3 手にずっしりとくる重み。 金属の固まり、精密機械の感触。 もう一度構える。 ファインダーを覗く。 ガラスを通して浮かぶ二重像。 ピントはまだ合っていない。 「アタシのトモダチ、紹介します。きっとなかよくなれると思うヨ」 そう言ってにぱっと笑うレミィ。 彼女の大学の講義が終わる時間に合わせて待ち合わせした。とにかく来てよ、としきり に誘うので、来てみたんだけれど。 「いきなり人を引っぱり出してなんなのよー」 「ココです!」 彼女は街中の店の前で足を止めた。 カフェバーかなにかだろうか。細いガラスの填まった重そうな木のドア。薄汚れた壁に は昼間はくすんだ感じのするネオン燈の看板がぶらさがっている。 「Hi!」 ドアを押し開け、片手を軽く上げて、さっとひるがえす。 さまになってるな、と思った。 「Heren!」 背の高い男の子がそう言ったのだけ分かった。 カウンターに陣取っていた男女数人のグループがふり返った。 その表情がぱっと輝く。 レミィは私の手を引いて、前にずいっと押し出した。 「My friend,Shiho!」 「あ……I'm glad to meet you」 「Oh!」 どっと沸いた。 私は愛想笑いを浮かべながら、ちょっとこわばっている表情をほぐそうと努力していた。 背の高い男の子がスツールから飛び降りて、レミィにがばっと覆いかぶさる。 その背中に手を回して、ぽんぽん、と叩くレミィ。 ちょっと見には抱き合う恋人同士のようだ。 さすがにキスはしなかったけど。 あとはなにか、久しぶりだとか元気かとか断片は分かるんだけど、なんだか単語のぶつ 切りみたいなしゃべり方でしかもとんでもない早口なもんだからよく分からない。 私の方を向いてなにか言ってる、あ、ないすちゅーみーちゅー……あとは不明。 レミィが苦笑しながらぽんぽん彼の肩を叩いて止める。彼女はまだ英語が完全でないか ら、ゆっくりしゃべれ、という意味のことを言った。 それでどうにかついて行けるようになった。はあ、こりゃ前途多難だわ。 その辺にいた人たちにレミィは順々に挨拶して、私のことを紹介していく。 すると、みんな私を取り囲んで、どこから来たんだ、とか、ステイツの感想はどうだ、 とか、いろいろ聞いてくる。 私はちょっとつっかえながらも、それなりにきちんと組み立てて答えていった。ぎこち なさはあるし、頭で考えたことをいちいち文法に組み立てて話すのは骨が折れたが、それ でもちゃんと会話になってる。 まずは合格点をつけてもいいかな、と思った。 それにしても。 私はレミィをあきれたように見ていた。 すごいな、っていうのが最初の感想。 当たり前だけど、まるでアメリカ映画みたい。 表情がくるくる変わる。細かい身振り、相手の肩をちょん、とつついてみたりなんかし て。 なんか私の知ってるレミィじゃないみたいだ。 レミィは私なんかよりずっと大人に見える。 ううん、英語で話すからそう見えるだけかもしれないけど。 日本にいたときのレミィはたどたどしい日本語で、赤ちゃんみたいに頼りなくしゃべっ ていた。それがアメリカ映画にでも出てきそうな絶妙なプロポーションとあいまって、な んだか妙にかわいらしい雰囲気をかもし出していた。 アメリカでも、レミィはあの時とおなじように日本語でしゃべる。 ただし、私に対するときだけだ。 だから、他の友達と会って英語で話しはじめた途端、まるで急に大人になったように見 えたのだろう。 いかにもあちら風な大振りのボディ・ランゲージの端々に、なんだかちょっと大人の色 気みたいなものまで感じた。 私がまだ英語があんまり話せないせいもあるかもしれない。 それに、さっきからなんだか違和感があるのだ。 なんか……なんだろう? すぐに気づいた。 みんなが私に話しかけてくれている。 私はつっかえつっかえながらも、それに答える。 それに答えるように、子供に話しかけるように一語一語区切って発音しながら、私に話 しかけてくる。 そんなやり取りがしばらく続くと、やがて誰かが違う話を持ち出して、話題の中心がそ っちに移る。 みんなはそっちにすっかり気をとられ、こっちのことなんか気にもしなくなる。 私も加わりたかった。でも、もうとっくに超早口でスラング満載の英語になってしまっ て、何を言ってるのかさっぱりわからないのだ。 と、レミィが一人でぽつんとしてる私に気付く。 「そう言えばシホはね……」 またみんなに話題を振ってくれる。高校時代のこと、日本でのホームパーティーでのこ と。 そうすると他のみんなは私の方を振り向いて、またゆっくりとした区切り区切りの言葉 で話しかけてくれるのだ。 私はそれがさっきから気に障っていた。 レミィの助けがなきゃ、私、話に加わることもできないんだ。 心の奥底がじりっと熱くなった。 なんだかイヤな感じ。 つまり自分が中心じゃないと気がすまないって訳? やなヤツ。 自分で自分を嘲笑してみる。 でも。 ずっとそれでやってきたから、急にこんなふうになっても困るのよ。 どうしたらいい? 晩ご飯食べてシャワー浴びて落ち着くと、それまで気になってたことが思考の表面に浮 かび上がってくる。 ベッドに入って、ちょっと、イヤなこと思い出した。 今日のレミィの友達。 みんなすごく親切だった。私に合わせてゆっくりしゃべってくれたし、何かと気を使っ ててくれたみたいだった。 それはすごくありがたいと思う。 でも、違うの。私そういうのを期待してたんじゃない。 お客さん扱いなんかして欲しくない。 私は友達の家にホームステイしに来た日本人観光客じゃない。ここで生活して、ここで 仕事していかなくちゃならないんだから。 そんなのでジャーナリストなんかなれっこないでしょ? でも。 自分で自分をごまかそうとしてる。 だって、これはただの強がり。 思い出してみればいい。お客さん扱いにでもしてもらわなきゃ、私なにもできなかった でしょ? だって、あの志保ちゃんがさ、バカみたいに黙りこくってて、いかにも普通の日本人み たいにただへらへらしてただけって言うんだから、笑っちゃうわよね、まったく。 日本にいるあいだは、レミィやシンディや、アメリカのレミィの友達やなんかを前にし てマシンガンのごとく志保ちゃんニュースを披露する自分の姿を想像してた訳。 短大で英語の勉強して、駅前留学なんかもしちゃってさ。 それが来てみたとたんどうなのよ、このありさま。 そのくらいの促成栽培の英語じゃ、レミィの友達の話すスラングやら新語やら俗語だら けの早口の英語に全然ついて行けない。 なんか、口惜しかった。 だって、とにかくしゃべりまくるのがこの志保ちゃんのステータスシンボルじゃないの。 私からそれとりあげたら、一体何がのこるっての? ――まだ、私はまともにしゃべれないでいる。
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