お題 “由宇と詠美”
Sidestory of "こみっくパーティー"
 

「元気のかけら」


Written by 尾張


「…甘いっ」
 由宇が手にしたハリセンが俺の額に飛んできた。
 パシンッと気持ちのいい音を立てて、それは俺の頭の上で跳ねる。
 くらっと、一瞬だけしびれた感覚がオレを襲う。
 閉じそうだった瞼を思いっきり開いて、頭を振って眠気を吹き飛ばした。
 これを受けるのも、もう慣れてきたような気さえする。
 音ほどには、痛くはないのだ。
 続いて、由宇のいつも通りに威勢のいい声。
「そんなことで、本を買うてくれる人に申し訳が立つと思うてるんか?」
 ハリセンを腰にあてたまま、今度は指を俺に向けたまま話し続ける。
「いつでも真剣勝負。…それが同人誌界の唯一にして絶対のオキテや」
 少しだけ紅潮した顔で、由宇は気持ちのいい啖呵を切った。
 実は、由宇の怒っているときの真剣な顔つきを見るのは好きだ。
 聞かれたらどんな目にあうか想像がつくので、さすがに口には出さないでいるが。
 まあ、今はそんなことより…由宇、気づいていないんだろうか。
 忘れてるんだろうな、たぶん。
 自分が、風呂上がりだってこと。
 風呂から上がって、少し涼もうとしていたところに、俺の様子が目に入ったのだろうか。
 由宇は、身体に大きめのバスタオルを一枚巻き付けただけの、無防備な姿だった。
 濡れた長い髪は、頬や首筋に張り付いている。
 ちらりと見える、バスタオルの下の太ももとか胸元とかが気になってしかたがなかった。
 うーん、健全な男としては、ここは言うべきか言わざるべきか。
 うつむきぎみに視線をさまよわせながら考えていると、
「聞いとるんか、和樹」
 身を乗り出して、俺を見る由宇と目があった。
 どきんと、心臓の鼓動が跳ね上がる。
「…な、なにを?」
 心にもなく、少し上ずった声で聞き返していた。
「なにをやないやろっ、そんなやからいつも…」
 言葉の途中で、由宇の声が宙へと消えた。
 目だけが、俺の視線を追いかける。
 その先にあるのは、由宇の胸元。
 つつましやかに上下する、タオル地の下にあるかすかなふくらみだった。
「……」
「……」
 二人して、しばし沈黙する。
 もしかしなくても、こりゃバレたかな。
「…あ……」
「……あ?」
 口を開けたまま、言葉が出てこない由宇に、間抜けに聞き返した。
 しばらく、時間が止まったように俺たちは固まったままでいた。
 由宇の顔が、見て分かるほどにはっきりと赤くなっていく。
「…アホっ、どこ見とるかと思ったら」
 耳まで真っ赤に染めながら、由宇が視線をそらした。
「由宇を、見てたんだけど」
 その目線の先を捕らえて、由宇と視線を合わせる。
 少し曇った眼鏡の奥で、熱を持った瞳がかすかに潤んでいるのが分かった。
「綺麗だなぁって思って、さ」
「アホか、こないな小さい胸見て何がおもろいんや」
「小さいかどうかは関係ない。由宇の胸だから見てた」
 その言葉を聞いた由宇が、照れを隠すようにそっぽを向いた。
「口説いてるつもりか? …そんなん成功するかいな。もっと勉強し」
「わかった。勉強しとく」
「って、素で返してんなっ!」
 スパーンッ。
 すかさずハリセンが飛んできた。
「まったく、なにが楽しいねや、こんなん見て……もっと集中しい」
 自嘲ぎみに、由宇がぶつぶつと文句を言う。
「せっかくのチャンスは生かさないとな」
 なぜかちょっと誇らしげな気分で、俺もやり返した。
 それを聞いて、何か考え込むように、由宇は黙り込んでしまった。
 少しの、沈黙。
 それを破って、由宇が意を決するようにして口を開く。
「原稿終わったら……少しくらいは見せたっても、ええんやけど」
 ちらりと、俺のほうを見る。
「え……?」
 一瞬のうちに、その言葉は頭の中に染み渡っていった。
 見せるって…それってひょっとしなくても…?
「…顔がゆるんでるで。なに喜んでんのや、まったく」
 はあっ、と呆れたように由宇がため息をつく。
 彼女のあきれ顔とは正反対に、俺の心は盛り上がっていた。
 ペンを握っている手に、身体の奥底からぐぐっと気合いが流れ込んでいくような気すらする。
 …同じ燃える執筆状態でも、由宇に比べて理由がかなり情けないのがアレだが。
「ふっふっふ…」
 口の端から、意図せず不適な笑い声が漏れた。
「か、和樹、ちょっと目が怖い…」
「パワー全開っ」
 一瞬で修羅場モードに切り替わった俺は、原稿に集中した。
 カリカリカリ…カリカリ…。
 原稿用紙の上をペンが走る音だけが、静かな部屋の中に響いていく。
 しばらくは、俺も由宇も発する言葉もなく、作業をする音だけが聞こえていた。
 視界の隅で、由宇があきれた顔で立ち上がるのが見えた。
 しばらく、作業に集中していく。
「よっしゃ完成」
「…ちょっと、待たんかいっ」
 スパーンと、由宇の持つハリセンが俺の頭に入る。
 いつのまにか、由宇は着替えをすませていた。
 まだ濡れた髪をふいている最中だったというのに、相変わらず反応が早い。
「なんだよ、いきなり」
「早すぎるっ。ここまで早いと、嘘くさいわ」
「と言われても、できたものは仕方がないからなぁ」
「本当に完成したんか、手ぇ抜いたりしてないやろな? …ちょっと原稿貸し。ウチが添削したる」
 俺は、机の上に散らばっている原稿を、手早くまとめて由宇に手渡した。
 由宇は、それを受け取ると、ぶつぶつ言いながらイスに座って読み始める。
 足下には、何に使うつもりなのか、いつものハリセンが用意されていた。
 …いや、用途は分かっているはずだ。
 俺は、審判を受ける前の被告人のような心持ちだった。
 しばらく、身じろぎもせずに原稿を読み続ける由宇の横顔を見続ける。
「…どうかな?」
「い、いい感じやんか」
 こぶし――この場合は、ハリセンか――の振り下ろし場所がなくなったのか、少し残念そうな、
それでいてほっとしたような声。
 驚きを秘めた、怒ったようにもすねたようにも見える複雑な瞳が、俺を見ていた。
「だけど…や。これ、ほとんどのページはペン入れとか今日やったもんやないやろ。仕上げ少し残す
状態まで、すでに書きあがっとったのと違うか。なんや、だまされたような気分やな…」
「人聞きの悪いことを。聞かれなかったから黙ってただけだ」
「こすいことに変わりないわ。ま、こっちがアホやっただけか。しゃあないな」
 少しだけ照れの混じった顔で、由宇が肩をすくめた。
「じゃ、いいのか…由宇」
 先ほどと同じように、由宇の胸に視線を落とす。
 そこは、由宇の呼吸に合わせてゆっくりと上下していた。
「…イヤや、言いたいとこやけど、いまさら冗談やった、言うても通用せんやろ」
 シャツの首もとを親指で持ち上げるようにして、自分の胸元を覗き込む。
「こんなん見て楽しいかなぁ」
 つられて、俺も覗き込みそうになった。
 それに気づいて、胸元を開けていた指を、由宇が服からぱっと離す。
「…楽しそうやな。なら、心配ないか。…ちょっと待っとき」
 言いながら、由宇は立ち上がって、浴室へとつながる扉へと向かった。
「このままっていうわけにもいかんから、準備する」
 そういって、扉の向こうへ姿を消す。
 残された俺は、どきどきと音を立てそうなくらい激しく鳴る心臓を抱えながら、扉をじっと見つめて
待つことになった。
 由宇が…由宇の肢体が……ついに…。
 かちゃり。
 ノブが回る音が、静かな部屋の中に響いた。
「や、やっぱり恥ずかしいな…」
 由宇が、声とともに扉の向こうから姿を現した。
 上半身の服を脱いだのか、肌が完全に露出している。
 肩口から腕の先にかけて、きれいな曲線がなだらかに流れていた。
 鎖骨まで明かりの下にさらけ出されて、少し寒そうな感じすらする。
 その下…胸のふくらみは、由宇の両腕が握りしめたバスタオルに覆われていた。
 ゆっくりと、由宇が部屋の中へと進み出す。
 俺のすぐ前まで来たところで、確認をするように、由宇の視線が少しだけこっちを向いた。
 一瞬だけ視線が交錯する。
 由宇は、慌てて視線をそらしたように見えた。
「あかん…和樹の顔、まともに見られへん…」
 かあっと顔を赤らめると、胸の前で握りしめていたバスタオルを握りしめたまま、両手で顔を覆う。
 その瞬間、無防備になった胸は、俺の目の前にさらけ出され……って、
「おいっ」
 思わず、叫ぶのと同時に俺は由宇の肩をつかんでいた。
「あ、あははは…は」
 乾いた笑い声が、由宇の口元から漏れる。
 由宇の胸を覆い隠すものは、バスタオルだけではなかった。
 鮮やかな薄緑色の水着が、スリムな由宇の身体に巻き付いていた。
 一瞥して分からなかったのは、肩ヒモがない…いわゆるストラップレスのタイプだったから、だろうか。
 いや、もしかすると先入観で意識にフィルターがかかっていたからかもしれない。
 でも、どっちでも一緒か。
「…俺、騙された?」
「おあいこやろ、おあいこ」
 そう言われてしまうと、何も言い返せない自分が情けなかった。
「なんで水着なんて持ってきてるんだ?」
 単純に、疑問としてそんなことが頭に浮かぶ。
「やっぱり夏はプールやろ、思って持ってきてたんや。意外なとこで役に立ったわ」
「おまけに、いったいどこに隠してあったんだ、それ」
「まぁ、男は細かいこと気にしたらあかん。それよりも…」
 身体の前に垂らしていた、タオルを由宇がゆっくりと外す。
「水着姿で良かったら、特別に見したるから、機嫌直し」
 セパレートの水着に包まれた由宇の身体が、俺の前にさらされた。
 初めて――でもないか――見る由宇の身体は、ほっそりとしていて、いわゆるふくらみには乏しかったが、
それはそれでバランスが取れていて綺麗に見える。
 おなかや、へそが、少しだけ存在を主張しながら水着の布地とせめぎあっている。
 細い腰に綺麗に巻き付けられたパレオが、腰のラインを巧みに隠しているのが逆に色っぽく感じられた。



 しばらくして、普段通りの格好に戻った由宇が、俺の前にやってきた。
「あんなんでごめんな、和樹」
「いや、由宇の色っぽい水着姿見られたから、いいや」
「う。…ほんまにそう思ってる?」
 上目づかいで、気遣わしげに俺を見る。
「思ってることにしといてくれ」
 先ほどのビジョンを明確に脳裏に浮かべながら、俺は断言した。
 少しだけ、口元がゆるんでいたかもしれない。
「水着なくても、和樹やったら、ウチ…いつかはほんまに見せても……」
 いつもの由宇とは違う、消え入りそうに小さな声が、かすかに俺の耳に届いたような気がした。
 けど、横を見ると、そこにはもういつもとまったく変わらない表情の由宇が、笑ってこっちを見ているだけだった。
「さあっ、入稿いこか」
「はいはい」
「なんや、その元気のない声は。ほら、行くでっ」
 由宇がいつものように笑って、俺の背中を叩く。
 ぱんっ。
 背中に走る、いつもより軽めの音と痛み。
 その痛みと由宇の声が、いつも通り、俺に元気をくれた。
「元気ないと、口説ける女も口説けなくなるかもしれんで」
 由宇は、いつもと同じ口調で、でも少しだけ照れながらそう言って笑った。
「あとは、あんた次第…や」




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