お題 “楓ちゃん”
SideStory of Kizuato
 

「夕食は光の如く」


Written by いたちん







 かた。
 俺の隣で箸を置く音。
 みんな……千鶴さんも、梓も、初音ちゃんも……
 みんなその方向を見る。
「ごちそうさま」
 そう言って立ちあがったのは楓ちゃん。
 その席の前の、茶碗、皿……すべての食器は魚の骨を除いてすべて無くなっている。
 楓ちゃんはそのまま、居間を出て自分の部屋に戻っていった。
 食卓を沈黙が支配する。
 誰も、なにから話していいのか分からない。
 コト……
 それを打ち破ったのは、初音ちゃんが手に持った汁椀をテーブルに置く音。
 それの中の味噌汁は、まだたった一口しか吸われていなかった。


「最近、特に早いわね」
 千鶴さんが心配そうに言う。
「消化に悪そうだよね、楓おねえちゃん……」
 会話の内容は楓ちゃんの食事のスピード。
 以前から早かったのが、このところ加速度的にスピードアップしている。
「あまり気にすることもないんじゃないか?」
「でも梓。せっかくの家族団欒なのに」
 千鶴さんが以外な事を気にしている。
 団欒はともかく、この速さはただ事ではない。
 楓ちゃんとデートに行って、外でなにか食べても、あっという間に食べ終わるのだ。
 なんとか、会話で食べる速度を落とそうと思っても、俺の速度も落ちるためどうしても楓ちゃんの方が早い。
 俺にとっても、ちょっと悩みだ。
「とにかく……なんとかしてみよう」
 こうして、楓ちゃん食事スロー化計画が始動した。






1.初音の場合


 初音ちゃんがいつものように、ご飯を盛ってくれる。
 そして、味噌汁。
 いつもと変わりない食事。
 『まずは私がなんとかしてみるから』
 そう言った初音ちゃんだったが、特に変わったところは無い。
「いただきまーす」
 そうして、食べ始める。
 俺はまずは味噌汁を……
「あちっ」
 思わず手を引っ込める。
 そして汁椀を確認する。
 良く見れば凄く湯気が出ていた。
 汁椀に触っただけでこうなるとは……
 仕方が無いので息を吹きかけて味噌汁を冷ます事にする。
「ふーっ ふーっ」
 気がつくとみんな同じ事をしていた。
 テーブルで5人そろって汁を冷まそうとしている。
 変な光景だった。
「失敗だったよぅ」
 初音ちゃんの声。
 どうやら、熱い味噌汁なら、飲むのに時間がかかるからという事らしい。
 でも、みんなの味噌汁を熱くしちゃ同じだろう。
 結局、汁が冷めると同時に楓ちゃんはいつもの調子ですばやく料理をたいらげてしまった。
 ……
 後から聞いたところによると、楓ちゃんが猫舌らしいのでそれを狙った作戦だったそうだ。







2.千鶴の場合


 ……楓ちゃんの箸が動かない。
 箸を手に持ったままだ。
 ゆっくりと料理を皿に取るが口に運ぶことはしない。
 食事のスピードは思いきり遅くなっていた。
 というか、食べていない。
 しかし、それは楓ちゃんだけではない。
 みんな同じだった。
「食べないんですか?」
 そう言った千鶴さんも食べていない。
 目の前の千鶴さんの料理を眺めながら……
「ごちそうさま」
 結局何も食べずに楓ちゃんが真っ先に出ていった。
「じゃ、私も」
「同じく」
 みんな千鶴さんを残して席を立つ。
「せっかく、楓でもゆっくり食べれる料理を作ったのに……」
 どこがゆっくり食べられる料理なんだ?
 意味不明だよ千鶴さん。
「そ、それじゃ……俺も……」
 そう言い残して俺も立ち上がる。
「うぐぅ……」
 千鶴さん。なんですか、それ?







3.耕一の場合


 楓ちゃんの動きが遅くなっている。
 ゆっくりと料理を手に取って、ゆっくりと口に運ぶ。
「楓おねぇちゃん……なんか手が震えてるよ」
「大丈夫、なんでもないって」
 楓ちゃんの代わりに俺が答えた。
「そう……ならいいけど」
 そうして、ゆっくりと食事は進む。
 ……
「楓、本当に大丈夫か? なんだか顔色悪いぞ」
「そうだよ、一体どうしたの?」
 梓と初音ちゃんが心配そうに声をかける。
 楓ちゃんの返事はない。
 そのかわりに……
「んっ……ふぅ……」
 楓ちゃんの口からそんな声が漏れた。
 まずい。
 俺はとっさにズボンのポケットに手を入れてリモコンのスイッチを切り……
「んっ、あ……あんっ!!」
 楓ちゃんの声が大きくなる。
 しまった!!
 逆に『強』にしてしまった。
 そして、今までは小さくて、テレビがついていたために聞き取れなかった機械音……
「耕一さん……楓になにをしてるんですか……」
 今まで黙っていた千鶴さんが立ち上がり鬼の形相で俺を睨んでいた。







4.梓の場合


「楓ちゃん……どうしたのそれ?」
「分かりません。梓姉さんにつけるように言われました」
 楓ちゃんが身につけていたもの。
 それはいたるところにバネがついている。
 噂には聞いている。
 これが、某大リーグ養成ギブスというやつか……
 この異常な状態で夕食が始まる。
 平然としている梓。
 見てみぬ振りの千鶴さんと初音ちゃん……
 ギ……ギシ……
 楓ちゃんが力を入れて手を伸ばして茶碗を手に取る。
 ギシ……
 そして、それを持ち上げる。
 つらそうだ。
 確かにこれなら、食事スピードは落ちるだろうが……
 ちょっと……いや、かなりかわいそうだ。
 それに楓ちゃんが筋肉質になったらどうしよう……
 そんな事を考えていると……
 ぺろっ
「……」
「……」
「……」
「……」
 一口だった。
 呆然とする俺達。
「ごちそうさま」
 ギブスを、ギシギシいわせながら部屋を出て行く楓ちゃん。
 逆境を乗り越え、楓ちゃんは進化していた。







5.楓の場合


「やっぱり、おいしい……」
 ……うっとり
 さっさと部屋に戻った楓は、ご満悦の表情で練乳ワッフルを食べていた。
 ゆっくりと、味わいながら。









二次創作おきばへ   後書きへ   感想送信フォームへ