恋は盲目 | |
- 上月 澪 - |
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「よう、おはよう」 その日の朝、浩平は下駄箱の手前で珍しく澪を見かけた。 いや、実際には浩平がそんな時間に学校に来ていたこと自体が珍しかっただけにすぎないのだが。 『おはようなの』 スケッチブックを勢いよく広げて、澪も勢いよく挨拶を返してくる。 「元気そうで何よりだ」 「……」…? 浩平の言葉に、澪は不思議そうに首をかしげた。 「いや、眠いんだ」 言葉通り、浩平はいまにも眠り込みそうなほどふらふらと歩いていた。 学校に来る途中も、時折、身体をよろめかせて長森に支えてもらっていたほどだ。 「……」…うーん。 どうすればいいのか困ったように、澪は頭を抱えた。 「あ、おはよう、澪ちゃん」 少し遅れてやってきた長森が、楽しそうに澪に声をかける。 『おはようなの』 浩平の時と同じように、スケッチブックを持ったまま澪が笑顔になった。 「おはようー」 長森は長森で、そんな澪を見ながら楽しそうに笑っている。 「こんな、七瀬と会わないほど朝早くに学校にきたの、何年ぶりだ…」 浩平は一人、眠気に負けないようにして立っているので精一杯だった。 「ちょっとっ、人聞きの悪いこと言わないでっっ」 聞き覚えのある声が、浩平たちの背後から聞こえてきた。 「それじゃまるで、あたしがいつもぎりぎりに登校してきてるみたいじゃない」 いつの間にか、浩平の背後に七瀬が音もなく出現している。 「…違うのか?」 過去の事例を思い返してみた。 最初に出会ったときも、その次に道でぶつかったときも。 たしか、いつもと同じように長森と一緒に走っていたはずだ。 「…やっぱり、結構やばい時間に来てるとしか思えないぞ」 「折原と衝突しなければ、十分余裕を持って間に合うのっ」 それは、十分な余裕とは言わない気もする。 「大体、今日この時間に来ていることが証拠じゃない…」 「いや、でも今日はオレも早かったし…」 浩平は、なんかよく分からないことを口走ってしまっていた。 「……」…うー。 間に挟まって、澪が困っていた。 頭を抱えながら、浩平と七瀬を交互に見ている。 「あ、浩平と七瀬さん、別に喧嘩してるわけじゃないから」 長森が、澪の横で解説を入れる。 「仲がいいだけなんだよね」 「まあ、悪くはないだろうな」 「…良くもないっ」 浩平の言葉に、すかさず七瀬が訂正を入れた。 …まぁ、そんな仲っていうことなんだろうということで。 ――昼休み、割と珍しいカップリング。 七瀬と澪の二人連れ。 購買で買ったサンドイッチを手に、中庭で仲良く昼食といったところだろうか。 ぽかぽかと日が照っている芝生の上に、澪がちょこんと座る。 七瀬も、その横に腰を下ろした。 「澪ちゃんは、さ」 七瀬が、ぽつりと聞いた。 「折原のこと、どう思ってるの?」 「……」 …うーん。 困ったような顔で、澪は少し迷った後、 『好きなの』 手に持っていたスケッチブックに、迷いなくペンを走らせた。 「好き…っていうのも、なんか漠然としてるよね?」 『“大”好きなの』 文字を書き足して、澪が嬉しそうに笑う。 それを見て、七瀬が複雑な表情になる。 「どこがいいのか、あたしにはまだ分からないけど…」 『あったかいの』 「そうかぁ…そうなの、かな」 ちょっと不可解そうに、七瀬は首をかしげた。 折原が、澪が言うほどにいいやつだとは思えなかった。 ――が、ここまでなついている姿を見ると、自分の判断が間違っているのかもしれないとも、思えてくる。 少しの間悩んで、七瀬は答えを出した。 「やっぱり、あたしにはまだよく分からないな」 ――いまのところは。 『すぐに分かるようになるの』 澪がまたペンを走らせ、嬉しそうに笑った。 スケッチブック丸ごと一冊つぶして、折原浩平の良さをたっぷりと講義するつもりらしい。 すでに、七瀬に退路はなかった。 「なんか、珍しい組み合わせだな」 澪が、七瀬の腕にぶら下がるようにくっついて歩いていた。 「そ、そう? …そうかも」 七瀬も、困ったような、それでいてどことなく嬉しそうな顔で澪を見ている。 その笑顔が、浩平の目には、これまで見たこともないほど優しく見えた。 「……」…えへへ。 少し照れながら、澪も楽しそうだった。 「何かあったのか?」 「……」えーと。 「えっと…」 澪と七瀬が、お互いに顔を見合わせた。 『秘密なの』 「…まぁ、そういうことだから」 澪の出したスケッチブックを見ながら、七瀬も深く頷いていた。 どうやら、いつのまにか意気投合してしまったらしい。 「…なんだか、そうしてると姉妹みたいだな」 浩平の言葉に、二人は顔を見合わせる。 「外見や性格は全然似てないのに」 楽しげで、それでいてどこか不安そうな。 それが、恋する少女たちが発する独特の雰囲気だと浩平が気づくのは、たぶんずっと先の話。 というか、気づくのかどうかは別の問題かもしれない。 とりあえず現時点では、長森のライバルがさらに増えたということで。 |
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どっとはらい |