お題 “バレンタインデー”
 

「2月15日」


Written by 成(なる)


scene1 喫茶店『エコーズ』


「ところで冬弥、もう用意したの? それともこれから?」
 相変わらず客の少ない店内。差し迫った仕事もなく、暇を潰すためだけに始められた会
話の途中で、そう彰が訊ねてきた。
 話の前後にまったく繋がらない言葉。
「え?」
 そう応えるしかなかった。
 少し考えるそぶりを見せてから、彰が問いを重ねる。
「今日何日?」
「十二日」
「明日は?」
「十三日」
「明後日は?」
「十四日」
「明々後日は?」
「十五日」
「弥明後日は?」
「十六日」
「…………」
「…………」
「弥明後日って地域によって使い方違うんだって」
「ふーん……」
「…………」
「……だからなんなんだーっ!」
 冬弥絶叫。彰余裕の笑み。フランク長瀬瞑想中。
「冬弥、まだ気づかないの?」
 とりあえず、十四日がバレンタインだということは判るが、男の冬弥が用意するような
ものがあるとは思えなかった。
「さっぱりだ」
「だったらいいんだよ。重要なことじゃないってことだから」
「なんか俺次第って言われてるみたいなんだけど」
「うん。だから冬弥にはどうでもいいことだったんだよ」
「そうなのか──って納得出来るかーっ! 気になるだろ、教えろ!」
「あ、仕込みするからカウンターお願いね」
「お前なにげに嬉しそうなのはなんでだっ!」
「冬弥、お客さんだよ」
「いらっしゃいませー」
 結局、彰は口を割らなかった。
 ただ、
「十四日、絶対来て。判った?」
 そう、念を押された。


scene2 悠凪大学 ベンチ


 別に何か特別なことをしている訳ではないのだが、ベンチに座っているはるかを見ると、
そのベンチが彼女の所有物であるかのような錯覚を覚える。
 あまりに自然な雰囲気が漂って。
「隣、いいか?」
 だから、そんなことも言いたくなる。返ってくる答えも判っているし、遠慮するような
仲でもないのだが。
「ん」
 思った通りの返事を聞き、横に腰掛ける。手のひら一つ分の距離を置いて。微妙な距離。
「昨日さ」
「ん」
「彰に……弥明後日って地域によって使い方違うんだって聞いて」
「ん」
「今、ボケたんだけどな」
「ん」
「俺、なんか近いうちにイベントあるのかな?」
「冬弥」
「うん?」
「もっとこっち」
「これ以上寄ると恋人同士みたいだろ」
「寄りかかりにくい」
 他人にどう見られるのかなんて、はるかにはどうでもいいことなのだ。
 冬弥も、それでよかった。ただ、ちょっとこだわってみるのが面白かっただけで。
 居心地のいい空気が周りを包む。穏やかな時間。
 それなのにどうして、訳もなく涙腺を刺激される事があるんだろう。
「冬弥はさ」
「ん?」
「……何でもない」
「そうか」
「ん」
 何もしない時間。ただ過ぎるだけの時間。
 なのに、それを壊したくなくて、訊きたかったことを訊けずにいる。
 肩にかかっていたはるかの重さが不意に消える。
 はるかが立ち上がって冬弥を見下ろしていた。
「帰る」
「講義あるだろ?」
「忙しいから」
 なんか自分に最も似合わない言葉を口にして、はるかは歩き出した。
 冬弥おいてけぼり。
「俺、なんか用意しなくちゃいけないのかな?」
 訊いてくれる人がいないのは判っていたが、言ってみた。
 寒かった。


scene3 悠凪大学 図書館


 美咲は簡単に見つかった。ちゃんと大学に来る人なので、どの講義をとっているのかさ
え把握していれば、そう難しいことではないのだが。
「それで、はるかちゃんに訊いちゃったの?」
 美咲にしてはめずらしく、非難の混じった口調に、冬弥は言葉を濁す。
「藤井くん、本当に判らない? もう一度よく考えてみて」
 保母さんに叱られた園児のような気分で、冬弥はもう一度考えてみる──。
 無駄だった。
「……ごめんなさい」
 叱られた園児のようにしょぼんとする冬弥に、いつもの優しい顔に戻って、美咲は冬弥
の目をのぞき込む。
「ね、去年の二月十五日、藤井くんは何をしてたの?」
 そう言われて、冬弥は一年前の記憶を思い出す。バレンタインデーの、次の日──。
「あっ」
 冬弥の顔に理解の光が浮かび、美咲はそれを見て微笑んだ。
「はるか、怒って帰ったのか……」
「ちゃんと謝らなくちゃだめよ」
「はい……」
 大切な人の、大切な日だった。
 二月十五日。はるかの誕生日。


scene4 悠凪大学 講義室


 ぎりぎりで駆け込んだ階段教室の、一番後ろの席の窓際に、はるかが一人座っていた。
 少しためらい、それから冬弥は自然を装って、はるかの隣に座る。
「あ、冬弥だ」
 いつもと変わらないはるかがそこにいる。いつもと変わらないことに少し疑問を抱きつ
つ、口を開こうとして、差し出されたそれに言葉を遮られる。
 シンプルだけど綺麗にラッピングされた──多分、チョコレート。
「あげる」
 言われるままに受け取って、受け取ってからその意味に気づく。
「はるか、怒ってないのか?」
「なにを?」
 不思議そうな顔で問い返され、何が何だか判らなくなる。
「昨日、怒って帰っただろ?」
「冬弥、何か誤解してる?」
「だって昨日、忙しいとか言って」
「うん。忙しかったから帰っただけ」
「講義に出るつもりでベンチで時間潰してたんだろ?」
「ん」
「突然帰っただろ?」
「ん。突然忙しくなったから」
「……話のつじつま合ってないだろ」
「あってるよ」
「説明してくれ、お願いだから」
 はるかは少し考えるような間を開けて、そして丁寧に言葉を並べる。
「次の講義をベンチで待ってて」
「うん」
「冬弥が来て」
「うん」
「なんか近いうちにイベントあるのかなって言って」
「言った」
「チョコレートの材料、買いにいかなくちゃならなくなって」
「なんで?」
「帰った」
「だからなんで?」
「ん?」
「どうして俺の言葉がチョコレートに繋がる?」
「冬弥、チョコほしかったんじゃないの?」
「誰もそんなこと言ってないだろ?」
「あ、チョコいらなかったんだ。返して」
 はるかが冬弥の手元に、正しくはそこにあるチョコレートに手を伸ばしてきて、冬弥は
慌ててはるかの手の届かないところへチョコを避難させる。
「いらなくないっ」
「どっちなの?」
 わがままな子供に手を焼いているような顔で見つめられる。一方的に悪者扱いされてい
る気分になる。
「違うっ、なんか違うっ」
「冬弥、意味不明」
 力尽きかけて、それでもなんとか気力を振り絞り、冬弥は今までの経過を説明する。
「ああ、冬弥誕生日のこと言ってたんだ」
 判ってもらえるまでに十五分を要した。
「俺もその時は気づいてなかったけどな──ごめんはるか。すっかり忘れてた」
「ん。いいよ、自分でも忘れてたから」
「忘れるな──そもそもバレンタインと誕生日が並んでて、どうしてバレンタインのほう
を選ぶんだ?」
「忘れてたから」
「バレンタインも忘れてただろ?」
「冬弥お見通しだね」
「つき合い長いからな」
「ん」
「……嬉しそうだな」
「ん」
「…………」
「…………」
「そういえばこれ、手作りなのか?」
「ん」
「…………」
「…………」
「ありがと」
「ん」
「…………」
「…………」
「明日、行きたいとこあるか?」
「サイクリング」
「この寒空にかっ」
「テニス」
「……まあいいか」
「ん」
 嬉しそうに、はるかが笑った。


scene5 喫茶店『エコーズ』


「いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませじゃねー」
 よくよく考えてみれば、ことの元凶は彰だった。
 結果オーライだったのだが。
 でも腹は立つ。
「彰なんで教えなかったっ!」
「お客さんに迷惑だよ」
「いないだろ」
 フランク長瀬氏、ちょっと寂しい顔。
「冬弥気づいちゃったんだ」
「残念がるなっ!」
「ちぇーっ」
「がっかりするなっ!」
「ちょっと待ってて」
「逃げるなっ!」
 厨房へ消えた彰は、程なくして小さな皿を持って戻ってくる。ケーキの載った皿。
「これ作ったんだ、食べてみてよ」
「お前マイペースに話進めるな」
「今紅茶煎れるから」
「人の話聞いてるか?」
 なんとなく彰のペースに巻き込まれ、冬弥は素直にストールに腰掛ける。
 そして、目の前にティーカップと、ケーキの皿が置かれる。
 ケーキというか、チョコレートだった。
 絶対に売り物にならない、異様に手間のかかってそうな、凝ったチョコレートケーキだっ
た。
 冬弥は想う──。
 彰は、冬弥が気づかなかった時の為に、今日来るように言ったのだ。忘れていた罰が半
分、冬弥の慌てふためく姿を見るのも面白いという意地悪半分で、黙っていたのだ。
 この日に来るように彰が言ったのは、今日が二月十四日だからでは、決してない筈だっ
た。
 その筈だった。
「おいしい?」
 なのに何故、熱い視線で見つめてくるのだろう?
 何故、頬を染めているのだろう?
 喉が渇いていた。不自然なくらい渇いていた。
 持ち上げたティーカップが小刻みに揺れていた。指が、手が震えていた。ティーカップ
とソーサーが触れる音が、静かな店内に響いていた。


 チョコレートケーキはとてもおいしかった。
 愛情がこもっていたから。






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