1.
きんこ〜ん か〜んこ〜ん…
放課後を知らせるチャイムが教室内に鳴り響く。
ざわざわざわ…
帰りのホームルームを終わり教師が出て行くのと同時に、教室内は雑然とした
雰囲気に包まれる。
僕は、特に急ぐでもなく帰りの支度をはじめ…
ばたばたばたばたばた……がらんっ
「やっほー! 祐くーん!」
……やたらと騒々しい音をさせながら、沙織ちゃんが教室に飛び込んできた。
――というか、沙織ちゃんが静かにやってきたこと自体が、記憶にはほとんど
無いけど。
そんなことを考えて、つい苦笑してしまう。
沙織ちゃんと付き合いはじめた最初のころは、クラスの連中にひやかされる事
もあって恥ずかしさも感じてたけど、最近ではもう慣れてしまっている。
「おはよう、沙織ちゃん。……で、どうしたの?」
放課後だというのにおはようも無いものだが、他のあいさつもなんだか照れ臭
い感じがして、ついついおはようと言ってしまう。それに、どうしたの、なんて
聞くのもいつものことだけど、用事が無くても放課後には沙織ちゃんは、必ずと
いっていいほど教室に飛び込んでくるんだから、これも随分意味がない。
「どーしたの? って、んー、祐くんってばなぁんか冷たーい」
これも、いつものやり取り。
こんな、他愛のないやり取りに充実感を感じている自分。
――ほんのすこし前には考えられないことだよね。
「なに笑ってるのー?」
「ん? 別になんでもないよ。それで? 今日はどうしたの?」
「あ、そーそー。今日って何の日か知ってるよね?」
――今日?
「今日? 今日って、……七夕? だよね?」
「ぴんぽーん! おおあたりー!」
沙織ちゃんが、大げさに両手をひろげて僕の回答に喜んでいる。
「それが、……どうかしたの?」
「どうかしたの? って。……だぁかぁらぁ〜、今夜一緒に商店街の七夕祭りに
遊びに行こうって誘いに来たんじゃない」
「七夕祭り?」
――って、なんのことだろ?
「えー!? 祐くん知らないのー? 毎年やってるじゃない?」
「……そう、だったっけ?」
初耳だった。あんまり、そういうのに興味とか無かったからな。
「うん! ね? だから」
両手を握り拳にして胸の前に当てたポーズで、沙織ちゃんが眼をきらきらさせ
て僕の顔を覗きこむ。
「うん、そうだね。それじゃ、一緒に行こうか」
「うん! じゃ、私、今日は部活早めに切り上げちゃうから、ん〜っと、そうだ
な。6時ごろにいつものとこで」
「うん、わかった。いつもの公園で待ってるよ」
「うん! じゃ、私、そろそろいくね!」
ばいばい、とてのひらをひらひらさせて、沙織ちゃんは来たときと同様、ばた
ばたと足音をひびかせながら教室から出ていった。
2.
「祐くん、おまたせ」
時間より15分ほど遅れて沙織ちゃんがやってきた。沙織ちゃんが遅れるのは
いまにはじまったことじゃないし、気にしてないけど。
「沙織ちゃん、その格好は?」
やってきた沙織ちゃんの服装をみて、一瞬固まってしまった。
部活を終えて学校から直接来るのだと思っていたので、制服でやってくるのだ
とばかり思ってたんだけど。
「えへへ。どう? 似合う?」
浴衣姿の沙織ちゃんは、その場でくるりと一回転してみせた。
「え? あ、う、うん。とってもよく似あってる。可愛いよ」
いつもと違う沙織ちゃんに、すこしどぎまぎしながらもそう答える。
「うふ、ありがと」
すこしはにかむ姿も、なんだかいつもと違ってみえる。
「けど、そーゆー祐くんもどうしたの制服で? 家には帰らなかった。……わけ
無いよね、かばん持ってないし」
「あ、うん。沙織ちゃん、学校から直接来ると思ったから、その、自分だけ私服
っていうのも悪いかと思って」
「くすっ。祐くんらしいね、その気を使い方」
沙織ちゃんは、口に手を当ててくすくすともらし笑いをしている。
「……そんなに可笑しいかな?」
「でもまあ、安心して。こーゆーこともあろうかと。ほら」
沙織ちゃんは持っていた紙袋からごそごそとなにかを取り出した。
「……ゆか、た?」
「へっへ〜。どお? すごいでしょ? ねぇね、祐くんも浴衣着てみせてよ」
「え? でも、こんなとこで着替えるわけにもいかないよ」
「公園のトイレで着替えてくればいいよ。えへ、実は私も」
――と、紙袋の口をすこし広げてみせた。中に学校の制服とかばんが入っている
のがみえる。
「でも」
「でも、なに? まだなんかあるの?」
ちょっと不機嫌そうに沙織ちゃん。
「靴に浴衣っていうのは似合わないんじゃないかな?」
その言葉に沙織ちゃんは、ふっふ〜んと胸をそらし
「この沙織ちゃんに、そんな手抜かりはないんだから」
そういって、またも紙袋をごそごそ。
「はい、これ」
と、なにかを手渡してきた。
「げ、げた。こんなものまで」
沙織ちゃんの用意周到さに思わず顔が引きつる。
「これでもう問題は無いわよね? ね? ね?」
いたずらが成功した子供のような表情をして僕の顔をのぞきこむ沙織ちゃん。
「わかったよ。僕の負け。それじゃ、すこし待ってて」
「うん! はやくはやく」
――はぁ。なんだかんだで、僕っていつも沙織ちゃんのペースにはまっちゃっ
てるよね。
3.
「わー、すごいねー」
沙織ちゃんが感嘆の声をもらす。
「うん、ほんとだね」
天井から吊るされた大きな笹に、短冊代わりにさまざまな飾り――例えばそれ
はティッシュペーパーで作られた花を何千個も組み合わせたような巨大な花飾り
だったり、大人が何人も入れるような大きさのくす玉だったり――が吊るされて
いるさまは、たしかに大したものだった。
慣れない浴衣に気恥ずかしさを感じていた僕も、次第にそんなことも感じなく
なっていた。
「わ〜、どらえもんだ。なんかなつかしー」
「うん。……へ〜、作ったの市立小学校の生徒だって。いまの子も、どらえもん
とか観てるんだ。なんかすごいね」
「あ、なにあれ。あはは、ゴムタイヤだよ。ゴムタイヤが吊るしてある。なんか
変なのー」
「ホントだ。なになに? 作成者トミサワカー用品店だってさ。だからって普通
ゴムタイヤなんか吊るすかな」
「あ、みてみて祐くん。金魚すくいだよ金魚すくい。やってかない?」
「うん、そうだね」
僕の返事より早く沙織ちゃんは金魚すくいの水槽の前にしゃがみこんで、店番
のおばさんからモナカを受け取っていた。
僕はやらずに沙織ちゃんがやっているのを後ろから見ていることにした。
すぅっ――緊迫の一瞬、きんぎょがモナカのすぐ上を通るのを待ち受け素早く
すくいあげ、――ばしゃっ
「あぁん。破けちゃったぁ」
「残念だったね。沙織ちゃん」
「悔しいから、もう一回」
・
・
・
「あぁ、また!?」
沙織ちゃんは何度もチャレンジするが一匹も金魚が取れないままだ。
「どうだい? 彼氏もやってみないかい?」
おばさんが、僕にもすすめてくる。
「そうですね。一回くらいなら」
おばさんにお金を渡し、モナカを受け取る。
正直言って、金魚すくいなんてほとんどやったことないんで全然自信はない。
ひょい――ぱしゃっ
「え?」
思いもかけず、あっさりと金魚を自分のお椀の中に入れられたことに驚いてし
まった。
「すっごーい。祐くん、金魚すくい得意だったなんてしらなかったよ」
「え? いや、そんなことないんだけど」
3匹ほどの金魚をすくったところでモナカは溶けてやぶけてしまった。
すくった金魚を袋に入れてもらって、沙織ちゃんに渡した。結局、沙織ちゃん
は一匹もとれずじまいだったけれど、そんなこととは関係なく上機嫌だった。
「ほらほら、祐くん。次いこ、次」
沙織ちゃんは、さっさと立ち上がって僕を急かす。なにか面白いものでもみつ
けたらしい。
おかしいなぁ、と思いつつ、金魚すくいのおばさんのほうをみると、モナカを
二つ左手に持ち、両方のモナカを右手のひとさし指で軽く弾いた。片方のモナカ
はボロっとくずれたが、もう一つはなんともない。そして、おばさんは不器用に
ウィンクしてみせた。
――なるほど。そういうことだったんだ。
僕は、おばさんに軽く頭を下げ、沙織ちゃんのあとを追いかけた。
4.
という具合に、その後も輪投げに射的、やきそばにリンゴ飴などお祭りの定番
メニューをこなしつつ商店街の端までやってきた。
商店街の端にもくると出店なんかもまばらで人通りも少ない。
「あはは。あ〜、おもしろかった! ね! 祐くん?」
「うん、そうだね。でも、人が多くてちょっと疲れたな」
「祐くん、人ごみって苦手そうだもんね。私は人が多いと、なんかウキウキして
きちゃうけど」
くすっ
「あー! 笑ったなー。こいつー」
思わずこぼれた僕の笑いに、沙織ちゃんがツッコミをいれる。
「あはは。ごめん。ごめんてば」
「じゃぁさ。ちょっと休もう。たしか、すこしいったところにちっちゃな公園が
あったはずだよ」
5.
「あれ? こんなとこにお店が出てるよ」
公園の入り口のすぐわきにおじさんが一人座って店――といっても小さなござ
をひいてあるだけだけど――を出していた。
「短冊屋? なんだろ?」
「ねえ、おじさん。ここって何を売ってるの?」
沙織ちゃんが尋ねる。
「名前の通りさ。ここは短冊を売ってるんだよ。ほれ」
と、おじさんは親指で自分の後ろ――公園の中――を差した。
「へぇ」
おじさんの指差したところには笹が立てられていて簡素なかざりつけがされて
いた。色鮮やかな短冊もいくつか下げられている。
「ねえねえ、祐くん。私たちもなんかお願い事書いて吊るそうよ」
「うん、いいよ」
「じゃ、おじさん。短冊二枚ちょうだい」
「はいよ。一枚500円だよ」
「えー! たっかーい! まけてよ、おじさん」
「お嬢ちゃんにはかなわないな。そうだな、お嬢ちゃんは可愛いから300円で
いいよ」
やれやれしょうがないなぁ、という仕草をみせるおじさん。
でも、顔は笑っている。どうも、はじめから値切られるのを期待して言ってい
たんじゃないかと思う。
「え? ほんと? やった」
嬉しそうにしている沙織ちゃんが微笑ましい。
沙織ちゃんがいそいそと財布を出して、
「……」
?
沙織ちゃんが財布の口をあけたまま固まっている。
そして、上目づかいに僕をみる。
「……もしかして、お金残ってないの?」
こっくり。
悲しそうにうなづく沙織ちゃん。
「わかったよ。じゃ、僕が二枚分出すから」
笑ってしまいそうなのをこらえて、僕は自分の財布から600円を取り出して
おじさんに渡す。
「お嬢ちゃんの分は可愛いから300円にまけるとは言ったけど、お前さんの分
は500円だよ」
「え?」
「なに間抜けな顔してるよ。冗談だよ。冗談にきまってるだろ」
冗談を真に受けてしまった自分に恥ずかしさを感じて顔が熱くなる。
「ま、そう悪く思うなって。七夕の夜に美人の織姫さんを連れてる色男に意地悪
のひとつくらい言わせてくれたって罰はあたんねえだろ」
僕の肩を、ぱんぱんっと叩きながらおじさんが笑う。
「んで、こいつはサービスだ」
おじさんは、短冊と一緒に油性のマジックペンを2本くれた。
5.
公園のベンチに座って二人で短冊に願い事を書く。
「ねぇ、祐くん。もう願い事書けた?」
沙織ちゃんが聞いてくる。
「うん。沙織ちゃんは?」
「私も。じゃ、お互い見せっこしよ?」
「うん」
お互いの短冊を交換。
どれどれ? 沙織ちゃんの願い事は――
来年も祐くんと一緒に七夕祭にくれますように
――ぷっ。
僕と沙織ちゃん、二人同時に吹き出す。
あはは。なんだ、二人とも同じ願い事書いちゃったんだ。
ひとしきり笑ったあと、二人で一緒に笹に短冊を吊るしにいって、そして再び
ベンチに腰をおろす。
お互いもたれかかるような格好。
物も言わずにしばらくの間過ごす。
「ねぇ?」
「うん?」
「天の川、綺麗だね」
「……うん」
「……あのさ」
「………」
「来年もまた二人で……」
「うん。来年もきっと来よう」
「うん、そうだね」
そしてまた無言のまま。
時間の経つのも忘れて僕達二人は星空を眺めていた。
Fin.