お題 “バレンタインデー”
 

「たったひとつの想いを込めて」


Written by 尾張







「…ねぇ」
 いつものように放課後に寄ったヤックで、横並びに座っている綾香が少しためらいながら聞いてきた。
「やっぱりさ、浩之もバレンタインのチョコとか、欲しいほう?」
 おそるおそるオレをうかがうように見ている姿は、いつもの綾香らしくない。
「ん…そうだな、あんまりこだわらねーけど、やっぱりもらえれば嬉しいかな」
 深く考えもせずに、返事をする。
「…付き合ってる相手から、でも?」
 ん?
 なんだ、今年はくれるつもりなのか、綾香のやつ。
 去年はなんだかんだ言って誤魔化してたから、そういうの嫌いなのかと思ってたんだが。
「そりゃ、嬉しいだろ。好きな相手からなら、特にさ」
「…そっかぁ」
 返事を聞いて、なにかを考え込むように、前を向いたまま黙り込む。
「オレにしてみれば、やっぱり綾香からもらえるのが一番嬉しいよ。葵ちゃんや先輩や、あかりからもらうのも、
そりゃ確かに嬉しいけどさ」
「うん、やっぱり、そうだよね」
 綾香が、煮えきらないそぶりで下を向いて、飲みかけのアイスティカップにささったストローをいじりだす。
「どうかしたのか? そういうの、あんまり好きじゃないからしないんだと思ってたのに」
「うぅ、そうなんだけど、そうもいかなくなったのよー」
 困ったような、情けない声を出して、綾香が話はじめた。



 今日の昼休み、学校の友人連中と話をしているときに、好きな人に渡すチョコの話になったらしい。
 ま、この時期なんだからありえる話だ。
 誰に渡すだの、どうやって気持ちを伝えるかだの、色々話をしているうちに、ぽろっとオレにチョコを渡すつもりが
ないということを漏らしてしまい…。
『それじゃ可愛そうだよー』だの、
『バレンタインとクリスマスは一大イベントなんだから、無視しちゃダメ』だの、
『相手の心が離れるかも知れないよ』だの、
 色々吹き込まれてきたらしい。
 しかも、ちょっとどころではなく大げさに。
 ある面では真理をついているかも知れないけど、偏ってるよなぁ。
 大体、相手が甘いもの苦手だったらどうするつもりなんだ。
「でさ、いーかげん頭きたんで、つい、『じゃ、今年は、手作りして渡すっ』って啖呵きっちゃったのよー」
 うわ。
 いま、その光景が明確に思い浮かんだぞ。
「なんかみんな異様に盛り上がっちゃって、結果を見届けるっていうことで監視人まで出るとか言ってるんだけど…どうしよ」
「どうしようって言われてもなぁ」
 夜中に来栖川家のだだっ広い厨房で、独りこっそり作業をする綾香。
 …なんか可愛いかも。
「とりあえず、作ってみるっていうのはどうだ?」
 って、オレが言うのもなんか変な気がするんだが。
「うぅ…自信ない」
「啖呵きったときの勢いはどうなったんだ」
「勢いだけでできるものだったら、やってるわよ」
「できるできる、綾香なら」
「…その根拠のない自信は、どっからくるのか聞いてみたいものだわね」
「愛だろう、たぶん」
「……はぁ」
 綾香が、オレの顔を見ながら呆れたようなため息をつく。
「浩之がいなければ、こんな思いすることもないのになぁ。いっそ別れちゃおうかな」
「…チョコを渡したくないから別れた恋人同士っていうのはあまり聞かないぞ」
「んー、しょうがないか。ちょっと頑張ってみる」
「そうしてくれ」
 きっ、と綾香がオレを睨んだ。
「こうなった以上、どうあっても食べてもらうから、覚悟しておいてね」
 言い終わると同時に、一転してやさしげに微笑む。
 でも、目が笑ってない。
「…力の及ぶ限り、善処します」
 こんなところで脅される彼氏っていうのも、あまり聞かないよな。
「ん、ありがと」



 その日から、数日後。
 まだ、当日までは少し余裕があるということで、中間報告を兼ねてオレたちは待ち合わせをしていた。
 いつも遅れることのない綾香が、時間になっても来ない。
 苦戦、してるのかなぁ。
 そんなことを考えつつ、待つこと数十分。
「浩之ー」
 背後からオレを寄ぶ声がした。
 同時に、駆け寄る気配。
「これ…」
 前に立つなり、綾香が小さな包みを取り出す。
 心なしか、少しやつれたようにも見える。
 こんな覇気のない綾香も珍しい。
「大丈夫か、綾香」
「…うぅ、大丈夫じゃないのよ、あんまり」
 まぁ、その様子を見れば大体想像は付くけどな。
「とりあえず前哨戦っていうことで、作ってみたんだけど」
 期待と不安の入り交じったような瞳で、じっとオレを見る。
 簡素だが洒落たラッピングの包みを、かさかさと音を立てながら開けた。
 小さな固まりを、一つ取り出す。
 ぱく。
 はぐはぐ。
「…おぉ、美味い。ちゃんと甘いし」
「でしょー、我ながらうまくできたなぁって思ってるのよー」
 口の中に広がるさくさくとした歯応え。
「って、これチョコじゃねーだろうが」
 包みの中に入っていたのは、大量のクッキーだった。
「だって、なんか作ってるうちに無性に食べたくなったんだもん」
「だからって、バレンタインデーにクッキーはないだろう」
 チョコクッキーじゃなく、アーモンド風味だしな。
 いや、それはそれで嬉しいんだけど。
「なんでこれは作れるのに、手作りチョコはダメなんだ」
「そこが不思議なのよねー。まるで、向こうがあたしを拒否してるとしか思えないわ」
「…どっちが拒否してるんだか」
 どう考えても、普通に湯せんして型入れする作業のほうが、生地からクッキー作るより楽だと思うんだけどなぁ。
「これはアレよね、きっと、前世とかで何か因縁があってそれで…」
「チョコに溺れて死んだとか?」
「そうそう、きっとそうよ」
「んなわけあるか」
「…うぅ」
 素なのか、確信犯なのか、綾香がおどけてみせる。
「なぁ、あきらめて市販のでいいんじゃないか? 別にオレは、それでも十分に嬉しいぞ」
「駄目。こうなった以上は、彼女たちを見返してやれるような凄いの作ってやるんだから」
 …なんか、問題がすり変わってる気がするんだが。
 まぁいいか。せっかくやる気になってるんだしな。



 そして、当日。
 待ち合わせをしているヤックにあらわれた綾香は、心なしかはしゃいでいるように見えた。
「やっほー、浩之」
「よう。なんかテンション高いな」
「ん、ちょっと浮かれてる」
 いつものように、カウンターの席に並んで腰をおろす。
「うまくいったのか?」
「うん、もうばっちりよ。本領発揮っていうところかしら」
「この間泣き言いってたやつと同一人物とは思えないな」
「それはいいっこなし」
 綾香が、この間の包みに似た小さな包みを取り出して、カウンターの上に置く。
「…はい、これ。あとで、ゆっくり味わって食べてね」
 照れたように笑う。
 それが、妙に嬉しかった。
「いまなんか、じーんときた」
「なに言ってんのよ、バカ」
 綾香の指先に、手のひらを重ねる。
「ちょ、ちょっと。人が見てるってば」
「見てない見てない」
「ダメだったら。見届け役のコ、来てるのよ。明日学校でなに言われるか…」
「言わせとけ」
 顔を寄せて、軽く唇に触れる。
 戸惑いながらも、綾香も少しだけそれに付き合ってくれた。
「うぅ…これで明日の噂の的、決定だわ」
 顔を赤くして、困ったような、少し嬉しそうな綾香だった。



 その後、いつものようにオレの部屋に場所を移すことにした。
 さすがに、綾香もオレも、後をつけてくる人の気配を気にしていたが、どうやらそれはないようだった。
 お役目完了、っていうところなんだろうか。
「油断禁物、なんだからね」
 綾香が、いたずらをするときのように、くすくすと笑う。
「でも、さすがに気配もないしなぁ」
「先回りくらいはしかねないけどね」
 そんな会話をしつつ、表面的には何事もなく、家までたどりついた。
 オレは、扉を開けて先に入る。
 少し遅れて、綾香が外を気にするようにしながらそれに続いた。
 バタンと、少し大きな音を立てて、扉が閉まる。
「あー、なんかほっとするな」
 上がりに座り込んで、屈み込むようにして靴を脱いだ。
 綾香の声が、頭上からかすかに響く。
「実はさ、もう一つあるのよ。チョコレート」
「…え?」
「あたしにとっては、こっちが本命、かな」
 言うなり、綾香の腕がオレの頭を捕らえ、次の瞬間には唇が押しつけられていた。
 同時に、甘い香りとともに、小さな固まりが口の中に入ってくる。
 少しだけ苦い、チョコレートの味が舌の上に広がった。
「あたしから浩之に…」
 唇を離した綾香が、少し照れながらささやく。
「特製の、ね」
 きゅっと、首筋に頭を寄せて、抱きついてくる。
 その豊かな胸のふくらみが、押しつけられる感触があった。
 チョコの香りとは別種の、髪の甘やかな匂いが広がる。
「なんか、チョコ喰わなくてもさ」
「…?」
「鼻血だけは、出そうだわ」
「あはははは」
 楽しそうに笑う綾香の髪を、ゆっくりと撫でてやる。
「喜んでもらえた?」
 甘えるように鼻先を押しつける綾香に、顔を寄せる。
「予想もしてない攻撃だったからな」
 頬からあごに指を伝わせ、綾香の顔を起こす。
 少し潤んだ瞳と、正面から見つめあった。
「嬉しかったよ」
 今度はオレのほうから、つややかな唇に触れた。
「…ん」
 ほのかに感じる、甘い匂い。
 髪を撫で、綾香のぬくもりを感じながら、抱き続ける。
「…ここはちょっと、寒いかな」
「寒いわね」
 綾香が、ぶるっと身体を震わせた。
「部屋、行こうか」
「…うん」
「暖かくしないとな」
「浩之と二人でいれば、寒さも忘れちゃうけどね」
 綾香が、何かを思い出すように、くすっと笑った。
 心なしか、顔が上気しているようにも見える。
「ゆっくり、味わっていいんだったよな」
「いいわよ。何度でも、ね」





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