第十六回お題 “寒”
 

「月に生まれて」


Written by 真船候一郎







 真円の月が、地上を照らす。
 その頼りない光で見ることが出来るのは、僅かに数歩先の未来のみ。
 この身を切り裂く冷たい風が何処に向かって吹いているのか。
 そんな事すら知る事が叶わない。

「寒いな…」
 俺はコートの襟を立て、早足で歩く。
 去年の四月以来、何度この道を通ったのだろう。
 幼い頃彼に出会って以来、何度彼の元へ足を運んだのだろう。

 彼の輝くような才能に魅せられてから、俺は常に彼の歩く道を見つめてきた。
 時には彼を導きもした。
 ……否。
 月は太陽の光を反射する事でしか己を確認することが出来ない。
 それは導くとは言えまい。
 俺はただ、彼の行く道をほんの少し先回りしていたに過ぎない。

「寒いな…」
 もう一度呟いた。
 俺達は皆寒がりだ。
 だからこそ求めるのだ。
 強い、太陽の光を。
 砂漠をさまよう旅人が水を求めるように。
 常に求めていなければ凍えて死んでしまうから。
 桜舞う春も、熱波が揺らぐ夏も、落葉が根に還る秋も、そして、寒風吹きすさぶ冬も。
 季節を問わず、俺達は何時も凍えている。

 彼には、そんな俺達を暖める事が出来る。
 彼の持つ――時に激しく、時に優しい――強い光で。

 それは俺がかつて得ようとして得られなかった物。

 月に生まれた俺は、ついに自ら光る術を得る事が出来なかった。
 だがいい。
 月に生まれし者は幸いだ。
 俺達は太陽を仰ぐ事が出来る。その初めから終わりまでを見届ける事が出来る。
 だから俺は見つめていよう、彼の行く末を。その光の届く先を。

 頭上の冷ややかな月が俺を嗤う。

 嘘ダロウ。
 オマエハ羨マシイノダロウ。
 彼ガ妬マシイノダロウ。
 本当ハ彼ニ取ッテ代ワリタイノダロウ。

 羨望? 嫉妬?
 ふんっ、そうさ! その通りだ!
 俺が彼に抱いている感情は、友情や敬意だけではない。
 何故俺に彼のような才能が無い?
 何故俺は彼のように光れない?
 そう考えたのは一度や二度ではないっ!!

「嗤え、月よ」
 己の身の力の至らぬさまを。
 己の身のあさましさを。

 だが、
 かの女性ならこう言うだろう。
「それでも貴方は彼を支えつづけるんですよね」
 ずり落ちる眼鏡を気にする事無く。

 かの女性ならこう言うだろう。
「それがアンタの選んだ道やろ」
 独特の、小気味よい調子で。

 そう、俺は彼なくしては光れない。
 だから彼を支えよう。
 彼のために喜んでシラノを演じよう。
 それが俺の選んだ道だ。

「寒いな…」
 三度繰り返す。
 だが俺は歩いていける。
 この道を、彼と共に。


「もうこんな所か…」
 いつしか目的の場所に辿りついていた。
 彼の住むマンション、その一室の扉の前。
 この扉の向こうに彼がいる。

 彼は今何をしているのだろう。
 疲れた体を休めているのか。
 それとも既にこの先の作品の着想に取りかかっているのか。
 あるいは今や遅しと待っているのかも知れない。
 この俺を、いや『吾輩』を。

 我が半身よ、俺はここだ。ここにいるぞ。

 『吾輩』は扉を開ける。
 そしていつものように彼の部屋に踊りこむのだ。


 「マイ同志和樹! 次のこみパの準備は出来ているかね!!」







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