お題 “志保”
Sidestory of "To Heart"
 

「だからあたしは……」


Written by ちひろ



 大きくのびをしながら 空港の中を見回す
 ひさしぶりの日本は いつもと変わらない匂いがした

 仕事ででもなけりゃ 特に帰ってくる必要がない国
 あたしにとって 祖国なんてそんなものだ

  仕事はあっちのほうがやりやすいし
  日本に居ていいことなんてそんなにないからねー

 そう電話で答えたことも ある
 どこまで本心だか 自分でもわからない



 空港から電車に揺られ 目的地に向かう
 車窓から見える景色は 来るたびに変わっていくような気がする

 途中で電車を乗り継いで とある駅へ
 一つ前の駅で降りそうになった まるでお約束みたいに

  ま、しょうがないわよねー
  ずっと使ってた駅なんだから

 そんな風に 誰に言うでもない言い訳をする
 耳が赤いのが 自分でもわかる



 目的の駅について 荷物をコインロッカーに預ける
 駅前の風景はかなり変わったけど 空気だけは変わっていない気がした

 手元の腕時計を ちらりと見てみる
 約束の時間までは まだ少しある

  ずいぶん中途半端な時間ねー
  待ってても退屈なだけだし 何かするにはちょっと足りないし 

 まだちょっと冷たく感じる そんな春風の中
 あたしの脚が自然に ある場所に向かって動き出していた



 駅から丘のてっぺんに向かって 坂道を登っていく
 行き先は 通い慣れたあの丘の上

 自分でも柄じゃないとは思うけど つい脚が向いてしまう
 坂を上りきったところに 学校の門と校舎があのころと変わらぬ姿で建っていた

  そ、それにしても歳はとりたくないわね
  これしきの坂で息が切れちゃうなんて あたしの名折れだわ

 独り言が多くなったのも 歳のせいかも知れない
 いまだに独り身なのも 独り言に関係……ないと思うことにする



 門を入ったところにある桜は ようやくつぼみが膨らんできたくらいで
 お花見をするには ほど遠い様子だった

 冬の名残を感じさせるまだ冷たい風が また頬をなでていく
 そんな風が運んできたのか 懐かしいメロディが頭をよぎっていった

  そういや ここであの歌を歌ったっけね
  あいつを 無理矢理つきあわせて

 久しぶりにあの歌を スペシャルバージョンで歌ってみようと思った
 ギャラリーが居ないのは 残念だけどね 



    桜のつぼみ ふくらんだ

    春早い 風の吹く丘

    卒業証書 胸にして

    思い思い 記念写真 撮ったね



 目の前に高校での最後の日が 浮かんで 消える
 らしくないわー と思いつつ でもちょっと浸ってみるのもいいかも知れない



    明日からは 違う道を

    歩いていくと わかってる

    だけど今日は この時だけは

    思い出に 包まれたい



 ドラマなら ここで感動の再会とかあるんだろうけど
 実際には そんなことはないのよね

 歌い終わって そっと目を開けて周りを見回しても
 目を閉じたときと同じ風景が 広がるだけだった

  なにやってんだろうね あたし
  ところで今 何時かしら

 時計があたしを現実に 引き戻す
 ちょっとのつもり だったのに



 大慌てで坂を下りる 転がるように
 待ち合わせの場所に向かって 一目散に

 きっと 苦笑しながら待ってるだろうから
 遅れても 文句の一つも言わないだろうから だから思いっきり急ぐ

  い、言い訳どうしようかしらね
  そうだ飛行機が遅れたことにしよ 我ながらナイスアイデアー

 息絶え絶えに 待ち合わせの喫茶店に入る
 店内をざっと見回すと あたしは待たせている相手にこう声をかけた



 「あかり ごめーん 飛行機が遅れちゃってさー」



 テーブルの向こうには あのころのまま変わらない そんな笑顔があった
 その笑顔があるから あたしはこうしてこの国に帰ってくる 帰ってこれるんだ

 わかってる? あかり








 fin 990929




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