(Leaf Visual NovelSeries vol.3) "To Heart" Another Side Story

 

「電灯のひとつの青い照明」

featuring  セリオ
 
OriginalWorks "To Heart" Copyright (C) 1997 Leaf/Aqua co. all rights reserved



 騒々しい部屋。いかにもパーティー開場にふさわしい、クラシックの生演奏。高価そ
うな料理。煌びやかに着飾った人々。そして、渦巻く醜い感情。
 喧騒の中、私は少しだけ後悔していた。
 いくら長瀬さんの招きでも、来るんじゃなかった。
 私の後見人の一人である長瀬さんが是非にというものだから、久しぶりに山を下りて
世間に顔を出してみたものの・・・いつもと変わらない。渦巻く欲望。そしてそれを覆
い隠す偽りの仮面。仮面の下の顔はすっかり見えているのに、それを気取られまいと必
死に演技する者たち。醜い。・・・反吐が出る。
 来栖川邸で行われる、毎年恒例のクリスマスパーティー。
 それも私にとっては相も変わらぬ人間の業を見せ付けられる場に過ぎない。
「日出彦さん、お疲れになりましたか?」
「ええ、少し。セリオさん、ちょっと外の空気を吸いたいな」
「かしこまりました」
 私の乗る車椅子を押すのはセリオさん。半年前から私の身の回りの世話をしてくれて
いるクルスガワエレクトロニクス製のメイドロボだ。最新型で様々な機能が付いた高級
機、という触れ込みで人気らしいが、私は他人とは違った意味でこの人を気に入ってい
た。
 静かで、気品があり、心の中に醜いものを含んでいない。
 それは顔の美醜なんかよりもよっぽど大切なことだ。
 恭しい、と言えるような態度でバルコニーへの扉を開けるとセリオさんは段差に気を
遣いながら車椅子をバルコニーへと進めた。清涼な夜気は人いきれに濁った空気に染ま
った肺に心地よく染み込んでいく。私は大きく息を吸い込む。・・・いつものことなが
ら、人ごみの中は苦手だ。そもそもなんで他の人たちは平気でいられるのだろう?

 私は子供の頃から体が弱かった。ものごころついた頃にはすでに大人になるまで生き
られないだろうとの宣告を受けていた。「死」と隣り合った生活。生死の境をさ迷った
何度目かに、それは起こった。ある時から、私は他人の思考や感情が読めるようになっ
たのだ。
 医師の嘆息。壊れる寸前のガラス細工を見るような危い感じ。
 看護婦の憐憫。健康な者にのみ執ることの許される真夏の太陽のような傲慢さ。
 父の酷薄。後を継げない子供に時間を取られることの苛立ち。
 母の無関心。自らの血族の汚点としての息子。

 両親の遺産を相続してからはそれが顕著になった。遠縁という中年女性の心の中が見
えたそのときのことは忘れない。忘れようがない。負債が焦げ付きかけていた彼女の心
の中にあったのは
「早く死ね…早く…はやく…そうすれば――」
という祈りにも近い叫びだった。
 他人の死を乞い願うことよりも、そのことを恥とも思わないその神経に不快感が刺激
され、私はそのあとしばらく寝込んだ。
 そう言えば、そのことがきっかけで長瀬さんに会ったんだっけ…あれは両親と弟が事
故死して一年後のことだから…十年前か。来栖川系列の鉱山開発企業の経営者だった父
は家族を連れての海外旅行中、ドイツで飛行機への無差別爆弾テロに遭って母と弟とと
もに死亡した。その結果、莫大な個人資産と株式に伴う経営権はひとり日本で療養中だ
った私の上に降り掛かってきた。
 遺産相続や経営権をめぐるいざこざ。
 その渦中にいた私は、会う人すべてに濁った心の底や腐臭のする強欲さを感じ取って
しまった。そんなものにうんざりした私は会社の経営権を本家に委託し、本家の執事だ
った長瀬さんと芹香さんのお爺さんである来栖川グループの総帥のお二人を後見人とし
て全資産を投資信託にすることによってこの人たちから逃れることにした。
 自分が生きているかぎり、私は毎月の生活費を信託基金から受け取り、死んだ後は全
財産が福祉財団に寄付される契約だ。とりたてて贅沢がしたいわけではないし、海外文
学の翻訳の仕事をしているので細々と食べていくことは出来る。普段の私の生活は質素
というか、非常にシンプルなものだ。少々もてあまし気味の生活費でセリオさんを購入
してからは生活にほとんどなにも問題がない。
 しかし、総帥の頼みで福祉財団の理事やらなにかを引き受けているので、今日のクリ
スマスパーティーのように断りきれないパーティーもある。
 出来れば私はこんな場には出てきたくないのだ。強欲な人々の群れの中で生きていく
には私は強さが足りなすぎる。

「ふぅ」
 私はすこし溜息を吐く。少しばかりまとわりついた悪寒と恐怖を忘れるために。
「ご気分が悪いのですか?」
 セリオさんが心配そうに尋ねた。彼女の言葉に嘘偽りはない。たとえそれがプログラ
ムによるものであったとしても。
「大丈夫だよ。……心配してくれてありがとう」
 私は彼女に微笑みかけて感謝の意を伝えた。
「何か飲み物を取ってきましょうか?」
「じゃあ、ノンアルコールのなにかをお願い」
「はい」
 セリオさんが会場の中に消えていったとき、バルコニーの上を風が吹き抜けて
いった。
そのとき、私は布のはためきの音を耳にした気がした。
 …誰もいないと思っていたが、バルコニーには先客がいた。バルコニーの手すりの側
に立ち、遠い街の奴を眺めている純白のドレスの女。肩も露なその若い女性の目もとに
はどことなく見覚えがあった。
「あれ? ひょっとして、芹香ちゃん?」
 私は思い切って声を掛けてみた。人影はす・・・とこちらを向いた。間違いない。総
帥の孫娘の芹香さんだ。
「・・・・・・」
「こんばんわ。ひさしぶりだね」
「・・・・・」
「え? 二年ぶり? そんなになるかな」
「・・・・」
「間違いありません、だって? ああ、そうだね。一昨年のクリスマスパーティーで
会って以来だからね」
 金持ちなんてのは人一倍欲望の肥大した人間だ、 ニいうのは私の長年の人間観察の結
果である。金銭。物欲。支配欲。他人からの羨望。権力。そのようなものに貪欲でなく
ては生き延びていけない世界の住人なのだから、無理もない。もっともそれにはごくご
く少数ながら例外もいて、この子もその数少ない例外の一人だ。
 私の暮らしている山荘に隣接する別荘、というより、谷一つが丸々来栖川本家の別荘
で、私の住んでいる山荘がその隅に建っていると言った方が正確だろう。とにかく十年
位前からその別荘に夏になると避暑にやってくる老夫婦と小さな女の子がいた。
 来栖川の総帥のその老人とは遠い縁続きである私は、女の子の臨時の家庭教師(とい
うより実際は遊び相手)を頼まれた。その頃の私は既に通信教育で英米文学の講座を受
けていたこともあり、芹香さんの読んでいた英語やラテン語の文献(そのなかに『黄金
の暁教団の興廃』や『A・アルハザード抄集』が入っていたのには流石にびっくりした
が)の訳を手伝ってあげたりして、私と芹香さんは歳が一回り近く離れてはいるもの
の、すっかり仲良しになった。
 口数が少ないぶんだけ、この子には裏表がない。たまに口にする言葉は真実しか含ま
れてはいない。彼女はとても奇麗な言葉を話す。
 一人っ子の私には妹が出来たような気がして、彼女は私にとって数少ない友人の一人
になった。

 その芹香さんの表情に二年前のそれとはいくぶん違ったものを感じた・・・その
とき、私はあることに思い当たった。
「芹香ちゃん、なんだか奇麗になったね。好きな人でもできたの?」
 それを聞くと、めったに表情を変えない私の年若い友人は珍しく表情を変えた。なに
やら困惑したように見える表情はおそらく「照れている」のだろう。
「………」
「そんなことありません、って? うそついたって駄目だよ。芹香ちゃん」
「……」
 芹香さんには私の能力のことを話してある。その頃まだ小学生だった芹香さんはそれ
を聞いてもそれ以前と同じように私に接してくれた。
「姉さん、こんなとこで何やってんのよ?」
 突然、華やかな雰囲気とともにそんな声が降ってきた。
「こんばんわ、綾香ちゃん」
「あ! やだ、天津神(あまつかみ)のおじさん!? 来てたんだ。お久しぶり!」
 屈託のない笑顔。チャイナ風の黒いドレスを身に纏った明るいこの女の子は芹香さん
の妹の綾香さん。高校生にして異種格闘技チャンピオンという格闘美少女(これはエク
ストリームのパンフレットのキャッチコピーに僚う書いてあった)だ。
「綾香ちゃん、おじさんはひどいよ。私はこれでもまだ二十代だよ」
 苦笑しながら私はそう主張する。
「ごめんごめん。でも日出彦さん、その若さで山の中で一人暮らししてるんじゃ、隠居
爺さんみたいじゃない」
「どうも、私は人付き合いが苦手でね」
「そういえば、体のぐあいはいいの?」
 この質問に込められているのは純粋な心配。両親の愛情を十分に受けて育った子らし
く、言葉と心が真っ直ぐに重なっているのが心地よい。この姉妹に会えただけでも、今
日ここに来たかいはあったかもしれない。
「ああ。セリオさんが来てくれてからだいぶ楽になったよ」
「日出彦さん、うちのメイドロボ使ってくれてるんだ」
「セリオさんはとても気が付く人だね。とても助かります」
「……」
「え? うちで働いているセリオさんも、気がきく人です、って?」
「セリオさんはとても正直な人ですからね」
「…」
 私の言葉の意味を知っている芹香さんは少しだけ微笑みに近い表情をした。

「そういえば、さっき二人でいったい何の話してたの?」
「いや、芹香ちゃんに好きな人が出来た、ってはなし」
 それを聞くと芹香さんはまた頬を染める。
「ね、やっぱりわかるでしょ? 姉さんったら年下のかわいー男の子とすっかり仲良く
なっちゃってるのよ」
「……」
 ぽそぽそとなにやら言い訳をする芹香さん。
「じゃあクリスマスイブなのに、彼に会えなくて寂しいって思ってるんだね?」
「…」
「あ〜ら、姉さん図星なんじゃないのぉ?」
 いたずらっぽく綾香さんが言う。
「それはそうと姉さん、セバスチャンが今晩リムジンの試運転するって言ってたわよ」
「…」
「浩之の家の近くを通るかもしれないって」
「……」
「そのとき、少し車を止めて車から離れるかもしれないって」
 それを聞いた芹香さんは嬉しそうに微笑んだ。はにかんだような笑みではなく、私も
初めて見る完璧な微笑みだ。芹香さんは本当にその子のことが好きなんだな。心なんて
読めなくてもそれははっきりと分かる。
 長瀬さんもずいぶん粋なことするな。
 嬉しそうにいそいそとガレージに向かった芹香さんを見送った後、パーティー会場に
戻るとセリオさんはシックな黒いドレスに染みを作っていた。
「すいません、飲み物を少しこぼしてしまいまして」
「怪我はない?」
「はい。どなたにも怪我はございませんでした」
「セリオさんも含めて?」
「…はい」
「染みにならないうちに洗濯を頼んでみるよ」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 翌朝。私とセリオさんは総帥のご厚意によって来栖川邸に一晩泊めて頂いた後、山荘
へとハイヤーで送って頂けることになった。
「セリオさん、昨夜のパーティーは楽しかったですか?」
 送迎のハイヤーの後部座席で、私は横に座ったセリオさんに話し掛けた。セリオさん
はしばらくそれに答えようとせず、逆にある質問をしてきた。
「…ご主人様は、なぜ私をさんづけで呼ばれるのですか?」
 いつもセリオさんには名前で呼ぶように頼んでいるので、ご主人様という呼びかけに
少しびっくりしつつ、私は答えた。
「え? なんで、って………セリオさんは私のために働いてくれているんだから、あた
り前のことでしょう?」
「私はメイドロボです。いままでの私の態度は間違っていました」
 セリオさんはいったいどうしたんだろう?ふと、私の脳裏に思い当たることが
あった。
「誰かに……何か言われた?」
 しばらく逡巡した後、セリオさんは言った。
「「分」をわきまえろ、と言われました」
「・・・父の弟に、ですね」
 叔父と呼ぶのも汚らわしい。あの男は親切顔をして私を――
 しばらく味わっていなかった醜い感情を自分の中に感じる。怒り。憎しみ。憎悪。
「いずれにせよ事実です。私は今まで、ご主人様のご厚意に甘えていた事に気づきませ
んでした。いままでの非礼を――」
「セリオさん!」
 私の激しい声にセリオさんは言葉を止めた。
「ご主人様、はやめてください。あなたは私の奴隷ではありません。あなたは…ひとり
では何も出来ない私を助けてくれる…大切な友人です」
 セリオさんは黙って私の言うことを
「嫌ですか?」
「いいえ。とんでもないです」
「では私に…そう思わせておいてください」

「でも私は…感情のない、人によって作られたロボットに過ぎません」
 そう彼女が言ったとき、彼女の中に一瞬だけ見えたのは「寂しさ」なのだろうか?足
の先が地面に触れないような不安な感覚。機械のはずの彼女が感情を持つはずがない。
そう私の理性は告げてはいた。しかし、なぜだか私には彼女が寂しがっているように思
えてしかたがなかった。

 私は答えるかわりに好きな詩の一節を諳んじた。
「……わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電流の
 ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんなといっしょに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電灯の
 ひとつの青い照明です……」
「・・・宮沢賢治ですね」
「よくわかったね。『春と修羅』の冒頭の賢治の自己紹介だよ」
 私は背もたれに頭を預けて、リアウィンドウから澄み渡った空を見上げた。
「きっと――」
 私は慎重に言葉を選んだ。
「私だって、セリオさんと同じなんだ」
「……おっしゃっている意味が、よく分かりません」
「有機交流電流、だよ。私の脳の中で起こっていることさ。人間だって交流電灯の青い
照明にすぎないんだ」
 車はトンネルに差し掛かった。オレンジ色の光点が車内を染める。
「セリオさんは――」
 そう言って横を向いてセリオさんの横顔を見たときに、私は胸の中に刺すような痛み
を感じた。セリオさんの白磁のような頬の輪郭がトンネルのオレンジ色の照明灯の流れ
る光の中に浮かび上がっている。亜麻色の髪を光沢が流れる。そこから覗く白いセンサ
ー。深青色の瞳。それらが目に入ったとき、理由は分からないが、僕の胸の鼓動が急に
激しくなった。
 言葉の途切れた僕を不審に思ったのか、セリオさんは僕の方を向いた。
 うわぁ…
 顔が火照っている。頬が、耳が熱い。
「……セリオさんには感情があるように見える。僕には。……それが作り物だっていい
じゃないか。それがたとえ作り物でも、僕は…嬉しいから」
 セリオさんの顔を見ているうちに、頭の中が空っぽになって言いたいことの半分も言
えなかった。

 セリオさんはじっと噛み締めるようにその言葉を聞いていたように見えた。
 その後に続いた沈黙がなぜか満ち足りたもののように感じられた。
 ・
 ・
 ・
 車は既に高速を降り、私の山荘のある谷に向かう県道に乗り入れている。
 クリスマスなのに、春を思わせるような暖かな日差しが車内を温かく照らす。その匂
いは私にさっき諳んじた詩のそのあとに続く幾連かを思い出させた。
「……いかりのにがさまた青さ
 四月の気層のひかりの底を
 唾(つばき)し はぎしりゆききする
 おれはひとりの修羅なのだ……」
 誰に言って聞かせるでもなく、そう呟いた。はじめてこの詩を読んだとき、まだ十代
だった私はその短い数十字に込められた峻烈なまでの激しさに羨望を感じたもの
だった。私には不可能な、内に秘められた熱い炎。
 私は自嘲気味にぽつりと付け加えた。
「…私にはなれそうにないな」
「何にですか?」
 セリオさんが尋ねた。
「修羅に、だよ」
 目を閉じて温かいまどろみに浸る。
 すこし間をおいて、セリオさんが口の中でそっと囁くように言った。
「そうですね」
 そのあとでセリオさんはポツリと呟いた、ように聞こえた。
「…優しすぎますから」


あとがき


 どもども〜。千億光年です。

はじめてここに作品投稿させて頂きました。
 セリオさんあんまり上手く描ききれてません。でもこれが精一杯。
 むー。一日で書いたにしてはなかなかとはおもいますが、もーすこしなんとか。

 非人間を人間として扱う態度ってのには気高いものを感じてしまいます。
 ジェントルマンですな。
#人間とかわんなかったらそれって人間だよね。

 来栖川姉妹出したのはなんとなくそうしたかったからです(笑)。
 あと主人公の「天津神日出彦(あまつかみひでひこ)」氏の名前は『学園KING』の主
人公から頂きました。彼のキャラクターは非常に魅力的なので私は名前入力のあるゲー
ムではたいてい彼の名前をお借りしております。


 感想・呪い・ご意見・脅迫文・ファンレター・毒電波などは感想入力フォームか、
直メールで千億光年(mxb03256@niftyserve.or.jp)までいただければ幸甚に存じます。

私いつもはにわか書店さんに作品置いて頂いてます。興味がお有りの方は覗いてみてくださいね。

インデックスへ戻る    感想送信フォームへ