(Leaf Visual Novel Series vol.3) "To Heart" Another Side Story

  Ayaka Kurusugawa - Queen of Fight -

誰がために

written by tac



「……勝者、赤!」
 その瞬間、会場内をどよめきと興奮が埋め尽くした。
 第一回全日本エクストリーム・チャンピオンシップ、高校生部門決勝戦が、決着した
のだ……恐らく、ありとあらゆる予想をくつがえす結末となって。
 マットの上には、崩折れた敗者と、冷ややかにそれを見下ろす勝者の姿。

 栄光の初代チャンピオンに輝いたのは、とても格闘家には見えぬ美少女であった。
マットに沈んでいるのは、高校柔道界で知らぬものはないという超高校級であったのだ
が、それを彼女は締め技で勝ってしまったのだった。
 だが、当の彼女の表情は、浮かぬものだった。

 選手控え室に引きあげた彼女を、初老の男が出迎えた。
「綾香お嬢様、お見事でございました。このセバスチャン、感無量でございますぞぉぉ
ぉぉぉ〜」
「……少し黙っててちょうだい」
 彼女は、やり場のない怒りを抱いていた。

 彼女を怒らせていたのは、先程の対戦者だった。あろうことか、彼女を侮辱したのだ。
いわく、「金で勝利を買ってるんだろう」と。
 確かにこの大会の後援は、彼女の実家である来栖川財閥である(実の所、彼女が働き
  かけてここまで大きな大会になった)。が、それと彼女が勝ち進んできたこととの間
に、相関関係はない。彼女は実力で勝ち進んできたのだ。
 思えば、相手なりの挑発と精神面への攻撃だったのだろう。そんなものに動揺するよ
うな綾香ではない。
……だが、そう見られてしまうことも事実ではあった。普通に考えれば、彼女の体格で
並み居る強豪を倒せるとは思わないからだ。彼女がどれほど努力していたかも知らず……


 だんだん怒りが表層へと込み上げてくる。何かに八つ当たりする直前、そっと彼女の
頭をなぜる手の感触が感じられた。
「芹香姉さん……」
 なでなでなで、と芹香は無表情になで続ける。
 はじめてあったときにこの「なでなで」をされて以来、これをされたらすべてがふっ
飛んで、ゆったりとした気分になるのだった。
 だんだんと心が落ち着いていくのが感じ取れる。呼吸がゆっくりとしたものになり、
体の力が抜けてゆく。
 やがて、
「ありがと、姉さん……もう、落ち着いたから」
 こくん。
「…………」
「優勝おめでとう? ありがと」
「…………」
「え? でも危ないからもうやめて? そうはいかないわよ。私は誰よりも強くなりた
いんだから」
 そう、私は誰よりも強くならなくちゃいけない。姉のためにも。
 それが自分自身に課した誓いだった。


 綾香が芹香と初めて会ったのは、六才のときだった。それまで彼女は両親と一緒に、
ニューヨークにいたのだ。芹香は日本に残り、祖父母に育てられた。完全無欠の箱入り
娘として。
 まるで陽炎のように日差しの中に立っていた芹香の姿は、とても儚げで、消えてしま
いそうだった。
「綾香、お姉ちゃんにご挨拶なさい」
 母に言われて挨拶する。芹香はことんと首をかしげて、それからかすかに口を動かした。
(こんにちは……)
 声にならない声。だけど彼女にはそれがはっきりと聞こえていた。

 最初の印象通り、芹香は何かというと床に臥せる事が多かった。別に体が弱い方では
ないのだが、周囲がとにかく壊れ物を扱うかのように接しているのだ。
 幼い綾香の目にも、芹香が大事にされ過ぎているように感じたのだから、両親にとっ
てはひとしおだっただろう。
 芹香には、自由がなかった。事情を知らない人からみれば、日本有数の来栖川財閥の、
それも後継者ともなれば、さぞかし思うがままの生活ができると思うだろう。実際、綾香
自身はそれを楽しめた。
 だが、芹香は違った。後継者であるがゆえに、自由のない生活だった。豪華な、豪華
過ぎるほどの牢獄。それがこの家だった。
 そんな芹香が心を許せるのは、家族を除けば常に付き従っている長瀬くらいのもので
あった。

 初老の紳士、それもかなり品の良い紳士として通るであろう長瀬は、身体中から「芹香
様命!」というオーラを発散させていた。実際、暴れている土佐犬と素手で戦って、こ
てんぱんにのしてしまったこともある。芹香に吠えただけだったのに。
 子供心に「強いおじちゃん」として認識していた彼女は、長瀬に尋ねた。
「私は、奥様……つまり、綾香様のお母さまに、命を助けられましたのでな。ですから
私の命は、奥様と、奥様にとっての宝である芹香様、綾香様のためにあるのですよ。例
えこの命を投げ打とうとも、それが私の誓いです」
「?……怖くないの?」
「戦いは怖いですよ。でも、逃げることのほうが、もっと怖いのです」
「???」
「ははは。綾香様には分からなくてもよいことでございますよ」
 今の綾香には、その長瀬の言葉の意味が分かる。
 そう、あのときから。

 あれは二人が庭を歩いていたときのこと。綾香が石を投げて遊んでいるのを、芹香が
ぼーっとした表情で眺めていた。
「わあっ!」
 綾香がきれいな石を見つけた。それも二つも。きらきらと光って、宝物にみえた。本
物の宝石も持っているのだが、「自分で見つけた」という点で、まぎれもなくそれは宝
物であった。
「お姉ちゃん、みてみて!」
 ぶんぶんぶん、と腕を振りながら、芹香の方へかけていく。
 はあはあと息を切らせながら、片方を芹香に手渡す。
「お姉ちゃんにあげる!」
「……」
「ありがとう? えへへ」
 芹香は綾香になでなでした。

 と、そこへ「くわぁ〜っ」という鳴き声とともに、頭上から影が降ってきた。烏が手
の中のものを見つけて、奪いに来たのだった。だがそんなこととは幼い彼女達のこと、
知る由もない。
 芹香はともかく、綾香は宝物を守るためにぎゅっと握りこんだ。
 ぽけーっと掌に載せたままにしている芹香は、格好の獲物にみえる。烏は矛先を芹香
に定めた。
 綾香は必死になって、芹香の宝物を守る。それまで「烏さんだあ」という子供らしい
感情しか持ったことのなかった彼女にとって、敵意をむき出しにして襲いかかってくる
烏というのは、ほとんど怪物にしかみえなかった。
  怖い。逃げ出したい。
  でも逃げたら宝物が取られてしまう。
  逃げたくない。
 そんな思いで何分戦ったのか。実際にはほんの数秒だっただろう。
「お嬢様あああ〜っ!」
 ほとんど瞬間移動のような俊足でやってきた長瀬が、烏を追い払った。
「大丈夫でございますか、芹香様、綾香様」
「ながせ……ながせぇぇぇ……」
 緊張が解けて、綾香は泣き出した。長瀬はちょっと困ったような顔をしてから、二人
を軽々と抱き上げると、母屋の方へと歩き出した。
「ながせぇぇぇ……怖かったよォォ……」
「すみませんでした、綾香様。私がちょっと目を離した隙に……」
「うぇぇぇぇ〜ん……」
「でも綾香様、なぜ逃げなかったのです?」
 その時の長瀬の眼を、綾香は多分生涯忘れることはないだろう。
「ひっく……だって……宝物取られるのがやだったんだもん……」
「そうでございますか」
 ぽんぽんと背中を叩く長瀬の手が心地好い。
「でも、綾香様の宝物は綾香様が守っておいでだったのでしょう? 芹香様まで守られ
たのはなぜです?」
 そう聞き返してきた長瀬の眼を、綾香は多分生涯忘れることはないだろう。
「だって……だって……お姉ちゃんも大事だモン……お姉ちゃん、喜んでくれたから……
だから……」
 長瀬は笑みを浮かべると、もう一度綾香の背中を叩いた。
「綾香様は、芹香様が大好きなのですね」
 芹香が、綾香の頭をなでた。小さな、本当に小さな声だったが、
「ありがとう……」
と言ったのを聞いた。

 この日の出来事が、綾香を変えた。
 強くなる。大好きな芹香を守るために。
 力をつける。芹香が自由に過ごせるように。
 同じ来栖川の名を持つ者だけが可能なやり方で、芹香の自由を守る。
 そして、自らの体を武器として、芹香を守ろう。


 そうして、綾香は強くなった。


「……おめでとう、姉さん」
 綾香の前に、真っ白なウェディングドレスに身を包んだ芹香が立っていた。あいも変
わらぬ無表情だが、顔がほんのりと桜色に染まっている。
 こくん。
 今日、芹香は結婚する。相手は高校時代の後輩。芹香にとって初めてできた友達。言っ
てみれば初恋未満の相手と結婚するわけだ。
 本来なら結ばれるはずのない相手だった。
 だが、思いはいつか現実となる。綾香はそれを見守ってきた。
 浩之は、凄い男だと、綾香も認めざるをえない。
 そもそもあの頑固一徹な長瀬を、ほんの数ヶ月で心服させ、戦ってはエクストリーム
大会で綾香と決勝を争い、勝っているのだから。綾香にとっても、あれほど緊迫し、負
けて清々しかった戦いは、後にも先にもなさそうだった。
 しかも……来栖川家の一員となることを拒否したのだから。その時の啖呵は、それは
それは語り草となるものだった。
「俺は、芹香が好きなんだ。来栖川家なんてもんはいらない。芹香だけ、それで十分だ」

 来栖川財閥といえば、冗談抜きに日本を動かすことのできる力だ。それがいらないと
虚勢ではなく言える男など、何人いることか。
 結局、両親も祖父も、折れた。折れざるをえなかった。
 そして今日、この日を迎える。
「…………」
「え? 心配ばかりかけてごめんね? いいのよそんなこと。それより、幸せになんな
さいよ」
「…………」
「もちろんよ? ふふっ、まさか姉さんからお惚気聞かされるとは思わなかったわ。今日
から姉さんは藤田芹香になるけれど、私はいつまでも姉さんの妹なんだからね。いつ
でも、なんでも、相談してよ」
「…………」
 ありがとう。この言葉を聞くのも、もうあまりなくなるのだ。
「さてと。あたしは浩之の顔見てくるわ。花嫁がこんだけ輝いているんだから、せめて
少しはメッキしといてやんないとね」

 控え室では、花婿が緊張を隠しきれない表情をしていた。
「やっほー、浩之」
「よお、綾香か……なあ、俺の格好、おかしくないか?」
 ちらっと一瞥して、大丈夫、と太鼓判を押す。
「まあ、姉さんの隣に立つにはちょいと力不足だけど、姉さんがとんでもなく光り輝い
てんだから、仕方ないわよね。十分十分」
「誉められてんだかけなされてんだか」
「バカねえ。けなしてなんかないわよ。事実を言ってるだけ」
「言ってくれるぜ」
 苦笑する。緊張がほぐれているのが分かる。
「さっ、そろそろ時間だよ。準備いい?」
「ああ」
 立ち上がった浩之を、綾香はもう一度眺めた。
 今日から、この人が私の代わり。芹香を託すに足る人。
「……姉さんを、よろしくね。義兄さん」
 すっ、と両手を揃え、お辞儀する。
「……任せとけ」
 浩之も神妙な表情で、それに応えた。
「さあ行くぞ。一生一度の晴れ舞台だ」

                                                                  fin



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