お題 “楓ちゃん”
SideStory of Kizuato
 

「秋はくれない」


Written by 森野熊三



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秋も終わりに近づき、冬の足音が聞こえつつある季節。
紅に染まっていた山肌も、だんだんと落ち着いた木肌色にかわりつつある。

体調の変化に気がついたのは、この最近の事だ。
今朝、食事を前にしてなかなか箸の進まない私を見て、梓姉さんは
「あたしの作ったご飯を残すとは、いい度胸だ」
と言ったが、内心は私の事を気にかけていてくれるし、初音も、
「楓お姉ちゃん、どこか、調子悪いの?」
と心配してくれる。

自分の体の事だから、だいたいのことは解っているつもり。
だからこそ、皆にはとても言えない。

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学校からの帰り道、薬局に寄る。
店の小母さんは、小さい頃からの顔なじみだ。
何も言わずに品物を包み、お釣りを手渡してくれたが、
あとから私のことをなんと噂するのだろうか。

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「どうすればいいの…」
手洗いの前の鏡の前で、自分自身に向かって語りかける。
漠然といだいていた不安は、どうやら現実のものらしい。
いったい、これから私はどうしたらいいのだろうか?

「楓?」
千鶴姉さんの声に、はっと振り向く。ちょうどこっちへ向かってくるところだ。
「夕食も沢山残したって、梓が心配してるわ。一体どうしたの?」
「な…、なんでもない…」
慌てて、薬局の紙袋を隠そうとしたが、千鶴姉さんの方が素早かった。
中身を見た千鶴姉さんは、厳しい顔で私を見つめる。
「楓、これは…妊娠検査薬?」

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その夜、千鶴姉さんの部屋で話をした。
結果、明日にでも医者に行ってきちんと検査をして貰い、後のことを考えるのはそれから、ということになった。

自分の部屋に下がっても、なかなか寝つけない。
机の引き出しをあけて、耕一さんの写真を見る。
写真の傍らには、何枚もの使用済みテレホンカードがある。耕一さんに電話するときに、使ってきたものだ。
そういえはここ数日は、電話をかけられずにいる。体調の変化に気づいてから、ずっと耕一さんの声を聞いていない。
耕一さんの声を聞けば、不安な気持ちも収まるだろう。でも今は、電話するのはためらわれる。
「耕一さん、逢いたい…」

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次の日、学校を早退して産婦人科に行った。
検査の結果は、三ヶ月。この命は、耕一さんと結ばれたあの日に、私の中に宿ったのだ。

「楓、どうだったの?」
その夜、梓姉さんと初音が寝ついた後、千鶴姉さんが部屋に来た。
「三ヶ月だって…」
「そう…、それで、楓はどうしたいの?」
いつになく、千鶴姉さんの声は厳しい。
「耕一さんに相談して、できれば…」
「だめよ!」
「!!」
「楓、あなたはまだ高校生だし、耕一さんだって学生でしょ?」
「でも…」
「子供を育てるのは大変って話を聞くわ…。判っているの?」
「私は…、もちろんそのつもり…」
「あなたは良くても、耕一さんはこれからが大変な時よ。その耕一さんに、枷をはめてしまうのよ…。判ってるの、楓?」
「…。」
たしかに、千鶴姉さんの言うことはもっともだ。やっぱり、諦めるしかないのだろうか?でも私は…。

「…ごめんなさい、楓。酷いことを言って…」
「え?」
「多分…、多分私は、楓に嫉妬してるのね…」
「…。」
「『耕一さんを、枷にはめてしまう』ってのは、卑怯な言い方よね。こう言えば、楓は反論できなくなることを知ってて…」
「千鶴姉さん…」
「耕一さんの愛を一身に受けてる楓のことを、私は嫉妬してるのよ…、軽蔑するでしょ?」
「そ、そんなことない…」
「…でも、楓も解ってるはずよ。あなたは柏木楓、耕一さんは柏木耕一。二人の間に生まれたのが、もし男の子だったら…」

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次の日の土曜日、私はずっと部屋にいた。
耕一さんには心配をかけないよう黙ったままにしておいて、千鶴姉さんの言うとおりにこの子のことは諦めることになったの
だけれど、やはり気が進まない。
病院の手配もせず、学校にもいかず、ただぼんやりと時間が過ぎるのに任せていた。
午前中は学校に行っていた梓姉さんや初音が帰ってきて、家の中が賑やかになったが、私は憂鬱なまま部屋にこもっていた。

突然、ガラガラガラッ、と玄関の開く音がして、
「ちわーっす!!」
と威勢の良い声が聞こえた。この声は…。
パタパタパタと、廊下を駆ける足音がする。初音が出迎えに行ったようだ。
「あっ、耕一お兄ちゃん! いらっしゃい!」
「やあ、初音ちゃん。みんなも元気かい?」

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耕一さんは、週末を使って遊びにきたと言っている。
その日の夕餉は、梓姉さんが腕を振るって豪華な食卓となった。
耕一さんを囲んでの賑やかなひととき。
でも私は、耕一さんに言うべきか言わざるべきか…、その事だけを、ずっと考えていた。

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「耕一さん、ちょっとお話があります。あとでお時間を下さいね」
耕一さんを捕まえて、千鶴姉さんがそう言った。同時に私の方に目くばせをする。
「ん…、じゃあ、お風呂貰ってからでいいかな?」
屈託の無い表情で返事をする耕一さん。それに比べて、私と千鶴姉さんの表情は固かった。

「で、話って?」
私と耕一さんは千鶴姉さんの部屋にいる。流石に私と千鶴姉さんの表情をみて、ただ事ではないと耕一さんにも解った様子だ。
千鶴姉さんは、私の方を見てうなずく。私から話をしろ、ということだ。
「あの…、耕一さん…」
「何? 楓ちゃん」
「私の…、私のお腹には、耕一さんの赤ちゃんがいます…」
「!!」
驚いた様子の耕一さんに、千鶴姉さんが続ける。
「本当は耕一さんをわずらわせたりしないように、黙ってなんとかするつもりだったんですが…、ちょうどタイミングよく
来られましたから、相談しないわけにはいかないでしょう…」
「ん…、なるほどね…」
耕一さんは、私たちの顔を交互に見てから、続けた。
「なんとなく虫の知らせがしたというか、楓ちゃんが呼んでる様な気がしてたんだけど…、来てよかったよ。そういう大事な
ことは、俺に相談してもらわないとね」
「耕一さん…、私は…」
「楓ちゃん」
私の言葉を遮って、耕一さんは言った。
「二人で育てようよ、俺たちの子ども」
「え…」
「耕一さん!!」
千鶴姉さんが、声を荒くした。
「…わかってるよ、千鶴さん。もし男の子だったら…、成長した時に、鬼の力を制御できないかもしれない」
「だったら、どうして!?」
「俺の両親も、同じ事を考えたと思うんだ。でも俺はこうしてここにいる。それは、親父たちが、わずかでも鬼の力を制御
できる可能性があるならそれに賭けよう、その可能性を増やす努力を精一杯しようと、考えてくれたからだと思う」
「…」
「だから俺も、その可能性に賭けたい。可能性が増えるように努力したい」
千鶴姉さんはふうっ、と息をついて、言った。
「わかりました。耕一さんがそうまで言うなら、私に口をはさむ事はできないですね…、楓はどうなの?」
もちろん、私に異存があるはずもなく、大きく頷いた。

千鶴姉さんの部屋を辞して二人きりになったときに、耕一さんが言った。
「そういや、大事な事を言ってなかった」
「?」
「楓ちゃん…、俺の嫁さんになってくれ」

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次の日の朝、五人揃って朝餉の食卓を囲んでいるときに、耕一さんが
「みんな、ちょっと聞いてくれないか」
と言いながら立ち上がった。
皆の注目を集めたまま、耕一さんは卓を回って、私の後ろに来た。
そして、両手を私の両肩それぞれに乗せてから、話しはじめた。
「俺は、楓ちゃんが好きだ。一人の女性としてね」
初音も、梓姉さんも、凍りついたように耕一さんの事を見ている。
「本来なら、女の子の父親に向かって言う台詞なんだけど、叔父さんも親父もいないから…、だから、家族であるみんなに
言うよ。『楓ちゃんを、俺の嫁さんに下さい。必ず、必ず幸せにするから』」
「…」
「…」
「…」
場を沈黙が支配する。それを最初に破ったのは、千鶴姉さんだった。
「楓のこと、お願いしますね。耕一さん」
続けて、梓姉さんや初音も口を開いた。
「耕一、大事な妹を泣かせたりでもしたら、許さないからね!」
「おめでとう、楓おねえちゃん! これで、耕一お兄ちゃんも本当にお兄ちゃんだね!」
思わず涙があふれてきた。ありがとう、と言おうとしたが、言葉にならなかった。
みんな、私のことを笑顔で祝福してくれる。
初音も、梓姉さんも、千鶴姉さんも、みんな耕一さんに好意を寄せていることは知っている。だから、三人とも心の中では
泣いている筈なのに。

わたしの後ろめたい気持ちを察したかの様に、千鶴姉さんが言った。
「楓、花嫁になる人は、幸せになることだけ考えるものよ」
梓姉さんも初音も、その言葉に頷くようにしている。

ありがとう、千鶴姉さん、梓姉さん、初音。
楓は、皆の流した涙の分も、幸せになります…。





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