「二人で」


Written by 尾張






「──いらっしゃいませ」
 ほのかな好意が混じった、型通りのあいさつ。
 僕が来栖川電工のメイドロボを見たのは、それが最初ではなかった。
 それまでの、機械的なメイドロボからの脱皮をうたった画期的な新製品として、HM-12
とHM-13が発売になってから、すでに一年ほどがたとうとしている。
 ほんのきまぐれで入ったショールームで、僕を迎えたのはそのHM-13──セリオタイプ
だった。
 もとより、買う気などまったくなかった。貧乏大学生には、買えるような金額のもので
もない。
 少し遅れそうだ、という友人からの連絡があって、待ち合わせまでの時間をつぶすだけ
のつもりで入った場所で……。
 僕は、彼女に出会ってしまったのだ。
 シリアルナンバー30685──セリオ。
 おそらくは、単にプログラムされただけの、客をなごませるためだけの微笑み。無表情
の中に、ときおり見える表情の変化が、奇妙なほど僕をひきつけた。
 ひとことで言えば、僕は彼女にまいってしまったのだ。
 恋をした、というのが正しいのかどうかは分からない。異性としての魅力を感じたわけ
ではないのだから。
 ただ、理由もなく、その儚げな――作られた笑顔が気になったのかもしれない。
 子供の出来ない女性が可愛い赤ん坊を目にしたときに、さらってしまいたくなる欲求に
似ているだろうか。
 僕が、どうしてもいまここにいる彼女がいいのだ、と言うと、セールスのお兄さんは
「しかたがないですねぇ……本当はいけないんですが、特別ですよ」
と言いながら、僕の希望をかなえる旨の手続きをとってくれた。
 クレジットの契約を済ませたあと、あらためて話を聞いたところ、僕のような希望を出
す客というのは結構いるらしく、
「原則的にはお客様の元で最初の起動をかけていただく……ということになってはいるん
ですが、私たちもお客様のご希望に沿うのが仕事ですから」
 そう言って、笑っていた。
「本社のほうには内緒ですよ。あくまで、お客様が買われてから起動した、ということに
しておいてください」
と、何度も念を押される。
 契約の書類上は、その形で統一されていたところを見ると、いろいろ複雑なことになっ
ているようだった。
 でも、僕にとってはそんなことはどうでもいい。
 僕にとってのセリオは、彼女だけだったのだから。



「タカヒロ──様?」
 セリオが、僕の顔をのぞき込んでいた。
 困ったような顔。
 購入してすぐの頃には、セリオが知らなかった表情だ。
 セリオを、やっとの思いで手に入れてから、半年がたとうとしていた。
 HM-13は、自己経験学習型知能を持っている。
 出荷時の状態では、人間的な感情や表情については赤ん坊同然と聞く。
 経験を積むことによって、より『賢く』なっていくのだ。
 不慮の事故によってその学習結果が失われてしまっては困るので、僕はオプションにな
っている知能バックアップ用の機器も購入していた。
 機器さえあれば、あとはセリオのほうが定期的に自分でバックアップを取ってくれる。
機能面を重視する企業ユーザーならともかく、僕のような個人ユーザーにはこのバックア
ップがないと不安でしょうがない。
 こころの予備を取るということに、最初は抵抗があった。だが、彼女を失ってしまうか
もしれないという不安に比べれば、そんなことは取るに足らないことに思える。
「タカヒロ様、──どうされました?」
 セリオのいつもと変わらない声が、僕を現実へと引き戻した。
 腕の中には、現実の女の子よりも少しだけひんやりとした感触が感じられる。
 僕は、セリオを抱きしめていた。
 ゆっくりと、セリオの頬に唇を寄せる。
「──キス、というものですか?」
 セリオが、首をかしげて僕を見た。
「……ああ」
 柔らかな、普通の女の子と変わらない肌の感触。
 不思議そうに僕を見るセリオの顔には、先ほどまでとまったく変わらないはにかんだよ
うな微笑みが浮かんでいる。
 僕を見つめる優しげな瞳。
 何も知らない、無邪気な少女のように、僕を見つめている。
 ちくり、と胸が痛んだ。
 小さな女の子に、いたずらをしているような気分だった。
「こういうのは、嫌かい?」
 返ってくる言葉が分かっているのに、聞いてしまう。
「──嫌では……ありません。不思議な感じです」
 セリオが、少し首をかしげた。
「触れている唇から――熱以外の何かを感じます」
 その顔は、心なしか赤らんでいるように見える。
「どういうときに、行われる行為かも――知っています。嬉しく思います」
 はにかんだように、セリオが笑う。
「僕は、君といたいんだ」
 いったん顔を離して、おでこを、セリオと触れ合わせた。
「他の誰でもない、君と一緒にいたいんだよ、セリオ」
「──不思議な気持ちです」
 セリオが、言葉を繰り返した。
「メイドロボである私がこんなことを言うのはおかしいのかも知れませんが――。半年前、
ショールームで出会ったときからずっと、タカヒロ様の事は、私の――記憶の一番大事な
ところにあります」
 ぽつりと、セリオが言葉を紡いだ。
「はじめてでした。この人と一緒にいたい、と感じたのは――」
「僕も、セリオのことを、大事に思ってる。たぶん、出会ったときにじゃなく、ずっと前
から、そうなるように出来ていたんだと思う」
 ――夢物語のように。
 夢かもしれないけれど、セリオが、亡くした大事な誰かの生まれ変わりであるかのよう
に、その時の僕には思えた。
 その夜は、セリオとひとつ布団にくるまって寝た。
 まるで、母親の腕に抱かれているように、ゆったりとした安心感が、僕を包み込む。
 暖かな腕の中で、僕は眠りに落ち――そして、夢を見た。
 両親が出てきて、笑顔を僕に向けてくれた。僕と、妹と、幸せに包まれた家族が、そこ
にいた。
 僕は、つかの間の幸せに酔い――泣いた。



 人が増えはじめた教室で、ぼーっと机を眺めていた。
 ざわめきが、自分とは関係のない音の流れとして、空へと飛んで消えていく。
「……やっ」
 聞き慣れた声に顔をあげると、同じゼミを取っている藤村さやかが立っていた。
「おはよ」
 彼女は、いつも元気に笑っている。
 人気者――というほどでもないが、人見知りしない性格で、顔も広い。
 顔やスタイルがいいわけじゃないけど、男連中には評判がいい。
 なんというか、そばにいると元気づけられるのだ。
 笑顔が、ちょっとまぶしく感じるときもある。
「……なんか、眠そうだね」
「ちょっと……徹夜」
 ふああ、とあくびをして、眠気を出来るだけ押さえ込んだ。
 セリオのメンテナンスで珍しく遅くまで起きていたので、確かにものすごく眠かった。
 たぶん、憮然とした表情に見えるか……彼女の指摘のように眠そうに見えるか、どっち
かだと思う。
「レポート? ……じゃ、なさそうだね」
 くすっと笑って、彼女が隣に腰を下ろした。
「いくらぐーたら大学生だからって、夜はちゃんと寝ないと身体に悪いよ?」
 少し心配そうに目を細めて、僕を見る。
「昨日は……ちょっと特別。調子悪くて、さ」
「あ……、あのコの? うーん、それじゃあ仕方ないか。吉沢くん、あのコのこと大事に
してるもんね」
 藤村さんは、僕がセリオタイプを所持していることを知っている。そのせいで文字通り
貧乏大学生な僕をなにかと気にかけてくれる、いい友人だ。
 いろんな人に、いろんな形でお世話になっていることを実感する。
「藤村さん、今日はここでいいの?」
 自分の席の隣を軽く叩いて、聞いた。
「うん、別にどこでもいいし……。視力いいわけじゃないから、あまり後ろのほうだと授
業受けづらいけど」
「じゃあ、ごめん。代返……とは言わないけど、配布物とか来たらよろしく」
 それだけ伝えて、僕は机に突っ伏した。
 眠気が、急速に身体を包み込んでいく。
「ちょ、ちょっと吉沢くん……」
 慌てた藤村さんの声が、柔らかく耳の奥に響いて、まるで子守歌のように心地よく響い
ていた。



 意識が戻った次の瞬間には、すでに授業が終わっていた。
「うー……」
 ぼんやりとした頭で、伸びをする。
「……おはよ」
 隣の席で、藤村さんが机に頬をつけてこっちを見ていた。
「幸せそうに寝るよねー、授業中だっていうのにさ」
 あきれ顔で、少しおかしそうに笑う。
「いびきかいたらひっぱたいてやろうと思って待機してたんだけどな……」
「うぅ、さすがにそれは……嫌だ」
 情景が目の前に一瞬で浮かび、おかしさのあまり自分で吹き出しかけた。
「お昼……どうするんだっけ?」
 つられて笑いながら、藤村さんが聞いた。
「えっと……貧乏大学生としては、家に戻って食べようかと思ってたんだけど?」
 下宿は学校の近くにあり、バイクで帰ればすぐの距離なので、時折そうしていることは
藤村さんにも話した記憶がある。
「そっか……、たまには一緒に食べようかと思ってたんだけどな。セリオのこととか、ち
ょっと興味あるし」
「あ、一緒にうち来たら?」
「え……」
 僕の言葉に、藤村さんが一瞬固まったように見えた。
 予想外の反応に、なぜか頬が火照ったように熱く感じた。顔が……少し赤くなっていた
かもしれない。
「食事くらい出すし、その、セリオにも会えるしさ」
 うろたえをごまかすようにして、言葉を続けた。
「……それじゃ、吉沢くんの秘蔵っ子を見に行こうかな」
「どうぞ。歓迎するよ」
 ごまかすように言って、僕は席を立った。



 ――数分後。
 ヘルメットを貸して、自分はノーヘルでバイクを走らせた。
 風が、気持ちいい。
 藤村さんが身を寄せてくる感触に、ちょっとだけ胸が高鳴る。
 なぜか、これまでになく妙に意識してしまっていた。
「……安全運転、だね」
 ゆっくりと走っている僕に、藤村さんが後ろから声をかけた。
「まあ、事故起こしても困るし、女の子乗せてるしね。本当は乗らないで歩けばいいんだ
けど、時間の問題もあるし……」
 少し聞き取りづらいだろうと、こちらからはつい大声になってしまう。
「吉沢くんは、私を女の子として扱ってくれるね。……最近、なんかそういうの少なくて
新鮮だよ」
「みんな、藤村さんのこと好きなんだよ。気をつかわせないっていうか、そういうところ、
あると思うから」
「そうなのかな」
「絶対、そう」
「そうは思えないんだけどなぁ……」
 部屋に入るまで、藤村さんは首を傾げ続けていた。



「――おかえりなさい」
 ベッドの上にちょこんと座っていたセリオが、部屋に入るのと同時に立ち上がるのが見
えた。
「ただいま、セリオ。お昼、もらえる? できれば、二人分……なんだけど」
 後ろで、頭を下げる気配がした。なぜか、彼女には妙に礼儀正しいところがある。
 セリオを人として扱うのも、そういった礼儀正しさや、あるいは丁寧すぎるほどの優し
さ……なのかもしれない。
「はじめまして、セリオさん。藤村さやかです。吉沢くんの同級生……に、なるのかな」
「――はじめまして、藤村さま。吉沢様のお世話をさせていただいております、HM-13―
―“セリオ”タイプです」
 二人ともが、礼儀正しく自己紹介をしている。
「あんまりかしこまらなくていいからね。二人とも」
「――はい」
「はーい」
 トーンの違う二人の返事が聞こえる。
「返事だけはいいんだけどなぁ……」
 ちょっとだけ、心の中でため息をついた。
 セリオが、料理を作るために調理場へと向かう。
「その辺、適当に座ってくれていいからさ」
 声をかけて、自分も腰を下ろす。
 藤村さんは、やっぱり少しかしこまった姿で座った。
「セリオ、食事作ってくれるんだ」
「あ、家事は便利だよ。僕なんかすることないくらい」
「もともと家庭用じゃないっていうのに、それってなんかすごいね」
「知ってるんだっけ……サテライトシステム。あれがあるから、ほとんど超人だよ。もっ
とも、使用料が高くて払えないから、ほとんど使ってないけど」
「え……?」
 藤村さんが、驚いた顔で僕を見た。
「じゃ、料理とかどうしてるの? 確か最初のプログラムには入ってないんでしょ」
「……教えたんだ。基礎知識は持っていたから、火加減や味付け、材料の使い方なんかは、
その都度ね」
 半信半疑の顔で、藤村さんはセリオを見ていた。
「じゃ、もしかして吉沢くん、料理、すごくうまい?」
「うーん、どうだろ。一人暮らしが長いから、一通りのことは出来るけど。おいしいかど
うかは別問題だし」
「それじゃ、彼女になる子は大変だね……」
「セリオの学習能力は高いからね……。同じ失敗は、まず繰り返さないし」
「うぅ、やっぱり、彼女になる子は大変だよ……」
 ふう、とため息をついて、さやかは肩をすくめた。
「手作りの料理作っても、比較されちゃいそうだよ」
 おどけた口調で、藤村さんはセリオの後ろ姿を見やった。
「うーん、どうなんだろ。考えたこともなかったけど……」
「考えたことって、何が? 料理、それとも彼女が出来たらってこと?」
「両方……かな」
 少し考えて、答える。
「あ、ずるい答え」
「でも、外食と家での食事が違うように、彼女が作ってくれた食事はまた違うものになる
んじゃないかな」
 落ち着けるというか、ほっとする雰囲気が得られるんじゃないかと思う。経験がないの
で、断定は出来ないけど。
「でも、セリオのこと好きでしょ? だったら、彼女の手作りより美味しかったらそっち
がいいかもしれないし」
「好きなのは確かだけど……」
 少し、言いよどんだ。このあたりの想いは、あまり人に漏らすようなものではないと思
っている。
 迷った後に、僕は口を開いた。
「セリオのこと、恋愛対象として見てるつもりはないし。どっちかといえば、家族に近い
と思う」
 さらに続きを話すべきかどうか、迷った。
 長い沈黙の後、こちらを見ている藤村さんに続きを促されるようにして、言葉を続ける。
「前に話したことあったかな。小さい頃に、事故で両親と妹を亡くしててさ。……家族を
持つことのあこがれとか、あるんだと思う」
「あ……ごめん」
 少しだけ、彼女の表情が曇った。
「気にしてないから、大丈夫。もう……だいぶ前のことだし」
 手を振って、彼女の心配そうな顔に応える。
「――お食事、お持ちしました」
 セリオが、綺麗に切りそろえられたサンドイッチの載った皿を持って、やってきた。
「藤村さまは、お飲物はどうされますか――?」
「あ、あっと、えーっと、その……」
 唐突に聞かれて、藤村さんが慌てて答えようとする。
「紅茶かホットミルクあたりは?」
「そうだね……じゃあ、ホットミルクをお願いします」
「――かしこまりました」
 頭を下げて、セリオは戻っていった。
「遠慮なくどうぞ」
 言いつつ、サンドイッチを手に取った。
 少し遅れて、藤村さんも手を伸ばす。
「あ、やっぱり美味しいんだ……」
 最初の一口を食べた後、感心したように口に手を当てる。
「ちょっとすごいかも」
「うん、僕が作るよりずっと美味しいし」
「先生より上手くなってしまうあたりはさすがだね」
 セリオが運んできてくれたミルクを飲みながら。
 藤村さんと取る食事は、いつもよりもずっと美味しく感じられた。



 藤村さんと二人、こたつを囲んで座っていた。
 使い終わった食器を洗う音が、流しのほうから響いてくる。
「吉沢くん、この部屋に女の子呼んだことないでしょ。なんか、あのコがいて特別なんだ
からだと思ってた」
「別に、そんな風には思ってないよ」
「あ、そうなんだ。……なんか、残念だな」
「……どうして?」
「誘ってくれて嬉しかったんだ。吉沢くんにとって、私って特別なのかな、って」
 えへへ、と藤村さんは照れながら笑った。
 その笑顔が、なんていうかすごく魅力的に見えて、僕の心を騒がせた。
「少し、話したいことがあるんだけど、聞いてくれる?」
「い……いいよ」
 喉がからからに乾いたようで、声が自由に出なかった。
 やっとの思いで、それだけを絞り出すように発声する。
「私、藤村くんのこと……たぶん好きなんだと思う」
「……えっ?」
 一瞬、頭の中が真っ白になったようで、ものが考えられなくなった。
「これまではね、そんなに気にしてなかったんだよ。でも、なんか最近、吉沢くん、笑顔
が優しくなってきた気がして」
 照れくさそうに、藤村さんが笑う。
「セリオさんと暮らすようになってから、吉沢くん、変わったと思う。なんて言うのかな、
人に対しての姿勢が、それまでと違ってきたの、自覚してた?」
「いや……」
 もし、そうだとすれば。
 すべては、あの日に始まったのだと思う。
 セリオと――出会った日に。
「藤村さん……」
「できればね」
 藤村さんが、僕を見つめていた。
「さやか、って呼んで欲しいんだ」
 もう一度照れて、藤村――さやかが、頭を掻いた。
「なんかね、吉沢くんのこと取られちゃうみたいな気がして、焦ってたのかも」
 さやかが、顔を近づけた。
 熱いものが、頬に触れるのを感じる。
「一緒にいても……いいかな?」
 小さな声が、耳元で聞こえた。
「独占しようなんて思わないから……。いつもは彼女と三人で、一緒に笑って、時々は二
人きりになってくれれば、それでいいの」
 頭の中で、さやかの言葉がぐるぐると回っていた。
 告白を……してもらったことと、さやかがセリオのことを“彼女”と呼んだことに対す
る驚きとで。
 はじめてだった。
 セリオのことを、人のように扱ってくれる女性は。
「こっちこそ……よろしく」
 どきまぎしながら、とりあえず、それだけの言葉を口に出す。
 我ながらしまらない話ではあるけれど、正直な話、それでも心臓が破裂しそうなくらい
ばくばくと脈を打っていた。
「――お茶が入りました」
 すっと、視界の外からセリオが現れて、今度は驚きで心臓が止まりそうになった。
「あ、ありがと」
 思わず出た言葉が、さやかと重なった。
 一瞬視線が交錯し、そして……次の瞬間には、二人で吹き出していた。
「――?」
 不思議そうに僕たちを見るセリオをよそ目に、しばらくの間二人で笑い転げる。
「状況が今ひとつつかめませんが――」
 セリオが、小首をかしげた。
 とても自然で、人間らしく見える仕草。
「お二人とも、――とても幸せそうです」
 そう言って。
 そして、セリオも、幸せそうに笑った。






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