「――あ、そっか」
 走り出して1分後。
 まわりの雰囲気に違和感を感じるのがもうちょっと遅かったら、冗談抜きで自分が明朝のヘッドラインを飾る羽目に
なるところだった。
 記事は書くもの。書かれる方になんて、一生なりたくない。
「なんで日本も右側通行にしないのかしらねー」
 ただでさえ狭苦しい道路に、これでもかというほどの車、車、車。
「町中でRVなんか乗り回してんじゃないわよ、まったく」
 もちろん自分がそれ以上の空間を占有する車に乗っているのは、全く別の問題だ。
 この真っ赤なスポーツカーじゃなきゃ、日本に帰ってきた意味がない。
「さーって、ちょっと廻してあげようかな」
 あたしは嫌みなぐらいにゆっくりと車線を変え、48バルブの赤頭巾を高速の入口へと滑り込ませた。







お題 “志保”
Sidestory of "To Heart"
 

「すばらしい日々」


Written by ふたみ






 目つきの悪さは、彼女に紹介される前からなんとなく噂で聞いていた。
 だから、あたしのあいつに対する第一印象はそれほど悪くなかった。
 もちろん『愛想良し』って言葉からはとても遠いところにいたけれど、ぶっきらぼうな優しさは意外にみんなが
知っていた。
 それを誰も口に出そうとしなかったのが、良かったのか。悪かったのか。
 今となっては、もう判らない。

 だからあいつは知らなかった。
 自分がどれほど人に頼られているか。
 自分がどれだけ人に慕われているか。
 あたしはそれを、ある意味犯罪的だとすら思った。

 そしてあたしは知っていた。
 ただひとり幼なじみの彼女にだけは、とても優しい顔を見せることを。
 本当にすてきな笑顔を。
 ほんの一瞬だけ。

 けれどそれは彼女だけのものだった。
 小さな頃から辛抱強くずっとそばにいた彼女にだけ与えられるものだった。

 あんな顔で、あたしにも笑いかけて欲しかった。
 それを手にすることの許されないあたしは、それでもあいつの何かを独り占めしたくて
 ――あたしにだけ、何かをして欲しくて。

  あたしには何ができるんだろう

 他の奴には、無愛想な一瞥をくれるだけ。
 そしてその笑顔は、幼なじみの彼女に。
 あたしは遠慮の要らない口喧嘩の相手として。本音を伝えられる相手として。
 憎まれ口ばかり叩いているけど、他の誰よりも長くあいつと話すことができた。

 他の誰もそこには立たせない。
 バカな話をしている間だけは、あいつはあたしのもの。
 他の誰にも渡さない。
 他の誰のことも考えさせない。
 あたしだけしか見えないように。

 それで満足しているわけじゃなかった。
 それでも、あいつのそばにいられるのなら――そんな関係でいいと思った。
 あいつと彼女が妙によそよそしくしていた一時期も、ふたりの関係は変わらなかった。
 だから、それ以上は望んじゃいけないと思った。
 彼女の笑顔が見られるのなら。あいつの笑い声を聞けるのなら。
 あたしの『一番』大事なふたりが、ずっと笑っていてくれるなら。



「『あんたが言えば終わるのよ』――か」
 終わるのは、あのつまらない押し問答だけだったろうか。
 あの時、あたしはもっと別のことを恐れていたような気がする。

 名ばかりの高速道路を一瞬で駆け抜け、すでに左前方には見覚えのある丘陵の連なりが見える。もう2分も
走れば、そこは私の生まれ育った町。



『じゃあ、言ってやる』
 聞いちゃいけないような気もしていた。
 聞いたら、もう以前の四人には戻れないような――そんな気がした。
 たとえ見かけは今まで通りの四人でも。最後まで欺き通せたとしても。
 あたしと、あいつの間で何かが変わってしまうような気がした。
 でも――確かにその時あたしは思ったのだ。

  いつもと違う声であいつがあたしの名前を呼んだら
  これまで大事にしてきた全部、この場で壊してしまってもいい

『オレは、長岡志保が――』
 たぶん、あたしは怖かったんだろう。
 友情を失うことじゃなく。
 居心地のいい場所を失うことじゃなく。
 全部なくなってもいい――例え一瞬でも、本気でそう思った自分が怖かったんだろう。
 あんなに強く、人を見つめたことはなかったから。
 あれほど強く、人を求めたことはなかったから。



「一応、あんたは言ってくれたんだよね」
 いつもと同じ、ぶっきらぼうな声で。
 精一杯、照れ隠ししながら。

  でも結局
  ふたりの臆病な裏切り者は
  前提を覆すこともできず
  こっそりと
  背中合わせに指を絡ませただけだった

「卑怯よねー、あたし」
 最後まで、言わなかった。
 はっきりと口には出さなかった。
 言わなきゃ判らないこともある。
 裏切りも。想い出も。
 言わなきゃ、無かったことにだってできるかも知れないと思ったから。


『あたしは……アンタのこと』
「好きよ」


 なんてイージー。なんてシンプル。
 たった三文字に振り回されていた、あいつとあたし。



 抱えきれない想い出を、笑っちゃうほどバカバカしいこだわりの上においたまま。
 あたしは全部放り投げて、遠くへ逃げた。
 あいつは、怒らなかった。
 何も、聞かなかった。

 結局ひとつも捨てられなかったのは、そのせいだと思う。
 大阪でも、ロスでも、D.C.でも。
 どんなに遠くにいても、心はここにあった。
 宙に浮いた三文字だけが、あたしの心を捉えたままだった。

 だから、帰って来た。
 想い出が色あせることなく残っているこの街に。
 今度こそ、はっきり言ってやるために。
 イヤでもちゃんと聞こえるように。



「“shiho−chan”に狙われたからには」

 四年分の、ぎっしりと詰まった思い出を上乗せして。
 のんびり暮らしてきたあいつらの目を覚まさせてやる。

「安穏とした生活とは、おさらばして貰うわよ」



 このホーンを鳴らせば、すべてが動き始める。
 もう誰にも止められない。
 あたしにも。
 あいつにも。
 彼女にも。

「あたしは――しつこいんだから」





 大人の恋は、時価25万ドルのクラクションで幕を開けた。
 


[おわり]





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