真昼の決闘


「――それは、午後の警邏中のことでした」

 その時。
 私の前を行く妙齢の女性は、軽々しくお嬢さんとお呼びするのが躊躇われるような、その後ろ姿に不思議な何かを感じさせる方でした。
 漂わせるそれは、気品? 貫禄? ……あるいは、手強さ。怖さ。
 私の身体に組み込まれた測定機器でスキャンしても数値としては見えてこない、警戒すべき、何か、雰囲気。か弱き良家の子女としか映らぬ外見にそぐわない、妖しき、気配。
 ……。
 では、あったのですが。
 とりあえず私は、早急にその方をお呼び止めしなければなりませんでしたので。
「――お嬢さん、申し訳ありませんが、お待ち下さい」
 呼称としては、やはり、お嬢さんという言葉を選択させていただきました。
 この言葉は、年齢的にかなりの広範囲をカバーしているので、相手が女性の場合は、大抵、それを使用することにしています。
 第三者的視点からすると。二十歳にやや手の届かぬほどのうら若き女性の容姿を与えられた私が、比べて年かさの女性を掴まえてお嬢さんと呼称することに、かなりの違和感を受けられるようです。
 ですが、呼ばれた当人にしてみれば。向かい合う私が明らかに、人間の年齢にまつわる文化的習慣の外にある人工物、ロボット以外の何者でもないが為に。自然と納得していただけるようです。
 よって、極めて便利です。これまでのところ、特に苦情はありません。
「はい?」
 振り向いた女性のお顔から、その年齢を推測します。
 幸いにして、お嬢さんという言葉に付与された平均的年齢イメージと、それほどの誤差は認められませんでした。
 二十歳よりは上、二十五歳よりは下といったところでしょうか。長い黒髪、整った顔立ち、スリムな胸と細い手足。ごく普通の成年日本人女性でした。
「私……でしょうか?」
 ハイ、そうですと頷きます。この道の前後、声の届く範囲に他の方はいらっしゃいません。
「なんでしょうか。えっと、あの……婦警さん?」
 もう一度、私は頷きます。中身はともかくとして、服装は紺色の上下、一般の外勤女性警察官着用のものと同じなのですから。
 先頃発表された、メイドロボット製造販売事業者各社と警察庁の提携による「防犯体制の向上及び自動化」に関する基礎研究の一環として、来栖川エレクトロニクスから東京警視庁に派遣されたのが私です。衛星通信網を介した情報検索能力という特性からか、最初のテスト運用は都内市街地の交番勤務に就いたのでした。要約すれば、町のお巡りさんの見習いです。
「――テスト期間のみ、一時的にですが。警察官の資格を貸与されました、来栖川エレクトロニクス製メイドロボット、HMX13型セリオです」
「……そうですよね、貴女、メイドロボットさんですよね。ごめんなさい、少し驚いてしまいましたわ」
「――ご心配なく。ロボットによる警察業務代行はこれまでに例のない試みだそうですから、皆さん、初めは少なからず驚かれます。こちらこそ、驚かしてしまい、失礼いたしました」
「あら、そんな……ああ、そういえば何かの雑誌で読みましたわ。貴女があの●ボコップさんなのね」
「――いくつかの週刊誌において、その様なキャプションとともに紹介されたようです。ですが私は、人間と機械を融合させたサイボーグではなく、徹頭徹尾、全くの人工物です。また、アメリカ映画のそれのように銃器類の携行を許可されてはおりません」
 ロボットとサイボーグの違いがピンとこないのでしょうか、小首を傾げて困ったように微笑むその女性に、私は言葉を続けます。
「――とはいえ、あのように過剰な武装を必要とするほど、この街の治安は悪くないのですが。犯罪活動の抑止鎮圧よりも、付近の住人の皆様の日常生活のサポートこそが、現在の私の役目であると承っております」
「それはそれは、良かったですね。ああ、それじゃ、今はパトロールの最中?」
「――はい。そういうことになります」
「ご苦労様です、えっと……せろ、せり、せろり……」
「――セリオ、です」
「えっと、そうそう、セリオさんでしたっけ。ごめんなさいね、私、人の名前を覚えるのがどうにも苦手で……」
 何か失敗をしてしまった時の、それが癖なのか、女性はちろっと舌を見せました。軽くコツンとご自分の頭を叩いています。
 年相応とは認められない、子供じみた仕草ですが。似合っていないとは言いません。板に付いています。さりげなくてお茶目なアクションでした。
「――いえ、お気になさらず」
 相手の言い間違いを許容する印として微笑みの表情を作って見せるべきか、一瞬にも満たない間に比較検討しましたが。私に内蔵されたプロセッサ群は言葉のみで十分との結論を弾き出しました。
「……」
 その判断は不適切だったのかも知れません。私たちの間には不意の沈黙が訪れて、女性はその音の空白を取り繕うかのように、慌てて言葉を紡ぎます。
「ところで、あの……何のご用でしょうか?」
「――はい。とある可能性から、失礼とは思いましたが、呼び止めさせていただきました」
「とある可能性?」
「――はい」
「……えっと、それはなんでしょう?」
「――あるいは貴女ではないのかも知れません。私がそれを発見したのは、すでに決定的瞬間が過ぎ去った後でしたので。そのため、可能性と表現させていただきました」
「……」
 女性の表情が、やや険しくなりました。いささか回りくどく感じられたのかも知れません。
「あの、すみません、私、急いでるんですけど」
「――貴女の心拍数その他の生体コンディションから、解ります。その理由も、恐らくは理解しています」
「……だから、なんなんですか?」
「――路上のアレの内容物を、大気成分中の香料その他より解析させていただきました」
「はい?」
「――チョコレート、落としましたよ。多分、貴女が」
 持って回った言い方は、少しでもショックを和らげまいとする、私なりの配慮だったのですが。

 私たちの約三十メートル後方に、そのチャコールグレーの包みはありました。
 二人とも口を噤み、音が止んで。辺りを沈黙が支配します。

 次の瞬間。
 視界がぐにゃりと歪みました。
 電磁ノイズやカメラの不備不調ではなく、何らかのエネルギーが急速かつ高密度に集中した為、現実に目の前の空間が歪んだものと思われます。
 それを認識する間もなく、私の身体は何かに弾かれて、傍らの電柱にぶつかっていました。
「いやぁーっ! 私のチョコレートぉっ!」
 悲痛な叫び声が聞こえました。
 信じられない能力を秘めた人間もいたものです。……というか、あれ、人間なのでしょうか?
 私の言語データベース内の「人間」の項目を書き換える必要性を感じます。
 あの女性は、私の言わんとするその意図を理解するやいなや、自らと目標物の直線上に存在した私を跳ね飛ばし、ほぼ瞬時に移動したのです。
 さてはあれこそが、縮地という、その昔に天狗や仙人と呼ばれた民間伝承上の亜人種が修得していたとされる技術なのでしょうか。
 機械の私だったから良かったようなものの、これが生身の人間だったらどうなっていたことか。人型生物の二足歩行に関してもスピード違反に類する罰則を設けるべきか、その検討を上申するべきかも知れません。
 かの女性はチョコレートの包みを前にして、膝を崩し手をついて、へたり込んでいました。悲しげに項垂れて。よよよと微かに啜り泣く声。
 その背に向かって、私は声を掛けました。
「――中身は最低でも二十を越える欠片に分割されている可能性が高いと思われます」
 ぴしっ。……ひゅうーっ。
 局地的異常気象でしょうか。一瞬、若干の温度変化を観測しました。マイナス約三度ほど。

 くわっと振り返った彼女の顔は、涙に濡れてくしゃくしゃです。ほつれた額のやつれ髪が哀れみを誘います。
 勢いに任せて、彼女は私に食ってかかりました。
 取り乱し逆上した女性というものは、扱いが困難です。その瞬間において、理性とは最も縁遠い存在であると言えます。
「とっさにダイビングキャッチするとか!」
「――ですから、それを認識した時点で、それはすでに路上に放置されてました」
 と、言葉にしたところで、相手はこちらの言い分など聞いちゃいません。
「ロケットパンチでキャッチなさい!」
「――そんな機能は御座いません」
 ってゆーか、だから、時間を遡らないと無理です。
「スーパーロボットだったらビビッと重力遮断光線とか出して防ぎなさいようっ!」
「――ニュートンは偉大です。それから、どちらかといえば私はリアル系統です」
 だから、時間を……。
「なんとかならなかったんですかぁ!」
「――結論から言えば、無理でした」
 全ては、起こってしまった後だったのですから。
「貴女はっ、善良な市民の味方なんでしょうっ!」
「――はい、貴女が善良な市民でしたら、私は味方です」
 善良な市民ならば、もう少し穏やかに話していただきたいものです。
 とはいえ、あながち八つ当たりとも言えませんので、仕方ありません。

 ひとしきり大声で喚き散らして、気が済んだのでしょう。ガックリと肩を落として、彼女は呟きました。
「あぁ、わたしのちょこれいと……」
「――気を落とされませんように」
「そんなこと言われても……」
「――午後の早い時間ですから、今ならばまだ間に合うかと」
「それは、まぁ……でも」
「――この付近でも美味しくて有名な洋菓子店にご案内いたします」
「……」
「――ホワイトチョコによるメッセージのトッピングもOKという話です」
「……」
「――大丈夫ですよ」
 私の言葉に、女性に笑顔が戻りました。
「ありがとうございます、セリオさん」
「――いえ、お気になさらず。落とした貴女だけでなく、踏んづけた私も悪いんですから」

 次の瞬間、一陣の狂風が吹き抜けました。

「……貴女を、殺します」


「そ、それで、それでっ、どーなっちゃったんですかぁ?!」
「――強敵でした」
「はううっ」
 マルチさんは、千切れてガラクタと化した私の右腕を見て、あたふたと怯えています。
 破損した各種センサー、ショートした電気回線、歪みと遊びの生じた駆動系。ハッキリ言って、屈辱です。
「――チョコレートの弁償にしては、いささか高く付きました。申し訳ありません、プロフェッサー長瀬」
「いや、それはいい。しかし……、恋する乙女ってのは怖いなあ」
「そ、そーゆー問題じゃないと思いますぅ」
「――大丈夫です、マルチさん。今回は遅れをとりましたが……、二度目はありません」
 迎えに来た男性に連れられて去っていったあの女性の背を、私は忘れません。彼の人の介入が今少し遅れたならば、私はリミッターを解除せざるを得なかったでしょう。
「――軍事産業体としての来栖川の技術蓄積、いずれ、思い知らせます」
 創造者たる人なる種に対して絶対の機能的優位性。それこそが私の存在意義。多少の異質な能力を有する程度の人間如きに、侮られたままにしておけましょうか。
 メイドロボット史上、屈指の名機として記録される予定のこのセリオのデータベースに、敗北の二文字が在ってはならないのです。
「わはははは、いいねえいいねえ、それでこそ我々の娘だよ」
「はわわわぁ、お父さんもセリオさんも、なんだかヘンですよぉ」


「千鶴さん、ね、そんなに悲しまないでよ」
「ううう……」
「器物破損になんなかっただけ、よかったじゃないか(……いや、逃げたからなんだけど)」
「でも、でもぉ……」
「えっと、もとはハート型だったのかな(てれてれっ)」
「……ええ、ハート型でした(じめじめっ)」
「あっ、いや、だけどね、こんなドでかいチョコじゃあ、どーせ砕かないと食べらんなかったんだからさ」
「そ、それは……そう、ですけど」
「ほーら、ちょうどひとくちサイズだってば。俯いてないでさ、口開けてよ、あーん」
「あ……」
 はむ。
「あ、あの、耕一さんも……はい、あーん」
「……」
 ぱくっ。ん。
「ありがとう、とっても美味しいよ」
「梓に教わって練習しましたから」
「ええっ! まさか手作り……」
「はい」
「い、いやぁ、まったくもう、奇跡のように美味しいよ、ホントに」

「それはそれとして、あのポンコツ……。次こそは必ず仕留めます。ふ、ふふ、ふ……」
「ち、千鶴さーん、恐い顔してないで、こっち戻ってきてよー」

...END


あとがき ふたこと・みこと

 今頃ですが、チョコレートです。バレンタインです。
 遅れまくってすみません。書きかけで三ヶ月ほど眠らせてました。
 もとより何故セリオを婦警にしたのか、そこら辺は忘れちゃいました(おい)。三ヶ月以上も前の自分が考えてたコトなんて、よーわからんですわー(なげやり)。
 というわけで、かなり無理矢理、オチを付けちゃいました。
 まぁね、ほら、自分、バレンタインデーとは生まれた時から相性悪い(爆)ってことで……あうう、しくしく。洒落になってないよ。
 ……というわけで、以上、『ふけいこすぷれせりお VS おめかしちーちゃん』でしたー。
 ホワイトデー(さえもすでに遙か昔……)にセリオがリターンマッチ、なんてSSは書きませんですよ。たぶん。

2000.6.2 ふうら