お題 “楓ちゃん”
SideStory of Kizuato
 

「ぜっく」


Written by itoh







『…風を感じつつ、俺と楓ちゃんは、軽く触れる口づけを交わした。』

 ふぅー、通算87回目の楓ちゃんEndを終えた俺は静かにエンディングに聴き入っていた。
 やっぱり楓ちゃんは可愛い。
 俺は日常生活で嫌な事があった時、楽しい事があった時、悲しい事があった時、そんな
時はいつもleafの傑作LVN「痕」を起動して楓ちゃんシナリオを読んでいた。
 そして現実世界ではとうていありえない出来事にワクワクしドキドキし気が付くと、い
つも楓ちゃんEndを迎えていた。
 今までに一度だって浮気したことはない。
 いつも、いつだって、楓ちゃんと一緒だ。

 俺の名前は「柏木耕一」。おっと、ゲーム中の「柏木耕一」と同一人物ではないぜ。
 偶然名前が同じだけの、普通の「柏木耕一」だ。
 友人に「柏木耕一」という名前の主人公が登場すると聞いて「痕」を購入したのが2年前。
 以来、「痕」の世界にどっぷり浸かってしまい脱出できない日々が続いている。
 今日も、会社で上司に理不尽なことで説教を受けてしまい、失意のどん底な心を癒すため
87回目の楓ちゃんシナリオを終えたところだ。
 エンディング曲が終わって、画面がタイトルに戻る。
 右上のメニューから「終了」を選択して「痕」を終える。
 壁紙に設定した楓ちゃんCGにおやすみを言って、今日は眠ることにする。
「おやすみ楓ちゃん、また明日もがんばるよ」

「…耕一さん。」
 ゆさゆさ
「……耕一さん、起きて下さい。」
 ゆさゆさゆさ
「んー、長森。あと3秒だけ寝かせてくれ」
 俺は、おきまりのセリフで抵抗し、可愛い声の女の子から、朝の貴重な3秒を布団の中
で勝ち取ろうとしていた。

 んっ?
 可愛い声の女の子…?
 なんで、そんな声が、このむさくるしい俺の部屋から聞こえるんだ…?
 この部屋には俺以外の人間はいないはずだ。
 間違っても『可愛い女の子の声』なんて聞こえるはずはない…。

 がばっ。

 大慌てで布団から飛び起き、正面に立つ女の子と向かい合う。
 切り揃えたおかっぱの黒髪。整った顔の造りは日本人形を思わせるその顔立ち…

 ……って

「楓ちゃんっ?!」
「おはようございます耕一さん。なかなか起きて下さらないので心配してしまいました。
ずいぶんお疲れのようですね。」
「いや、昨日はちょっと会社で嫌なことがあって。」

 …
 ……
 違う、違う、違う、そんな日常会話をしている場合ではない。
 なんで、ココに楓ちゃんがいるんだ?。いかんっ、ダメだ、俺、まだ寝ぼけているのか?
 それにしたって、目の前にいるのは間違いなく楓ちゃんだ。
 なにがどうなっているんだ、とにかく確認しなくては…。

「ど、ど、ど、ど、ど、どうして、こっ、こ、こ、こ、ここに楓ちゃんが…?」
 おもいっきり、動揺した声で聞いてみる。
 これでは、幽霊を相手にしているようなもんだ、冷静になれ冷静になるんだ耕一っ。
 なんて、考えていると楓ちゃん、ちょっと照れた声で、
「あの…、今日は、いつも私の事を大切にして下さっている、耕一さんにぜひお礼がし
たくて、それで、千鶴姉さんに頼んで、こっちの世界に飛ばして貰いました。」
「と、と、飛ばして貰ったって。千鶴さんにそんな力が…。」
「はい…。耕一さんは私のシナリオしかプレイしてないので、ご存じないかもしれませ
んが、千鶴姉さんには不思議な力があって。」
(作者注:これはSSです。ゲーム本編とは関係ありません)

 『飛ばして貰った』って何をどうすると、ゲームの世界から現実世界に飛んでこれる
んだ。
 そもそも、『ゲームの世界』なんてのが存在しているところから疑うべきだと思うぞっ。
 いかん、考えれば、考えるほど矛盾だらけで、思考の収拾がつかなくなる。

 なんて、一生懸命、目の前で発生している事態に論理的な結論を導こうと必死になって
いる俺を見つめながら楓ちゃん、ちょっと恥ずかしそうにうつむいて続ける。

「それで、87回も私のシナリオをプレイして下さった耕一さんにぜひお礼がしたくて、
姉さんに無理言って飛ばしてもらったのです。」

 イロイロ突っ込みたい部分はあるが、単純な思考で整理してみよう。
 つまり楓ちゃんは87回も同じシナリオをプレイしている俺に好意を持ってくれて会いに
来てくれた…というわけだ。
 どう考えても、設定に無理な部分が多数見受けられるが、まあいい。
 この際、細かい部分は無視しよう。
 とにかく目の前に楓ちゃんがいるんだ、これ以上にすばらしいことなんてあるもんかっ!。
 愛に障害はつきものだっ、俺は全てを受け入れるぜっ楓ちゃん。

「良くわかったよ、楓ちゃん。これからは、ずっと一緒だね。とっても嬉しいよ。」

 かなり強引に都合の良い部分だけを受け入れた俺。
 そうだ、これからは楓ちゃんとずっと一緒にいられるんだ。
 細かいことを気にしている場合ではないぞ。

 ところが、楓ちゃん。ちょっと申し訳なさそうに続ける。
「すみません、耕一さん。私は、あと30分しか、こちらの世界にいられないのです。
あまり長くこちらの世界にいると、あの…次元が狂ってしまうようでして。」

 なにー!、たった30分…。たった30分しか一緒にいられないのか?。
 そんな…、そんなことって、普通この手の展開なら一週間くらいは滞在できると思う
が…。
 最悪でも夜中の12時までなんです、なんて、おとぎ話のようなベタベタな設定がされる
ところが、たったの30分…?
 このSSの作者はなんて非道なんだ、おもいっきりぬか喜びさせやがって、鬼っ!悪魔っ!
てめえなんて結核にかかって死んでしまえっ。
 そうだ死ぬべきだ、こんな一生に一度あるかないかのおいしい展開を書いておいて、
こともあろうに30分とは、登場人物に対する愛が足りないっ!待遇改善を要求する。
 てめえなんて作者失格だ、今すぐ消えろっ。
 心の中で、作者を一通り呪ったところで楓ちゃん、続ける。

「それで…、あの…、短い時間しかなくて……。あの…、えっと、耕一さんに一番喜んで
貰えることを考えたんです…、でも…でも…これしか思いつかなくて…気に入って下さる
といいんですけど…」

 耳まで真っ赤にして楓ちゃん、おずおずと俺に紙袋をくれる。中身は……

 ……
 ………
 猫耳…?

 …
 もう一つは
 ……
 しっぽ…?!

「あのー、楓ちゃん?。コレは、猫耳と…尻尾に見えるけど…?」

 楓ちゃん、完全に真っ赤になったまま、下を向いて続ける。

「えっと…どうやら、こちらの世界では私に…その…耳としっぽを付けるの流行のよう
でして…。短い時間で耕一さんに喜んで貰えるには、私がこの格好をするが一番良いと
思ったのですけど……。あの、もしかして私の勘違いだったでしょうか?」

 あってます。間違いありません。大流行です。
 しかし、いいのか?。人として許されるのか?。
 仮にも高校生の楓ちゃんにこんな事をさせてしまって。
 俺は社会人として一人の少女を間違った方向に導いてしまっているのではないだろうか?
 なんてことを俺が真剣に考え込んでいると、楓ちゃんから信じられない言葉をその可愛い
口から聞いてしまった。

「……にょ…にょにょにょにょ〜」

「ぶっ!」

「かっ、楓ちゃんっ!。『にょ』って…今、『にょ』って言った?」
「…はい、この格好した時は語尾に『にょ』を付けるのがキマリだと、姉さんが…。」

 あははっ、いったいどっちの姉さんだ…?。千鶴さんか?梓か?。
 いや、こんな大いなる勘違いを真に受けるのは千鶴さんだろう…。
 それにしても、純粋無垢な楓ちゃんが『にょ』って言ったぞ、…いかん理性が…、これ以
上はヤバすぎる…。
 必死に、理性をフル稼働させている俺に楓ちゃんはとどめの一発。

「耕一お兄ちゃん、楓、お兄ちゃんに会えて嬉しかったにょ」

 ぷちっ

 そのとき、俺の中で、なにかが切れてしまった。
 俺の中に眠る「お兄ちゃん属性」と「ネコ耳崇拝」がブースト全開で解き放たれた。
 もうどうにでもなれ、楓ちゃんにここまで言わせて期待に応えないようなやつは、人間
じゃねー。

 俺は残された貴重な時間を楓ちゃんと楽しんだ。


 …30分後


 あっという間にやってきた別れの時。
 本当ならずっと一緒にいられる方法を考えるべきなんだが。
 俺はどうしても確認したいことがあった。
 おそらくこの展開なら間違いないだろう。
 本当は聞くまでもない。
 それでも、どうしても聞いてみたかった。

「あのー、楓ちゃん?。楓ちゃんが『ネコ』ってことは、もしかして初音ちゃんは…」
「はい、『イヌ』です。私が帰った後、今度は初音が大切な人のところへ行く予定に
なってます…。初音ったら『おすわり』と『お手』は出来るようになったのですけど
『あご』が恥ずかしいらしくて、ちょっと困っているみたいです。」

 がびーん。







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