
 その店は人気があるのか、それなりに人が集まっていた。
 よくある、黒い布がかかった平たい台の上に、針金を細工したような指輪や
ネックレス、イヤリングなどが並んでいる。
 衛生上の理由からか、校則に違反するからか、さすがにピアスは置いてないよう
だったが…。
 だが、綾香の興味はそこにはないようだった。
 展示台の横にある、奥への怪しい入り口の前に出来ている、人の列の最後尾に並ぶ。
「ここ…さっき通りかかったとき、最後に寄ろうって決めてたんだ」
 入り口の横の看板をさりげなく指差した綾香は、嬉しそうにオレのほうを見る。
 そこには、『恋人たちを繋ぐペアリング、お作りします』と書かれていた。
 …道理で、回りの客がカップルばっかりだと思ったぜ。
「こうやっていると、恋人らしく見えるかな?」
 回りにあてられるように、寄り添って立つ綾香に小声で問いかける。
「連れの男が、もうちょっと格好良かったら、最高のカップルに見えるでしょうね」
「…ぬかせ」
 オーダーメイドなのかなかなか列は進まなかったが、そんなことを言いあっている間に、
オレたちの番になったようだった。
 小さな入り口を、ゆっくりとくぐって中へと入る。
 薄暗く作られた空間を、ろうそくの炎だけがほのかに照らしていた。
 ぶはっ。
 中に入った瞬間、オレは手に持ったコップの中身をぶちまけそうになった。
「な、なんでこんなところに…」
「姉さん!?」
 薄暗い明かりのなかにいたのは、芹香先輩と…そしてセリオだった。
「工芸部の部長に頼まれたって…いったい、なに作ってるの?」
 その人たちの相性を占って、その繋がりをより深くするための指輪を作るのです。
と、先輩が答える。
 オーダーメイドの上に、占いつきか…人気出るはずだな。
「で、セリオは?」
「──芹香様の要望に応じたものをなかなか作れないということで、部長さんから
代役を頼まれました」
「作れない?」
「──はい。黒魔術に関連した意匠をかたどったものが多いので、難しかったよう
ですね。あまり凝った形のものはないのですが…形が崩れると効力を発揮しない
ものらしいので」
 …それはつまり、企画倒れになりそうだったところをセリオが救ったということ
なんだろうか。
 なんか、すでに部の出し物としては間違っているような気が…。
 はじめます…。
 そう言って、先輩が机の上に並べられたカードを手早く動かしていく。
「なんか、学園祭にいるっていう感じじゃなくなってきたな」
「そう? あたしはなんか姉さんがいつもと違って見えるような気もするけど」
 確かにそう言われると、ろうそくの炎に照らされた先輩は、いつもより神秘的な
雰囲気を漂わせているように見えた。
 カードを並べる手付きも、さすがにさまになっている。
 先輩の手が、ぴたりを止まった。
 セリオに顔を寄せると、何事かを伝えていく。
 言葉自体は聞こえたが、単語そのものは聞きなれないものばかりで、いったい何を
伝えているのかオレには全然分からなかった。
 それを聞いたセリオが頷いて、太めの針金のようなものの加工を始める。
 複雑に曲げられていくその細工には、熟達した職人が見せるような技の冴えがあった。
 ほどなくして、二つの指輪ができあがる。
 シルバーリング…に無理すれば見えなくもない指輪だった。
 小さく、リングの外側に細工が施してある。
 綾香は気に入ったようだった。
 それを拾い上げると、綾香の手を取った。
 ゆっくりと、それを指先へと通してやる。
 そして、自分の指にもはめた。



 普段見慣れたはずの校舎の中は、さまざまな飾り付けがされていて、まるで
別世界にでも入り込んだような印象を受けた。
 教室ごとに、喫茶店やら、迷路やら、いかにも学園祭らしくにぎわっている。
 オレがふと足を止めた教室の看板には、こう書かれていた。
『お化け屋敷』
 …定番だな。
 綾香のほうを見る。
 なぜか、ちょっと腰が引けた様子で、オレを見ていた。
「やっ、やめようよっ。ほら、他にもおもしろそうなのあるし、わざわざここに
入らなくたっていいじゃない」
 綾香が、オレの服のすそを握りしめて引っ張っていこうとする。
 ずるずると、身体が引きずられかける。
 ──なんか、やけに強引だな。
「もしかして綾香って…こういうのダメ、とか?」
 オレの問いかけに、少しの間があって、
「…う、うん」
 ゆっくりと、綾香が頷く。
「…なんか意外だな、怖いものなしの綾香に、そんな弱点があるなんて」
「なんか、こっそりひどいこと言ってない?」
「言ってない言ってない」
 慌てる様子がおかしくて、ちょっとからかうような形になった。
「ま、誰にでも苦手な物はあるよな」
「そう。じゃあ…」
 明らかにそれと分かるほどほっとした表情で、綾香が歩き出そうとした。
「でも、入る」
「ちょっと〜〜〜」
 今度はずるずると、オレに引きずられながら綾香は入り口をくぐった。
「きゃあああぁぁぁぁぁっ」
 真っ暗な教室内に、カン高い女性の悲鳴。
 先に入っていた誰かのものか、それとも演出だろうか。
 びくっと、綾香の身体が震える。
 ぎゅっとオレの腕をつかんでいる指先が、かすかに震えていた。
 ──なんか、本当にダメなんだな。
 綾香の反応を面白がっていたオレも、さすがに少しばかり後悔の念を覚えた。
 しかし、これはこれで可愛い…。
 いや、喜んでいる場合じゃない。
 …でも可愛い。
 などと葛藤を繰り返しているうちに、いつの間にか前に進んでいた。
 つかまれた腕が、痛いほどにきつく握りしめられている。
 よほどすき間の目張りをしっかりやったのだろうか、教室内は光の差し込まない
まったくの暗闇に包まれていた。
 腕に押しつけられた、綾香の胸からは、いつもよりも早くなった鼓動が伝わってくる。
 とか思っていると、綾香がオレを盾にするように、背中へと回った。
「…ごめん、やっぱりダメ」
 震える指先を握りしめて、オレの服をつかむ。
 たぶん、うつむいたまま何も見ないようにして突破するつもりなんだろう。
 押されるようにして、オレは進んでいった。
 暗闇に浮かび上がる青白い顔だの、発光する光の玉だの、定番の脅かしアイテムが
次々と披露された。
 音が伴わないものには、綾香も反応しない。
 どうやら、本当に何も見ないですませようというつもりなんだろう。
 教室の中ということもあって、通路自体も長いわけじゃない。
 すぐに、出口の明かりが見えた。
「お、そろそろ終わりらしいぞ」
「ほ、ホントに?」
 露骨にほっとした気配が、背中越しに伝わってきた。
 その瞬間。
 ガタンッ。
 突然、音とともに背後で何かが動いた。
「いやあっ、来ないでーっ」
 声とともに、綾香がオレにしがみつく。
 同時に、何かが風を切る気配と、ばきっという音。
 …暗くてほとんど見えないが、状況は手に取るように分かる気がした。
 あーあ、やっちまったか。
「逃げるぞ、綾香」
 壊した対象が人でないのを確認できたので、オレはとっとと逃げることにした。
 震える手を引いて、出口をくぐり抜ける。
 オレの耳に届くのは、しゃくり上げる綾香の声。
「だからイヤだって言ったのに〜」
 ぐすん、ぐすんと、泣き声に混じった音がそれに続く。
「…悪かった。このとーり」
 なんか、誤解を招きそうなシチュエーションだ。
 また、ろくでもないネタを志保に提供しちまったかもしれない。
 階段の前まで来て、後ろを振り返った。
 …追っ手はかかっていないようだった。
 泣き続ける綾香の頭を、そっと押さえるように撫でてやる。
「ごめんな」
 だいぶ、落ち着いてきたようだった。
「こんなに怖がるなんて、思ってなかったからな」
 くすんと、鼻を鳴らして綾香がオレを見る。
「お詫びのしるしに、一つだけ言うこと聞いて」
「オレに出来ることならな」
「…キスして」
「は? ここでか?」
 オレは、回りへと視線を走らせた。メインの通りでもある場所でもあり、人通りは
けっこう多い。
 こういうところでそういうことをするのは、妙に気恥ずかしい。
「うん」
 頷いて、上目づかいで綾香がオレを見る。
 その瞳は、濡れて光っていた。
「しょーがねーな」
 一瞬の躊躇のあと、オレも度胸を決めた。
 あごを持ち上げるように、指先で首筋に触れる。
 顔を寄せていくと、綾香がゆっくりを目を閉じた。
 唇が触れる。
 回りを気にしながらの、短いキス。
 でも、綾香の気持は十分伝わってきた気がした。
 目を開けると、少し赤く頬を染めた綾香の顔があった。
「なんだか…恥ずかしいな。あたし、ドキドキしてる」
 瞳を伏せながら、小声でささやく。
 オレも、胸が高鳴っているのが分かった。
 まるで、初めて唇を合わせた二人のようだった。
 目の前の綾香がいとおしく思えて、オレは身体を軽く抱き寄せた。
 ゆるやかに、綾香の身体が腕の中におさまる。
「浩之…人が見てるよ」
 綾香の慌てた声が、耳元で聞こえる。
「構わないって」
 そう言って、回した腕に力を込める。
 ぬくもりが、ゆっくりと伝わってくる。
 それを感じているだけで、ほっとした気持になった。



 オレたちは二人並んで、ちょうど座れるようになっている、段差のへりに腰を下ろしていた。
 見知った顔が行き来するのを、隠れるように顔を伏せてやり過ごす。
 なんとなく、綾香と二人きりの時間を邪魔されたくなかったのだ。
 日の傾きが、祭りの終わりが近いことを知らせていた。
 喧騒の中に、少し寂しげな空気が混じり始めている。
「もうすぐ、終っちまうんだよな」
 オレは、綾香の手を取った。
「…行こうぜ。まだ、終わるまでには少し時間がある」
 立ち上がった綾香が、オレの横に並んで腕を絡ませてくる。
 せかされるように、歩き出した。
 一つになった影が、長く伸びている。
 握りしめた手の中で、触れた指輪が小さな音を立てた。





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