−……ごめんなさい。
それが神岸さんの答えだった。
まるで、高い場所に立っていた自分の足元の床が突然消え去って、突如落下
するような奇妙な浮揚感にも似た感覚に囚われる。
そんな
嘘だ嘘だ
やめてくれ
チクショウ
ああ、でもやっぱりか
決壊したダムから吹き出る濁流が俺の期待と共に思い描いていた未来を押し
流す。内心の溢れかえるほどのざわめき。そして、混乱しかける思考。
それでも、理性の防波堤が辛うじて濁流の外部への氾濫を押さえる。俺は内
心の溢れかえるほどのざわめきを必死に押え込むと、彼女の心の警報機に反応
されないよう、笑顔と共にその理由を彼女に問いかける。
−もちろん矢島君は良い人だと思うよ。クラスの子にとても人気あるし。
−でも…
−私、もう好きな人がいるから…
ちょっと困った表情のあとに、少し寂しそうな表情と共に再び返ってきた彼
女の答え。
思わず、その「好きな人」の名前を知りたい欲求にかられる。
自分の口が開きかける。喉まで出かかる問いかけの言葉。
背中に吹き出す汗が自棄に鬱陶しい。
ああ、そうか…それじゃしょうがないよね。うん、わかったよ。
時間を取らしてゴメンな。
でも、もし良かったら、これからも友達としては付き合ってくれないかな。
しかし、口から出たのは現実を容認するそんな妥協の言葉だった。
聞けない…聞けるわけがない。
彼女の心を占有している男の名前なんて。
聞いて何になるというんだろう。
それに彼女が言うはずも無いじゃないか。
なんて俺は馬鹿なんだ。
…でも、本当はそう思い込んで理性を保とうとしているだけなのかもしれな
い。本当はその男が誰なのかを理解していた。つい10分ほど前に記憶された、
妙に息苦しそうだった「好きな人」の顔が自分の脳裏をよぎり、そして胸の奥
に痛みが走る。
−うん、私からもお願いね。
笑顔と共に返ってきた神岸さんの返答。
やめてくれ。やめてくれ。
俺にそんな笑顔をみせないでくれ。
『友達』ということに、それだけの笑顔を見せられるのは辛いんだ。
この想いは半端じゃないんだ。この一年間は君だけを見ていたんだ。
僕の初恋なんだ。
やめてくれ。やめてくれ。
『ああ、そうか…それじゃしょうがないよね。うん、わかった』
…本当は納得してるわけがない。
『時間を取らしてゴメンな』
…本当はもっと君と一緒にいたかった。
『でも、もし良かったら友達としては付き合ってくれないかな』
…本当は君をこの手で抱き締めたかった。
−ああ、それと、神岸さん。
−お節介かも知れないけど…その想いが伝わるように祈ってるよ。
なにをいい人になってるんだ俺は。結局は後悔してるんじゃないか。
今までの気持ちはなんだったんだ。全部吹っ飛んじまった。
俺はなんで、こんな現実を受け入れなきゃならないんだ。
ちくしょう。ちくしょう。
どうせなら、何もかもぜんぶ吹っ飛んでしまえば良かったのに。
でも、駄目だ。
吹き飛ばすことなんてできやしないんだ。
俺の胸に固く打ち込まれたこの想いは、どんな嵐でも吹き飛びはしな
い。そしてそれが俺をさらに苦しまさせるんだ。
−うん、ありがとう。
ちょっと悲しそうな表情で神岸さんはそう言った。
…………
そうか、神岸さんも悩んでるんだね。
それだけ、ソイツが好きなんだね。
そして俺は今、自分を一生懸命騙してるよ。
神岸さんに幸せになって欲しいという気持ちは本当だから。
嘘じゃないんだ。
本当だよ。
本当に好きだから。
想いが伝わるといいね…
BGM :[Loveletter] −The BlueHearts−