(Leaf Visual Novel Series vol.3) "To Heart" Another Side Story

for 「本日のお題」

鉄の女

Episode:来栖川 綾香

Original Works "To Heart" Copyright 1997 Leaf/Aquaplus co. allrights reserved

written by beorn

帝都を見下ろす巨大ビルの一室。ここでは、来栖川グループのVIPが集まり、会食を楽しんでいた。
出てくる素材は一級品、料理人も超一流。美味に舌鼓を打ちつつ、会話がはずむ。とは言え、世界有数の巨大企業複合体、来栖川である。食事中の会話一つで、世界経済が左右される。そんな、ある意味恐ろしい会食である。
参加者は来栖川グループ傘下の会社社長、重役といった面々である。もちろんこの会食は、道楽や親睦会の類ではない。他部門との情報交換の場でもあり、また来栖川グループ内での勢力争いのため、腹の探り合いをする場でもある。

そんな中に、綾香はいた。鋭い目つき、凛とした顔立ち。流れる黒髪に趣味の良い装い。育ちを思わせる優雅な仕草の中に、雌豹を思わせる力強くしなやかな動きを潜ませている。
米国へ留学し経営学を修めた後、現会長による大抜擢を受け、グループ内のある企業のトップに着いた。着任すぐから辣腕を発揮し、将来を有望視されている。

義務で仕方なく参加している綾香にとって、会食は楽しいものではなかった。なぜなら、現会長の孫娘であり、若き女性経営者である綾香は、会食の場でも注目の的であるからだ。
もちろん、注目されることは嫌いではない。来栖川の令嬢であり、学生時代は異種格闘技のチャンプであった綾香は、メディアへの露出には慣れっこだ。世間の視線も心地良いものであった。
しかし、今集めている周囲の視線には、好きになれないものがある。以前は、羨望や好奇の中にも、賞賛の視線があったものだ。しかし現在の、多くの富と権力を持つ独身美貌の来栖川の令嬢に向けられる視線には、嫉妬と羨望、野望と欲望しか感じられない。

私は孤独だ、と綾香は思うことしきりだ。自分が世間一般の人とは違うことは、理解しているつもりだった。それでも、以前はそれほど孤独感はなかった。送り迎えにお付きの者が付くような窮屈な生活ではあったが、格闘技の世界には対等に渡り合うライバルと呼べる人物がいた。学校にも、気さくな友人が何人かいた。
しかし今、綾香の周りにいる者たちは違った。卑屈にへりくだり、綾香に気に入られようとする者や、親しげな態度の裏に、綾香の富と権力を虎視耽々と狙う者たちばかりだ。
特に、綾香が独身ということが一層混沌とした状況を生みだす。独り者の男どもは、自分の売り込みに熱心であるし、そうでなくても親類縁者を紹介しようと躍起である。

来栖川グループでの今の立場は、綾香自身望んだものだ。世界市場という戦場での「戦い」は、まさしく自分に相応しいものだと、綾香は思っている。しかし、ここが自分の本当の居場所なのだろうかと、疑問を抱いているのも事実だった。


とある日曜日。多忙な来栖川綾香にとって貴重な、月に一度の休暇日である。たとえどんな急用があろうとも、今日の綾香の予定を変えることはできない。

最近の休暇はもっぱら、昨年生まれた姪の顔を見に、姉夫婦の家を訪ねることに費やしている。姉も綾香と同様、来栖川グループの将来を担う人物として期待されていたが、高校時代に知り合った男性の所へ、周囲の反対を押し切って家出同然で嫁いでいってしまった。今では、来栖川グループとあまり縁のないサラリーマンの夫を持つ、中流家庭の主婦をしている。世間知らずで深窓の令嬢として育った姉に、よく今の生活ができるものだと綾香は感心することしきりだ。

綾香が訪ねた時、姉は買い物で出かけていた。義兄が姪の世話をしていた。
特にすることもないのだが、姪をあやしたり、義兄と世間話をしたりで時間が過ぎていく。

相変わらず、義兄は綾香の事を呼び捨てにする。綾香のことを呼び捨てにするのは、親族以外では義兄だけだ。それも姉と結婚するはるか前、学生時代に知り合った時からずっとだ。
当時から「来栖川の令嬢」「異種格闘技チャンプ」といった肩書きを背負っていた綾香だったが、義兄の前ではそんな肩書きも関係ないらしい。
目の前にいる、一個の人間として相手を見る。義兄のそんな態度に、姉は惹かれたのだろうと思う。

二人の話題はもっぱら、姪のことや、格闘技のことなどだ。義兄にしてみれば、姉の実家である来栖川家の様子について、いろいろ聞きたいのだろうが、綾香の仕事のことや、来栖川家のことについては全く尋ねない。
仕事の事を忘れてゆっくりしたい綾香にとって、これは有り難かった。義兄なりに気遣いをしてくれているのだな、と綾香は思う。

麗かな夕暮れ時、姪を抱きあやしつつ、義兄の隣でのどかに時を過ごす。
ここが私の、本当の居場所ではないかという考えが頭に浮かんだが、あわててそれを否定した。


夜は、姉の料理をご馳走になった。
和やかな会話と、愛情のこもった料理。栄養補給と割り切って一人で食べる食事や、他の役員や取り引き先との気の抜けないディナーに比べ、なんと美味しいことか。

今夜のメニューはなんでも、ハーブをふんだんに使った滋養強壮に効果のある、姉得意の魔法の料理らしい。姉に聞くと発案は義兄で、多忙な綾香の事を気遣って、元気の出るものを食べてもらおう、ということだ。
確かにこのところ、綾香は仕事が多忙で疲れ気味であった。実際の効能はともかく、その心遣いが有り難かった。
おせっかいな義兄はこういう事にはよく気が回る。反面、もっと肝心な事には鈍くて気が回らないのだ。そう思い綾香は内心苦笑した。

そろそろ、暇を乞う時間だ。
姉は姪を寝かしつけており、義兄が綾香を送ってくれた。
笑顔で別れ、力強い足取りで帰路に付く。
明日からは、また戦いの時間だ。

(終)


インデックスへ戻る    感想送信フォームへ    筆者のHPへ