お題 “バレンタインデー”
 

「あかりの2月14日」


Written by M.R.


「浩之ちゃん、遅いなあ……」
 手をこすりながら、あかりがつぶやく。
 手に吐きかける息が白い。
「でも、いつもより早く来ちゃったから、まだ来ないよね」
 今日、あかりはあるものを渡す為にいつもより5分早く来た。
 今日は2月14日。それだけで何を渡すつもりなのか分かるというものだ。
 ただ、彼女の場合は、他の女の子とは少し違う。
 毎年の恒例行事になっているのだ。
 何せ相手は物心がついたときからの幼なじみなのだから。

 かばんの中には昨日作ったそれが入っている。
 きれいに包装されたそれは、出番を今や遅しと待っている。
 しかし、肝心の相手がまだ来ない。

 10分が経った。
 まだ来ない。
「浩之ちゃん、寝坊しちゃったのかなあ」
 時計を見ながらそうつぶやく。
 そしてあかりはその幼なじみに家に向かって歩き出した。

 ピンポーン、ピンポーン。
「浩之ちゃーん、起きてるー?」
 インターホンに向かって大声で話しかける。
「浩之ちゃんってばー」
『早く起きてくれないと渡せないよぉ』
 その言葉はインターホンから流れない様に心の中でつぶやく。
「浩之ちゃーん」
 ……バタン
 目の前のドアが開く。
「分かったからもう大声で呼ぶな」
 ようやくお目当ての幼なじみ、藤田浩之が顔を出した。
「あ、浩之ちゃん、おはよう」
「……おう。あかり。わりい。もう2分待ってくれ」
「うん」
 そう言うと彼はまた家の中に入っていった。
『もう、浩之ちゃん。今日は高校に入って初めての2月14日なんだよ。こんな日に寝坊しなくたって……』

「はあはあ、ひ、浩之ちゃん、待って」
「おいおい、そんなに速く走ってねえぞ」
「で、でも」
「ったく、しょうがねえな。わかった。ここまで来れば大丈夫だろ。ここからは歩いていくか」
「う、うん。ありがとう」
 学校へ続く坂道に差し掛かったところで2人は走るのをやめた。
 もとはと言えば浩之の寝坊のせいなのだが、その事にはどちらも触れない。
「ふうふう……」
「お前、運動不足なんじゃねえか?」
「うう……」

 坂の中腹辺りに差し掛かった頃、あかりがかばんの中をごそごそやり出した。
「ん? どうした? 忘れ物か?」
「え、ち、違うよ」
「ならいいんだけどな。しっかし寒いなあ。今年は暖冬のはずじゃあ……」
 そんな事をぶつぶつと言っている浩之を横目で見ながらあかりは思う。
『まさかこんなところじゃ渡せないよね』
 まわりには自分達と同じ制服を着た生徒が沢山歩いている。
 あかりはかばんを閉じた。
『しょうがない。学校で渡そう』

「じゃあな、あかり」
「うん」
 2人は教室の前で別れる。
 クラスが別々なので、いつもあかりの教室の前でそれぞれの教室に入っていくのだ。
 浩之が隣のクラスに入っていくのを見送ってから、あかりも自分の教室に入っていった。
 自分の席について「ほぅ」っとため息をつくあかり。
「せっかく早く出てきたのに……」
「どうしたの? あかり。ため息なんかついちゃって」
「え? あ、志保。おはよう」
 先に教室に着いていた親友の志保が話しかけてきた。
「なんでもないよ。志保」
 かばんを机の横にかけながら答えるあかり。
「ふーん。てっきり今日の……」
 キーンコーンカーンコーン……
 ……ガラガラ
 教室の前のドアが開き、担任の先生が入ってきた。
「志保、ホームルーム始まるよ」
 志保の話を途中でさえぎるようにあかりが言う。
「え、あ、ほんと。ほんとにうちの担任は朝が早いんだから。じゃあね」
「うん」
 志保は手を振りながら自分の席へと戻っていく。
 前を見ると担任が出席簿を開くところだった。
『これ、どうしよう。休み時間に渡しに行くしかないかな』
 横にかかっているかばんに目をやりながらそう思うあかりだった。

 ところが、その日に限って休み時間は忙しかった。
 体育や移動教室が続き、とてもじゃないが隣の教室に行く暇が無かったのである。
 そして今は11時50分。4時間目も終盤戦に入った頃だ。
 前では日本史の教師が戦国大名の名前を書き並べているところだ。
 あかりはその名前と時計とを見比べていた。
『お昼休みに浩之ちゃんのところへ行くしかないよね。あ、帰りの方がいいかな。休み時間だとみんなに
注目されちゃうだろうし。浩之ちゃん、そういうの嫌がるし。でも、帰りだったら浩之ちゃんに会えない
かもしれないし……』
「……」
『うーん、確か浩之ちゃんのクラス、今日は移動教室無かったはずだから、帰りに教室の前で待っていれば
会えるよね……』
「……し」
『でも、何で今日に限ってうちのクラス休み時間が忙しいの。3時間目の化学の実験も急にやる事になったし……』
「……ぎし」
『そう言えば浩之ちゃん、他の人からももらっているのかなあ……』
「神岸!」
 え?
 はっとして目の前を見ると日本史教師が教科書を片手にあかりをにらんでいた。
「神岸。今日のお前の気持ちはわかるが、授業中くらいは先生を見てくれよな」
 くすくすとクラス中に笑い声が広がる。
「はい、すみません」
 そう言いながらあかりは真っ赤になってうつむいた。

 キーンコーンカーンコーン……
 4時間目が終了した。
 まだ少し顔の赤いあかりは、先生が教室を出ていくのを確認すると、かばんを持って教室を出た。
 行き先はもちろん隣のクラス。
 そこも授業は終わっているらしく、中は騒がしかった。
 開いている後ろのドアから中をのぞく。
 そして1つの席に目をやる。
 見間違えるはずの無い、浩之の席だ。
 あかりが自分の席よりはっきりと覚えている席。
 そこには、浩之の見なれたかばんがあった。
 浩之の姿は……無かった。

「あれ? 浩之ちゃんは?」
 目をやった席は浩之の席だ。間違いない。
 その場に立ちすくんでいると、
「Hi! あかり!」
 後ろから英語混じりの言葉で話しかけられた。
「え? あ、レミイ」
「あかり、どうしたの。そんな真剣な顔シテ」
「いや、なんでもないよ、レミイ。あ、そうだ。浩之ちゃん知らない?」
「Oh! ヒロユキなら、授業終わったらすぐに出ていったヨ。なにか急いでいたみたいだったネ」
「あ、そうか。浩之ちゃん、パン買いに行ったんだ」
 そう。浩之と雅史はパン争奪戦に参戦すべく、チャイムダッシュをかけていたのだ。そうしないとお目当ての
パンにはありつけない。あかりはそんな大事な事を忘れていたのだ。
「こんな事ならお弁当も作ってくるんだったな……」
「What?」
「え、あ、うん、何でもないの。ありがとう、レミイ。またね」
「うん。またネ。あかり」
 にこにこしながらあかりを見送るレミイ。
 その視線を背に受けながら、あかりは自責の念にとらわれていた。
 そして、渡すチャンスがもうあまりない事に気付くのにそう時間はかからなかった。
「後は帰る時しかないのか。浩之ちゃん、すぐに帰らなければいいけど……」

 ……キーンコーンカーンコーン
 6時間目終了のチャイムが鳴り響く。
 とたんに教室中が落ち着きが無くなる。
 それを察した数学の教師は途中で数式を書くのをやめた。
「よし、後は宿題にする。では、今日はこれで終わり」
「きりー、礼」
 委員長の号令と共に、開放感が満ち溢れたようになる。
 あかりも今日はいつも以上にこの時を待っていた。
 早速かばんに荷物をまとめ、教室を出る。
「浩之ちゃん、帰っていなきゃいいけど」
 浩之の教室も授業が終わっているらしく、ザワザワと騒がしい。
 昼休みの時と同じように後ろのドアの窓からのぞいてみると、あの席に浩之の姿があった。
 かばんを机の上に置き、雅史と何か話をしているようだ。
「よかった。まだ帰ってなかった」
 ほっと一安心のあかり。
「浩之ちゃ……」
「お、神岸。ちょっとすまんが手伝ってくれんか」
 ドアを開けよう手をかけた丁度その時、担任に教師に呼びとめられた。
「え?」
 その手が途中で止まる。
「この前宿題にしたプリントを仕分けしてほしいんだが、いいか? すぐ終わると思うから」
「あ、あの…… 分かりました」
 教師に頼み事を言われて、断れるほどあかりは押しが強くなかった。

「はあはあ……」
 あかりは廊下を走っていた。
 あれから1時間は経っている。
 仕分けが思った以上にかかってしまったのだ。
「もう、はあはあ、こんな時に、ふうふう、そんな事……」
 学校の中は静かだった。
 あかりの走る足音と、遠くの方から運動系のクラブの声だろうか、掛け声らしきものが聞こえるだけだった。
 浩之の教室に着いたあかりは、息を切らしながら、しかしためらいもせずそこのドアをあけた。

「そんなあ」
 落胆するあかり。
「ひろゆきちゃん、帰っちゃったの?」
 教室の中には誰一人いなかった。
 夕日を浴びて朱色に染まった教室がやけに寂しく見えた。
 自然に足が浩之の席に向かう。
 もう一度見てみたが、かばんは無い。
「……浩之ちゃん」
 ここまで走ってきた事も忘れて呆然とするあかり。
 なにか今日1日が無意味に思えてくる。
「……仕方ないよね。私が悪いんだから。浩之ちゃんのせいじゃないし」
 1人でつぶやくあかり。
「でも、去年がああだったから、今年は絶対に……」
 ガラッ
 後ろで物音がした。振り返るとそこには……
「え、あかりか? どうしたんだ、こんな時間まで」
「ひ、浩之ちゃん?」
 ちょっと裏返った声であかり。
「浩之ちゃん、か、帰ったんじゃなかったの?」
「お、ああ。今日掃除当番だったんだよ。そしたら先生のチェックが厳しくてな。なかなか帰してくれ
なかったんだぜ。ほんと、あの先生俺に恨みでもあんじゃねえのか……」
 1人で愚痴る浩之。
 そこでふっと我にかえり、
「そういやあかりはどうしたんだ? お前も掃除当番か?」
「え、い、いや、そうじゃないけど……」
「まあ、いいけどな。もう帰るんだろ」
「う、うん」
「たまには一緒に帰ろうぜ」
 振りかえって教室を出ようとする浩之。
 あかりはそこで自分が何をしに来たのか思い出した。
「あ、浩之ちゃん!」
「お、何だ。まだ用事があったのか?」
「あ、あのね、浩之ちゃん」
「なんだよ、早く言えよ」
 あかりの方によってくる浩之。
「あの、ね。その……」
「あんだよ、ったく」
『……よし』
 意を決してあかりは自分のかばんから小さな箱を取り出した。
「ん? これ、俺にか?」
 うつむいて赤くなるあかり。
「ひょっとして……」
 小さくうなずくあかり。
 ようやく出番のまわってきたリボンのかかった小さな箱は、夕日を受けて自分を精一杯アピールしているようだった。

「浩之ちゃん? もしいらないんなら無理にもらってくれなくていいんだよ」 
 しばらくの間なにも言わずにじっとしていた浩之を見て、あかりがそう切り出す。
「え? あ、そういう意味じゃねえよ」
 慌てて反論する浩之。
「もうあかりからもらえないと思ってたから。ほら、去年もくれなかっただろ」
「だって、去年は受験勉強で浩之ちゃん、忙しそうだったから……」
「ま、まあ、そうだったけどな……」
 去年の今頃の自分を思い出したのか、ちょっと無口になる浩之。
「だから……」
 目を細めて浩之を見つめるあかり。
「だから、今年は絶対にあげようと思ってたから……」
「……」

 浩之にはその時、目の前のあかりがよく見知っている幼なじみには見えなかった。
 幼なじみと言うより、1人の女の子として見てたのかもしれない。
 そんな自分に気付いたのか、あわてて横を向き、
「ったく、しょうがねえな。ほら、帰るぞ」
 リボンのかかった箱をかばんにしまいながら、そう言った。

 学校を出る頃には外は薄暗くなっていた。
 電信柱の外灯も点き始めている。
 2人は並んで大した話もせずに歩いている。
 しかしどこと無くぎこちない。
 あかりはあかりで浩之が何のリアクションも起こさなかった事が気になっていたし、浩之は浩之でさっきの
あかりに対する印象に戸惑っていたのだ。
 ちょっと気まずくなってしまったあかりは、ふと空を見上げた。
 すると、何か白いものが目に入った。
「あ、浩之ちゃん。見て。雪」
「え、あ、ほんとだ。こりゃ寒いわけだ」
 ちらちらと白い綿のような雪が降っていた。
 初めは2,3粒しか見えなかったが、すぐにそれが4,5と増えていき、しまいには数え切れないようになっていった。
「雪、積もるかなあ」
「さあな。いっそのことそのまま学校が休みになれば言う事無いんだがな」
「そこまでは積もらないよお」
 雪が何となく2人の間にあった照れを埋めていったのか、気が付けばいつもの掛け合いが戻ってきていた。

「来年のバレンタインも、浩之ちゃんと雪を見れたらいいな」
 小さくつぶやくあかり。
「ん? なんか言ったか」
「え、うん。何にも。 ……ねえ、浩之ちゃん。2年になったら今度はおんなじクラスになれたらいいね」
「え? なんだ、急に」
 浩之の言葉も聞かずに雪の中に体を躍らせるあかり。
 両手を広げてくるくると回る。
 それをいつもとはちょっと違う優しい目で見ている浩之。
 そんな2人を優しく包み込むように、天からの白い使者はいつまでも降り続いていた。




  ……おしまい




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