(Leaf Visual Novel Series vol.3) "To Heart" Another Side Story

for 「本日のお題」

 

出会い

Episode:松原 葵

 

Original Works "To Heart"  Copyright (C) 1997 Leaf/Aqua co. all rights reserved

written by   1997/10/28


 たったったった……。

 一人の少女が走っていた。
 年齢は、おそらく十歳くらいか。
 腰まで伸びたつややかなストレートヘアに透けるような白い肌。そして、少々痩せ
すぎともいえる華奢な手足。
 可憐という言葉が、これほどに似合う少女も珍しいだろう。

「……いけない。すっかり、遅くなっちゃった。お母さん、心配しているだろうな」

 少女は、すこし焦ったようにそう呟き、走る速さを上げた。
 時刻は五時を少し回ったところ。
 少女の年齢を考えても、世間一般で言えば、決して遅い時間帯ではないのだが、
あるいは門限でもあるのかもしれない。

 ぱしぃっ!

 帰り道を急ぐ少女の耳に、そんな音が聞こえてきた。

 ――なんの音だろう?
 聞きなれない音に、少女は足を止めた。
 しかし、辺りを見回しても、なんら変わったものは見つからない。
 あるいは空耳だったのか、そう思い、再び、帰途につこうとしたとき。

 ぱしぃっ! ぱしぃっ!

 その音は、また聞こえてきた。
 しかも、今度は連続で。

 少女が、その音のした方向をみると、そこには一枚の看板の掛かった門があった。

『坂下空手道場』

 看板には、そう書かれていた。
 だが、毛筆で書かれたその文字は、十歳の少女には読めるものではなかった。

 ともあれ、看板が読めない以上、音の正体を突き止めるには門の中を覗くしかない。
 そう考えたかどうかは定かではないが、少女は門から中を覗いてみた。

 中を覗くと、そこには磨り硝子のはまった玄関のある家が建っていた。
 少し古い感じのある家だが、特に変わっているということもない、ごく普通の家だ。

 ぱしぃっ!

 音は、その家からではなく、門を入って左手のほうから聞こえてきている。
 少女は、門をくぐり音がするほうへと歩いていった。
 少し行くと、小さな木造の建物がみつかった。音は、どうやらそこから聞こえてくる
らしい。
 少女は、その建物についている小さな窓から覗き込んで―少女が目一杯に背伸びをし
ても、ぎりぎり届くか届かないかの高さにあったので、かなりの苦労を要したが―中を
見ると、そこでは空手の道着を来た二人の少女が闘っていた。
 二人とも、少女とおそらく同年代だと見受けられる。
 一人は、短髪で、ぱっとみには少年と間違えてしまいそうな女の子だ。体つきも、
かなり、がっしりとした印象がある。
 もう一人の方は、覗いている少女と同じくらいに伸ばした黒髪で、短髪の少女に
比べて線が細くスラリとした体躯だ。

 ぱしぃっ! ぱしぃっ!

 その闘いに、少女は魅せられていた。
 それまで、急いで家に帰ろうとしていたということも忘れ、その闘いを見続けていた。
 しばらくして、

 すぱぁぁぁんっっ!!

 長髪の少女の上段回しげりが、短髪の少女にクリーンヒット。
 短髪の少女の身体が弾け、床に、どぅ、と音を立てて倒れた。

「痛ぅ、また私の負けか。綾香くらいだよ。同学年で、私が勝てない相手なんて。
まったく、憎たらしいったら」

 短髪の少女が上体を起こし、そうぼやく。

「ふふ、悪いわね好恵。あなたも弱くないんだけど、私みたいな天才にくらべちゃうと
ね〜」

 長髪の少女―綾香―が、悪戯っぽく微笑みながら短髪の少女―好恵―の手を掴み、
引き起こした。

「ちぇっ、言ってるよ」

 好恵は、いかにも呆れたという調子で肩をすくめる。

「あら?」

 と、その時、綾香が、窓から覗いている少女と目があった。

「あ、あの、その、ごめんなさい」

 覗いていた少女は、目があったことに驚いて、それだけ言って走って逃げ出して
しまった。

  ・
  ・
  ・

 その日の夜。
 少女は布団の中で、夕方のことを思い出していた。

(あの人達、とても強かったな。それに、とても綺麗だった。私も、あの人達みたい
に。……なにを考えてるんだろう、私ってば。なれるわけないじゃない。それに、空
手をやるなんて、お父さんやお母さんが許してくれるわけないもの)

 少女は、そのことはもう考えないことにしようと思い、目を閉じた。

(でも……)

 再び沸き上がってくるその思いを打ち消すように、寝返りを打つ。
 その日、少女はなかなか寝付けなかった。



 次の日。
 少女は、再び道場の前にやってきていた。
 しかし、少女は戸惑っていた。
 ――ここに来て、私はどうするんだろう?

 結局、その日は道場の前をうろうろとしているうちに、日も傾いてきて、そのまま
帰った。
 そして、次の日も、また次の日も同じことを繰り返した。

 そんな風に何日かが経ったある日のこと。

「ねえ」

 少女の後ろから、話し掛けてくる声があった。

「え?」

 少女が振り返ると、そこには、綾香が立っていた。

「あなた、こないだのこだよね? どうしたの?」

「え、えと、その……」

 少女は答えに窮し、ちらちらと道場のほうをみた。
 綾香は、少女の視線の方向―つまり、道場を―見て、すこし考えていたようだが、
やがて、ぽんっ、と手を打ち鳴らした。

「ああ! もしかして、入門希望? それだったら……」

「あ、違うんです。その……」

「あれ、違うんだ。でも、こんなとこに、他になんの用があるの?」

 綾香は、不思議そうに首を傾げた。

「あの、この間、道場を覗いたときに、あ、勝手に覗いていたのは、その、ごめんな
さい。……それで、その、闘っている姿がとても綺麗だな、って思って」

「き、きれい、ねえ。……まあ、悪い気はしないわよね」

 綾香は、その言葉に少し照れながら、そして、なんと言っていいのか分からないと
いったように、そう呟いた。

「それで………」

 少女は、そこで言葉を止め、唾をごくんと飲み込んで、

「私も、あんな風になれたらな、って」

 綾香は、その言葉に、目をパチクリとさせて、少し考え込んだ。

「あの、それって、……入門希望とは違うの?」

「いえ、でも、私には空手の才能なんて無いだろうし、それにお父さんやお母さん
だって、空手をやるなんて、きっと、許してくれません」

 そう言うと、少女は俯いてしまった。
 綾香は、少し困ったように自分の後ろ頭を掻きながら考えていたようだったが、
やがて、ふぅ、と軽くため息をつくと、少女に向かって優しい声で語り掛けた。

「あのね。私が思うに、あなたには空手の才能はあるよ」

 その言葉に、少女は顔を上げた。
 突然の綾香のその言葉に、少し戸惑っているようだ。

「あなたは、空手をやっている私と好恵を見て、綺麗だなって思ってくれたんだよね?
そして、自分も同じようになりたい。そう思った」

 少女は、こくん、と肯いた。
 綾香は、少女が肯いたのを確かめると、言葉を続けた。

「それはつまり、空手を綺麗だって感じたってことだよね? つまり、空手に興味を
持ったっていうこと。私は、才能っていうのは、そのことに対して、どれだけの興味
を持てるかっていうことだと思ってる。だから、あなたには空手の才能があるんだよ」

「・・・・・・・・・」

「それと、お父さんやお母さんが許してくれないに違いないって言ってたけど、あなた
の言い方からすると、まだ話してないんだよね?」

 ……こくん。
 少女が肯く。

「思い切って話してごらんよ。あなたが、ほんとに空手をやりたいんだって、そのこと
が通じれば、きっと、あなたのお父さんやお母さんだって許してくれるはずだよ」

「・・・・・・・・・」

 少女は、しばらく考え込んでいたが、やがて、

「私、やってみます」

 そう答えた。
 綾香は、その言葉にニッコリと笑うと、少女の頭を優しく撫でた。

「じゃあ、今日はせっかく来たんだし、見学していきなよ。ね?」



 それから、しばらく後のこと。
 坂下空手道場に、あたらしく一人の入門者が入ってきた。
 髪を短く切り揃えてはいたが、それは紛れも無く、あの少女だった。
 その短く切った髪は、少女の決意の表れなのかもしれない。

「松原葵です! 今日から、よろしくお願いします!」


                           (終)


あとがき:最後の台詞。ここでだけ葵ちゃんの名前を入れるような演出(になって
    いるかどうか疑問だけど(^^;)を考えていたので、それが苦労したです。
     あと、道場を覗くシーンは、綾香だけが練習しているというのも考えて
    はいたし、そのほうが綺麗にまとまるような気はしたんだけど、坂下との
    組み手になっているのは、一重に環の煩悩のなせるわざです(をい
     ToHeart格闘三人娘は、どの娘も劣らず好きなのですよ〜(^^;


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