人が一番優しくなれる時間。
 それはきっと、こういうときなんだろうと思う。



 綾香──
「なあに」
 寒くねえか?
「ん……平気」
 我慢すんなよ。
「大丈夫だって、ホント」
 そっか。
「うん」



 独りじゃないってことは、こんなに嬉しい。
 手を伸ばした先のぬくもりが愛しい。

 暖めてほしい。暖めてあげたい。
 君と僕の夢が、幸せで満たされるように。



 おい、肩が出てんじゃねーか。
「……」
 しっかりフトン被んねーと風邪ひくぞ。
「ぷっ」
 なんだ。
「くっくっくっ」
 なに笑ってんだよ。
「あはははははっ! もうダメ、最高!」
 オマエな……
「どうしちゃったのよ浩之、ひょっとしておとーさんプレイ?」







第十六回お題 “寒”
 

「ファザコンなんて怖くない」
              (副題「冬眠++」)


Written by ふたみ









 おとーさんって……なんだそりゃ。
「だってさあ、子供寝かしつける親じゃないんだから」
 そうかあ?
「前からオヤジっぽいところあるとは思ってたけど、ここまでとはね」
 悪かったな。
 だいたい、オマエだって結構オバサン臭いとこあんじゃねーか。
「えー!? ちょっと、それ聞き捨てならない」
 前にも言ったけどな。
 最初に会ったとき、ぜってー年上だと思ったねオレは。
「そのセリフ、まんま返してあげるわね」
 子供相手のしゃべり方なんて妙に年季入ってたし。
 芝居がかってるトコとか、もうお母さん通り越してバーちゃんと孫みてえな
 ──あいてててて!! ギブギブ!!!
「口は身を滅ぼすわねえ」
 オニ! エルクゥ! ガディム!
 使い物にならなくなったらどうしてくれるんだ。
「んー、それはちょっと悲しいかも」
 がーん。
 やっぱりオレのカラダが目的なんだ!!
「あーもー、ホントに使い物にならなくしてあげようかしら」
 謹んでご遠慮申し上げ──ってうわー、ダメダメ! ホント、ごめんなさい!
 私が悪うございましたっ!!
「謝るぐらいなら最初から突っかからなきゃいいのに」
 女帝の横暴を許すな! 民衆よ立て!
「純粋なプロレタリア革命の成功例って歴史上存在しないんだってね」
 ヒトは堕落する生き物だからなあ。
「それは浩之だけ」
 またまたぁ。



 ……で、何の話だったっけ。
「そもそもあの子を構ってあげてたのが浩之だったってこと」
 ああ、太助ね。
 あれは泣き叫んでたから仕方なくだな。
「そういうのを放っとけない部分も含めておとーさんだ、っていうのよ」
 くどいな。
 わかった、もういい。おとーさんで。
 今からオレは綾香のおとーさんだ。
「それはそれでかなりイヤだわ」
 手遅れ。
 さあ、よい子は寝る時間だ。おとーさんが一緒に寝てあげるからベッドに行こうな。
「もう入ってるけど」
 なんて聞き分けのいい子だ。おとーさん綾香のこと大好きだぞ。
「何なのよこの人」
 さあ今日はどんな話をしてあげようかな?
「あ、そーいえばわたしってそういう経験無い」
 え?
「だから、枕元で本読んで貰ったりとかしたこと無いの」
 そうなのか。
 芹香さんはそんな気がしてたけど、綾香もか。
「パパもママも忙しかったからね。姉さん置いて十年も帰って来れないくらい」
 メイドさんとかには読んで貰わなかったのか?
「無かったわね」
 おお、なんて可哀想な綾香。
 よしっ。今夜は綾香のために『進めの三歩』を読んであげよう。
「マンガ朗読してどうすんのよ」
 むっ。
 しかしこの部屋には──
「マンガしかないのよね」
 正解。残念ながら何も出ないが。
「どうかと思うわよ。大学の教科書以外は純粋にコミックだけじゃないの」
 なーんか勿体ないような気がするんだよな。
「本を買うのが?」
 ああ。だって図書館で読めるじゃん。
「一度も行ったことないくせに」
 甘く見てもらっちゃ困るな。
 高校時代はともかく、今や週に三回は工学部図書館に通い詰める本の虫だぜ。
「実は昼寝しに行ってる、なんてオチは認めないわよ」
 イヤな女だな。
「ダメな男ねえ」



「……で、ご本がないときパパは何してくれるの?」
 うぐ。ネタが尽きたところで乗ってくるとは卑怯なり。
「なーんだつまんない。それでオシマイなのね」
 ちくしょう!
 そこまで言われちゃ引くに引けぬ!
「あ、別に引いても全然構わないから遠慮しないで」
 やかまし。
 覚悟しろ、必殺おとーさんモード突入だっ!!
「必殺って……」
 躾だ!!
 大和撫子の心得を芯からたたき込んでくれるっ。
「あー、ほら。わたし帰国子女だし」
 んなもん関係あるかい。
 そもそも思いっきり普通に日常生活営んでんじゃねーか、オマエの場合。
「そうでもないのよー。実は正座とか苦手だし」
 だからこそ!
 日本的立ち居振る舞いの基本から学ばねばならぬのだっ。
「……浩之」
 なに?
「長瀬やおじいさまと言ってることが一緒なんだけど」
 まあ、そういうこともあるだろうな。
 ああ美しき哉、日本文化よ。
「けどさ、それっておとーさんモードじゃなくて」
 なくて?
「頑固ジジィモードだわ」
 正解。



 こうして考えてみるとなかなか深いものがあるな。
「そうかしら」
 いや、そーだって。
 単に異性の肉親というだけでは一括りにできないんだぞ。
 ジジィと孫なら『早く曾孫の顔を見せてくれー』ってなもんだろうけど。
「うちはまだ言い出さないけどね……」
 おとーさんならここはこうだろ。
“嫁になんぞ行かずともよい! 手を出す男は皆手打ちにしてくれるっ!”
「手打ちにされたい?」
 されたくないです。
 つーかあなたのお父上ってそういうのから思いっきり遠いんですが。
「わかってんじゃない」
 妙にフランクだもんなあ。入り婿の割には全然遠慮してる風に見えないし。
 そもそも最初に会ったときのひとこと目から凄かった。
「なにそれ」
 あ。
「わたし、それ知らないわよ」
 えーっとな、多分知らなくても綾香の人生になんら影響ないコト。
「浩之から聞いたとは言わないからしゃべりなさい」
 んなもんバレるに決まってんじゃん!
「例えバレたとしてもわたしの人生にはなんら影響ないわ」
 オレの将来に大きく影を落とすっつーの!
「この寒空に2階の窓経由で放り出されたい? 素っ裸で」
 オマエ、何でこーゆー時だけ平気な顔して布団から出るんだ。
 普段は引っ剥がそうとしても毛布離さねえくせして。
「さあ、明日の流体力学実験(必修・通年4単位)出たかったら大人しく吐きなさい」
 そういう妙に現実的な例示されると本当に怖いからやめてください。
 しかも言葉遣いが汚いですよアーデルハイド。
 指を鳴らすのも下品です。
「だれがロッテンマイヤーさんかいっ」
 つーか、フローリングに素っ裸でホントに寒くない?
「……寒い」
 こっちおいで。
「うん」



 んしょ。
 ったく、あっちゅー間に冷え切ってんじゃん。
「ひろゆき」
 なに?
「男の子にしようね」
 ……。
 いきなり何言うか。
「娘に取られそうだから」
 ……バカ。
「嫉妬はどんな聡明な女も愚かにしちゃうのよ」
 聞いた風なこと言うなよな。
「娘だってね、格好いいパパは自慢だし独占したいの」
 それと張り合うのか? おかーさん。
「負けるの嫌いだから」
 そういう問題かよ。
「なのよー…………ふあぁ……眠い。寝るね」
 ああ、とっとと寝ろ寝ろ。
「枕ちょーだい」
 はいはい、専用枕ですよお姫さま。
「おやすみ、おとーさん」
 んー。





 オレの左腕を抱きしめて幸せそうに眠る女。
 3年前に交わした会話を、オレは思い出す。

 初めて足を踏み入れた来栖川の屋敷。
 長瀬のじいさんに案内された応接室でひとり家人を待つ間、オレは破裂しそうな心音と
必死に戦っていた。
 そこへ、最初に現れたのがあの人だった。


『やあいらっしゃい』
『はっ──はじめましてっ』
『はい、はじめまして』
『あ……あの』
『ああ、綾香の父です。君は藤田君だっけ。よろしく』
『このたびは──』
『うん、いいよ挨拶とかそういうのは。それよりひとつだけ聞かせてくれないか』
『はい、なんでしょう』
『君は、綾香のどこに惚れた?』
『……』
『ん? ああ、別に非難してるわけでも邪推してるわけでもないからね。単に男親として、
あいつのどこが気に入られたのか知りたいだけだよ』
『全部……だと思います。たぶん』
『それは答えになってないなあ。それにつまらないよ』
『つまらない、ですか?』
『うん。あまりにありきたりじゃないか。それにさ、全部っていうなら時間掛かっても
いいからひとつずつあげてみてよ。君が気に入った綾香のすべてを』
『それは……』
『無理だろ? そんなに綾香を深く知ってるわけじゃないよな。なのにすべてを愛してる
なんて簡単に親の前で言っちゃまずいよ』
『……』
『ああ、ゴメンゴメン。だからさ、いい答えを出そうとか小難しく考えなくていいんだよ。
それとも──何かな、まさか君は女なら誰でもOKってタイプ?』
『違います!』
『じゃあ、他の女の子じゃなくて綾香だった理由』
『綾香は……』
『うん』

 オレは何と答えたのだろう。
 実際のところ、よく覚えていない。

 ただ、その答えはあの人を微笑ませた。
 その後の、綾香の祖父との張りつめたやりとりにも何度か助け船を出してくれた。

 ひょっとしたら答えは何でも良かったのかも知れない。
 ただ、本当にただ娘を褒める言葉が聞きたかったのかも知れない。

『藤田君』
『はい』
『綾香は多分、かなり手強い女の子だと思うよ』
『そう……思います』
『綾香が欲しいかい』
『はい』
『かなり出遅れてるけど、大丈夫かな?』
『えっ』
『こっちは16年前からあの子を愛してるんだけど』
『それは──』

 目は笑っていなかった。
 変な想像とか茶化しが入る余地もなく。

『それでも……負けません』
『言ったね』
『はい。誰にも負けません』
『じゃあ、勝負だな』

 不思議と、動悸が収まっていた。
 用意していた言葉を一通り全部声にしてしまったからだろうか。
 自分の中の圧力が、普段通りに戻ったような気がした。

『あ、けど』

 ふらり、とドアの方に向かったあの人がこちらを振り向く。
 一番最初と同じ、とても軽い調子で。

『実はファザコンの気がある、ってもっぱらの噂なんだけどなあ』
『──!?』

 今度は、目が笑っていた。
 逆に顔の方は妙に深刻だったが。

『嘘だよ嘘。尋常に勝負しような』

 真意を確かめる間もなく、あの人は部屋を出ていった。





 まんざら嘘でもなかった、か。
「ん……何……?」
 なんでもない。
 大人しく寝てろ。
「はいパパ」
 サンダーバードじゃないんだから。
「古いし狭い……」
 黙れ。



 そうなのだ。
 たとえ父親の方は冗談でも、娘の方はマジかもしれないのだ。

 おとーさん。
 オレは負けません。いろんな意味で。
 とりあえず一緒に風呂に入れるのはオレだけだし。
 こうして一緒に寝るのもオレだし。
 なーんだ! やっぱり綾香を暖められるのは──



  どかどすっ



 ──どうやら、オレの布団だけのようだ。



「ふにゅ……おふとん……」

 おとーさん。
 もうちょっと寝相よく育て直してください。
 勝負はそこからです。





[おわる]










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