お題 “志保”
Sidestory of "To Heart"
 

「Good Morning S.F.」


Written by takataka







	 深呼吸をする。
	 サングラスを額に上げた。
	 海へ向けて降りる坂道。
	 SFの街はそしらぬ顔、私のことなんか気にもかけない。

	 シャッターを押した。
	 私の手の中の、たしかな重み。
	 いまこの中に、私の見たSFの一瞬が眠っている。




				1




 最初は、先進国はどこも変わんないわねー、とかきいたふうなことを思っていた。
 SFの目抜き通りなんか、はじめて見たときはさすがアメリカって感動したけど、慣れ
ちゃうと表参道あたりと大差ない。あふれる広告看板、いきかう車、そしてとにかく人、
人、人。
 日本の道路に比べるとだいぶゆとりがあるって言うか、広々とした感じはあるけど。
 道端のアクセサリー売りに群がる女の子たちなんか、髪の色さえ気にしなきゃ日本の女
子高生とおんなじ。
 いや、最近は色もおんなじか。茶髪多いもんね。

「シホ、慣れるの早いネ」

 ポーチを肩ごしに背負ったレミィは隣を歩きながら話しかける。
 ん、と返事する。私も真似して、ショルダーバッグ肩ごしにしょって。





 彼女の家に厄介になりたい、と言ったとき、正直どんな反応するかなと思っていた。
 レミィとは仲良くしてたつもりだけど、それでもホームステイを頼めるほど親密だった
かと言うと、微妙なところだった。彼女が本国に帰ってから二年もたっているのだ。
 深呼吸ひとつして受話器を取った。考えてみたら国際電話なんてかけるの初めてだ。

 で。
 結果? めっちゃ好感触。

「Cool! シホ、それいいワネ。うちのファミリーも大歓迎しマス!」

 レミィったら電話口で飛び跳ねてるのが目に見えるくらいはしゃいじゃってた。
 それで、私も安心したんだ。

 空港に迎えに来てくれたとき、あいかわらずのひとなつこい顔を見たときにはちょっと
安心した。あの時のまんま何も変わらないレミィは、やっぱりどこか子供じみた百パーセ
ント純粋な笑顔だった。
 なんかいいな、と思った。
 羨ましかった。
 子供の笑顔には影がない。レミィのそれにも、もちろん。
 私はそうじゃない。
 私はあの時、涙を流す代わりに苦笑いをすることを覚えたんだ。
 ひとつの恋が消えてゆくときに。





 私的には、SFの街並はわりと気に入っていた。
 アンティークな市電や、雰囲気ある石畳はなんだか映画セットの書き割りみたいだけど、
写真とかで見慣れてるとそう感じるものなのだろう。

「ふふん、志保ちゃんの適応能力を甘く見ないことね」

 ちちち、と立てた指を振ってみせた。
 レミィはなんか口惜しそうな顔をしている。

「ちょっとつまらないです……」
「なんでよ?」
「だって、ニッポンの人は私がニッポンにいたとき、いろいろ案内してくれマシタ。
 人のおごりで何度もおスシ食べたり、カブキ見に行ったりしたです」
「なによー、いいじゃないの、日本人だってお鮨なんかそうそう食べられないわよ」
「そうでもないワヨ」
「なんで?」
「だってそのたびに『生のフィッシュ食べられマセーン』とか『キモノ、ビューテフルで
すね』とかいちいち驚かなきゃならないんだモノ。私小さいころ日本にいたからみんな知
ってるのに。
 あんまり驚いてあげないと、日本人すごく不機嫌になりマス。
 だから、得はするけど、なんだか疲れるノ」
「うーん。ま、よくある話よねえ」
「だ・か・ら」

 レミィはにやーりとあやしい笑みを浮かべた。

「シホにもアメリカでびっくりしてもらいマース。バケツみたいなLサイズコーラとか、
山ほどケチャップのかかったフライドポテトおごってあげます! 金門橋と自由の女神と
ホワイトハウスに連れてってあげます。
 で、シホはそれ見てサイトシーイングみたいに記念写真撮りまくるノ」
「やなこった」
「No!」
「はっはーん、今さらびっくりすることなんか何も……」

 と。
 ぱん、と軽い音がした。

「シホ!」

 途端に、がくんと衝撃。
 ものすごい勢いで地面に引きずり倒されたのだ。
 な、なんなのよ!?
 顔を上げると、花壇の影に身を潜めたレミィが真剣なまなざしであたりをうかがってい
る。

「…………!」

 息を呑んだ。
 彼女がこんな顔をするなんて思わなかった。子供子供してて笑顔を絶やさなかったあの
レミィが。
 ぼうっとして状況をつかめないでいると、レミィはふうっと息を吐いて、すっと身を起
こした。

「大丈夫! ただのパンクでした」

 指差した方を見ると、スリップ跡の向こうに前輪のタイヤのつぶれた車が止まっていた。
 その前で警官と若い男が何やらもめている。

 それにしても。
 ぱんぱんとひざの砂を払って、私はほっぺを膨らませた。

「ったくおおげさねえレミィ、何も人を引きずり倒さなくても……」

 言いかけて息を呑んだ。
 あたりの植え込みの影から、ビルのすき間から、商店の中から、無事を確認した人たち
が巣穴から這い出すアリみたいにぞろぞろと起きあがってきたのだ。
 そして何事もなかったかのように歩き出す。
 こんな事はなんでもない、日常的なことだとでもいいたげに。

「シホも、ああいう音を聞いたらすぐに伏せる癖をつけなきゃだめダヨ? 本当に危ない
んだから。
 ……シホ? どしたノ?」

 レミィの忠告をただ茫然と聞きながら、立ち尽くしていた。
 何だか急にあたりの景色が違って見える気がした。
 さっきとなにも変わっていないのに。
 その時ようやく、私は自分が本当によその国へ来たんだということを実感したのかもし
れない。



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