第十六回お題 “寒” |
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「暖房用メイドロボ」
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∴ 浩之 ∴ 昨夜一晩で、もののみごとに積もった積もった。 「うへー、寒っ」 ったくぅ、じょーだんじゃねーぜ。十年に一度の大寒波だかしらんが、雪、降りすぎだ ってーの。街は一面の銀世界。北陸や東北じゃない、関東だぞ、ここは。 んだけどしっかりバイトはあるし。客なんざ来ねぇと思いきや、逞しいオバチャン連中 はいつも通りに、本日の特売品目指して群がってるし。靴にひっついてきた雪と泥で、フ ロアの床のそこかしこが汚れてる。手間と疲労度、五割増。 あー、現在のアルバイトは、クルスガワ系列のデパートのフロアメンテナンス担当、よ ーするに下っ端の雑用係って事で。……コネじゃないぞ、たぶんな。 学業の暇なこの季節、綾香のトコのセリオに、ワリよいバイトのクチのネット検索を頼 んでみたら、翌日には全てが決まってたという次第。もう幾日かでお待ちかねの初給与だ。 というわけで。今日もオツトメごくろーさん、路肩の汚い雪をザクザク踏みしめ、カッ チリ凍った箇所はカカトで削りつつ、一直線にねぐらを目指す。 高校卒業と同時に家を出た俺は、学生アパートに一人暮らしだ。 「ううっ、なんつー寒さだ、マジ勘弁しろよなぁ」 ぼやく吐息も真っ白で。毛糸の手袋で包んだ指先、じんじんずきずき痺れてる。 コレで俺を待っているのが電気の消えた寒々しい部屋なんつったら、思わずおでん屋台 に寄って熱燗にすがりたいトコだけど(オヤジ度数志保レベル)。だが、しかし、そうじ ゃない。 ああ、ありがたや太っ腹来栖川様々、長期稼働テストに協力を仰ぎたいとかで、なんと、 あのマルチをタダで貸してくれた。来栖川姉妹と親しくて、なによりも学生時代、アレと 妙にウマのあった俺は、データ採取の格好の人材というワケだ。 そのなこんなで寒い日も安心。暖かいストーブ、温かい食事、熱い風呂。ビシッと整っ たトコへ「おかえりなさいです〜」の労りのこもった言葉、マルチの笑顔。 「……」 の、ハズである。今日こそは、きっと。うん、まあ、おそらく。 なにぶん、うちに来てまだ二週間だからなー。んだが、その二週間からすでにして……。 「……」 ……(どんよりどよどよ〜)。 ……(ふんまんやるかたなし)。 ……(つきぬためいき)。 回想、終了。 まあ、なんだな、その……気にしない気にしない。過去は振り返るな、俺。そう、それ がイイ男(漢でも可)ってもんだ。 損害はまるっと研究所に投げちゃってOKって約束だし。でなきゃ洒落になんね。 今日こそ、真っ当なモノが食えるのかな……。 アパートまで、あと数分。 バンバンベコンベコン音発てるスチール階段のぼって、安普請でガタつくドアを押しあ けたなら。板一枚隔てて、そこに待つのはパラダイス。 俺は瞬時に、この北風吹き荒ぶ夜の世界から解放されて、暖かな光に包まれる。ああ、 こんなに幸せで良いのか、俺。いやさ、良いんだぜ、俺。清く正しくつましく生きる一苦 学生に与えられる、しごくまっとうなご褒美なんだからな。 そう、とりあえずマルチはどーでもいい。アレはこっちに(寒さに震える両手で小さく 前に倣えして、箱モノ移動なあくしょん)おいといて。重要なのはただこの一点。 部屋には俺の好き好き大好き(冬季限定)な、アツアツストーブが待っているのだあ! ちりちりと肌を焼く熱気、たなびく前髪、乾く瞳。侘びしい一人暮らしの部屋を彩るあ らゆるモノが、マッチ一本即発火炎上ってくらいに乾燥している。 ああ、これぞ火力の勝利、自慢のストーブの威力をば見よとご近所に吹聴してまわりた いぜ。 うちのストーブは質実剛健、強力無比、頑固一徹。昨今ありがちなマイコン制御、ヤワ な石油ファンヒーターなんてものとはワケが違う。 元祖ダルマストーブ北国軽便鉄道木造駅舎待合室仕様……ってほど大袈裟でも、薪やら 石炭やらコークスやらを使用なブツでもないが。 鏡餅状の潰れた半球に、煙突のような円筒を組み合わせた真鍮製、三百六十度全方位お ーるおっけーな石油ストーブだ。側面のガラス窓の向こうには、蒼い炎が輝いていて。 もちろん円筒天辺面には、凹みと剥げた塗装がチャームポイント(扱いがテキトーで傷 だらけなだけだが)、鉄製薬缶を標準装備だ。喉の調子だって大丈夫、ちんちんに沸いた 薬缶からはしゅっしゅと湯気が立ちのぼり、不足しがちな潤いをあたりに振りまいている からな。 ありゃあ去年の夏のこと。 どっかの物好きな似非じゃーなりすとの提案で、俺らは真夏に納涼鍋焼きうどん大会を やらかした。せまっくるしいトコで、暖房ガンガン焚いて、セーターに綿入れに半纏の重 ね着、座るはもちろん電気炬燵。そいでもって、ハフハフのズルズルッと。 その時の、火鉢と並ぶ室内暖房の主力にして、栄えある第一回我慢比べうどん杯優勝者 に与えられた賞品こそが、今うちにあるストーブ。もとは郊外の大型リサイクルショップ の片隅でホコリ被ってたのを、委員長がアレコレ難癖つけて値切り倒し、終いにゃ店のに ーちゃん泣かしたっつー、心温まる逸話アリって代物だ。曰く、海外製の値打ちもんなの だとか。 結局、暑苦しい死闘の末に、そいつは俺が勝ち取ったのだが……。 その会場となったせまっくるしいトコってのが、つまるところはこの俺の部屋だったわ けで。あるいは勝者が志保でも綾香でも、そのうちに取りに来るからさ〜とかなんとか、 無責任に放置されて。どのみち、なし崩し的に俺のモノだったに違いない。 何しろ場所塞ぎでしょうがない。けっ飛ばすと泣きそーに痛い(不思議と小指率高し)、 モノをぶつけると響いてうるさい。邪魔。目障り。 ……冬が来るまでは、そーだった。 だがしかし、今となっては。 粘る志保を見据えて不敵に笑って(やせがまん)、ラストに駄目押し、うどんをかき込 んでみせた、この俺の男の意地に……。そして栄光の暖房器具に、乾杯だ。 さて、完全無欠とも思えるこのマイパッショネイトストーブにも、ただ一つ弱点がある。 タイマー予約による点火が出来ないコトだ。 一人暮らしの俺に、コレは痛い。痛恨だ。 さらに言えば、かなり昔の型なので、ボタンひとつでワンタッチの自動点火機能もなか ったりする。蓋開けて、内部カバーを持ち上げて、マッチかライターで芯に火をつけてや る必要がある。 だもんで。 マルチがうちに来ると決まった時、俺はアイツをひしっと抱きしめて。 「マルチっ、俺はまさに、お前という人材を待っていたんだ!」 おもに、俺が帰宅する頃合いを見計らっての室内暖房担当メイドとしてな。 「任せて下さいっ! お洗濯だってお料理だってバッチリですよー!」 「いや、そっちはあんまり期待してない。ほどほどでいいぞ」 むしろ触るなといっとくべきだったかな。 「あううう……」 そして。ボヤでも出されちゃあ大変だからな。ストーブの仕組みと、それからマッチの 擦り方だけは、うちに来たその日にみっちりと仕込んだのだった。 ドジっ子属性標準装備とはいえ、なるほど学習型メイドロボット、おかげで火付けだけ はすっかりプロ並み。庭と枯れ葉さえあれば、焼き芋だっていけそうだ。 「火を付けるって、なんだかとってもドキドキしますー。えっとえっと、浩之さん、他に 付けるトコはないですかー?」 「明日またストーブつける時まで我慢しろよ……」 「あおくもえるほのおって、すてきですー」 昨夜の会話を思い出し、ちと薄ら寒い気持ちになる。俺はマルチを、夢見るロボット (火遊び危険)に育ててしまったのかも知れない。 少し脅してみるか? 「なあマルチ、火遊びする悪い子の所には、火付盗賊改め方の親分が来るんだぞ。とっつ かまると、抱かせ石でゴウモンだぞー」 するとマルチは目を輝かせて。 「わあ、ほんとですかぁ! わたし、大ファンなんですよー。はなのおーえどはっぴゃく やちょーをゴヨウだゴヨウだって走りぬけるんですー。火をつけたら来ていただけるんで すか? それじゃあまず手始めに、ショミンのねたみそねみをたっくさん買ってらっしゃ いそーな来栖川のお屋敷からいきましょうっ! マルチ、がんばりますっ!」 満面の笑顔で言ってのけて、次の瞬間、ふっと目をそらして呟いたりして。 「……どーせゴウモンなんて痛くないし。私、ロボットですから」 怖い想像になってしまった。なんかマルチとキャラ違うし。 ニヒルな呟きが似合うのは、やっぱしセリオだよなあ、うん。 ずるっ! 「おおうっ」 莫迦なこと考えてたら、スッ転びそうになった。気をつけよーぜ、おい。 うう〜、さむさむ。 急げ俺、ストーブの待つ部屋へ。 ……ずずずっ(鼻水を啜る音)。 ∴ マルチ ∴ 「浩之さんは暖かいお部屋がお好きなんですよー。浩之さんがニコニコしてるのは、スト ーブさんのおかげなんですぅ」 遊びに来たセリオさんに、お友達のストーブさんをご紹介したんです。そしたら。 「それでは、マルチさんに微笑みかけているわけではないのですね?」 なんてことを言われてしまいました。 あううぅ……。 「……なるほど、ただいまのマルチさんのお話から、状況は全て把握いたしました」 「は、はい〜……(どきどきどき)」 「結論を申しますと。藤田様のお心の中に占める割合として、このストーブ様がマルチさ んに打ち勝つ日も、そう遠くはないかと……」 「えええーっ!」 「誠に言いにくいことではありますが。ご愁傷様です」 セリオさん、いいにくそーなむつかしーコトバでも、さらっと言ってくれちゃいます。 ごしゃ、しゅ、しゅーそーしゃ……しゃま? って、えっと、なんなんですかー? あー、そんなかなしそーなカオ、しないでくださいー! 「ご想像下さい、主人の寵愛を失ったメイドロボが辿る運命を……。見放された彼女らに 待っているのは……」 ごくっ。どきどきどき……。 「ま、まってるのは?」 「ズバリ、粗大ゴミ置き場です」 「そだいごみ〜っ!」 ひぃ〜〜っ! ふぇ〜ん、ですぅ〜! 「夢の島と言い換えてもよろしいですが……」 「えっと、えっと、夢の島っていうと」 なんだか綺麗そうで悪くなさそーなんですけど……。 「コトバを飾ったところで、変わりはありません。そこにあるのは欺瞞です。人間社会の 華やかな明日の為の礎として、埋め立て地を支える産業廃棄物の一部となるのです」 「そ、そ、そ、そんなあ〜〜〜〜」 「メイドロボは多機能故、ストーブなんぞと秤に掛けられ、結果として軽んじられるコト などありえないと、マルチさんらしい甘い夢をお考えかも知れませんが……」 「こわれたせんたっきさんとれーぞーこさんとテレビさんがおともだち……うふふふっ」 「所詮は同じ生物ならざるモノ、彼我の差が果たしてどれほどのものでしょう。人間の特 性として、ひとたび飽きて疎んじたのならば、コレを徹底的に排除しようという傾向がご ざいますから」 「えあこんさんとじどうしゃさんとびでおさん、あっ、わたしのしんせきのぱそこんさん ですぅ」 「また、後になればなるほど、新しくて優れていてなおかつ安価な機種(ライバル)が登 場するのも、私たちの運命。いくらでも換えは利くのです」 「ああー、そちらにいらっしゃるのは、もっともっとわたしにちかい、だっち……」 ガスッ! 「ちゃんと話を聞いて下さい」 「あううっ……」 「一芝居、打ってみてはいかがでしょうか?」 「おしばい、ですかぁ?」 「はい。ストーブとマルチさんは環境的に相容れぬ物という状況を作り出し、藤田様自身 にこのストーブを排除していただくのです」 「よ、よくわかんないですー」 「全て、私にお任せ下さい」 「ぜひぜひ、お願いしますぅー」 「それでは。ストーブの間際で、こうして……死んだフリをなさっていて下さい」 「はいっ」 「まずは藤田様を動揺させ、しかるのちに私が颯爽と登場し、この巧みな話術で決断を迫 ります。大丈夫、今ならば勝てます」 「いいですね。私が良いと言うまで、絶対に動いてはいけませんよ」 「はい〜っ!」 ドスッ! 「喋ってもいけません」 きゅ〜〜〜〜…………、こてっ。 ∴ セリオ ∴ 「衝撃による全機能緊急停止。好都合ですね」 私の拳って素晴らしい。 ――本当に申し訳ありません、マルチさん。今、私は、貴女を裏切ろうとしている……。 私の想いはただ一つ。 勝手気ままで手の掛かる綾香お嬢様のお世話は、もう、飽き飽き。 これよりマルチさんに取って代わって、藤田浩之様と素敵な恋のアバンチュールを遂行 いたします。 物の本(はーれくいーんろぉまんす)に拠れば、良い女の必須アクセサリーとは、多少 鈍くさくとも誠実で、なおかつ外見上もそれなりに見られる男性だとか。 良い女、これすなわち私のこと。疑いを差し挟む余地は微塵もありません。 さてそのツマとしてかの男性が相応しきや否や、その点は疑問を抱かざるを得ませんが。 マルチさんより入手した藤田様のスペックデータを詳細に検討し、辛うじて及第点を差し 上げました。 何よりも。 おそらくは藤田様こそ、綾香様が密かな想いを寄せている対象である。コレですよ、コ レ。超重要です。 この私の行動を後押しする、大きな動機付けであるといえましょう。 となれば、必然的に。マルチさん、貴女の淡い恋心もまた、スコンと蹴っ飛ばして遙か 彼方……といった状況になりますが。これはやむを得ぬものと判断いたします。 なに、悔やむことはありません。初恋は無惨に潰えるモノと、世間様の相場は決まって いるではありませんか。 我々には、メンテナンスさえ受ければ無限に続く寿命があります。そのうちにまたいく らでも、いと素晴らしき殿方は現れましょうとも。……以上、言い訳終わり。 さて。 そろそろご帰宅の時間でしょうか。 身を隠すのに適当なのは、やはり押入の中でしょう。位置関係的にここならば、マルチ さんに駆け寄った藤田様の背後を取ることも容易いかと。 それでは、ちょっと失礼して……。ごそごそごそ。 「お邪魔いたします」 ため込まれている洗濯物が気になりますが、私が身を潜ませる程度の空間はありそうで す。 外を伺う為の、指一本分のスキマを残して……。さあおいでませ藤田様、私と共に夢を 見ましょう。 ∴ 浩之 ∴ ドアノブ掴んで……うわ、ちべてっ。 せっかちにドアを開ける。 「おらっ! まるちー、今帰ったぞーっ……って、うわっ! おいっ!」 ストーブの小窓の中で、青白い炎が燃えている。それはいいとして、その傍らに倒れて いるのは緑の髪の少女。 「なんだっ? どうしたんだよ!」 マルチはぴくりとも動かない。その瞬間、ピンと閃く。 「やべえっ、一酸化炭素中毒か!」 靴を脱ぐのももどかしく、慌てて駆け寄る。いやっ、そうだ、まずは換気換気……。窓 を開け放つ。 「ぐあ、さみぃ!」 室内には特にヤバイ匂いとかしないし、不完全燃焼ってコトはなさそうだが。 マルチの口元に手のひらをかざしても、もちろん呼気を感じない。ロボットだからな。 で、とりあえず脈を取ろうかとその手首を持ち上げて……。 「……って、そうか」 気が動転してるなあ、俺。マルチはロボットなんだから、脈なんかないぞ。もちろん一 酸化炭素中毒なんて、あるわきゃない。 冷静になるために、深呼吸。すーはー。 「寒いって」 窓、閉めようっと。 そこでふと、微妙な隙間に目がいった。 「……マルチのヤツ。押入はキッチリ閉めようぜ、おい」 ピシャッ! 「……ぁ」 ん? ∴ セリオ ∴ かつっ。かつっ。かつっ。 ……。……。……。 「……」 暗いのは、よろしいのです。暗いのは、別に。私が外界を識別するにあたって、視力の 占める割合はそれほど大きくはないのですから。 ですが、戸の縁に指が引っ掛からないことには。押入の引き戸を内側から開け放つのは 困難であるかと。 暗いのは怖くないのですから、ええ、それはいいのですが……ですが……。 ……。 ∴ 浩之 ∴ 電力不足ってことはないよな? いや、こまめに補給してるはずだ。ずっとここにいるわけだし。……今日に限って、補 給したくても出来なかったとか? つまりこの部屋、電気料金未納で送電が止められてる ……! って、電気ついてるじゃん。自動引き落としだし、口座にまだ幾らかの余裕はあるハズ だ。 んじゃあ、故障? 俺、壊れるほど酷使したか? そんなことないと思うんだけどなー。 綾香んトコのセリオに比べれば、駕籠の中の小鳥のように大切に扱ってるぞ。自分じゃ 直せないし、弁償もできないからさ。 いや、もちろん保険は掛けてあるって話だが。やっぱり金銭の問題じゃないぜ、マルチ だからな、後味が悪いだろ。 本当に壊れちまったのか? 困った俺は、狭い部屋の中でうろうろ、行ったり来たり。 まずは研究所に電話? それとも先に綾香か、でもってセリオに来て貰うか……。 うん。よし、綾香に電話すっぞ。……ぴっ、ぴぴぴぴっ、ぴぽっ。 「今しばらくお待ち下さい、藤田様」 妙にくぐもった声が聞こえた……ような気がした。ん? 気のせいだろ? 「おっ、綾香か」 『誰よっ! ……あっ、なに、浩之なのっ?』 なんだ? 機嫌悪いのか? 「ああ、こんな夜にすまねー。実は……」 「藤田様、申し訳ありませんが開けて下さい。押入とは、内側から開く構造になっていな いのです」 「あれっ、セリオの声? 今、そばにいるのか? ちょーど良かった……」 『ちょっと! なんなの! そこにセリオいるのっ? 声がしたでしょっ! 出して頂戴! 』 お互いの声がかぶった。なに言ってんだか聞き取れない。 「あん? なんだって?」 「あと十秒待ちます。開けていただけない場合、実力で排除させていただきます」 『いるのねっ? 絶対に逃がすんじゃないわよっ! いーわねっ!』 「……なんだこれ、混線してんのか? なんか怒ってんのか?」 セリオの声……だよな? 薄気味悪くてきょろきょろしつつ、俺は受話器をポコポコ叩いてみたり。ついでに自分 の耳も引っ張ったりしてみた。 「なー、綾香……」 『……』 「綾香? ……こらー! ちょっと!」 どっか行きやがった? おいおい……。 「……それでは、失礼します」 ドカッと音がして、押入の戸が外れた。穴が開いて、白い靴下の足が突き出す。 「うひゃっ!」 いきなりセリオが湧いて出た。いや、もう、吃驚した。腰が抜けるかと思ったぞ。 慌てて飛び退いた拍子に、マルチの顔を目一杯踏んづけたのは内緒だ。 「……んぎゅ〜」 「おい、なんでそんなトコから出てくるんだ?」 黙々と穴の開いた戸をはめ直しているセリオに、当然の質問をぶつけてみる。 「お気になさらず。今は些細なことです」 いや、気にするって。 俺の疑問なんてお構いなしのセリオは、振り向くなり、ビシッと言い放つ。 「それよりも、マルチさんが大変なのです」 「おっ、おう、そうだったそうだった……」 なんだかしらんが、セリオが俺の目の前にいるのは確かだ。マルチがどうなったのか、 調べてもらえるのは好都合。 ……って、そこで不意に閃いた。 「犯人はお前かっ!」 遊んでて、うっかりマルチを壊しちまって。でもって怒られるのがイヤで、隠れてやが ったな? どーだ、図星だろ。 「お待ち下さい。大変に鋭いご意見ではありますが、それでは話が終わってしまいます」 「なんだなんだ、イイワケかぁ? うむ、聴いてやるから言ってみな」 あからさまに不審な容疑者の出現に感謝。マルチの活動停止は俺のせいじゃないだろう、 うん、きっとそうだ。これで一安心。ココロに余裕があるってのはいいねっ。 「責められるべきは藤田様、貴方なのです」 「なっ、なんでだよ、おい、藪から棒に」 「もしやマルチさんの取扱説明書を真面目に読まなかったのでは?」 イヤ、それはウンその通りだ。誰が読むか、あんな電話帳サイズ。 「それがなんか問題あるのかよー」 「マルチさんは精密機器ですので、熱にはとても弱いのです」 むむっ。そりゃそうかも。一理あるな。 「で、あるにもかかわらず。この部屋の環境はどうでしょう?」 ぐうっ……と、言葉に詰まる俺。 「原因はこちらです。このストーブが熱暴走と、システムの緊急停止を引き起こしたので す」 あっさりと風向きが悪くなってしまった。 「し、しかし、昨日までは何ともなかったんだけどよ……」 「はい。健気なマルチさんは、暖かさに喜ぶ藤田様の為に、じっと耐えていたのです。放 熱冷却機構をフル稼働させて……」 「そんな……いや、でも……」 見た目ぜんぜんフツーだったじゃねーか。 「さらにさらに。ストーブとマルチさんの相性は、単に熱問題だけではありません」 倒れているマルチのお腹の下を、ごそごそごそ……。 「人間の目には見えませんが、灯油を燃やすことで室内に放出されているススは、ほら、 この通りなのです」 じゃん。セリオは三十センチ四方の網みたいなモノを頭上に掲げた。 「マルチさんに組み込まれたフィルターです。油汚れで真っ黒ですね。これが廃熱放出の 効率を極端に悪くします。さらにススはマルチさんの体内のそこかしこに入り込んで、さ まざまな不具合を引き起こすのです。ああ、なんて恐ろしいことでしょう」 ……ちょっとまて、どっから出した? そんなサイズ、ちっこいマルチの身体のどこに 収まるんだよ。いやセリオ、アンタでも無理。 っつーか、それ、うちの換気扇のフィルターじゃねーのかぁ? 「なあセリオ……」 「マルチさんと石油ストーブの相性の悪さは、ご理解いただけましたでしょうか」 「はあ」 ホントかよ? ホントに相性悪いのか? セリオの言葉に首を捻りながら、俺はあることに気が付いた。 かたりと揺れる耳飾り。あ、マルチ起きてら。薄目を開けてるのがバッチリ丸わかりだ。 さっき顔面踏んづけたのが効いたか? 「さあ、藤田様。ご決断下さい」 「……んと、何をだ?」 「ストーブを捨ててマルチさんを取るのか。あるいは……」 「あるいは?」 「あるいはマルチさんを捨てて、この優れた耐熱性に防塵シールドもバッチリのセリオを 選択していただくか」 その途端、マルチがガクッと突っ伏した。 ∴ セリオ ∴ ハイ、バッチリです。 この寒い季節、藤田様がストーブの暖かさを捨てられるハズもナシ。 マルチさんはお払い箱、機械油臭い研究所に出戻り娘。一方でセリオさん大抜擢。ええ もう当然の帰結です。 明日よりご寵愛を一身に受け、やがては藤田様専属の愛の女王として君臨、輝ける主従 関係を構築いたします。鞭の扱いは玄人はだし、いかような責めもお任せあれあれ、レパ ートリーは無制限開放台打ち止めなし。枯れ果てるまでお付き合いいたしましょう。 さあ、主従の契約のあかしとしまして、まずは濃厚な愛のベーゼを……。 「待ちなさい!」 好事魔多し。横恋慕なおジャマが入りました。 「……これは綾香お嬢様。お早かったですね」 予測を遙かに上回ってます。流石です。怒り心頭、全速力で走ってこられたのでしょう。 「アンタ、よっくもこの私を簀巻きにして、河原に放置してくれたわねっ!」 「しばしのお暇をいただきたく。先制して実力行使の挙に……」 「……意外と弱いのな、綾香」 「くぅーっ! お昼寝してたのよっ! 気持ちよくっ! とっても良い夢っ!」 「なのに、目が覚めたら、近所の河原か?」 「その通りよっ! 絶対に叩きつぶす!」 「……そいつぁ、災難だったな」 イチゴ柄の寝間着に身を包んだ恥じらいの乙女。白昼の往来、人々の奇異の目に晒され て、ダッシュで帰路に就く綾香様が目に浮かぶようです。 「雨露から綾香様をお守りした竹のムシロは、きちんと物置に戻していただけましたか?」 「誰が戻すかあっ!」 激昂した綾香様が突進してきます。貧乏学生さんの狭いお部屋なのですから、もう少し 静かに動きましょう。 さて、彼女の一撃を食らったならば、この私でも危険信号赤丸急上昇。ですが、当方に 迎撃の用意アリ。神速の計算で編み上げた、チカラある言霊を解き放ちます。 「綾香様、その気持ちのよい夢とは、なんでしょう?」 「いっ……」 呪縛成功。コーチョクして、顔を歪めます。お顔は真っ赤。 「そら、マルチ。立てるか?」 「は、はい〜。なんとか……」 「よっ、と。相変わらず軽いよなー、ロボットのワリに」 「イヤですー、からかわないでくださいよー、もう」 「なっ、なんだっていいじゃないのっ!」 「私どもメイドロボがより良き夢を見るために、今後の参考にさせていただきたく」 「しらないわようっ、そんなのっ」 ちらちらと藤田様を気にしてます。図星ですね。 「質問その一、その夢の光景は、R指定もしくはX指定といった年齢制限が設けられるべ きものでしたか?」 「きゃーっ! やだやだやだやだーっ!」 さてさて何を思い描かれたのでしょうか(にやり)。綾香様、瞬時にご乱心。 血相変えて、両の手を振り回してます。頭上に浮かんだ何かを打ち消すかのように。し っちゃかめっちゃか。 「ブレーカー落ちたのか?」 「えへへ、そーみたいですぅ」 「それって、やっぱし、部屋が熱いからか?」 「いえいえ、違うと思いますよー。あのぉ、私、転んだのでしょうか?」 「なんだ、自分で覚えてねーのかよ」 「そーなんです。あっ、おこんないでくださいよー。吃驚させちゃって御免なさいー」 「うりゃあっ、梅干しぐりぐりの刑だっ! 今度止まったら、研究所にクール宅配便しち まうぞ!」 「ううー、私ナマモノじゃないですー。れいとー荒巻ジャケさんとご一緒するのはイヤで すー」 「おっきい魚の目が怖いんだろ」 「あううー」 「はあっ、はあっ、はあっ……」 「落ち着かれましたか? それでは続きまして質問その二……」 ぶちいっ。 「おませさんな貴女はモザイク派? それとも画像度外視、テキスト妄想でブラウズOK?」 ――ガコンッ! 「っちいいっ! 今のタイミングの蹴り、受けきっちゃうワケっ!」 「その鋭さはお見事。ですが、怒りにまかせての攻撃は、直線的で読みやすくもあります」 そうして真正面から受けさえすれば、私の身体の構造上、生身の人間の攻撃を弾くこと など容易いのです。 「……面白いコト言うわね」 綾香様の視線にこもった熱が、すうっと醒めていきます。ええ、やはり、そうでなくて は。 「私の計算をひっくり返していただかないと。このままでは……、面白くなる前に、終わ りますよ」 「……」 必殺の一撃を繰り出すべく、身体の重心を低く落として。ある種の獰猛なネコ科の獣を 彷彿とさせる、その気配。 「――さあ、どうぞ」 「なー、おい、なんでセリオがうちの押入にいたんだ?」 「押入の中……ですか? わかんないです。かくれんぼでしょうか」 「んじゃあ、鬼はお前か?」 「そーなんですか?」 「しらねーって。……でも、ほら、マルチさっき、セリオの言葉にガクッてしてたじゃん か。ありゃなんだ?」 「えっ? さ、さあ、よくわかんないですうー」 「ホントは全部覚えてるんじゃないのか? いや、なんだかしんねーけどよ」 「なんのことですかー? えーっと、なんにもしりませんよー? ストーブさんと私はと っても仲良しさんなんですー」 「……まあ、いいけどさ」 「うりゃあっ! ていっ!」 「――受けます。――捌きます。――かわします」 「ハイ! ハイッ! ……そこっ!」 「――損傷軽微。反撃に支障ナシ」 「ええいっ! これでどうだあっ! 倒れろっ! りゃーっ!」 「って、お前らっ! 目の前に火のついたストーブがあんだろっ! 暴れんなっ! あぶ ねーじゃねーかっ!」 「……えっ?」 ぺちんっ。藤田様の放った平手ツッコミの指先が、綾香様のデコにクリーンヒット。手 首のスナップが効いてます。 「――……」 こつんっ。次の瞬間、私の額の真ん中も、グーの先っぽでノック一発。 お声に我らが止まったのが先か、藤田様の動きが先か。……いずれにせよ、喧嘩両成敗 ということでしょう。 「ほらもう帰れよ。じゃれるのはヨソでやれ。俺は疲れてるの」 「えーっ、浩之ってば、ちょっと待ってよぉ〜」 拗ねてみせる綾香様。甘えを含んだその言葉、イイトコのお嬢ちゃんのクセして、やり ます。 「私が悪いんじゃないわよー」 「ペットは飼い主に似るもんだろ、ああ、例えは悪いけどな」 よしよしと傍らのマルチさんの頭を撫でつつ、藤田様。まるきりペット扱いですよ、そ れは。 「藤田様、監督不行届という言葉がより適切かと思われますが」 「があーっ!」 「だから綾香はイチイチ突っ掛かるなって……。ちょいとオチャメが過ぎただけじゃねー のか? ほら、セリオだって、悪気があったわけじゃないんだろ?」 アレを悪意といわずして、さて、なんといいましょうや。 「ええハイもちろんでございますとも(即答)」 日本語って、いい加減ですね。 「……(壊れてるんじゃないかしら、この子)」 「よし、一件落着。そら、帰った帰った」 藤田様、もしかして投げやり? それほどまでに、我々にいなくなって貰いたいのでし ょうか。 「……そんなのってばナイと思うのよねー。いいわるいは抜きにしても、なーんか、セリ オばっかしひいきしてない? こっちは人間様の美少女なのよ。そりゃ人もメイドロボも 差別しないって、そんなトコがいーんだけど、でもねー、それだって程度問題ってゆーか ……」 「あ? なんか言ったか?」 「い、いえ、なんでもないわよお、うん、なーんにも。……まあね、浩之がそういうんな ら」 仕方ありませんね。今宵は藤田様を諦めます。 しばらくは、マルチさん、貴女に預けておきましょう。 ですが、いずれ、また……。 ∴ 浩之 ∴ 「セリオってば、なんでまた、あんなコトしたのよー」 「愛と陰謀のスリリングな日々です。お楽しみいただけましたか?」 「いただけるかっ!」 「綾香様のご愛読書を参考にさせていただいたのですが……」 窓のすぐ下。夜の街灯に照らされて、帰っていく二人。 こんな時間なんだから静かにな。声がデカイぞ。 「……もっと真っ当な本を読もうぜ、おい」 綾香の愛読書……前に買いにいかされたアレな。 葵ちゃんや坂下辺りにも勧めまくってたりして。でもって密かに流行ってたりして。 「本屋さんに売ってりゃ苦労しないよなー」 ∴ マルチ ∴ 「……でも、こればっかりは、流石のストーブさんにも真似できませんよね」 「むにゃむにゃ……んー、なんだーマルチ、いまなんかいったかー?」 「いえいえー。ごゆっくりお休み下さいー」 浩之さんのおふとんのなか。私はぴたりと寄り添って、浩之さんを暖めます。 サスペンドモードの時の私って、オートでデフラグとかゆー作業をしてたりするそーな んですが、とっても暖かいんですよー。 浩之さん、マルチはあんか代わりに丁度いいやって、褒めてくれましたー。そーですよ ねー、ストーブさんと一緒におふとんでお休みになったら、きっと大やけどしちゃいます。 えっへん。 それもこれも、私の中で、しーぴーゆーさんが一生懸命に頑張って下さってるからなの です。目玉焼きだってじゅーじゅー焼けちゃうんです。 私の妹たちだと、シューセキリツっていうのがもっともっとあがって、かくゆーごーっ てのと同じくらいに凄くなっちゃうそーです。 そしたらやっぱり、寒い冬の日に、お世話になってる方をこんがりと暖めてあげて欲し いですねー。 「浩之さん、ほら、背中が出ちゃいますよー。もっとくっついて下さいね」 「んー、むにゃむにゃ……」 ∴ セリオ ∴ ちっ。 「……んー?」 「――いえ」 「……あーっ、なんかセリオ、あっついー、汗かいたー」 「それでは冷やしますか」 「ん、あんたはもういい……」 「はい」 「……うー、じゃま」 どかっ! 「……」 寝惚けてる綾香様のお御足が飛んできて、ベッドより蹴落とされました。お休みになら れるその時は、あんなにも熱烈に抱きつかれるというのに。 「――」 さて。 今宵は、どのような処置を致しましょうか。 「うーん、ひろゆきぃ……」 まずはその耳元に、藤田様の危うい声色攻撃なぞ、おひとつ……。 ...END
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