これはKanon SSです。Kanon のネタバレを多く含みます。





実在の人物、団体、イベント等とは一切関係有りません。







 ギ……ギ……
 夜。
 名雪も眠る牛三つ時……
 俺はちょっとだけ夜更かしして、ちょうど寝始めた頃だった。
 ギ……ギ……
 廊下で音がする。
 何者かが廊下を歩いている。
 なるべく、足音を立てないようにしているらしいが、うぐいす張りの廊下には通じない。
 いや、うぐいす張りではないだろうけど……
 足音の主はおそらく真琴の奴だろう。
 他にこんな歩き方をする奴はいない。
 ギ……ギ……
 足音がだんだんと近づく。
 ちょうど名雪の部屋の前を通過したところぐらいだろうか……
 やはり、俺の部屋に向かってきている。
 ……ったく。
 俺は面倒くさがりながらもベッドから抜け出した。
 することは決まっている。
 当然、懲りさせてやるのだ。
 部屋の扉の前に立って、廊下の気配を探る。
 ギ……ギ……
 近づいた足音が扉を挟んだ反対側で止まった。
 バン!!!
 俺は勢いよく扉を開いた。
 ゴチンッ!!
「あぅっ!!」
 真琴の悲鳴。
 扉が頭にクリーンヒットしたようだ。
 それから、わずかに遅れて階段の下の方に何かが落ちた音がする。
 なんだ?
「あうーーっ。痛いよーーー」
 自業自得だ。
「祐一がドアで殴ったーーっ」
 殴ったというのか? これを。
「今度は何しに来たんだ?」
「あ、えっと……ごほん」
「本?」
 真琴を見るが手に本は持っていない。
 廊下に落ちてないかと見渡すが、どこにもない。
 ……もしやさっきの音が……
 そう思って廊下の手すりから階段の下をのぞくと、そこには確かに本らしきものが落ちていた。
「勝手に扉にぶつかって、持ってた本を放り投げてしまったのか」
「勝手にぶつかったんじゃないもんっ」
 その本を取りにいこうか、と思っていると階段の下、一階の明かりがついた。
 物音と真琴と悲鳴などに気づいたのだろう。
 秋子さんが起きてきた。
 ちなみに名雪は起きてくる気配もない。
 秋子さんは階段の途中でその本を拾って二階に上がってきた。
 妙に分厚いようだが……
「なんだか、これが落ちてきたみたいですね」
「ええ、真琴のやつが……」
 そう言ったところで、その本が何の本に気づいた。
「……真琴。これを読んでほしかったのか?」
「……うん……」
「これは普通に読むものじゃないぞ」
 読んでも面白くなんかないだろう。
 それは電話帳の様な大きさ……厚さ。
 コミケカタログだった。
 真琴はこれが何か知っているのか?
 ページめくってみれば、どういうものか分かりそうなものだが。
「でも……読みたかったから……」
「そう、そんなに読みたかったの」
 秋子さんがカタログにじっと目をやる。
 俺の代わりに秋子さんが読んでやってくれるのかな……
 そう思ったが、違っていた。
 秋子さんは、にっこりと微笑みながら俺が全く予想しなかった事を言った。
「それでは、今度みんなで行きましょうね」


お題 “由宇と詠美有明に死す!? 二大怪獣大決戦!!”
Sidestory of "Kanon"
 

「アユラ3」


Written by いたちん



 コミケ当日。
 俺たちは秋子さんの運転で有明に来ていた。
 そして、一般入場の列に並んでいる。
 カタログチェックに余念がない人に囲まれて。
「すごい人ですね……」
 秋子さんがつぶやく。
 俺も一度、悪友に連れられて来た事があったが、その時は午後から入ったのでこの行列は初体験だ。
 右を見る。
 人。
 左を見る。
 人。
 後ろを見る。
 人。
 下を見る。
 ぴろ。
 ……って……
「真琴!」
「なに?」
 真琴がしゃがんでぴろを拾い上げた。
 ぴろは真琴の肩を通っていつものように頭に乗っかる。
「なんで、ぴろがいるんだ?」
「連れてきたから」
 当たり前のことを言う。
 連れてこなければここにはいない。
「ねこー、ねこー」
 行列に並びつかれたのか、俺にもたれかかる様に寝ていた名雪が起きてしまった。
 名雪俺から離れて猫に迫る。
 ……いや、あれは起きていない。
 その目は・・閉じられていた。
 無意識だ。
 きっと夢の中でも猫を追いかけているに違いない。
「ねこー、ねこー」
 すでに涙目である。
 夢の中では感激の涙だろう。
 真琴がぴろをじっと抱えてゆっくりと後ずさる。
 食べられるとでも思っているのか。
「祐一さん。どうしましょうか」
 秋子さんが冷静に俺にふる。
「起こしましょう」
 俺は即答すると、名雪の肩を掴んで、
 ポカッ
 ……
「……痛い」
 名雪が目を覚ました。
 名雪はぼーっとした顔で周囲を見まわす。
 今の自分のいる状況を把握しようとしている。
 わずか、数分(のはず)寝ていただけでここまでなるとは……
 数秒後……名雪の意識がはっきりしてきた。
 そして、真琴の頭の上のぴろを見つけた。
「ねこー、ねこー」
 ……起きてても同じだった。
 俺がまた名雪を掴む。
「祐一……離して〜、ねこ……」
「いい? 真琴。
ここには動物は連れて入れないのよ。
だから、ぴろは食べられる前に車でお留守番させましょうね」
 俺が名雪をくいとめている間に、秋子さんが真琴を説得する。
「食べないよ〜」
 名雪の反論は無視。
 真琴は、秋子さんと名雪の顔を交互に見比べてから
「……うん」
 と頷いた。
「うー」
 名雪は不満そうだが。
 そして、秋子さんと真琴はぴろをつれて駐車場に行った。
 二人が去ってから俺は名雪の肩から手を離す。
 ふぅ、と落ち着いて周囲を見ると、ほとんどの人が俺たちに注目していた。
 ……秋子さん。ひょっとして逃げたのかも。
「祐一……恥ずかしいよ〜」
 さすがに名雪も恥ずかしいらしい。
 俺にしがみついて背中に顔を埋める。
 この状態もそれなりに恥ずかしいのだが……
 もう俺は気にしないことにして、そのまま二人の帰りを待った。

 でも、よく考えたら……車内でぴろは熱射病にならないだろうか……





 しばらくして、真琴と秋子さんが戻ってきた。
 それとほぼ同時に入場も始まったようだ。
 先頭の方が入り始めたところなので、俺達はまだ先なのだが。
「それで、どうします?」
 俺は会場内でどこへ行くのか、秋子さんに聞いてみた。
 俺一人なら、おおよそ行く場所は決まっているのだが……
 さすがに、このメンツ……家族連れ……の(ような)状況ではそうも行くまい。
「そうですね……」
 秋子さんも悩んでいる。
 一つの案として、俺と名雪は単独行動、秋子さんが真琴を連れて歩く……というのもある。
 これなら俺も自由に動ける。
 ……でも、名雪か真琴が俺に付きまとってくる気もするが。
 そんな事を考えていると、秋子さんが考えをまとめたようだ。
「まず、みんなで会場を一周しましょうか」
 それから、どうするか決めるということだろうか?
 そんな悠長な事していたら新刊が……
 いや、今日は別に目的があって来た訳じゃないからいいんだよな……
「そうですね」
 そう考えて、俺はその意見に同意した。
 真琴と名雪にも不満はないらしい。
 中にどんな物があるか、どんな所なのか良く分かっていないからなんだろう。
 こうして、俺達は自分が居る列が動き出すのを待っていた。



「うわぁ……」
 真琴が驚嘆の声を上げる。
 あれからしばらく待った後に会場に入り、俺達は適当に歩き回り始めた。
 真琴が驚いているのは、この人だろう。
 人の多さについては、駐車場で並んでいる時に分かっているはずだが、それらが入り乱れて動くとなると別問題だ。
 はぐれないように、と名雪と真琴が俺の服の裾を掴んで、さらに真琴は秋子さんのも掴んでいる。
 結果、俺達四人は繋がっていて……周囲の迷惑みたいだ。
 あまり広がらなければ、と思うのだが、真琴がなにか見つけてはそっちに引っ張り、名雪がねこの絵などを見つけると立ち止まる。
 困ったものだ。
「名雪、真琴。そんなに引っ張るんじゃない」
「祐一が先にいくから……」
「お前が立ち止まるからだろ」
「でも、ねこー」
 実物の猫がいるわけでもないのに。
 やっぱり、全体行動には無理が有りそうだ。
 かといって、別れると迷うだろう。
 はぐれても集合場所を決めれば、という提案もしたのだが、いかんせん会場内の地理に詳しくないのだ。
 集合場所が分からずに迷子になるのが落ちだ。
 周囲にいくらかの迷惑をかけながら、進んでいっていうと、急に声がかかった。
 俺にではない。
「あ、どうも。お久しぶりです。水瀬さん」
 え?
 俺は周囲を見回した。
 通路を行き交う人。
 そこには俺達に気を止めている人はいない。
 だれも、立ち止まってもいない。
「あら、本当に久しぶりね」
 俺が声の発生源に気づく前に秋子さんが言った。
 サークルの売り子の人に向かって。
 しかも、壁際だ。
 ついでに言うと、ここは男性向けの……いわゆるそういうエリアだったりする。
 その人は一旦販売の手を止めて秋子さんに向かって頭を下げていた。
 頭につけていたネコ耳まで取って深々と。
「売れ行きはどうかしら?」
「はい。おかげさまで絶好調です」
「それは良かったわね」
 秋子さんはいつもの調子で頬に手を当てながら微笑んでいる。
 兄ちゃんはもう一度秋子さんに頭を下げてから売り子に戻っていった。
「秋子さん……知り合いですか?」
「ええ、ちょっと昔のね」
 秋子さんは相変わらずいつもの笑顔だ。
 その表情からは動揺も読み取れない。
 ひょっとして……昔は……とも思ったが……
 それに、もし秋子さんが昔同人作家だったとしても本名でやっていたとは思えない。
 いまのような場合もペンネームで呼ばれたりするはずだ。
「なぁ、名雪。秋子さんって……」
 名雪が何か知っていないかと聞こうとした。
「……ねこー……」
 名雪はさっきの兄ちゃんを見ていた。
 正確にはその頭のネコ耳に。
 ……気に入ってしまったらしい。
 本当に困ったものだ。
 とりあえず、頭を軽く小突いてやろうと右手を上げた瞬間……
「ご無沙汰してます。水瀬さん」
 まただ。
 振りかえると、秋子さんに話し掛けたのは男の人。
 その腕にはスタッフの腕章が見える。
「お久しぶりですね。今回も盛況なようですね」
「ええ」
 秋子さんとはもう二言三言話してから、その人は行ってしまった。
「あの……秋子さん。あの人は?」
「このコミケの主催者、責任者の方です」
 ……
「……知り合いですか?」
「ええ、ちょっと昔のね」
 さっきと全く同じ答えが返ってきた。
 結局、その後数人の人に同じように声をかけられた秋子さん。
 やっぱり、秋子さんは謎である
 ちなみに、男性向けエリアでしか、声がかからなった事を付け加えておく。



「秋子さんって、何なんだ?」
 あまりに声がかかるので、俺はもう一度名雪に聞いてみた。
 ちなみに秋子さんは真琴を連れて前の方を歩いている。
 なんとか、俺と真琴の切り離しには成功したのだ。
「私にも分からないよ……」
「そうか」
「でもお母さんって有名人だったんだ……」
 そういう事じゃないのだが……
 ちょっと論点がずれている。
 こういう場所で『だけ』有名人であるということが何を意味するのか……
 その辺が問題だ。
「最初はてっきり名雪に声がかかったんだと思ったけどな」
 学校での友達とか……
 いや、それなら俺もある程度分かるから……部活の方の友達とか後輩とか……だな。
 その辺については俺は全く知らない。
「私の友達にこんな所に来る人はいないよ」
 そうか。
 ……と……
 その時、左前方に……あれは……
 あの人影は……
「本当か? それ」
「うん」
「じゃぁ、あれは何なんだ」
 その人を指差す。
 名雪がその方向を見た。
「あ……」
 ……
 俺は黙って名雪を引っ張るようにそこまで小走りに走っていく。
 そして、その人物……の隣に座っている人に声を掛けた。
「よお」
「わ。祐一さんです」
「おう、祐一さんだぞ」
 そのに居たのは栞である。
 栞の前の机にはコピー本がつんである。
 『200円』という値札付きで。
 俺はそれを一冊手に取った。
 表紙は……人間……だろうか?
 とりあえず人間の輪郭はあるのだが……
 塗ってある色がその輪郭をはみ出していた。
 表紙をめくる。
 マンガになっているようだ……けど……
「下手な絵だな」
 無意識のうちに思った事を口にしてしまった。
「わ。そんな事言う人、嫌いです」
「悪い悪い。俺は正直人間だからな」
「フォローになってませんよ」
 俺はぴらぴらと何ページがめくっていった。
 やっぱり、下手だ。
「こんな本売れるのか?」
「そうですね……
奇跡でも起こればなんとかなりますよ」
「それはちょっと大袈裟だろう」
 俺は本を元に戻した。
 栞が不満そうな声をあげる。
「買ってくれないんですか?」
「実は、かみさんに財布を握られててねぇ」
「無駄遣いしそうだから財布持ってて、って言ったの祐一だよ〜」
 後ろから名雪の声。
「じゃぁ、同人には手をだすなという、俺のいとこのお母さんの遺言なんだ」
「私は生きてますよ」
 後ろから今度は秋子さんの声。
 別に今の関係に該当するのは秋子さんだけじゃないけど……
「じゃぁ、水瀬家に居候してる殺村凶子という危険人物に脅されてて……」
「あうーっ。危険人物じゃないよぉ……名前も違うしっ」
 今度は真琴だ。
 栞は苦笑いしている。
「楽しそうですね」
「ああ、楽しいぞ」
 ちなみにこの和やかなやりとりの隣では一体の石像が出来ている。
 俺が栞に声をかけた瞬間に固まった出来立てほやほやの石像だ。
「それじゃ、俺達行くから」
「はい」
 そう言って立ち去ろうとした……
「私を無視しないでよ!!」
「おわっ。モアイがしゃべった」
「何よ……モアイって」
 いや、石像の一種(?)だが知らない訳はあるまい。
「話し掛けて欲しくなさそうだったから素通りしてやろうと思ったのにな」
「余計に気になるわよ」
 ……乙女心は難しい……
 ……違うか。
「香里。ここで何してるの?」
 俺が聞いていいのか迷っている言葉を、名雪が聞く。
「秘密」
 なんだ、それ。
 聞いてほしかったんじゃないのかよ。
「この状態で秘密もくそもあるか」
 香里は観念したように答えた。
「サークル参加してるのよ。見て分からない?」
「まさか香里がそんなことしてるなんて思わなかったよ……わたし、友達やめる。さよなら」
「それ……だれ?」
 名雪がすごく嫌そうな顔で聞いてくる。
「名雪の物真似だが……」
「似てないよ〜」
「似てないわね」
 香里も相づちをうつ。
「全日本長森瑞佳物まね選手権準優勝の俺の物まねを似てないと申すか?」
「言ってる意味が分からないけど、関係ないと思うよ……」
「それより……何も売ってないじゃないか。ダミーサークルか?」
 香里の前には何も置かれていない。
 栞の本があるが、あの内容では……
「遅れてるのよ。もうすぐ着くはずだけど」
 ぎりぎりまで粘って印刷屋を困らせたりしてるのだろうか?
 香里が。
 と、ちょうどいいタイミングでそれが届いた。
 ダンボールを持って駆け込んできたのは……
「なにやってんだ」
「よう、相沢じゃないか。水瀬さんまで」
 なぜか、北川だった。
 俺はもう一度聞いた。
「なにやってんだ」
「見て分からないか?」
 うーん。
 俺は考えた。
「香里の色香に惑わされて、丁稚奉公させられているバカ」
「80点」
 そんなに合ってたのか?
「なんだか、人聞きが悪いわね」
 香里は今の俺達のやりとりが不満らしい。
「北川君が勝手に手伝ってくれてるだけで、私は別に惑わせてなんかいないわ」
 それって……
 その言い方は……確信犯ではないのか?
 北川を見ると目に涙が浮かんでいる……ような気がした。
 北川……哀れな……
「北川君……そうだったんだ……」
 名雪の悟ったような視線と言葉が更に追い討ちを掛ける。
「なんとでも言え。俺は今、幸せなんだ」
 開き直った。
 M系の奴だったとは。
 俺は転校生だったので、こいつとの付き合いは長くはないが、まさかこんな奴だとは思わなかった。
「こんな仕事をさせられて、幸せとは。情けない奴だな」
 俺は正直に思った通りを口にした。
 しかし、開き直った北川に動揺はない。
 北川は、真剣な顔で言った。
「仕事じゃない。もっと、大切なものだ」
 ……
「で、これが香里の作った本なの?」
 名雪が北川が持ってきたダンボールの中を覗く。
「どれどれ」
 俺も続いた。
 ちなみに背後には俺どころか名雪にも見捨てられた北川が本当に涙を浮かべていた。
 そして、崩れ落ちた北川の頭を真琴が「いいこ、いいこ」となだめている。
 これは屈辱的である。
 俺達が覗き込んでいると、香里がそれをうっとうしそうにしながら本を取り出す。
 俺は香里が手に持っている本の一番上のを奪った。
 香里が非難するが、無視。
 好奇心の方が上だ。
 その本のタイトルは……
『なゆきMe公認 〜みちのく女子高生湯けむり秘湯連続殺人恋物語事件スペシャル〜』
 ……
「香里……この名前に聞き覚えあるんだが……」
「秘密」
「私も……ある」
「無関係よ」
 本当だろうか……
 ページをめくる。
「この陸上部部長の主人公の女の子……こういう奴に心当たりあるんだが……」
「秘密」
「私も……ある」
「無関係よ」
 こいつ……
 ひょっとしてパクリ作家か?
 しかし絵ははっきり言って、うまい。
「別に栞と比べてじゃなくても、客観的に見てうまい」
「うぐぅ……ひどいです。祐一さん」
 あ、口に出していってしまったらしい。
 ん?
 いま、うぐぅといったな……栞が。
「栞、あゆの口癖がうつったか?」
「えーと、そういえばそうかもしれませんね」
 栞が苦笑いする。
 別に意識してギャグとしていったわけではなさそうだ。
 それが、いい事かどうかは分からないが。
「あゆちゃん。最近みないね」
 名雪がポツリとそんな事を言った。
「そうだな……最近会わなくなったな。栞は?」
「私も会ってません」
 最近……どころじゃないな。
 思い出してみても最後に会ったのが……1月の終わりぐらいだったはずだ。
 探し物が見つかったといっていた時。
 もう、あまり会えないと言っていた。
 それでも……たまには会えるだろうと思っていた……
 そのまま、会わずに半年以上経ったという事だ。
「どうしてるんでしょうね、あゆさん」
「あいつの事だから、たいやき求めてうぐぅうぐぅ言ってるんじゃないか?」
「そうかもしれませんね」
 栞が笑ってうなずく。
「祐一の言い方は悪いけど……私もそんなところだと思うよ」
 名雪も。
 そうだな。
 あいつは多分、今も……

……うぐぅ……

 こんな声で……って……!!?
「なんだ? 今の声は?」
 どこからとも無く聞こえた声。
 でも、いつものあゆの声ではない。
 まるで、地の底から響くように低い声。
 俺は全員の顔を見回した。
 まだ、落ち込んでいる北川を除いて、みんな聞こえていたようだ。
「あゆちゃん……かな?」
「ちがうだろ。あの声は」

……うぐぅ……

 また聞こえた。
 どうやら会場の外かららしい。
 この騒々しい中で聞こえるのだから、相当大きい声のようだ。
「外、行ってみようか?」
 そう名雪たちに言った直後、今度は別の人の怒鳴り声が聞こえた。
「怪獣だ〜〜〜〜〜」
「怪獣がでたぞ〜〜〜〜〜」
 ……
「今、なんて聞こえた?」
「怪獣さんがでたって」
 さんをつけるな、名雪。
 もう一度、注意して耳を澄ます。
「おや大バカ詠美ちゃん、どうしたん?」
「むぅ〜〜〜むかつくむかつくちょおむかつく〜〜〜!!
パンダのくせに人間様に向かってそんな口きくなんて〜〜〜!!」
 どっかで誰かが喧嘩してるのが耳に入った。
 だが、これは関係無い。
「とりあえず、行ってみよう」
 会場内では今の所はこれといって騒動にもなっていない。
 外が見えない人からしてみれば、怪獣が本当だとしてもだれも信じないだろう。
 俺達だって、あの声が『うぐぅ』でなければたいして気にしていないはずだ。
 俺は走り出した。
 名雪が俺の服を掴んだのでダッシュが遅れた。
 名雪を引っ張るようにして人を避けるように走る。
 しかし、すぐに名雪に追い抜かれ俺が引きずられる格好になってしまった。
 ちらり、と後ろを見ると秋子さんと真琴、それに栞が後から来ている。
 香里は、販売開始のようだ。
 香里はあゆと面識が無いはずだから仕方がないか……



 外に出て、最初に並んだ駐車場へ行く。
 すでにそこはパニックだった。
 会場内もある意味パニックだが、根本的にパニックの種類が違う。
 逃げ惑う人。
 好奇心で近づく人。
 それらの原因は、怪獣だった。
 そして、その容姿。
 いつものダッフルコートに羽付きリュック。
 体長50メートルはあるだろうか?
 大きさ以外は紛れもなく月宮あゆそのものだった。
 それが、海からこっちに迫ってくるのだ。
 ある意味、ふつうの怪獣より恐い光景だった。
 それらを目の前にして慌てふためく人々。
「怪獣がでたぞ〜」
 いろいろと叫びながら走っている。
「大怪獣あゆあゆだ〜」
 あゆあゆ?
 なんだ、その名前は?
 俺はそれを叫んだ人に走って追いつき聞いてみる。
「あゆあゆって名前はどこから出たんだ?」
「見ろよ。あの名札」
 よく見ると、ダッフルコートの内側。
 下のセーターの胸の所に名札がついていた。
『2の2 あゆあゆ』
 ……
「やっぱり、あゆちゃんだね……」
 名雪が言う。
 それは……名札を見る以前に外見で明らかだろ。
「あゆさん、どうしたんでしょうか……」
 後ろを向くと遅れてやってきた栞と、秋子さんに真琴がいた。
 みんな、巨大なあゆを見て呆然としている。
 秋子さんも、……多分。
「私……」
 栞がぽつりと言った。
「あれぐらいの大きさの雪だるまを作るのが夢です」
「なにを呑気な……」
 だったら、このあゆに手伝ってもらえと言おうと思ったが、今はそういう冗談を言い合っている場合ではない。
 このあゆをなんとかしないと。
 一体、あゆになにがあったんだ?
「多分……」
 秋子さんが何かを考えるように言った。
「7年分の思いが暴走したのでしょう」
「7年分?」
「はい」
 秋子さんはなにか知っているのか……
「それで、どうすれば元に?」
「そこまでは分からないですけど」
 それでは、今はどうしようもない。

 ……うぐぅ……

 再び鳴き声(?)がして、海の方に目をやると、あゆが一歩一歩こっちに近づいてきている。
 上陸するつもりなのだ。
 少し下に目をむけて、岸壁の方を見る。
 そこには、一人の人間が立っていた。
「はぇーーー」
 と、あゆを見上げながら呆然と……
 ……って、あれはっ!!
 俺はとっさに走り出していた。
 このままあそこにいると危ない。
 あゆにつぶされる……
 いや、それより前に波に飛ばされる。
 あゆが一歩前へ歩く度に大きな波が発生しているのだ。
「佐祐理さーん!!」
 俺はその人の名前を呼ぶ。
 後ろ姿だけだが間違い無い。
 なぜここにいるかは分からない。
 本来こんな所にいるタイプには思えないが……
 でも、俺達の学年の成績トップがいたのだから、一つ上のトップがいてもおかしくない。
 佐祐理さんが振り向く。
 ざっぱーん!!!
 しかし、それと同時に佐祐理さんの後ろに大きな波。

 ……うぐ……

 あゆあゆが転んだ。
 その結果起きた波はいままでとは比べ物にならない。
 やばい!!
 そう思った瞬間、佐祐理さんのに走り寄る影。
 うさぎの耳。
 それは、舞だった。
 舞は本当にすばやく、佐祐理さんを抱き上げると俺の横を通りすぎていった。
 その場に俺が残される。
「祐一〜」
 一瞬、行き場が無くなって呆然とした俺を呼ぶ名雪の声。
 気がつくと波が迫っていた。
「うわあぁぁぁ」
 慌てて俺も逃げる。
 バシャーンと波が地面にかかる。
 俺は、びしょぬれにはなったものの、飛ばされない程度の所まで逃げることが出来た。
「死……死ぬかと思った」
「祐一は、逃げるのが遅い」
 切れた息を整えながら見上げると、舞がいた。
 佐祐理さんもいる。
 名雪たちと合流したらしい。
「舞……そのうさぎの耳はなんだ?」
 今聞くべき事ではなかったが、気になって聞いてしまう。
「……うさぎさん」
「それは分かってるっ」
「えっとですねー。佐祐理がなにかコスプレして行こうって言ったら、舞はそれ付けてきたんですよ」
 佐祐理さんが説明してくれる。
 なるほど。
 それより……
「舞の力であゆあゆをなんとかできないか?」
「無理……」
 舞はそう言って俺に背を向ける。
「まて、中村うさぎ!」
「……私?」
 舞が振り返った。
「本当にどうしようもないのか?」
「今は剣を持っていない。それに……」
 舞があゆあゆを見上げる。
「私は、魔物だけを討つ者だから」
 怪獣は専門外ということか。
「あははーっ。そうですよね。いくら舞が強くても怪獣退治は無理ですよ」
 そうか。
 そうだよな……
 それじゃ、どうすればいいんだ。
「そもそも、あゆあゆは何が目的なんだ……?」
「祐一さん……」
 栞が俺のつぶやきに答えを返す。
「あれ……じゃないでしょうか?」
 ある方向を指差す。
 俺はそこを見た。
 そこでは一人のおやじが慌てふためいていた。
「またあのむすめっこだべー」
 そう言いながら屋台を必死でしまっている。
 あれは……たいやき屋?
 なぜ、コミケでたいやき屋があるのかは分からないが。
 おやじは完全に田舎者の口調だ。
 あゆと再会した時のたいやき屋は標準語だったと思うが……
 慌てて地が出たのか、あゆがよそでも万引きしていたかはしらないが。
 俺は、あゆあゆを見た。
 転んだあと、起き上がって再びこっちに歩き始めている。
 海面をおおきく揺らしながら。
 頬には転んだ時についたヒトデが一匹。
 そして、その目はたいやき屋の屋台をロックオンしていた。





「至急、非難勧告を出すべきです」
 ある部屋では緊急会議が行われていた。
 集まっているのはコミケ実行委員。
 つまりスタッフである。
 部屋の入り口には『巨大怪獣アユラ緊急対策本部』と書いた看板が立っていた。
 その『アユラ』の横には『自称あゆあゆ』と付け加えられている。
 ちなみに、丸文字だ。
「しかし、コミケを中断する事になってしまう」
 さっきの意見に別のスタッフが反対する。
 語気はかなり強い。
「今、コミケを終了させて外部の介入を受けたくない」
「しかし、このままでは……」
「今の会場内の様子を見てください。
ごく一部の人を除いて逃げようともしません。
大手サークルのスペースでは列が全く乱れてもいないんですよ。
誰かが逃げれば、人が減る。
そうすれば、自分が買いやすくなる。
みんな、そう思ってるんです」
「確かに……そうかもしれない……」
「そうです!!!
 我々が、コミケの中止を宣言する以外に入場者の避難は進みません!!
 犠牲者がでたら、それこそすべて終わりです」
 彼は一息にそれだけしゃべったあと、一呼吸おいて右に目をやる。
「込久さん!」
 込久と呼ばれた男が顔を上げる。
 彼がこのコミケの最高責任者、込久八亭である。
 部屋の全員が注目する中、込久が口を開く。
「コミケで起きた事はコミケでカタを付ける。
警察の介入を許す訳にはいかん」
「しかし、それならこの前の……」
「あれは、犯罪だった。
だが、今度は違う。
怪獣……自然災害だ」
「しかし、速やかにコミケを中止して全員の安全をはかるように警察から勧告が来てます。
それになぜか、政治的圧力までかかってるんですよ」
 議員が一人暴走しているだけのようですが、という補足は飲み込む。
「こちらも無策ではない。すでに手はうってある」
 そう込久が言うと同時に部屋の扉が開いた。
「手配、出来ました」
 入ってきた男はそう言って、部屋の中央へ。
 そして、作戦の説明を始める。
 ……
「これが、たいやき誘導作戦。
オペレーション・T(たいやき)です」
「たいやきを囮につかうだけの話か……」
 だれかがポツリと言った。
 しかし、その声を無視して彼は続けた。
「これが、我々に与えられた最後のチャンスです」
 場の空気が重くなる。
 一人が、聞いた。
「最後……とは?」
「しくじれば自衛隊が前面に出てくるってさ。
有明を焼土と化しても怪獣の西館侵入を阻止する覚悟らしい。
俺たちがうまくやらなきゃ東館は火の海になるぞ!」





……うぐぅ……

 あゆあゆは着実に陸に近づいてきていた。
「祐一……」
「止めなきゃ……あゆを……」
 俺は濡れた服を絞って、もう一度着るとあゆの方に向き直る。
「祐一さん。なにか考えがありますか?」
 歩き出した俺に後ろから秋子さんが声をかけた。
 あゆを止める方法……
「ありません……」
 俺には何も思い付かなかった。
 だけど……
「あいつに……いつものあゆの意識が少しでも残ってるなら……」
 あの怪獣がたいやきを欲しているのなら、それはあゆの意識があるということにはならないか……
 確証はない。
 例え、そうだとしても、それでどうすればいいかは分からない。
 過去の再会シーン等を思い出す限り、あゆが憶えてる方が俺の身が危ない気もするけど今はそんな事を言っている場合じゃない。
「そうですね。祐一さんなら、なんとか出来るかもしれませんね」
 その声にはなにかすべてを知っているような、そんな雰囲気が感じられた。
 俺は、再び歩き出した。
 ふと、左手が捕まれる。
「私もいくよっ」
 名雪だった。
「……ああ」
 名雪もあゆとは仲が良かったしな。
 俺達はあゆあゆに向かって歩いていった。



 岸壁にあと少しの所まで俺達はやってきた。
 これ以上先に行くと、また大波が来た時に巻き込まれてしまう。
 ここなら、なんとかなる。
 上を見上げる。
 距離が近づいたのでますます大きく見える。
「あゆっ!!」
 できる限りの大声で呼びかけた。
「あゆっっっ!!」

……うぐぅ……

 あゆの足がとまり、顔がゆっくりと俺の方を見る。
「俺の事が分かるのか?」
 あゆに問い掛ける。
 しかし、あゆは俺に一瞥をくれただけだった。
 また、たいやき目指して歩き始める。
 くそっ。
 だめか……
 でも何とかしなければ……
 俺はまた叫ぶ。
「あゆ、やめてくれ。やめるんだ!」
 さっきのようにあゆが俺を見る事は無い。
 でも叫ぶ続ける。
「どうして……ここまでして……
あゆにとって、たいやきとはいったい何なんだっ?」
 しかし、もうあゆあゆの動きは止まらない。
「こんな事して何になるんだ!
たいやきなら、俺が買ってやる。
だから、やめろ!!」
「名雪っ」
 俺の後ろにいる名雪にも、何かあゆを説得(?)するように指示しようと……
「……くー」
 寝ていた。
「こんな時にねるなー」
 おもわず、名雪の頭に手を回してヘッドロック!!
 しかし、次の瞬間名雪が俺の腰に抱き着いてきた。
 そのままわずかに俺の体が浮く。
 バックドロップ!!?
 俺は慌てて抵抗する。
 重心を落としす。
 うが……
 数秒して、名雪の持ち上げようとする力が止まる。
 ……かろうじて持ちこたえた。
 ったく、こいつは。
「おきろ〜っ」
 名雪の頭に回していた手を外して、そのままアイアンクローに移行。
 ぐりぐり
「……いたい」
 起きたようだ。
「祐一……ひどいよ……」
「うるさい。こんな時に寝るな」
「だって・・昨夜寝るのが遅かったもん」
 12時ぐらいでなにを言ってる。
 名雪にとっては遅いというのは分かってるが……
 ……いかん。
 プロレスごっこや漫才をしている場合じゃない。
 俺はあゆあゆを見た。

……うぐぅ……

 ズシン……
 ついに、あゆあゆの足が海面から離れた。





「アユラ、上陸しました」
「オペレーション・Tはまだか?」
「……準備終了まであと10分程度かかります」
「いそげ。それまでなんとかしてくいとめろ」





「あの怪獣をご存知ですか?」
 すでに打つ手をなくしていた俺に話し掛ける声。
 振りかえると一人の男が立っていた。
 腕にはスタッフの腕章。
「……ああ、あんな状態だけど、多分」
「しばらく、食い止める事はできませんか?」
「しばらく?」
 俺は聞き返した。
 元に戻すとか、退治するではなくて、食い止める……
 なにか作戦があるのか?
「食い止めたら、どうなる?」
「我々がオペレーション・Tを実行します」
 内容は分からないが秘策があるらしい。
 俺は承諾した。
 一時的に食い止める……
 それなら出来るかもしれない。
 俺は名雪にみんなの所に戻るように言ってから、あゆあゆに向かって走り出す。
 あゆあゆの正面に。
 今は、あゆあゆが海にいる時と違って波は起きない。
 いざという時も、動きは遅いから逃げられない事も無い。
「あゆっ!!」
 また、あゆに呼びかける。
 反応はない。
 聞こえているのかも分からない。
 だが、俺は続けた。
「あゆあゆ!! その背中の羽はなんなんだ?」

……うぐ?

 あゆあゆの動きが止まった。
 ズシン、と大きな足音を立ててあゆあゆが右に90度回転した。
 よし、成功だ。

……うぐ?

 あゆあゆは更に90度まわる。
 当然、背中についている羽付きリュックも一緒にまわる。
 あゆと全く同じ行動だった。
 ぐる……ズシン………………
 ぐる……ズシン…………
 ぐる……ズシン……
 あゆの回るスピードが上がる。

……うぐぅ……

 なんだか、泣きそうな鳴き声だ。
 今までの、歩く速度からは想像できないすばやさで回り始めた。
 いつものあゆなら、すでに『うぐぅ……見えない……』と言ってあきらめている。
「まずい、倒れるぞ!!」
 誰かの叫ぶ声が聞こえた。
 あゆあゆを見上げると……目を回しているように見え……
 倒れてきた。
「うわっ!」
 俺は慌てて飛びのく。
 あゆあゆはそのまま、横向きに倒れた。
 ズズーーーン……
 今までで一番大きな揺れと音。

……うぐっ……

 倒れたあゆあゆがすぐに立ち上がろうとする。
 しかし、まだふらふらしていた。
「まずい。このままだとまた転ぶぞ」
 しかし、もう俺に打つ手はない。
 ……どうする?
 シャー……
 悩んでいると自転車の音が聞こえた。
 後ろから。
 キッ
 その音は俺の隣で止まった。
 誰だ?
 そう思ったが知ってる顔ではない。
 ただ特徴的なのはその服装。
 今この場所ではコスプレしている人が多いので多少の服装では目立たない。
 いや、もともと目立つ服装ではない。
 真っ黒な、それは喪服だった。
「俺達にまかせな」
 男がそう言った。
 そして、その後から10台を越える自転車。
 乗っている男はみんな喪服。
 ……怪しい集団だった。
 しかし、よく見ると自転車の篭には同じ包みが入っている。
 その集団は、それらを全部包みから取り出した。
 たいやきだった。
 全部のたいやきをまとめてあゆあゆの前に持って行く。

……うぐ……

 あゆあゆがそれに気がついた。

うぐぅ……

 嬉しそうだ。
 あゆあゆは起き上がろうとする動作をやめて、たいやきに手を伸ばした。

……うぐ、うぐ……

 そして本当に嬉しそうに、おいしそうに、食べ始めた。
「作戦成功だな」
 自転車でやってきた男の一人が言った。
 あゆあゆの動きを一時的にせよ止める事が出来たのだ。
「あの……あなた達は……」
 あまりに突然の突然の展開に言葉を無くしていた俺は、それだけを聞いてみた。
 男はそれに答えない。
 答えずに、他の男たちに向かって叫んだ。
「我らっ」
 全員が、そこ言葉に続く。
「ななぴーのためにっ」





 数分後、あゆあゆがすべてのたいやきを食べ終わって、起き上がる。
 体が大きいので食べるのも早い。
 その気にさえなれば一口で食えただろう。
 もう、目が回っていたのも治っている。
「オペレーション・T。始動!!」
 その叫びと共に、大量のたいやきが運び込まれる。
 これを囮にしてあゆあゆを、被害のでない場所に誘導する作戦だ。
 たいやきを積んだ車(なぜかフォークリフト)があゆあゆに近づいていく。
 いつでも逃げれるように、あゆあゆの動きを監察しながら……ゆっくりと。

……うぐぅ……

 あゆあゆが気づいた。
 フォークリフトが180度反転する。
 ここからは、ゆっくりと、あゆあゆとの距離を近づきすぎず、離れ過ぎず、慎重に誘導する。
 しかし……
 あゆあゆはそれを追う事はしなかった。
 追わずに、歩き始めた。
 東館に向かって……





「オペレーション・T……失敗です」
「ばかな……」
「理由は、謎の集団にあります。
アユラにたいやきを食べさせたために、腹がふくれ満足したためだと……」
「もう……たいやきでは誘導できないのか」
「はい。そして……もう打つ手はありません」
「目標は東館に向かってます。
これは私の推測ですが、アユラの目的はたいやきでは無かった様に思います。
多分、たいやきは途中で目が眩んだだけかと……」
「……込久さん」
「……10分、時間をくれ。
もしそれで事態が変わらないようならすぐに避難命令をだして自衛隊に連絡だ」
 込久八亭は、そう言い残して部屋を駆け出していった。
 最後の、本当に最後の希望にすがるために。





「祐一、大丈夫だった?」
 戻ってきた俺に名雪が気を遣ってくれる。
「ああ……俺は大丈夫だ。だけど……」
 あゆあゆを見る。
 俺達に背を向けて歩いている。
「……止められなかった……」
「どうしようも無いのでしょうか……」
 不安そうな声の栞。
 俺はもう、前向きな返事は出来なかった。
 この場の空気が重くなる。
 良く考えていない真琴を除いて。
 秋子さんは……目を閉じている。
 何を考えているのか……
 悩んでいるようにも見えた。
 その時、
「はっ、はっ、はっ」
 一人の男が息を切らせながら走ってくる。
 その顔には見覚えがあった。
 今日、会っている。
 秋子さんに挨拶をした……コミケの責任者だったはずだ。
「水瀬さん」
 秋子さんが閉じていた目を開ける。
「……八亭さん?」
「もう、我々にはどうする事も出来ません」
 今のオペレーション・Tとやらが、最後の作戦だったようだ。
「何か、方法はありませんか?」
 俺は黙って聞いていた。
 もう、コミケ側にはどうしようもない。
 それは分かる。
 でも、なぜそこで秋子さんに助けを求めるのだろう。
 秋子さんに、この事態を収める事が出来るとでもいうのか?
 出来るかもしれない、という希望を持つ何があるのか?
「……分かりました」
 秋子さんが答える。
「うまくいくかは分かりませんが……」
「……お願いします」
 何が始まるのか……
 俺は、俺達は固唾を飲んで見守っていた。
 秋子さんは真琴を正面に見据えた。
 肩に手を置き、語りかける。
「真琴、準備はいいですか?」
「え?」
 真琴は何の事か分からないようだ。
 秋子さんはまっすぐに真琴の目を見続けている。
「え?」
 真琴がもう一度疑問符を口にした。
 その直後……
「ファイナルフュージョン 了承」
 秋子さんのその言葉にあわせて、真琴の体がうっすらと光り始める。
 黄金色に。
 それを確認して秋子さんが真琴から離れる。
 足元に風。
 光が舞った。
 真琴を中心にして、竜巻のように。
 アスファルトの上の砂も舞いあがる。
 その空気の流れに導かれるように、真琴の左右で止めた髪が上へ伸びる。
 真琴の着ていた服も、光によって包まれ、その光が消えた後には別の服に変わっていた。
 風が緩くなった。
 みんなが数歩離れて見守っている。
 その中心で、風が収まった時、真琴は変身していた。
 顔は、変わらない。
 すぐに真琴だと分かる。
 違うのは、風が止んだ後も上に伸びている髪。
 そして、さっきまでと違う服。
 妙におめでたい服……というよりコスチューム。
 なぜかお腹の部分にはカエルがプリントしてある。
「あ……あれ、たぶん私のおさがり……」
 名雪がぽつりと言う。
「これが、魔法少女プリティまこぴーターンAです」
 まるで、新技術のお披露目をしている科学者のように淡々と秋子さんが言った。
「わぁーーー、なにこれーーーっ?」
 真琴は自分に何が起こったのか分からないようだ。
 自分の格好をみて慌てまくっている。
 こうすると……あゆあゆに対抗できるのだろうか?
 目の前の変身シーンは常識を超えていたが、今の真琴の言動はいつも通りだ。
「……魔物……」
 突然に後ろから舞の声。
 次の瞬間、右肩に重みがかかる。
 ぐっ……
 反射的にそれを支えきった俺の上を舞っているうさぎ……の耳をつけた舞。
 舞はそのまま、真琴に向かって剣を振り下ろした。
 ガッ!!
 真琴がなんとか避けて、剣はアスファルトに刺さる。
「はずした……」
 舞がつぶやく。
「でも、手負いには出来た」
「こ、殺されるかと思った……
なによ、この物騒な女はぁっ!」
 真琴がそう叫びながら俺の後ろに回り込む。
 その跳ね上がった髪は、右側が束ねた位置より少し先の所でなくなっている。
 舞に切られたのだ。
「おい、チクリン!!!」
「……私の事?」
 舞が聞き返す。
「そうだ! 何で真琴に切りかかるんだ!?」
「……私は魔物を討つ者だから」
「こいつは魔物か?」
「……そんな気がしただけ」
「気がしただけでするなっ。
大体その剣はどこから出したんだ。
持ってないって言ってただろう」
「出してもらった」
 舞が俺の後ろの方を指差す。
 舞の動きに注意しながらその方向に振り返った。
 そこでは、栞が苦笑いしながら立っている。
 ……
「えっと……私のスカートの……」
「……いや、説明はいらない」
 いわれなくても答えは分かった。
 理解不能だが、俺の本能が理解していた。
 栞の言葉を途中で遮って舞に向き直る。
 舞の目はまだ臨戦中の目だ。
「や、やめろ、舞。こんな事して何になる?」
「魔物と呼べる者は一人残らず私が殺す。
それ以外に楽しい事なんてない」
 ……
「こいつ、アブナイわ……」
 真琴が俺の後ろに隠れながらささやく。
 今回ばかりは真琴に賛成だ。
 舞が、じりじりと間合いを詰める。
 くっ。
 俺と舞が黙ってじっと対峙する。
 息一つできない。
 真琴は完全におびえて俺に隠れているし、みんなも手が出せないでいる。
 ……
 !!?
 俺が一瞬、呼吸をした瞬間に舞が走り出した。
 俺は反応できない。
 舞とも距離が縮まった、と思った次の瞬間、俺は横に飛ばされていた。
 舞が俺を押しのけたのだろう。
 くそっ。
 なんとか転ばずないように持ちこたえる。
 しかし、もう決着をついていた。
 刀を振り下ろした舞。
 倒れる真琴。
「真琴っ」
 俺は駆け寄る。
「大丈夫、峰うちだから」
 ……って、その剣のどこに峰があるんだ。
 しかし、真琴に切られた跡はない。
 気絶しただけ、のようだ。
「あの……水瀬さん……」
 込久が呆然としている。
 救世主のはずが、あっさり倒されたのだ。
 しかもあゆあゆとの対決の前に。
 しかし秋子さんは冷静だった。
「大丈夫ですよ。やられたら巨大化しますから」
 なぬ?
 俺は秋子さんの言葉に驚いてもう一度真琴を見る。
 だんだんと、膨れてきていた。
 まるで風船のように……
「祐一さん、川澄さん。そこにいるとあぶないですよ」
 秋子さんがみんなを連れてこの場から離れていく。
 近くにいた、俺と舞にも逃げるように勧めて。
「逃げるぞ。舞」
 だが、舞はじっと真琴を見ている。
 膨れて大きくなっていく様子を……
 舞が剣を振り上げる。
「こらっ!!」
 俺は慌てて舞の手を掴んで止める。
「刺したら破裂するかと思って……」
「風船じゃないっ。いいから逃げるぞ」
 そう言って、舞の手を掴んだまま引っ張って真琴から離れる。
 真琴はどんどん大きくなっていった。
 そして、膨張が止まった時、そこにいたのは狐だった。
「……きつねさん」
 大きさはあゆあゆとほぼ同じ。
 その狐があゆに向かって歩き出した。
 ……ズシン
 その揺れに反応してかあゆが立ち止まって振り返る。
 2匹の目が合った。
 しばらくのにらみ合い。
 数秒の後に、あゆあゆが完全に真琴の方を向いた。
 そして、お互いに前に一歩を踏み出した。
 今、二大怪獣決戦が始まる。





 俺は舞を連れて秋子さんたちに追いついた。

……うぐぅ……

……あうーっ……

 後ろからは、戦っている怪獣の鳴き声が聞こえる。
 なぜ、真琴の方の鳴き声が『あうーっ』なのかが謎だ。
 狐だから「コンコン」あたりでもよさそうなのに。
「秋子さん。いったいあの真琴はどうしたんですか!?」
 プリティまこぴー変身の時からの根本的な疑問を聞いてみる。
「こんな事もあろうかと、真琴を改造しておいたんですよ」
 改造!?
 じゃぁ、真琴は改造人間なのか。
「祐一……私たちも改造されてないよね……」
 名雪が不安そうに言う。
「真琴だけですよ」
 俺より先に秋子さんが答える。
 しかし、名雪の不安は消えない
「……ほんとかな……?」
 さすがにこれを目の当たりにすると実の母すらも信用できないらしい。
 俺は答えた。
「名雪は大丈夫だ。
昨日の夜の時点で体のどこにも改造された跡はなかったからな」
「そっか、よかった……」
 そこまで言った名雪の動きが止まる。
 ……
「わぁ、祐一〜〜〜はずかしいこといわないでよ〜」
 名雪が顔を赤くしながら俺の襟を掴む。
 その名雪の後ろに手を回して……
「改造された跡はなかったけど、こことかこのへんに……」
「わーーーわーーー」
 俺の手を振り払って、大声で俺の声を遮る名雪。
 ……ふと、周りを見ると誰も俺達から目を離している。
 勝手にしてろ、ということらしい。



 怪獣大決戦は熾烈を極めていた。
 だが、端から見るとただのガキの喧嘩である。
 体当たり、頭突き、適当に腕を振り回したり……
 ズズズズ……
 あゆの振り回した腕に真琴が吹き飛ばされる。

……あうーっ

 しかしそれほどのダメージはない。
 すぐに起き上がる。
 再びあゆあゆに向かって突進。
 助走がついていたので、こらえきれずに今度はあゆあゆが吹っ飛ぶ。

……うぐぅ

 しかし、あゆあゆもすぐに起き上がる。
「……いつまで続くんでしょうね」
「お腹が空くまででしょうか……?」
 なるほど、お腹が空いたところでたいやきと肉まんを用意したら戦いは終わるかもしれない。
 でも、それにはまだ時間がかかりそうだ。
 そのうち、戦場が少しずつ移動してきた。
 リングがある訳じゃないので仕方ないのだが。
 でもその方向が悪かった。
 戦場はビッグサイトに向かって移動していったのだ。
「水瀬さん。まずいです。このままでは東館に被害が……」
 戦況を見守っていた込久がうろたえる。
「なんとかなりませんか」
 秋子さんは冷静に答えた。
「あの二人が戦いつづける限り……我々はただ見守っているしかないのです……
そして……最後にたっていた者が……勝者なのです」
「そんな……」
 その時、あゆあゆが派手に弾き飛ばされた。
 真琴の尻尾攻撃だ。
 そして、飛ばされたあゆあゆが東館に当たった。
 ガラガラ……
 音を立てて東館の一部が崩れる。
 まだ隅の方だけなので、完全崩壊には遠いけれど。
 しかし、このままではそれも時間の問題だった。
「……やむをえん……」
 込久はそう呟くと携帯電話を取り出した。
「ああ、込久だ。
ここまで被害が出た以上仕方が無い。
至急コミケを中止だ」
 それだけ伝えて電話を切る。
 そのまま……秋子さんにお礼だけ言って彼は去っていった。
 すぐに放送が流れる。
『怪獣出現により、コミケはただいまを持って終了します。
サークルの方々は直ちに販売を中止してください。
避難はスタッフの指示に従い……』
 その放送にあゆあゆが反応した。

……うぐぅ……

 あゆあゆの闘気が消えて行く。
 そして、その体もだんだん小さくなっていき……
 怪獣あゆあゆは消えた。
 残されたのは、地面に倒れるあゆ。
 元に……戻ったのか?
 俺は走り出した。
 あゆの元へ。
 そこにいたのは確かにいつものあゆだった。
 ここにいると危ない。
 まだ真琴が怪獣のままでいるのだ。
 俺はあゆを抱きかかえてもとの場所まで戻った。
 戻ってから、秋子さんに聞く。
「あゆは元に戻りましたけど、真琴はどうなるんです?」
「お腹が減ったら元に戻るんじゃないでしょうか?」
 曖昧な返事だ。
 今度は舞に聞いてみる。
「なんとかならないか?」
「私は、魔物だけを討つ者だから」
「魔物だって、言ってたろう」
「……あれは魔物じゃない……気がする」
 はぁ……そうですか。
 俺はあゆを起す事にした。
「あゆっ、あゆっ……」
 何度か名前を呼んだ後にあゆの目がうっすらと開いた。
「……うぐぅ……祐一君?」
「ああ、気がついたか?」
「あはは……落ちちゃったよ。
ボク……抽選得意だったのに……」
 何の事を言っているのか分からない。
「ボクは……有明にいたらいけないの?
……いけない、人間なの?」
 あゆの目が再び閉じられる。
 俺はあゆの体をゆする。
「あゆっ」
 ……
 またうっすらと目が開いた。
 ん?
 俺があゆを揺すった時に、あゆの鞄からなにか紙のようなものが落ちた。
 名雪がその紙を拾う。
「祐一……」
 それを俺に見せてくれた。
 コミケの……サークル参加落選の通知だった。
 そうか。
 そういうことだったのか。
 落ちたけど、それでも参加したかったんだな……
「あゆ……」
 あゆの返事はない。
 だが、その目はちゃんと俺を見ていた。
「サークル参加で落ちても、一般入場で入ればいいんだ。
売れないのは残念だけど……それもコミケへの参加の方法なんだ」
 あゆが、かすかに肯いた。
 そうだ。
 あゆはそれに気づかなかっただけだ。
 だから、怪獣になってまで無理矢理ここにやってきたんだ。
「祐一さん。あゆちゃんを病院に連れて行きましょう」
 秋子さんが俺に代わってあゆを抱き上げる。
『真琴はどうします?』
 そう言おうとした時に、真琴の足元に一人の人間がいる事に気がついた。
 なぜかうちに学校の制服を着た……
 そして、真琴の狐も元に戻り始めていた。
 真琴は……あいつに任せておけば大丈夫だろう。
 俺達はあゆといっしょに。有明を後にした。





「朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べてもっかい寝るよ〜」
 またいつもの目覚ましで起される。
 ちなみにこの目覚ましは水瀬家に来た時に借りたものとは違う。
 あれは俺が違うものを録音して渡したから……
 今度のは、日付も表示されて学校がある日とない日で違うものが再生されるという代物らしい。
 今日は日曜日だ。
 俺はベッドから出て、着替え始めた。
 どこに行く予定がある訳でもない。
 着替えていると、バタバタと階段を駆け上がる音。
「祐一君〜」
 俺の所にくるらしい。
 あわてて履きかけのズボンを上げる。
 それと同時にあゆが部屋の扉を開けて入ってきた。
 今は妙に慌てている。
「いきなり入って来るな」
 普段は真琴と違ってノックするのだが……
「祐一君っ」
 興奮してか俺の注意も耳に入っていないようだ。
 あゆは一通の封筒と、それに入っていたと思われる紙を俺の顔の前に差し出した。
 それは、冬コミの当選通知だった。
「おっ、受かったのか」
「うんっ。いっしょに本つくろうねっ」
 あゆは心底嬉しそうにしている。
「いや、俺は絵はかけないから……」
「うーん、それじゃ名雪さんと」
「確か、名雪も絵は下手だぞ」
 栞よりはうまいが……
「……うぐぅ……」
「それじゃ、香里に手伝ってもらえ。
 俺達も応援はしてやるから」
「……うん。そうだねっ。
 香里さんに頼んでみるね」
 そう言って元気よく部屋を飛び出していく。
 もし、香里が落選していたりしたら、一も二もなくあゆの面倒を見るだろう。
 打算的ではあるが。
 あゆが開けっ放しで出ていった後の扉から、俺も廊下に出た。
 まずは朝食だ。
「うにゅ……今の、あゆちゃん?」
 名雪もちょうど起きてきた。
 今のあゆの大声で起きたのかもしれないが。
「ああ、コミケに受かったんだと」
「そうなんだ。これで怪獣が出てくる心配はないね」
 ……怪獣……
 結局あの夏コミの後、大騒ぎだった。
 東館は一部破壊されたので建て直すらしい。
 それで、今度のコミケは晴海になるそうだ。
 冬の日のイベントもまた……幕張に還る……
 あゆは一応病院に入院したが、秋子さんの手回しもあってあゆの名前等は報道される事はなかった。
 どんな手回しかは分からない。
 ますます、秋子さんの存在が謎になったが。
 そして退院してから、身寄りがないということで、あゆも水瀬家に住む事になった。
 部屋が足りなかったので真琴と同室だ。
 本人たちはあまり覚えてないようだが、有明での戦いのせいかあまり仲はよくないらしい。
 しかし、あの二人の喧嘩は時々あるがはっきり言って子供同士の喧嘩。
 見ていて微笑ましいというレベルだ。
「嬉しそうだね」
 ん?
 名雪に言われて気がつく。
 あの二人のやりとりを思い出して顔が笑っていたらしい。
「やっぱり、初恋の女の子といっしょに暮らせるのは嬉しい?」
 名雪が笑いながら言う。
「変な事言ってるんじゃない」
 こいつ……ひょっとして結構気にしてるんじゃないか?
 まったく……
 俺は名雪の半纏の肩の部分(確か、名前はレモンだったはず)に手を置いた。
 いつものように名雪がすっと目を閉じる……
「祐一君ーーー」
 あゆの声が階段の下から響く。
 ……間の悪い奴だ。
 そのまま階段を駆け上がってくる。
「ボク、良く考えたら香里さんの家知らない」
「……分かった、俺がついていってやる」
 そう言ってあゆをつれて下りる。
「いってらっしゃい」
 そう言った名雪はちょっと残念そうだった。



 階段を下りて玄関へ。
 靴を履き替え外に出た。
 今日はいい天気だった。
「じゃ、いこうよ」
 あゆが待ちきれないように催促する。
 あ、でも……
「俺も香里の家しらないぞ」
「うぐぅ……ほんと?」
「ああ、名雪に案内してもらうしかない。呼んできてくれ」
 あゆはまたバタバタと家の中に入っていった。
 数分後、名雪を連れて出てくる。
 それじゃ、後は名雪に任せて……と入れ替わりに家に入ろうとした俺の手をあゆが掴む。
「はやく行こうよっ」
 俺も行かないといけないらしい。
 あゆが、両手で俺と名雪を掴んで引っ張る。
「あゆって、幸せそうだな……」
 悩みがなさそうだ、と嫌みっぽいつもりで言ったのにあゆには通じなかった。
 あゆは振り返り、本当に幸せな笑顔で。
「うんっ。ボク幸せだよっ」
 たった一つの当選通知を抱きしめながら……






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