お題 “楓ちゃん” |
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「夢見ているから」
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目を開けると、白んだ風景が視界に入ってくる。 涙で霞んだ視界に、朝日が射し込んでいるから、天井すらはっきりと見ることが出来ない。 パジャマの裾で涙を拭い、上体だけを起こす。 カーテンを開けると、ぼんやりとしていた朝日も、痛いくらいの日差しを持って私の目に飛び込んでくる。 ちりちりと網膜が焼かれる感覚。 それを口実にして、私は再び涙を流した。 夢は、どこまでも現実へと続いているのだから。 のろのろと鏡台の前に座る。 真っ直ぐなだけの特徴のない髪の、私がいる。 力のない瞳の周りは、泣いたせいもあって赤く腫れている。 ただ、しばらく鏡の中の自分を見ているうちに、その腫れは完全に引いてしまう。 それがまた、私の目に涙を溜めさせる要因になる。 私は、どれだけ泣けばいいのだろう……。 身支度を終え、居間に出ると、叔父様がもう、起きてらした。 「おはようございます」 「おはよう、楓ちゃん。随分早いね」 広げた新聞から顔を上げて、笑顔で私を迎えてくれた。 「また、あの夢を見ましたから……」 「そう、か……」 叔父様だけは、夢の内容を知っている。 千鶴姉さんには、話せなかった。 頼ることが出来たのは、叔父様だけだった。 「……済まないな」 「何が、ですか?」 「私があいつに嫌われていなければ、せめて大学からはこっちに来させられたのだが……」 「ですが……」 「…そうだな。私が一人、こっちに来た意味がなくなってしまう。それでも、母さんの葬儀のときに、訊いてはみたんだ。 拒否されたがね」 そう言うと、叔父様は力無く笑った。 叔父様の気持ちは、耕一さんに伝わってはいない。 耕一さんの気持ちも、叔父様には伝わってはいないと思う。 お互いに、必要としあっているはずなのに……。 そして、私の気持ちも、耕一さんには伝わらない……。 エルクゥは互いの意識を信号化して伝えあうことが出来る。 夢の中で、私は確かにそう言っている。 加えて、叔父様の中に眠っている鬼の存在が大きくなっていることを、私は確かに感じている。 ならば、私の気持ちも耕一さんに伝わって欲しい。 けど、それは耕一さんの中の鬼の覚醒を意味する。 伝わって欲しい気持ち。 伝わってはいけない気持ち。 今の私は、常にその二律背反の中に立っている。 そうして、叔父様はそんな私に対し、せめてもと、耕一さんの話をしてくれるのだった……。 私があの夢を見るようになったのは、子供の頃に水門に行った、あの晩だ。 耕一さんと梓姉さん、初音と一緒に四人で魚を釣りに行ったあのとき。 とても暑かった夏の日のこと。 水門の上から足を滑らせた梓姉さんは、川に落ちて溺れかけた。 その時は助かったものの、買ってもらったばかりの靴を川の中に落としてしまい、ずぶ濡れになりながら泣いていた。 その靴を取りに耕一さんは川の中へと飛び込み、今度は耕一さんまでもが溺れかけた。 その際に、耕一さんは鬼の力を目覚めさせてしまった。 いったんは私たちを殺そうとしたものの、運良くというか、耕一さんは鬼の力を制御し無事に済んだ。 解放された鬼を間近で感じたせいだろうと思う。 その日の夜から、私はあの夢を見るようになった。 野武士、と言っていいと思う。 飄々とした風貌ながら、目に精悍さをたたえた男だった。 音のない世界で、二人だけがぱくぱくと口を動かしていた。 名前を呼び合っているのだと、それだけがはっきりと認識できた。 私の名前も、その男の名前も分からなかったのに。 その後も、夢は見続けた。 私がエディフェルという名前であり、浪人風の男の名前が次郎衛門であることも分かった。 そして、夢の内容がこの隆山の街に残っている、鬼の伝説と一致していると言うことも。 夢の中でも、伝説でも、私は姉の手に掛かり、次郎衛門の腕に抱かれて命の灯火を消している。 もちろん、私はそんな伝説は知らなかった。 伝説として残っている話の登場人物に自分がなった夢を見た、と言うわけでは決してない。 私には、それが前世の記憶だ、と言う考えを素直に受け入れられる土壌があった。 鬼と化した耕一さん。 あの幼かった日の記憶が、その記憶の中の鬼が、夢に出てくる鬼と姿形がまったく一緒だったからだ。 だから、あの夢の内容は全て、私の前世の記憶なのだと信じて疑わなかったし、色々な常識を持つようになっても、 否定されることはなかった。 何よりも、お父さん達のことを、私たちに流れる血のことを知ってから、千鶴姉さんや叔父様から聞かされるにあたって、 肯定の度合いを強くしていった。 その話をされた後、千鶴姉さんがいなくなってから、叔父様に夢の内容を話しておいた。 エディフェルはリズエルの手に掛かって死んでいる。 リズエルはエディフェルの一番上の姉に当たる。 エディフェルは四姉妹の三番目。 そして、私も四姉妹の三番目。 きっと、この符合も偶然のものじゃない。 私が、耕一さんがそうであるように、他の姉妹達も転生しているのだろう。 だから、千鶴姉さんのいる場では話せなかった。 きっと、信じてもらえる話ではないと思うけど、いつまでも謝り続けるような気がしたから。 今の私が千鶴姉さんのことを嫌いだと思われるかも知れないし、耕一さんに対する独占欲の現れとも思われるかも知れない。 どちらにせよ、千鶴姉さんに話していい結果になるとは思えなかった。 叔父様は、じっと私の話に聞き入っていてくれた。 話し終わった後も、否定されることもなかった。 ただ、鬼の血の話と共に他の姉妹にはまだ話さない方がいい、とだけ言った。 それ以降、私は叔父様とよく話すようになった。 話の内容を信じてくれたのか、耕一さんの話をよくしてくれるようになったからだ。 どんな些細なことであっても、私はその話の内容を覚えている。 話をされればされるほど、私の中での耕一さんの存在が大きくなっていった。 エディフェルとしてなのか、あくまで私としてなのかははっきりしていないけど。 それでも、私の中で耕一さんの存在は、とても大きなものとして捉えられる。 私にとっての、初恋なのかも知れない……。 けど、叔父様に耕一さんの話をしてもらったときは、決まってエディフェルの時の夢を見る。 それも、死に逝くときのものだけ。 目が覚めたときには、決まって涙を流していた。 どれだけ、胸が締め付けられる思いをしただろう。 なのに、私は叔父様に耕一さんの話を聞くのをやめなかった。 やめられるようなものじゃ、決してなかった。 前世を否定するつもりもなかったし、何よりも、その束縛から逃避するつもりもなかったから。 前世を前世として受け入れた上で、エディフェルの生まれ変わりとして生きていくのか、あくまで前世は前世と割り切って 柏木楓として生きていくのか、それを決めればいい。 今はまだ、その答えを出せないでいるけれど、耕一さんに会ったとき、きっとその答えは出るはず。 いつになるかは分からないけれど、耕一さんが前世を思いだしたとき、そして耕一さんがそれをどう受け入れたかで、私の 未来は変わってくる。 結論を他人任せにしているのかも知れない。 けれど、次郎衛門が、耕一さんが言った言葉を、エディフェルと最後に交わした言葉を私は信じたかった。 …忘れるな、エディフェル。…忘れるな。…たとえ生まれ変わっても、この俺の温もりを、この俺の抱擁を忘れるな。 …きっと迎えに行く。…そして、きっとまたこうして抱きしめる。…たとえお前が忘れても、俺は絶対に忘れない…。 …忘れない。…絶対に忘れない。…いつかまた再び巡り会い、必ずこの手でお前を抱きしめる。…そして今度こそお前を 護ってやる。…絶対に…お前を幸せにしてやるからな…。 …忘れない。…私も…あなたのこと…決して…忘れない。…私…ずっと…待っているから。…あなたに…再び…こうして… 抱きしめてもらえる日を…ずっと…ずっと…夢見てるから…。 ……そう。 ずっと…ずっと、夢に見ているから……。
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