(Leaf Visual Novel Series vol.3) "To Heart" Another Side Story

for 「本日のお題」

『はじまり』

Episode:神岸 あかり

Original Works "To Heart" Copyright 1997 Leaf/Aquaplus co. allrights reserved

written by 尾張



 ピンポーン、ピンポーン。
「浩之ちゃん、起きてるー?」
 相変わらずの呼び声で、オレは夢の世界から引きずり出された。
 …あかりのやつ、変わらないな。
 妙な気恥ずかしさと、嬉しさを感じながら、オレは身体を起こした。
「すまん、あかり。上がってていいから、ちょっと待っててくれ」
 玄関に向かって声をかける。
「うん。じゃ上がって待ってるね」
 小さく、あかりの声が聞こえる。
 続いて、かちゃりと、玄関の扉を開ける音が聞こえた。
 オレは、ひとつ伸びをして布団から抜け出し、立ち上がった。
 カーテンを一気に開け放つ。まぶしい日差しが、オレの目に飛び込んできた。
 今日もいい天気だ。
 わずかに残った眠気と戦いながら手早く服を着替え、階段を降りる。
 笑顔のあかりが、オレを待っていた。
「おはよ」
「おはよう、浩之ちゃん」
 これまでに何度交わしたか分からない挨拶。
 今日からも、おそらくは何度となく交わしていくだろう。
 変わらないあかりの笑顔を、毎朝見ていきたい。
 それが、俺の正直な気持ちだった。
「さて、今日は一日、あかりにつきあうぜ」
 俺は、以前からの約束を果たすためにそういった。
 二人きりで遊びに行きたい、というあかりの話に、オレが乗った形で約束をしていた
のだ。もちろん、オレに異存のあろうはずもない。
「どこに行きたい?」
「港の…シーサイドパーク、行ったことあるよね。そこでもいい?」
「ああ、雅史たちと一緒に行ったところだろ。近いうちに誘おうと思っていたところだ
し、いいぜ」
 シーサイドパークってのは、規模はあまり大きくはないがアトラクションは一通り揃っ
た、いわゆるテーマパーク――遊園地だ。
 何度か、雅史と志保と四人で遊びに行ったことがある。
 すぐ近くに水族館があり、デートコースとしても定番の場所だ。
「水族館のほうはいいのか。あかり、以前行きたいって話してなかったか?」
「行きたいけど…時間大丈夫かな」
「シーサイドパークのほうは休日は9時くらいまでやってるって話だし、大丈夫だろ。
じゃ、とりあえず水族館が先な」
「うん…ありがとう、浩之ちゃん」
「なにお礼言ってるんだよ。今日はあかりに付きあうって言ったろ?」
 あかりの肩を、軽くぽんぽんと叩く。
 それを合図に、オレたちは出かけることになった。


 水族館自体の規模は、それなりに大きかった。
 小さい頃に親に連れられてきたおぼろげな記憶しかなかったので、少し戸惑ったが、
水槽の中に浮かぶ幻想的な世界を見ているうちに悪くないと思いはじめていた。
 まるで巨大なプールのようなサイズの水槽を、海底トンネルの中に入り込んだように、
下から眺める。
 小魚の群れが、差し込む日の光を浴びてきらきらと輝きながら目の前を横切っていった。
 巨大なエイが、悠々と泳ぎ回っている。
 そんな下を、ゆっくりと歩きながら通り過ぎた。
 別のプールでは、大きな海ガメが手足をばたつかせながら水中を移動している。
 暗い照明を基調とした館内は、家族連れで賑わっていた。
 子供たちが喜びそうな、遊べる展示は適当にパスして、俺たちはこの水族館のウリの
一つ、ペンギンの水槽の前にたどりついた。
 かなり大きい水槽――といっても、南極に見立てられた氷の地表が大半を占めている
のだが――の中で、人工雪が降る中に立った無数のペンギンたち。
 ときおり、思い出したように歩き、そしてまた立ち止まる。
 思い思いの方角を見やり、好き勝手に歩き回っている。
 そんなペンギンたちを見ていたとき…。
 世界が、揺れた。


「びっくりしたね」
「ああ」
 水族館を出た、道端。
 先ほどの光景を思い出しながら、オレは不覚にもまた笑ってしまった。
 水族館の中で、ペンギンたちを見ていたとき…突然、地震があったのだ。
 身体に感じるほどのもので、しかもかなり揺れていたのだから騒ぎも大きかったのだ
が、人間の騒ぎよりも大変だったのはペンギンのほうだった。
 泡をくって水の中に飛び込むもの。泳いでいた水の中からあわてて飛び出すもの。
なぜか全然動じていない奴もいて、あれは度胸が座っているというよりも揺れに気付いて
いなかったんじゃないかと、オレは思ったんだが。
 とにかく水槽自体が騒がしくなってしまって、見ていた人たちの中から思わず笑い声
が漏れたほどだ。
「浩之ちゃんが、一番楽しそうに笑っていたよ」
 そんな話をしていると、あかりが楽しそうに訂正した。
「…だってなぁ」
 思わず、また込み上げてきた笑いを、オレは懸命にこらえた。
 あかりも、地震が苦手な方なんだが、先にその光景を見てしまったために、怖がって
いる暇もなかったようだった。ま、それはそれでペンギンたちが役に立ったということ
で、オレは感謝している。
「珍しいものを見させてもらいました」
 おおまじめで、オレは水族館の方角に頭を下げた。
「もう、浩之ちゃんてば」
 あかりが、笑ってそれを見ていた。


 シーサイドパークのほうは、休日にしては人出が少ないほうで、なんとなくラッキー
な感じだった。
 あかりが、今日はえらくはしゃいでいる。
「浩之ちゃん、今度はあれに乗ろうよ」
「元気だなー、あかり。こういうのあまり得意じゃなかったんじゃないのか?」
「うふふ。浩之ちゃんと一緒だからね。怖くないの」
 次から次へと、アトラクションのはしご。落下系のものや、どう考えてもあかりが好
きな乗り物じゃないものにまで、オレは引っ張り回された。
 なんであかりが、入場券を買うときに『浩之ちゃん、フリーの乗り物パス買っておか
ない?』と主張していたのかが、ようやく分かってきた。
 一通り乗り終わったところで、一息ついて、ベンチに腰掛ける。
 入場してから、かなりの時間がたっていた。すでに日はかなり傾いて、レンガが敷き
詰められた地面にオレたちの長い影を落としている。
 紙コップに入ったコーラの冷たい感触が、手に心地好かった。
 隣に座ったあかりの手には、烏龍茶の紙コップ。
「浩之ちゃんと、こうして二人きりで遊園地に来るの、夢だったんだ」
 あかりが、コップを両手に抱え込むようにしながら、オレを見た。
「はしゃぐわたしがいて、しょうがないなぁって顔でそれを見ている浩之ちゃんがいて。
ずっとずっと、こんな関係になりたかったの」
「日が暮れたら、観覧車乗りに行こうか。ここのは、夜景が綺麗に見えるって評判いい
らしいから」
「じゃ、それまでは他の乗り物ね。浩之ちゃん、わたしもう一度あれに乗りたいな…」
 あかりが、近くにある絶叫系の乗り物を指差す。
「うう、もうちょっと休んだらな」
「うん。じゃあもうちょっとここで休んでいこ」


 日が落ちた後の観覧車の回りには、カップルが集まってきているようだった。
 夜景が綺麗だ、というのはさすがによく知られているらしく、昼間はあまり人が並ん
でいなかった場所に、それなりの列が出来ている。
 オレたちは、その列の後ろに二人で並んだ。
「二人で、こうして並んでいるのってちょっと恥ずかしいね」
 あかりが、オレだけに聞こえるように小さな声で話しかけてくる。
「まわりがまわりだしなぁ」
 オレも、同じように小声で返した。
「ちょっと照れるかもな」
 握ったあかりの手が、あったかい。
 他の誰かから見たら、きっとオレたちもここに並んでいるほかのカップルと同じよう
に見えるんだろうな。
 そう考えると、なんか妙に嬉しくて、それでいて気恥ずかしさが沸いてくる感じがした。
 さほど待つこともなく、オレたちの番になった。
 あかりを先に乗せ、オレは横並びになった席に腰掛ける。よくあるような、四人掛け
の席だ。もちろん、二人でひとつのカゴに乗せてくれる。
 ほとんど音もなく、観覧車がゆっくりと上がっていく。
 街の灯りが、星のきらめきのように遠く見えた。
「綺麗だな…」
「うん…」
 横に並んで腰掛けたあかりが、オレの肩に頭をあずける。
 小さく開いた窓から、潮の香りが流れ込んでいた。
「浩之ちゃん、大好きだよ」
「オレも、あかりのこと好きだ」
 閉鎖された空間の中で、お互いの想いを確認しあう。
 あかりを、初めて抱いた日から何度となく伝えた言葉。まるで初めて聞き、話したよ
うに、その言葉はオレの中に深く染み込んでいった。
「言葉だけじゃ、伝えきれないくらい、浩之ちゃんのことが好きなの。どうしたら伝わ
るかなって、もどかしくなってくる」
「…オレは、あかりのことを見ていれば分かるよ。言ってくれなくても」
「ふふっ、そうかもしれないね」
 オレは、安心させるようにあかりの身体を抱き寄せた。
「もう、あかりに不安な思いはさせないから」
 肩を抱いた腕に、少しだけ力をこめる。
「浩之ちゃんのこと好きになって、本当に良かったなって思うのはね…そうやって、
優しい顔の浩之ちゃんを見ていられること」
「優しい顔…してるのかな。自分じゃよく分からないけど」
 俺は、自分の顔をなでながら応える。
「小さい頃から、浩之ちゃんはいつもそばにいてくれたけど、これからも、浩之ちゃん
とずっと一緒にいられたらいいなって…そう思うの」
 あかりの声が、優しく響く。
「これからも、ずっと」
「ああ、ずっと一緒だ」
 ゆっくりと、お互いの唇が触れた。
 いつのまにか、観覧車は下りはじめていた。
 遠くに見える綺麗な夜景も、少しずつ隠れていく。
 地上に着くまでの短い時間、オレたちは、そのまま身体を寄せあっていた。


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