4 ピントを合わせる前に、ファインダーから目を離した。 丸い金属のリング。その中にはめ込まれたレンズ。 ボディの左よりに付いている。 でもね。 右寄りにも、もう一つある。 ただ、光学部品じゃないんだけど。 夜が明けた。 カーテンを引いたままの薄暗い部屋の中、目が覚めたあともベッドから出る気にならず、 毛布を頭からかぶった。 自分では、これでもまわりにとけこんでるつもりでいた。まるでここで生まれ育ったみ たいにしてまわりのみんなとしゃべったりしているつもりだった。 でも、うまくいってるように見えたのはみんながレミィの顔を立てて私に何かと気を使 ってくれてたからだ。 私は、ここではどこに行っても他人で、お客さんなのだ。 ここに私の居場所はあるんだろうか? 「シホ、起きて! 行こうよ」 「あの……」 「ナニ?」 「あ……」 また行くんだろうか。 またお客さん扱いされて、それでいい気になって、レミィがいなかったら私なんか相手 にもされないんだろう。 そんなの……。 「あの……あははは! ごめんね、今日なんだか気分が悪くって!」 「そうナノ?」 毛布から、目から上だけ出して返事する。 「そうそう、休んでればよくなるから、心配せずにレミィ行って来なさいよ」 「本当に大丈夫ですか……?」 心配そうに何度もこちらをふり返って、レミィは部屋を出ていった。 いいや。 今日は寝ていよう。何かしようって気分じゃ、ない。 「シホ、起きてる?」 レミィの声。部屋の中はあいかわらず……というか、前にもまして暗い。カーテンを通 して差し込んでいた光は、いままったくなかった。 時計をみて驚いた。 もう夜だ。一日中寝てたのか。 ……疲れてるんだね、私。 レミィの顔が近づく。 目をつむると、こつん、とおでこに暖かい感触。 「熱はないみたいデスね。一応アスピリン飲んでみる?」 真剣な表情で、私のこと見てる。 彼女は本当に心配してくれてるんだ。なんだか悪い気がした。どうしてこの子はこんな に裏表なくやさしいんだろう? 優しさが重荷になるときだってある。 だから、今は放っておいて欲しい。 「そっとしといて欲しい」 「エ……」 「ほっといてって言ってるの! 子供じゃないんだから、いちいち引っぱり回されなくた って自分のことくらい自分でできるわよ!」 がばっと毛布を巻きこんで寝返りを打った。壁の方を向くと、少し気が休まる。 「もう私のことなんかほっといてよう……なんで……いちいち」 最低だ、私。 レミィは私のためにいろいろやってくれているのに。 「……やっぱり、お薬飲まなきゃいけませんネ」 レミィは真面目くさった顔でうなづくと、壁際のキャビネットをごそごそさぐりはじめ た。 「薬?」 「これ」 レミィは真剣な面持ちだ。 そして、どん、と目の前に置かれるワイルドターキーの瓶。 「酒は百薬の長デース!」 思わず苦笑した。 いいわよ。飲んでやろうじゃない。 バカみたいに飲んで、言いたいことみんな言ってやるんだから。私、恩知らずにでもな んでもなってやるわ。 とにかく、このままじゃダメなんだ。 ダメなんだよぉ。 「だからあ! あんた世話焼きすぎなんだって! ほっとけっつーの!」 「うにゃ?」 「聞いてんのかぁ! そりゃ最初はありがたかったわよ、この街も何も全然不案内だった しさ、知り合い紹介してもらって、多少人とも話すようになったし! んでも、いつまでも私を縛りつけておかないでっていってるの!」 「にゃ……」 レミィはちょっと鼻白んだ。 冗談半分で始めた話。 ちょうどよかった。 酒にまぎらせて言ってしまえば、それほどレミィを傷つけずに言いたいことが伝えられ るかもしれない。 でも、私はだんだん本気になっていた。 今にしてみれば、その時はそれくらい追い詰められてたんだと思う。 「アタシ、迷惑でしたカ……?」 しゅんと肩を落とすレミィ。いちいち分かりやすすぎると思う。 ずるいよ。私が一方的にレミィを苛めてるみたいじゃない。 「ごめん。私よ、悪いのは」 「シホ?」 「何様だってのよね、私。一人じゃなんにもできないくせにさ、強がっちゃって、背伸び して、せっかくのレミィの親切をうっとおしがったりして」 自分で自分がイヤになった。 いまの私、すっげーやなヤツだ。 許して欲しいなんて風には思わないけど、レミィは私のこと、嫌いになるだろうか。 「レミィって……子供好きなんだよね」 小さな声で、ぽそぽそと顔色をうかがうようにしゃべる。 私でもこんなしゃべり方、するんだ。 自分でも意外だった。 「ウン」 「だからかな。レミィさ、まるで子供の世話役みたいにして私のこと面倒見てくれてたで しょ。それがうっとおしかった……ていうのも、ある」 しゃべりすぎてるな、と思った。言わなくていいことまで言おうとしてる。 でも。 いま言わなきゃダメだ。 「でもね、それってある意味正解」 レミィは顔を上げて、不思議そうに私を見た。 その視線を受けるのが辛くて、わざといきおいよくバーボンのグラスをあおる。 悪酔いするわね、こりゃ。 「私さ、自分が大人だと思ってた。ひとりでなんでもできると思ってた。 それがうまくいかないんでイライラしてんのよ。世の中なんでも思い通りに行くもんじ ゃないって、とっくに分かってなきゃならなかったのにね。 昔からそうだったんだ、私。 ヒロたちだって、あたしが引っぱってやらなきゃ、とか思って、やったら空騒ぎしてみ たり、放課後引っぱり回してみたりさ。 いまになって分かった。私がみんなを引っぱってた訳じゃ、ない。 ヒロもあかりも、雅史もさ。みんな私のこと考えてくれてたんだ。一人で突っ走って引 っ掻き回して無茶してる私を、フォローしてくれてたんだって。 だから、今じゃまるでだめなんだ、私。 だってここには誰もいないもの。 友達がさ、誰もいないから……」 「シホ」 顔を上げると、レミィと視線が行きあった。 驚いた。 あのレミィが、子供みたいなレミィが、かすかな痛みの混じり合った、なんとも複雑な、 それでいてとても寂しそうな顔をしているのだ。 「アタシは、友達じゃないノ?」 彼女にもこんな顔出来たんだ。 まるで他人事みたいにぼんやりと思ってた。 「ねえシホ! アタシじゃだめなの? ヒロユキや、アカリや、マサシのかわりにはなれ ないノ? アタシじゃ、シホの力になってあげるコト、できないんデスか……?」 両手を胸に当てて、心臓をつかむみたいにぐしゃっと胸元を握っていた。 あーあ、服、皺になっちゃうよ。 私は重く鈍った心でぼんやりとそんなことを考えていた。 その時私は自分の悲しみだけで手一杯で、レミィの悲しみまで考えることができなかっ たんだ。 そのことは、後で分かった。分かって……恥ずかしかった。 「アタシだって、悲しかったよ。友達と別れるのがさびしくない人なんていない、と思う ノ。 ステイツにいるときも、ヒロユキのこと、ずっと考えてました……。 でも……また会えたから。今は離れてもいつかきっと会えるって、信じてたから」 11年間、ヒロのことを考え続けて生きてきたレミィ。 その言葉には11年分の重みが、流れゆく日々を思いを積み重ねながら生きてきた、た しかな重みがある。 私は溜め息をついた。 「ごめん」 辛くても、無理してでも、ここは笑わなきゃ。 「レミィは強いわよね」 「ソウ?」 気がゆるんだのか、ぱっとほほえむレミィ。 子供みたいな笑顔の下に、私には想像もつかないほど長く抱き続けてきた想いが隠れて いる。 「11年も離れててさ、ヒロなんかすっかり変わっちゃってたでしょ? でも昔みたいにまた笑顔で、帰ってきたよって、言えるもんね」 私は言えるだろうか。 何年か後に会って。 ヒロは大学生か、さもなきゃ社会人だ。子供っぽさも抜けて、あかりを支えきれるくら い大人になって。 変わるべくして、ヒロは変わっていくだろう。 そうなってしまったあとのヒロに会う自信、ない。 「……私さ」 口をとがらせて、言う。 愚痴なんてかっこ悪いと思いながらも、止めることができなかった。 「強がってたんだよ。馬鹿みたいに一人でさ。他の誰よりも大人ぶっててさ、一番子供だ ったくせに。 それで、逃げ出したんだ。変わるのがイヤだなんて、ただの言い訳。 変わらないわけがないんだ。ずっとこのままでいられるはずがない。 だから、大切な物を自分から投げ捨てたんだ。壊れてしまうのが怖かったから」 私は、レミィの顔を見ることができなかった。 レミィはどんな顔をして私を見てるんだろう。 知りたくなかった。 「私にはその覚悟がなかったのよ。仲良し四人組がばらばらになるなんて、あかりや、雅 史や、ヒロがだんだん遠くなって、いつか他人みたいにお互いのことをなんとも思わなく なるなんて考えられないよ。ずっと変わらず友達でいたいもの」 こんなこと言ったら、軽蔑されるかもしれない。 でも、言わなきゃだめだ。 「ヒロと……あかりがさ、恋人同士になって……そうやって、あの楽しかった四人組の関 係が壊れていくのが……怖かったんだ」 レミィ、なんで黙ってるんだろう? なんか言わざるを得ないじゃないのよ。 私は思いっきり早口で続ける。 「で、逃げに逃げたわけよ。いやもー大変だったわよぉ無理して関西の短大なんか受けち ゃってさ、それでもまだ飽き足らずにアメリカに一人で来てさぁ。やっていけると思った のよ、ほら、私ってオトナだし!」 ぱしん! 音を立ててひざを叩いた。 最高に可笑しい冗談でも言っているようなつもりで。 笑って欲しかった。 バカにしてくれてもよかった。 そうでなきゃ、やりきれない。 自分でもあきれてるくらいだもの、私。 レミィは黙っている。 わたしも、もう話すことはない。 長い時間が流れたような気がした。 「シホ。覚えてる?」 レミィはどこかよそをむいたまま、しずかに口を開く。 視線を追っていった先には、写真立ての中におさまった二つの笑顔。 小さな子供が二人。誰だろう? 「新聞部の記事。アタシ、アレ見てびっくりしました。アタシの家なんだもの」 「あー、『長岡の館』ね……」 話題が変わったんで、とまどいながらも安心して返事ができた。 「こっちこそあんときゃびっくりしたわよお。まさかレミィの家だなんて思わなかったも んだから」 「でもね、もっとびっくりしたのは、記事の内容ナノ。あの話読んですぐに分かった、ヒ ロユキはアタシのコト覚えててくれたんだなって」 「あはは……あれ、読んでたんだ」 なるほど、と思った。 あの写真が小さい頃のレミィとヒロか。 いわれてみれば面影あるわ。目つきの悪さとか。 「あんなに小さかった頃のことナノに、ちゃんと覚えててくれたノ。もしかしたら、ヒロ ユキにとってアタシは特別なのかもって、少しだけ、思いマシタ。 それでネ、ずっと言いたかったノ」 レミィは私に向き直って、ぐっと手を握った。 「アタシとヒロユキを再会させてくれて、ありがとうございマシタ」 「わ、私が会わせたんじゃないわよー。大体それ以前から会ってるじゃない」 照れ隠しに目をそらす私を、レミィはじっと見つめている。 「シホ、ジャーナリストになりたいんだよネ」 「ん? ああ、一応ね」 今のままじゃとうてい無理だけど。 「なれるよ! 絶対大丈夫!」 「い、言い切ったわねー」 「シホはね、ステキなジャーナリストになるよ。 あの記事読んでそう思ったの。だって、アタシとヒロユキの大切な思い出を結びつけて くれたの、シホだもの」 手を握ったままじっとのぞきこんでいる、子供みたいに邪気のないきれいに澄みとおっ た蒼い瞳。 綺麗だなって、思った。 「人と人とを結びつける、ステキなメッセンジャー。シホにはそんなジャーナリストにな って欲しいな」 「あっはっは、何言ってんのよお。あたしゴシップ専門よ。志保ちゃんじょーほー! っ てね」 ぱたぱたと手を振った。 そうだよ。こうやって笑ってごまかしちゃえばいい。 いつだって私、そうしてきたじゃない。 「なんか……やだな。 むかし……の、こと、なんか」 喉がひくひく震えるのが分かる。 なんでだろう。 私べつに悲しくなんかない。 泣きたくなんかないんだ。 なんで。 「OK, all right. All right already……Because,Shiho……」 暖かい手が、背中をぽんぽんとやさしく叩く。 レミィの胸に顔をうずめて、私はしずかに泣いていた。 へんな気持ち。 思い出すとあんなに辛いはずなのに、レミィと話してるとその痛みも甘いものに感じら れてくる。 『思い出になる』って、こういうコトなのかな。 ついさっきまで引きずってた私の高校時代。 卒業後、高校時代の気持ちが消えてしまうのがいやだから、みんなと離れた。 変わるのがいやだって、ヒロには言ったっけ。 一緒にいれば、いつかは変わってしまう。 それなら、思い切って断ち切ってしまえば、ヒロはいつまでもあの時のヒロのままでい てくれる。あかりと雅史と、四人でなかよくやってた頃のままで、私の心に居続けてくれ るんだって。 そうやってみんなが少しづつ変わっていくのを、少しづつ大人になって行くのを見るの がイヤで、それで私は離れたんだ。 でも。 それじゃ、あの頃から一歩も先に進めない。 まるで冷凍庫に入れるみたいに、大事にしまっておいておいた高校時代。 それがゆっくり解凍されて、心の中にしずかに沈殿していく。 これはもう過去の思い出。 いまのわたしの心をとらえて離さない、生きた記憶じゃない。 レミィの胸はあったかかった。 どんな悲しみもみんな解けて、流れていってしまいそうな――。 「レミィ?」 「なに?」 「さんきゅ」 「アハハ、ヒロユキみたいデス」 少し、黙っていた。 他人みたいな夜が、少しづつ、音もなく私に近寄って、私を包んでくれるみたいな気が した。 グラスの氷が、からんと音を立てる。 「レミィ」 「ナニ?」 「あのね」 「ウン」 「……ははは、あーのーねえぇ」 「なーんでースカー」 「……やっぱヤメ」 「Ouch!」 ぺたん、と机に突っ伏すレミィ。それを見て私はけらけらと笑う。 なんかどうでもよくなってきた。いい意味でね。 言えるかな、今なら。 「レミィ?」 「んー……」 「あんただから言うのよ? あんただから言うんだからね?」 「わかりマシタ!」 ぴしっと居住まいを正す。おー、さすがは元弓道部。 彼女の蒼い瞳を、ちらっと見上げて。 「――私、ヒロのこと、好きだった」 「私もデス!」 ぱちっと目を見開いて、ふたりして顔を見合わせて、にやーっと笑う。 共犯者の笑みだ。 「うふふふふふふ」 「アハハハハハハッ!」 レミィもか。 ま、そうでしょうねえ。 ったく、ヒロのヤツ、つくづく最低男よね。 こんな美人を二人も袖にしてさ。 ……でもね。あんたのその選択、間違ってないよ。 「シホ?」 「ん」 レミィが身を乗り出す。 その表情を見て、ああ、レミィも私とおなじ気持ちだったんだなって思った。 だって、すっごくいい笑顔なのにさ、今にも涙がこぼれそうなんだよ。 器用な表情するわねえ、この子。 「アカリ、幸せになれるといいワネ」 「……はは、あったりまえよお。この志保ちゃんがお膳立てして上げたんだから」 それから、ふたりしてぎゅっと抱き合って、少し泣いて。 いつの間にか眠っていた。
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