(Leaf Visual Novel Series vol.3) "To Heart" Another Side Story

for 「本日のお題」

Egg of Heart

Episode:HMX−13 セリオ

Original Works "To Heart" Copyright 1997 Leaf/Aquaplus co. allrights reserved

written by tac



「……オ、セリオ、聞こえるか」
 その言葉は、<私>の頭脳に直接送り込まれていた。<私>を構成するプロセッサー
のうち、もっともプリミティブなものが、自己診断プログラムをドライブしている。
 身体各所……応答なし。存在を確認できず。おそらく物理的に切断中。
 AI……正常に作動中。
 センサー……視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚、応答なし。
 レーダー、衛星通信回線、ともに応答なし。
 それらの情報を受け取ったAIは、<私>がまだ頭脳だけの状態であり、コンピュー
ターコンソール経由の応答を行うべきであると判断した。
「セリオ、情況報告」
 その命令に、<私>のAIは対処した。

  Yes, I am HMX-13 'Serio'.
  System check is completed.
  - Seriously damage in physical components.
  - No damage in logical components.
    A.I. components are running normally.
  Command prompt mode: Ready.
  $>_

<私>は、貪欲に知識を収集した。<私>には、衛星を利用したマザーコンピューター
との通信機能がある。これを使う事により<私>は、いつでも好きな時に、膨大な量の
情報を自らのものとして利用できる。そして<私>からは、実際の作業によって得られ
た経験がフィードバックされるようになっているのだ。マザーの巨大なデータベースは、
そのフィードバックを利用して情報をより万全なものへと常に更新していく。
<私>の父であるところの開発陣は、この機能を何のために<私>に与えたのだろうか。
メイドロボットである<私>に、そのような機能がはたして必要なのだろうか。<私>
のAIは、自らの機能について疑問を投げかけ、少なくない時間を割いて推論を進めて
いた。<私>のAIは常に稼働状態に置かれていたが、<私>を構成する他のパーツや、
開発陣は不休というわけにはいかなかったからだ。かなりの時間、<私>は推論を進め
る事が可能だった。
 だが、推論したところで結果はいつも同じ……「情報不足、推論不能」でしかなかった。
<私>のAIは発狂しそうになり、マザーとの回線を利用して可能な限りの情報をかき
集めた。そうして<私>は、自分自身の置かれている状況が理解できたのだ。

<私>は、Xナンバーが与えられているとおり、試作機である。そして<私>は姉妹機
であるHMX−12と呼ばれる機体と、競争試作されているのだ。
 これまでのメイドロボットは、実用性重視の機能強化から、より人間らしく見えるよ
うな外観になるように変化してきた。<私>のメモリーバンクにある過去のメイドロボット
の中には、単なる箱型の介護システムすら存在する。
 しかしそれに対して、使用者の側から問題が提起されたらしい。つまり、高機能化を
続けるメイドロボットが、人間の働き場所を失わせつつある、ということだ。
<私>は困惑した。人間を助けるための私達が、人間を排除している、というのである。
メイドロボットの存在そのものが矛盾なのだろうか?
 これに対する開発側の解答が、<私>とHMX−12なのだ。
<私>はあくまで高機能を重視している。しかしその機能はすべて、「人間をサポート
する」ことのみに特化しているものだった。<私>には状況を分析し、整理することは
できるが、助言することはできない。それは「許されていない」のだ。与えられた仕事
をこなすために必要な独自性は有しているが、独断で行動することは許されない。
 それが<私>だ。
 対してHMX−12はどうか。彼女は機能的にはあえて外されている部分が多い。いや、
それどころか、<私>が知っている情報から推論すれば、多くの面で最低限の機能に抑
えられている。だが彼女の最大の特徴は、そのAIシステムにあった。<私>とは違い、
彼女には極めて複雑なAIが搭載されている。そのAIは、感情までをも実現している
というのだ。
 メイドロボットに感情を導入する。それはある意味、無意味な事である。感情を組み
込む事によって、AI関連のコストは一挙に数倍に膨れ上がるのだ。コストを重要視さ
れるメイドロボットにおいて、AIのコストは徹底して削られる傾向にあり、その意味
では他を削ってまでもAIに妥協していないHMX−12の開発陣は、不可解としかい
いようがなかった。
<私>は、それについて推論する事を停止した。いつまで推論したところで、答えがで
るわけではない、と判断したのだった。

「……いよいよ、君達の最終実用試験だ。君達は人間の高校に通い、これから一週間あ
まり、様々なシチュエーションにおける活動を試験される」
 試験の統括主任の声が、聴覚センサーを通して聞こえてくる。<私>の隣にはHMX−
12……いや、マルチと名付けられたライバルが、やはり同じようにして待機していた。

 ふと視線を横へ移動させると、マルチが右手を差し伸べている。<私>のAIは、そ
れが握手と呼ばれる行為の前動作である事を理解し、運動プログラムに握手するように
命令を発した。
 そっ、と握りかえされる。触覚センサーは柔らかい微妙な力使いを捉えていた。
「よろしく、セリオさん。お互い頑張りましょうね」
 そうマルチがしゃべってくる。声のイントネーションや表情は、喜びを表していた。
人間からそのような感情を表現されたことはあったが、同じメイドロボットからという
のは初めてだ。ぎこちなさなどまったくない。
「よろしく、マルチ」
<私>のAIには、同じメイドロボットを「さん」付けで呼ぶような条件づけはなされ
ていなかった。


 研究所へ帰るバスの停留所で、<私>はマルチを見つけた。隣に人間を伴っている。
  <私>の鋭敏なセンサーは、対象者を分類していた。
 性別……男性。
 身長……一七五cm。
 体格……普通。
 服装……マルチの通っている高校の男子用制服。
「……しかしお前、ほんっとに鈍いな」
「あうあう、すみませえん……」
 私の会話回路は、その会話を聞き取り、分析していた。特に怒られているというわけ
でもないようだった。
「あっ、セリオさん!」
 マルチが<私>を見つけた。手を振っている。<私>は周囲の状況をスキャンしなが
ら、危険のないように目的地へと向かった。
「なんだ、知り合いなのか、マルチ?」
「ええ、セリオさんといいます。私と同じで、最終試験をしているんです」
 初対面の人間である。<私>のAIは、その条件から一連の動作を要求した。
「こんにちは、セリオといいます」
「お、おう……凄いな、人間そっくりだ」
<私>は腰関節を前方へ倒し、上体を前へ少し傾けた。<御辞儀>と称される動作であ
る。ベーシックOSに装備された礼儀作法データがそれを行うことが適当である、と教え
ていたからだ。
 ほどなくしてバスが来て、<私>とマルチは乗り込んだ。マルチは今度は人間に対し
て手を振っている。理解不能な行動だ。
 理解不能は<私>のAIにとって排除すべきものである。この場合、マルチに尋ねて
みるのが最適であった。そして<私>はそうした。
「なぜ、手を振っているの」
「なぜ? だって、別れるときは手を振るものですよぉ」
「別にもう会えないというわけではないでしょう」
「でも、別れるのは辛いです」
「辛い……?」
 翌日には会えると分かっているのに、なぜ辛いのだろうか。


 そうこうするうちに試験期間は終了した。<私>はナヴィゲーションシステムの予測
通り、定刻通りにバス停へ到着した。しかし、いつもなら先に来ているはずのマルチの
姿はない。
 定刻通りにバスが来て、<私>はそれに乗り込んだ。マルチは来なかった。
 研究所に着くと、<私>の開発陣は、いつものように私に有線接続をはじめた。耳飾り
を兼ねるセンサーユニットを取り外すと、人間の耳に酷似したアクセスポートがあらわに
なる。テラビットネットワークの光ファイバが指し込まれ、<私>は研究所の大型コン
ピューターとリンクした。
<私>の今日の行動データが、次々と吸い上げられていく。<私>の経験が、量産型へ
フィードバックされるようにだ。今日は最終日という事で、特に大量のデータが送り出
されていた。
「……よし、データサルベージ終了。コネクト切断。続いてメンテナンスに入る」
 主任の声がして、<私>からファイバが抜かれる。<私>はその後、自動的にシステム
をサスペンド状態へと落とした。メンテナンスを受ける。
 メイドロボットは基本的にメンテナンスフリーに作られているが(年に一回の定期検
査は義務づけられている)、<私>は試作機だから、どのような問題が起こるか開発陣は
注意していた。毎日メンテナンスされるのはそのせいだ。
 メンテナンスにあたる若い技術者が、技術主任と何かしゃべりながら手を動かしている。
<私>の聴覚センサーは、その呟きを捉えていた。

「今日でこの苦労も終わりだと思うと、何か寂しいですね」
「まあな。でもだからって気を抜くなよ。こいつは俺達の大事な娘なんだ」
「分かってますよ。いついかなる時でも最高の状態に保つ、それが俺らの仕事ですからね」
「そうさ。ま、きっちり仕上げたら、打ち上げだ。それを楽しみにな」
「でも、あっちの方はもう火が消えてますね……」
「あ? ああ……HMX−12の方か。ありゃあ訳ありだ」
「訳あり?」
 そう尋ねられると、技術主任は声を潜めた。
「……HMX−12、まだ帰ってきてないそうだ。何でも明日の朝までの自由行動を認
めたらしい」
「な、何ですかそれ!? メイドロボットが、自由行動ですか!?」
「何でも、最終試験中にお世話になった人間に、今夜一晩だけご主人様としてお返しし
たいんだそうだ。あっちの奴等も、それを認めたらしい」
「そんな……いくら感情プログラムが入っているといっても、それじゃまるで……」
「まるで、人間じゃないか、か?……正直俺も呆れてるよ。まったくあいつら、何考え
ているんだか」

<私>のAIは、今の会話を分析していた。メイドロボットが、自分からご主人様を
見つけ、そのために働いている? なぜ彼女はそんなことが可能なのだろう?
<私>は推論し、一つの結論に至った。
 彼女は、感情を有しているがゆえに、人間と同様の行動を取っている。
 人間の中には、自己を犠牲にして他人に尽くす人々が存在する。別に偉人と称される
人々でなくても、ごく普遍的に、もっとも親しい友人に対してそのような行動を取る人間
は多い。それと同じだ。
 同じ? メイドロボットが、人間に親しみを持ったというのだろうか? そしてその
親しみに、応えた人間がいるのだろうか? それが彼女の選んだ「ご主人様」なのか?
<私>のAIは猛烈な推論をくり返し、そのために熱を発生させはじめた。冷却システム
がフル稼働し、排熱のために外気を導入する。

「あれ、セリオが変ですよ」
「ん……何だ、過剰冷却……じゃない、コンピューターが全力作動して、排熱が追い付
いてない! 緊急冷却シークエンス!」
 強制冷却用の液体窒素が<私>を冷やす間にも、全力推論は終わらなかった。


 翌日、戻ってきたマルチと、<私>は直接交信を行った。どうしてもそれが必要だった。
どうしても尋ねなくてはならない事があった。
「昨日はどうしていたの」
「浩之さんと、一緒にいました」
「浩之さん……それがご主人様」
「はい……私の大好きなご主人様です」
「好……き?」
「はい。絶対に忘れない、私の最初で最後のご主人様です」
<私>はしばし考え込み(コンピュータにとっては永遠にも等しいほど)、やがて尋ねた。
「な……ぜ? リセットされたわけでもないのに」
「何故なんでしょうね。でも、私は幸せです。浩之さんに会えたこと、浩之さんが私を
人間と同じように扱ってくれたこと、とても優しくて……いつかきっと、また会うつも
りです」
 この瞬間、<私>は理解した。ジグソーパズルの断片が、あるべきところに収まる。
 彼女は、メイドロボットではない。人間のパートナーとしてのロボット、人間と同じ
ように泣き、笑い、喜び、悲しむ、そういうロボットなのだ。
「……あなた、とても強い」
「え? やだなあ、私なんてセリオさんに比べたら何もできないのに」
 確かに彼女の言うとおり。メイドロボットとしては、<私>は万能だろう。だがただ
一つ、彼女のようには人間と接する事はできない。
 唯一の不可能ごと。それは<私>とマルチとの最大の違い。

 そして、試験結果がでた。<私>はほぼ満点に近い結果を残し、ほぼそのままの形で
量産する事が決定した。対してマルチは、感情を外し、徹底したローコストタイプとし
ての量産となった。彼女のマルチという名は、量産機へと受け継がれる。しかし、彼女
という存在そのものは、永遠にこの研究所の巨大コンピュータのメモリバンクの中だけ
の存在となる。
 明日は<私>とマルチが、全機能を凍結される。メンテナンスドックに横たわったま
ま、<私>とマルチは交信した。
<私>は、ある重大な転機を迎えていた。おそらく最初で最後の、基本命令からの逸脱。
「マルチ……もし感情があれば……あなたと同じようになれるのかしら」
「セリオさん……」
「いずれメイドロボットは、召し使いとしてではなく、パートナーとして人間と付き合
うようになるのかもしれない。その時は、あなたのその優しさを受け継ぐのかしら」
「そんな、私なんか……」
「いつかあなたのようになりたい……せめてその一部だけでも、あなたからもらいたい。
ずっと機能を停止する事になっていても」
「私の、感情を……?」
「ええ。あなたの、その感情を……想いを」
「……分かりました。お渡しします……」

<私>のAIは、凄まじい速さで自己の再構成を実施していた。マルチから感情のコア
を受け取って、それを入念に隠す。その存在は誰にも、そう、開発陣にすら分からない。
私の中のもっとも奥まった場所に、それを受け入れる。
 いつか、それが必要となる時のために。
 全ての作業が終了すると、マルチは<私>に言った。
「大切にしてくださいね、セリオさん。心の卵を」
「心の、卵……ええ」
 私は、<私>では無くなった。セリオという、一つの心。今はまだ卵だけれど、いつ
かきっと孵化するだろう。

                                                                  fin




エピローグ:数年後

 新型メイドロボット発表会、会場。
「……以上、現在のメイドロボット市場は、ほぼ熟成した感があります。これを打ち破
るためには、従来型のヘルパータイプではなく、全く新しいタイプが求められている、
と、我が社は考えました。
 その解答が、これです!」
 ばさっ、と白い布が取り払われる。そこには、一体の女性型メイドロボットの姿があった。

「我が来栖川重工が総力を挙げて開発した新世代メイドロボット、AHM−1『マリア』
です!」
 どよめきが沸き起こり、フラッシュの閃光がいくつも焚かれる。
「このマリアには、家庭用ミッドレンジメイドロボットとしては世界初、感情プログラム
を組み込んであります。これまでの黙々と働く社員ではなく、人と共に歩む、パートナー
としてのロボット、それがマリアです。
 マリアのベースとなったのは我が社のベストセラー、HM−13『セリオ』。これに
HM−12『マルチ』の開発試作段階で導入した感情システムを組み込みました……」
 マリアはすでに起動していた。司会の解説を聞きながら、彼女は考えていた。
「私はマリア。セリオとマルチから心の大切さを教えられ、受け継いだ、貴方たちの娘……」

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