お題 “バレンタインデー”

 

   

「バレンタインを奪い取れ!!」


Written by MIO


 俺が、この時期に柏木家に居るのは理由がある。
 大学休んでまで、隆山に来ているのは、理由があるのだ!!
 それは、決して不当な理由ではない!!!
 男としては、至極当然!! まっとうな理由とであると言えようっ!!!!
 それはつまり―――

 
 チョコ食いてぇっ!!!!!!!!!!!!!!!!


 である。
 そりゃ、大学にいりゃ由美子さんがくれるかもだし、響子さんだって、粘れば『しょう
がないわねェ』って、俺にチョコをくれるかもしれない・・・
 二人とも美人だし、それ自体は嬉しいんだが・・・
 嬉しいんだが・・・
 だが義理だ!
 義理じゃダメだ!
 俺は、何に換えても本命が欲しい!
「『本当の命』と書いて、『本命』!!! それは、数千万の義理にまさる砂漠のダイヤモ
ンド!!! 選ばれたDNAを持つ男だけが、男の中の男だけが! その栄光を手にする
事ができるっ!!! おそらくは、銀河で一番美味いチョコ!! それが―――」

 本命チョコ!

「英語で書くと、H・O・N・M・E・I!!」
 大和男に生まれたならば、俺の気持ちは理解できているハズだ!
 例えば、日本中の中高生達は、その日―――
 そっと下駄箱を覗くだろう!
 そっと机の中をまさぐるだろう!
 女子生徒に話しかけられたら、必要以上にドキドキするだろう!
 彼女の言葉に『校舎裏』という単語が混じろうものなら、以降の会話は意味を成さない
だろうっ!!!!
 そうして、彼女がいない全ての男子生徒たちは、放課後までピリピリして過ごすだろう!
 大学生だって同じだ!
 社会人だって同じだ!


 男なら同じ! 男ならみんな同じ!


 思いは一つ! チョコをくれ!
 本命印のチョコをくれ!
 俺たちは、男達は、それほどまでに、乾いている!!
 チョコに乾いているんだっ!
 
「お、お兄ちゃん・・・それって、ちょっとオーバーなんじゃ・・・」
 初音ちゃんか・・・
「ふふっ、初音ちゃん。女の子であるキミには、確かに理解しがたいかもしれないな。な
んせ、女の子達にとっては、また違った意味を持つイベントだしね」
「う、うん・・・」
「まぁ、俺達のチョコへの渇望を例えて言うなら―――」


 
 灼熱の砂漠に放り出され、三日三晩さまよい歩き! 生と死のはざまを行く男がいたと
する!
 四日目の正午! 男はついに、オアシスを発見した!



「そ、それで?」
「初音ちゃん・・・例えば、小麦粉だったらどうだろう?」
「え? こ、小麦粉?」
 俺はクスリと意地悪げに微笑むと、わざと大きな声で言った。
「ついにたどり着いたオアシス! そこには、水のかわりに小麦粉が涌き出る泉があった
としたら・・・どうだろう!?」
「え? え? え?」
「どうだろう! どうだろう、初音ちゃ―――」


「ぃやかましぃっ!!!!!!!!!!!」


 ばきぃっ!!!!!
「ぐぁっ!?」
 後頭部に炸裂する衝撃!
 俺は前につんのめり、廊下に額を叩きつけてグリンと回転。
 それから二度バウンドして、ふらふらと立ちあがった。
「殺す気か! 梓っ!!!!」
「あ、いや・・・まさかそんなに飛ぶとは思わなくてさ」
 梓は『あはは』とすまなさそうに笑って、頬を掻く。
 ったく・・・
「チカラつかって思い切り叩けば、いくら俺でも吹っ飛ぶに決まってんだろーがっ!」
「ご、ごめん・・・」
 俺はため息を吐いて、ふと・・・
「あれ?」
 これは・・・廊下に散らばっているこれは―――
「チョコ?」
 途端、梓が素っ頓狂な悲鳴を上げて飛びあがった!
「あーーーーーーーっ!?」
 梓は泣きそうな顔をして、こなごなに砕け散ったチョコの破片に飛びつくと、必死に拾
い集めはじめた。
「チョコが! あぁ、せっかく作ったってのに・・・」
 あっ、そうか・・・
(梓のヤツ・・・)
 きっとそうだ。この丹念に作られたチョコ・・・
 間違いないだろう。
「なぁ梓、もしかしてこのチョコ、俺にくれる本命の―――」
「ばかやろう! 耕一っ! これ、かおり用のチョコなんだぞ!」 
「・・・へ?」
「あたしが、かおりに渡す予定だった本命のチョコなんだよっ!」
 がーん!?
「ほ、本命だって!? あ、梓・・・お前とうとう・・・」
 秘密の薔薇園で踊れ、少女たち!
「あぁぁぁぁああぁぁぁぁあっ!! この日をずっと待ってたのに! かおりが『せんぱ
ぁ〜い! おんなのこどうしだからぁ、チョコ交換しましょっ!』って言ったのに! だ
から、チャンスだったのにっ!」
 チ、チャンス?
 な、なんだよ。そこまでかおりちゃんのことを―――
「せっかく苦労して、ホウ酸団子を仕込んだのにっ!」
「おいコラ」
 抹殺する気だったのか。


 つまり、本命殺人チョコ!


 まぁ、いつかは踏みきると思っていたがなぁ・・・
 と、俺が一人で得心していると・・・
 くいくい
「お兄ちゃん」
「?」
 裾を引っ張られる感覚に振り向くと―――
「初音ちゃん」
 初音ちゃんがちょこんと立っていた。
 手には、ピンク色の可愛いらしい包みがのっていて・・・
「あ、もしかして・・・」
「うん、チョコだよ」
 初音ちゃんは、恥かしそうに微笑むと
「はい」
 俺に包みを手渡す。
「は、初音ちゃん・・・」
 俺は半泣きでその包みを手に取った。
 微笑んだままの初音ちゃんは、冒しがたい純真さに満ちているみたいだ。
 もしも本当に天使がいるのなら、今の初音ちゃんがまさにそれだ! そう思った俺の心
には、もはや本命へのこだわりが消えていた・・・
 こんな娘にチョコもらえたんだ・・・他にはなんにもいらないよ。
 俺は初音ちゃんの見守る中、そっと包みを開けて、なにやらいびつなチョコを・・・
「ごめんね、ちょっと工夫したの。お兄ちゃんの好物をいれてみて・・・そしたら、形が
崩れちゃって」
 好物?
 あぁ、フルーツの類だろうな。きっと、イチゴとかバナナがはいってるんだろう。
 流石は初音ちゃんだ・・・俺は素直に感心した。
「へぇ、なかなか凝ってるねぇ」
「うん」
 言いながら、俺はチョコを口に運んだ。
(このカタチ、たぶんイチゴだな・・・)
 昔、この家に来た時、貰いもののイチゴを美味い美味いと、たらふく食ったことがあっ
たっけ。
 きっと、そのときの事を憶えていて―――

「お兄ちゃんの大好きな、肉じゃが入りのチョコだよ」

「ぶぅっ!!」
「あっ!!」
「ぺっぺっぺーーーーーーっ!」

 庭、庭、庭!
 掘、掘、掘!
 穴、穴、穴!
 捨、捨、捨!
 埋、埋、埋!
 
 俺は、チョコを庭に掘った穴にぶち込むと、再び土を盛って埋めた。
 パンパンパン!
「これでよし!」
「ひどーい! 食べ物を粗末にしちゃいけないんだよ!」
「どっちがだ!」
「ほかにも、エッチ本入りチョコとかあったのにな・・・」
 せ、せめて食べ物を入れてください。

 くっ・・・し、しかし!
 梓に続き初音ちゃんまでも失敗か!
 かおりちゃんの事で俺用のチョコをスッパリ忘れるなんて・・・梓。
 よっぽど追い詰められて―――いや、それもあるだろうけどさ!
 要するに、脈無しってことか? 
「・・・」
 なんだろ、妙に落ちこむよな。
 それに初音ちゃん。
 いつもは料理が得意な彼女が、あんなもん作るなんて・・・
 そういや、初音ちゃんは習ったもの以外は作れないって言ってたなぁ・・・
 自分のレシピにないものを頑張って作ってくれたんだろうけど・・・あれじゃぁな。
「・・・」
 期待・・・してたんだな、俺。
 初音ちゃんの(まともな)チョコ、食べたかったよ・・・ホントに。



「はぁ〜あ、やれやれ」
「耕一さん」
「いつになったら、本命チョコが食えるんだろ」
「耕一さん?」
「いや、待て! まだ二人いるじゃないか!」
「あの・・・耕一さん?」
「まずは楓ちゃん! きっと初々しいぞ! そして千鶴さん! 可愛い大人の真髄を見せ
てくれるに違いない! 味はちょっとアレかもだが、本命かどうかが一番の問題だし
な!」
「耕一さん・・・もう、仕方ありませんね」
「楓ちゃんと、千鶴さ―――」
「えいっ☆」


 はみっ


「うぁっ!?」
 耳!?
 耳に違和感っていうか・・・快感っていうか・・・
 なんだか生暖かい感触が―――
 とにかく、俺は慌てて振り向いた。
 そこには―――
「耕一さん」
「あ・・・ち、千鶴さん?」
 帰ってきたばかりなのだろう、淡いスミレ色のスーツを着こなしている千鶴さんが、暖
かな陽射しの中にたたずんでいた。
 綺麗だ。ズルイくらい綺麗だ。
「あ・・・そういえば、さっき、俺の耳に何を―――」
「はい、ごちそうさまでした♪」
 なにがだ。
 ま、まぁそれはともかく・・・
「え、えと・・・俺になにか用ですか?」
「え? だって今日は・・・バレンタインデーでしょう?」
 首を傾げる千鶴さん。
 その手には、赤い包装紙に包まれたハコのようなものが・・・
「あ! え? ま、まさか・・・」
「はい、チョコレートです」
 や―――
 ぃやったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!
 チョコだ! 千鶴さんからチョコだぁっ!
「どうしたんですか、変な顔して―――あ、わかりました・・・」
 千鶴さんは、形の良い眉を、ちょっとだけつり上げて、
「どーせ、私の作ったチョコレートなんて、美味しくないって思ってるんでしょう?」
「手作りなの!?」
「もぅ・・・だったらどうだって言うんですか?」
 どうやら怒ったらしい千鶴さんは、そう言って頬を膨らませた。
 可愛くて可愛くて、思わず抱きしめたくなってしまうが、俺はぐっとこらえると、慌て
てフォローする。
「嫌じゃないよ! 手作りだって聞いて、俺、ビックリして、嬉しくて―――」
「あ・・・それ、本当ですか?」
 上目遣いに俺を見る彼女に、俺はなんども頷いて見せた。
「本当だよ! 俺、千鶴さんのチョコ、すごい食べたいっ!」
 慌てて平謝りする俺が可笑しかったのだろう。
 彼女はくすりと笑って、俺の目の前に、赤い包装紙で包まれたチョコレートを差し出し
た。
「一生懸命作ったんですよ。だから・・・少しずつ食べてくださいね☆」
 本当に俺より年上なんだろうか・・・
 ま、まぁいいや。とりあえず、さっそくいただこうかな。
(だが、そのまえに・・・)
 俺は紙袋を開ける前に、チョコの臭いを確認した。(当然、千鶴さんには見えないよう
にだぞ)
 とりあえず、異臭がするようなら、適当に誤魔化してこの場を去るつもりだ。
 くんくん・・・
 よし、問題な―――

 がさっ

 へ?
 な、なんだ・・・中で音が・・・?
 悪い予感がした俺は、恐る恐るチョコの箱に耳をあててみる。
「ふふっ、どうしたんですか耕一さん。チョコレートは音なんか立てませんよ」
 千鶴さんはくすくすと笑っているが、俺は無視して聴覚に集中する。
 中から聞こえてきたのは・・・



『くっ、ここぁどこだっ! ヤス! 行って調べて来い!!』
『へい!』
 がさっ!
『お、親分! 壁ですぜ! ここぁ、思ったよりせめぇようだ! しかも閉じ込められて
る! こいつぁ紙かよ・・・』 
『まじぃな・・・このままじゃ、タクのヤツぁ・・・!!』
『お・・・おや・・・ぶん』
『タ、タク! 喋んじゃねぇ! 死にてぇのか!』
『へ、へへ・・・俺ぇ、そんな簡単にくたばりませんよ、へへ・・・親分譲りのタフさが
ウリだぁ・・・』
『タク!?』
『親分・・・い、いや・・・こんな時くらい、こう呼ばせてくれ・・るよな・・・』
『・・・!?』
『お・・・親父・・・』
『タ、タク!? 行くな! 行くなタクゥッ!』
『・・・』(かくっ)
『タクーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!』
『タクぼん!』
『畜生ぉっ! 柏木千鶴め、絶対に許さねぇ―――』



 がばっ!?
「なっ!?」
 中になんか入ってるっ!!!???
 なんか、絶対入ってたらおかしいものがっ!
 バレンタインデーのチョコに入ってたら、絶対におかしいものがっ!



 真紅のハコの中に収まっている!!!



「さ、早く食べてください。きっと美味しいですよ、耕一さ―――」
「ごめん!」
 ダッ!
「あっ! 耕一さん!? どこへ・・・」
 千鶴さんの制止も聞かず、俺は走った!
 走ったとも! 
 俺は走りまくったとも!
 憬れの女性から逃げるために・・・俺は走ったのだ!
 そして・・・泣いた。
(男の本能が告げている! あれは本命だったのに! 本命だったのにっ!!!)
 本命を前にして、逃げなければならない苦しみ!
・ ・・
男ならわかるはずだ!
この、地獄の苦しみをわかってくれるはず!
憬れの女性からもらう本命チョコをつっぱねる・・・痛みっ!
「痛ゥッ!」
 胸をかきむしる。
 俺の馬鹿馬鹿・・・、無理して食えば良かったのに!
 ガッ!
「あっ!」
 俺は敷居に足を取られ、仏間に転がり込んでしまった。
 立ちあがりもせずにうめく・・・
 見上げれば、祖父の、叔父の、父の位牌が・・・俺を見下ろしていた。
(・・・ふふ、そうだよな・・・俺は男として・・・最低だよなァ)
 あー・・・でも、ちっちゃいヤ○ザなんて、どうやって食べよう。
 殺人になるのかな?
「へへ・・・」
 へへへっ・・・へへへへへへっ・・・・
 バレンタインデーの悲劇に、涙がポポロってなもんよ・・・
 なぁ、こんなとき・・・あんたならどうした?
「あんたならどうしたんだよ・・・」
 俺は虚空に手を伸ばし、肺の空気をすべて使って吠えた!
 こんなとき! あんたなら!
 あんたならどうした!? 応えろ、応えろよ―――

 
 次郎衛門っ!!!
 

 その時だ。
 隣接する座敷のふすまが、スゥッと開いた・・・
 暗い暗い和室の奥に、一人の少女が座っていて・・・
「あ・・・」そ、そうかぁ・・・
 まだっ・・・まだ、彼女がいたかっ!


 
 少女は―――




 艶やかな黒髪を、肩口で揃えた・・・まるで日本人形のような―――
 抜けるように白い肌に、しかし冷たさはなく・・・まるで、白磁器のような―――
 華奢な躯は今にも折れそうで、儚くて、切なくて・・・まるで百合の花のような―――
 幽霊画を思わせる幽かな妖しさは、俺を惹きつけて止まない。
 そう・・・
「まだ君がいた! 血を流し! 男としての尊厳を失い! 死者にまで見下され! 泥に
塗れ、傷だらけで! それでも俺が立ちあがり続けたのはっ!!!」



 ―――君がいたからだった・・・



 立ちあがる俺に、楓ちゃんはスゥッと顔を上げて・・・
「こういちさん」
 微笑
 持ち上げる大きなハコ
 紫の包装紙にラッピングされた・・・
 蒼いリボンで飾られた・・・
 それは・・・



「ほんめいちょこです」



 次郎衛門の記憶が囁く!
“男だろ! そこまで欲しけりゃ―――奪い取れっ!!”
「楓ちゃん!」
 俺は全力で畳を蹴った!
 ドカッ! という鈍い炸裂音は、畳が俺の足に蹴られた音である!
 その音をはるか後ろで聞きながら!
 ごうごうと耳元で騒ぐ風を聞きながら!
 流れる一瞬の景色に目もくれず!
 微笑む楓ちゃんの胸元に眠る、本命のチョコに手を伸ばす!
 そして! 俺の手がチョコに触れる寸前に!
 楓ちゃんは、人差指を一本立てて・・・
「ちっちっちっ」
 それを横に振った!
 刹那っ!

 ずばっ!!!!

「なっ!?」
 消えた!? 楓ちゃんが消え―――
 楓ちゃんを見失った俺に、影が差す!
「う、上だとっ!?」
 見上げれば、楓ちゃんの華奢な体が頭上に舞っていた!
 ひ、膝の力だけで1メートル以上ジャンプした!?
 しかもノー・モーション!!
「くっ」
 勢いあまって壁に突っ込みそうになるが、なんとか堪える。
 俺はギリリッとはを食い縛り、ゆっくり楓ちゃんに向き直る。
 音も無く着地した楓ちゃんは、やはり微笑んだままで首を傾げた。
 くちびるがそっと動く。
 音は無く―――
“が・ん・ば・れ・こ・う・い・ち・さ・ん”


 鬼よっ!!!!


「ぐぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!」
 右肩が爆ぜる!
 右足がズボンを引き裂く!
 変化は右から始まり、流れ込むようにして、左肩が、左足が、右と同じように急激な変
化を遂げる!
 骨格が! 筋肉が! 神経が!
 野獣のそれに変わる!
 額の皮膚を突き破るようにして、鋭い角がズッと突き出た!
 鬼! これが俺の、本当の姿だ!
 人類を、いや全ての生命を凌駕する、地上最強の頂上生命体!
 それが鬼!
 鬼の名は!! 

 柏木耕一!!!!
 

「グォォォォオオォッ!!!」
 俺は再び咆哮を上げる!
 俺は気付いていた・・・楓ちゃんはとうの昔に、『チカラ』を開放している。
 柏木家の呪われた血がもたらすチカラ―――『鬼』―――それは、当然楓ちゃんも有し
ているのだ。
 人間のままでは、まず絶対に捕まえる事は出来ない!
(しかし・・・恐るべきはそのスピードか・・・)
 こと純粋なスピード勝負になれば、この形態の俺でも勝てるかどうか・・・ 
(だが、体力なら俺の勝ちだろう。持久戦に持ちこめば、十分勝てる!)
 俺は勝利の笑みを浮かべる・・・だが!
 楓ちゃんは俺の笑みに、さらなる笑みを持って反したのだ!

 ガコガコガコガコガコガコッ!

(な、なんだ!?)
 楓ちゃんは、突然チョコの入ったハコを上下に振り始めた!
(なんだ? 何をする気だ? 考えろ・・・)
 考えろ耕一!
(頭の良い楓ちゃんだ・・・持久戦で勝てない事は、きっと見越していたに違いない・・・
なら、どうする? 持久戦に持ち込ませないためには? 短期決着? どうやって? 彼
女が俺に勝てる方法なんて、はっきり言って皆無だ・・・なら・・・なら・・・)
 ならどうする?
 ガコガコガコガコ・・・・
 彼女が俺に勝利するためには? 持久戦を避ける方法は?
「あ・・・」
 ガコガコガコガコ・・・
(―――し・・・しまったぁっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
 考えるより早く、俺は飛び出していた!
 先ほどよりもさらに疾い!
 伸ばした指の先で、スパンッ!!! という快音が響く!
 音速を超えた指先はしかし―――

 ひゅっ!

 指先のかわし、襲い来る音速衝撃波を、更なる高速でかわした楓ちゃんは、俺の脇をす
りぬける。
 だが、それだけではない。
「っ!?」
 交錯する瞬間に、背中を軽く押された。
 それだけで俺はバランスを崩し、庭に転がり出てしまう。
 単に転がり出るとは言っても、上半身は音速を超えているのである!

 ドガッ! バキバキッ! ドカァッ!

 七転八倒し、庭石に強かに打ちつけられた俺は、それでも、ヨロヨロと立ちあがった。
 対する楓ちゃんは、今だにハコを、ガコガコ振りながら微笑んでいた。
・ ・・


 カイロである・・・


 簡単な話だ。
 楓ちゃんは、あのハコの中に、カイロを仕込んでいるのである。
 しかも大量に。
(流石に頭が良いや・・・)
 戦いを短期決着へ導くための・・・



 チョコ溶解時間をタイムリミットに変える!



 それが彼女の作戦だった!
 俺が早くチョコを奪わねば・・・カイロの熱でチョコが溶ける!
 いかに本命であろうと―――
(溶けたチョコなど問題外!)
 何故なら、溶けたチョコとは、加工以前の姿!
 愛を込める以前の、原始の姿!
 愛のこもっていない本命チョコ! そんなものは・・・

 まかり間違っても、本命チョコとは言えんのだ!

「うおおおっ!!!」
 俺は巨大な庭石をブン投げる!
 右にかわすか左にかわすか!? 
 上下は天上と床に塞がれている!!!
 逃げ場は二つ! いかにスピードが早かろうと、予測さえ出きれば!
 これで―――

 カッ!

「なっ!?」
 両断だとぉっ!!
 一トンはある巨石が、真っ二つに裂けたのである!!!
 石が左右に道を開け、合間から踊り出た楓ちゃんは壮絶な笑みを浮かべる!
 今度は彼女が仕掛ける番だった!
 楓ちゃんが音も無く―――ぶれる!
「っ!?」
 続いて、空気を叩くようなパンッ! という音が激しく響いた!
(お、音速を超えた!?)
 そんな、突然、加速も無しに!?
 ぶれた・・・というのは錯覚ではなかった! 音速で左右に移動する楓ちゃんの姿は、
一つから二つに、二つから三つに、三つから―――
「分身!」
 その数は四つ!? いや、まだ増えるのか!?
 

『こういちさん』
『そろそろ』
『ちょこが』
『とけますよ』
『はやく』
『しないと』
『ほんめい』
『ちょこが』
『きえてしまいます』
『こないのですか?』
『ではこちらから・・・』


 11人いるっ!



「「「「「「「「「「「しかけけます!」」」」」」」」」」」



 11人の楓ちゃんが動く!
(くっ! 落ちつけ耕一!)
 それぞれが異なる動きで、俺への間合いを詰めてくる!
(本物は一人だ!)
 俺は目を閉じる・・・
 心眼なんざ、漫画の世界だ!
 聞け!
 音を! 
 感じるんだ!
 本物の息吹を!
「「「「「「「「「「「こういちさんっ!」」」」」」」」」」」
 そのとき・・・

 トクン

「っ!」
 耳を澄ます!

 トクン・・・トクン・・・トクン・・・

「見えたっ!!!!!」
 11人の楓ちゃん! しかし本物はただ一人!
 俺は上空を見上げた!
 中天の逆光を背負う一人の少女! その影!!!
 楓ちゃん!! 彼女が本物!!
 俺には解る!!!
(そう、何故なら―――)
「恋する乙女の心音はぁぁぁぁぁぁっ!!!!―――」
 本命チョコへ届け! 俺の指先!!!
「男の鼓膜を強く打つゥゥゥゥゥゥゥッ!!!―――」



「漢のハートを震わせるっ!!!」



 我チョコ捧命!
「くっ!?」
「あっ!?」
 刹那の交錯!
 閃光!
 そして静寂・・・
・ ・・
・ ・・
 や・・・やったのか?
 永遠とも思える一瞬を乗り越え、俺は恐る恐る目を開けた・・・
 俺の指先には・・・
「あ・・・」
 や、やった!
 
 本命チョコのハコ!!!

「ぃやったぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」
 思わず本命チョコを抱きしめる!
 やったやったやったやったぁぁぁぁ・・・
 ついにゲットだ! 本命チョコ、ゲットだぜ!
「こういちさん・・・」
 微苦笑を浮かべる楓ちゃんは、そっと俺に歩み寄る。
「楓ちゃん」
 彼女はうっすらと桃色に頬を染めて、
「おめでとうございます」
 と囁いた。
「う、うん・・・」
 俺まで赤面して頷くと、楓ちゃんはクスッと笑って・・・
「ちょこ・・・うけとってもらえますか・・・?」
 そう言った。
 俺は慌てて頷く。
「と、当然だろ! な、なぁ・・・このチョコ・・・食べていいかい?」
「はい」


 やった・・・ついにやった!


 俺は本命チョコを手に入れたのである!
 そして・・・
 可愛い彼女をも!
 楓ちゃん! 俺の―――ゴクリ―――俺の女!
「そ、それじゃさっそく・・・」
 ビバ本命チョコ!
 本命チョコ万歳っ!!!!!
 俺は緩みまくった自分の顔など、気にも留めないで、大急ぎでハコを開け―――



「あ」



 あ・・・
「あぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
 ドロリ・・・
 とハコの底にたまった、軟泥状のチョコレート・・・
「と、と・・・・ととと・・・」
 

 溶けている。


 す、既に・・・チョコは溶けていた。
「は、ははははっ・・・」
(俺は・・・間に合わなかった・・・)
「こういちさん・・・なみだが・・・」
「え? あ・・・はははっ! や、やだな・・・別に泣いてなんか!」
 あ、あれ?
「あれれっ? なんでだろ、涙が・・・はは、ゴ、ゴミがはいっちゃって」
「・・・」
「まいったなぁ・・・と、止まらないや」
「・・・」
「・・・」
「こういちさん・・・」
「は、ははは・・・は・・・」
 チョコが・・・溶けて・・・
「うっ・・・うう・・・」
 楓ちゃんが、心配そうな顔をして、俺の手に自分の手を重ねた。
 俺は―――
「ううううううぅぅぅうぅぅ・・・・・うぅ〜っ!」
 涙が止まらなかった。
 悔しくて、哀しくて、涙が止まらない。
 止めよう止めようと思うのに、そのたびに胸の中から激情が突き上げる。
 チョコが、俺の本命チョコが―――
 この地上から、永遠に失われてしまった!


「こういちさん」


 楓ちゃんが、その細い指先で俺の涙を拭う。
「楓ちゃん・・・」
 彼女は、ちいさく微笑むと、俺の抱きかかえたハコに、そっと手を伸ばした。
「もう、なかないでください・・・」
 彼女は、溶けたチョコに人差指を浸して、チョコをすくい取ると・・・
「ね?」
 俺に差し出した。
 な・・・
 嘗めろっていうのか!?
「・・・か、楓ちゃん?」
 こくん
 頷く楓ちゃんに・・・俺は・・・俺は・・・
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」



 ぺちょ



「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
 それは―――本命チョコは―――



 とても甘かった。
 


END

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