第十六回お題 “寒”
 

「彼岸まで」


Written by 宮月純志郎







「寒いぞ……」
「我慢よ良太……」
 室内の気温が氷点下を指している部屋の中、良太と理緒はひとつ布団にくるまっていた。
 これだけ寒い室内だというのに、布団からはみ出た足に当たる隙間風はそれ以上に冷た
い。
 良太は子供心に、これだけ寒くても風はもっと冷たいのを不思議に、また恐ろしく思っ
ていた。 

「良太……これ使い」
 傍らの布団に横たわっている母親が、布団の隙間から細い手を出すと、押し出されて湯
たんぽが布団から滑り出た。
 これが、この家にある唯一無二の暖房器具なのである。
「……いらねえ」
「そんなこと言わずに」
「……いらねったらいらねえ」
 すねた顔を横向けて、頑として突っぱねる。
 まさか病気の母親からとるわけにいかない、と、子供ながらひとりの男の態度を示した。
「だめよお母さん、暖かくしてないと……」
 譲り合って行き場を無くした湯たんぽを、あわてて布団から出て手早く母の布団に戻す
理緒。良太の男気を無にせず、また母をいたわる配慮に満ちた聡明な行動だ。
 母はほとんど感激したと言っていい。貧しい暮らしの中、真に人として持つべきものを、
まだ子供のうちに身につけている。貧しさは誇れることではなかったが、それがためにこ
んな立派な子供をもてたのなら、胸を張って生きようと思った。
「さ、暑さ寒さも彼岸まで、もうすぐ春が来るよ」
 布団に戻りながら、理緒がそう言った瞬間。
「そうだ……なぁっ!?」

 どす。
 と、でかい女がひとり、天井から降ってきたのである。

「Hi、コンバンワー。ことわざMaster、宮内レミィでーす!」
 笑顔で顔の前に片手をかざしつつ、頭を下げて名乗りを上げるレミィ。
 続いて、
「ちょっと宮内さん、いきなり人呼び出して、目の前で人の家に屋根から潜入て何やの!?
 あ、すみません、お邪魔します……」
「あ、はい、いらっしゃい……」
 玄関から普通に入ってきたのは、委員長こと保科智子である。
 そういえば玄関からとはいえ無断侵入しているのだが、そこは目の前で連れが民家の屋
根に飛び乗って瓦をはがして入り込んだ、という出来事に動転したためであって、非常識
なのではない。そもそもこんな些事は気にしていてはいけない。

「さて、では、Elemental Schoolの子供サンのための、レミィのことわざ講座、いってみ
まショウ!」
「「「「はぁ……」」」」
 あっけにとられる雛山家の人々と委員長を捨ておいて、番組を進行させるレミィ。
「まずトモコ、『彼岸』の意味を辞書で引いてほしいネ」
「辞書……? なんやしらんけど、ちょい待って……」
 鞄を開いて、辞書を取り出す。
 委員長は委員長だけあって、毎日すべての教科書とノート、そして国語・英和・漢字辞
書を持ち歩いているのである。よって、鞄を武器として使えば奥歯の2本や3本は楽勝なの
で、あまり刺激しないのが吉。
 慣れたもので、側面を指で少し撫で、ぱたっと開いて4枚ほどめくると目的の単語が出
てきた。
「えーと、まず1。秋分の日、春分の日を中日とする七日間」
「Next」
「2。悟りを開いて至った境地」
「Hmm....近いけど、ちょっと違うネ。Next,please」
「3。向こう岸」
「全然違うけど、だいぶ近くもあるかナ。Next」
「これ最後。4。あの世、死後の世界(三途の川の向こう岸、の意)」
「OK! Just、それネ!」
 手をたたいて喜ぶレミィ。

「それで、『彼岸』の意味なんか調べてどないするん?」
 もちろん、彼女は先ほど雛山家でどんなことわざが話題に上ったかを知らない。
「『暑さ寒さも彼岸まで』の意味を解説するのに、重要なコトなんデス」
「は……」
 聡明な智子は、大体それでわかった。

「さて、リョウタ。『暑さ寒さも彼岸まで』の意味、わかるかナ?」
 そんな委員長に背を向けて、良太の方に振り返るレミィ。
「……あー、うーん、わかるようなわかんねえような」
「じゃあ詳しく説明しまショウ。普通は、暑くて辛いのは秋のお彼岸が来る頃には終わっ
ていて、寒くて辛いのは春のお彼岸には終わる、という意味で習うと思いマス」
「……ああ」
「But、先ほどトモコの調査で、『彼岸』に隠された意味が出てきマシタ。これでは、暑
い寒いで苦しいのは彼岸まで、すなわち死ぬまで続くということになりマス」
「……そうなのか? こんな寒いのも死ぬまで続くのか?」
 びし、と良太の額を指さすレミィと、寒さのせいだけでなく青くなる良太。
「そうデス。そうならないためには、『彼岸』のもう一つの意味、悟りを開いて至った境
地、に到達しなければなりマセン。そうすれば苦しまなくてすみマス。そこで、アタシが
推薦するこの聖書、十五万円を買って修行すれば……」

「だぁらっしゃぁぁっぁあぁぁぁ!!!」
 どご。
 ばり。

 レミィの巨体が飛んで、板壁に刺さった。
 そしてぐらぐらと揺れる家屋。

「81m08はいったな、こりゃ」
 委員長が室伏の日本記録を口にして、吹っ飛んで壁に刺さっているレミィに目をやった。
 あの辞書と教科書の詰まった重い鞄で、ハンマー投げの要領で回転して加速をつけてぶ
ん殴ったのである。その衝撃力は新幹線の衝突を上回るだろう。
 口をぽかんと……というより、ぐわっと、と言うべきなほど開けてあっけにとられてい
る雛山家の人々を後目に、のしのしと壁のレミィに近づく。
「あほなこと言うもんとちゃうわ」
 ポニーテールをがしっと掴みあげて無理矢理起こした顔に自分の顔を近づけて、低い声
で言う。
「ト、トモコ……ツッコミ強すぎ……」
 それだけ言うと、
 がく。
 と、レミィの体から力が抜けた。
「ちょ、ちょっと保科さん、ツッコミにしても制裁にしても、ちょっとやりすぎなんじゃ……」
 理緒が心配そうにレミィを見ながら言う。が、

「この程度のツッコミで倒れる腑抜けでは、大阪では真っ先に死んでおる……捨ておけ!!」

 明後日の方を見ながらそう言い捨てて、のびたレミィを担ぎ上げた。
 それを理緒は、自分の理解の範疇を越えたものを見る目で呆然と見上げていた。

「どうも、お騒がせしてすんませんでした。壁の方は、このアホの家が金持ちやから、修
理屋よこさします」
 くるりと振り返って、雛山母に深く一礼した。
「は、はぁ……どうもわざわざすみません……」
 つい謝る雛山母。
「では。すんませんでした」
 もう一礼してから、委員長はさっさと出ていってしまった。


「……理緒、あんな子、おまえの友達なのかい?」
 誇るべき立派な娘とさっき思ったばかりなのに、評価が一転しそうな事態だ。
「そんな、友達のつもりじゃないんだけど……」
 壁の穴を、また呆然と見つめながら、理緒が言葉を返す。もはや一日じゅう呆然としっ
ぱなしである。
「そんなのはいいけど、また寒くなったぞ……」
 良太の指摘する通り、穴から、もはや隙間風とはいえない風量の冷風が吹き込んでいた。
 雨でも降ったらどうなることだろう。

 しかし、雛山家一同のそんな心配は、別に必要なかった。いや、そんな程度の心配では
済まなかったと言うべきか。

びゅうっ。

 ……と強い風が吹き込んだとたん、

ばきっ!

 と、雛山家の大黒柱がへし折れた。





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