chapter3

                   

 終業のベルとともに、一目散。オレは廊下へと飛び出す。
 駅前方面行きのバス停まで約五分。ギリギリ間に合う時間のバスに、走れば楽勝、
ちんたら歩ってたらまずお釈迦。
 ま、そうそう慌てることもないのだ。オレなら早足で充分。…ホントなら。
 だが、しかし。

「ヘイ、ヒロユキ!フリーズ!プリーズ!一緒に帰ろっ!」
 びしばしっと、突き飛ばしっ!
「藤田さん、あのっ…、一緒に、帰っていただけませんか…」
 おどおどおど、けれど、ちゃっかりと。袖のハシをひしっ。
「は〜いヒロ、そこでストップ!ヤックのバリュー賭けて、勝負よ!」
 軽やかに、鼻歌混じり、ぶらん・にゅー・はーと。
「…………」
 タロットを支えるシラウオのような指先。足許で、にゃ〜お。
「浩之、商店街にお好み焼き、食べに行こうよ」
 絶対無敵、裏無し、底無しの微笑み。
「藤田せんぱいっ、今日はクラブ、出ていただけますか?」
 ひたむきな瞳、礼儀正しさにサラサラと揺れる髪。
「藤田くん、私な、今日、塾休みなん。その…どっか行かへん?」
 そらす目線にカタめの表情。せっかちに、落ち着かなげに、小刻みな足踏み。

 とまぁ、幾多(いくた)数多(あまた)の障害が。嬉しいよーな、ウットオシイよーな。
 うーん、人気者はツライよ。
 …いや、実際、この調子でパターンにハマッて、初日から遅刻してしまったという
実績があるんだな。
 だからこそ。急いでいるんだという無言の主張を込めつつの、全力ダッシュ。
 コレだとさすがに。
「藤田くぅん、そんなに急いで、どこ行くのぉ?」
 話しかけてくるのは、やっぱりバイトに急いでいるらしい、セカセカと走る理緒ちゃん
くらいのものだ。

 月曜日。その日は。
 そう。ちょいと手洗いに寄ったのが、マズかったよな。
 ゲタ箱の前で、息せき切って階段駆け下りてきたらしいあかりに、追いつかれちまった。
あーあー、もう、ハァハァいっちゃって。…おいおい、咳き込むなよ。
「ひ、浩之ちゃん、待って…、こほんこほんっ、あの、ねぇ待って…」
「待ってるだろ。なんだよ、あかり」
「私…、その、えっと…」
「なんなんだよ?それ、急ぐハナシか」
「あ、ち、違うの、そうじゃなくて…。あの、浩之ちゃん、今日も一緒に…」
「ああ、帰れないぜ。オレ、用があるかんな、今日も」
「…う、うん。そうなの…」
 しゅん、と。力を落とすのが、見た目にも分かる。
「分かった。…ごめんね」
 寂しそうに。それでも、にこっ。
 …おいおいおい、あかり。おまえ別に、そこまでイタイタしく微笑まなくってもいい
んじゃねーか?
 バイトに急ぐって、ただそれだけのコトなのに。なんだかなぁ。すっげー罪悪感を
感じてしまう。
「あ、なぁ、ほら、志保とかいるだろ。雅史も、試合まで練習は一日おきだって言って
たしな、今日休みかもしんねー。あいつらと帰ってくれよ」
 あかりに対して慌ててフォローするなんて、らしくね〜。…ちぇっ。
「…うん。そーする」
「ああ、そうしてくれ」
 …。
 沈黙。
 あかりの奴、ちょっとうつむいたままで動こうとしない。
 …。
 だぁ〜っ!これって、オレが悪いのか?!
 やってらんね〜、つきあってらんね〜、このままじゃ、まにあわね〜。とっとと行こう、
とっとと。
 さっさと靴を履き、じゃあなっ、と一言。背を向けたままで。…気障野郎の捨てぜりふ
っぽくなってしまったか?
「うん。…また、明日」
 だから、声が暗いって。
 …しかたねーな。振り返ると、トボトボ歩いていくあかりに言ってやった。
「今週いっぱい、一緒に帰れねーぞぉ。(声のボリュームを落として…)んでも、ちゃん
と行くからよ〜。(さらに小さな声で…)アレな、ほら、どよーび、あかりの…ゴニョ
ゴニョゴニョ…は、な〜」
「あ!」
 …おい。その「あ」ってのは、どーゆー意味を含んでるんだ?
 このオレが忘れていると思ってたのか、それとも志保が連絡を忘れているって方か。
 ん…と、まぁ、後者だな、後者。アイツのいい加減さは筋金入りだからよ。仲良しの
あかりが、まず、一番よく知ってるハズ。

 あかりがどんな顔してたか、オレは知らない。
 いい加減、マジ、やばい。…んで、走ってきちまったから。

 …しっかし、あかりって変わんねーよなぁ。
 春先に髪型を変えてからというもの。うちのクラスの男子どもの間では、いや、一部
よそのクラスの奴らもか。なんでも赤丸急上昇要チェック暴騰株、ドイツもコイツも口を
揃えて「神岸さんってよぉ」「一年の時とは雰囲気が違うっていうか…」「すっげぇ、
可愛くなって」「明るくなった」「笑い方も変わった」といった具合で。
 おいおい、お前ら。ナニイッテンダ?
 変わったのは髪の形だけ。全く、なんにも、本質的に、変わっちゃいない。
 …今も、昔も。
 あ〜ゆ〜のは「犬チック」って言うんだぜ。

 犬チック。うむ、良いコトバだ。

 …なんてコトを考えてたら、またも遅刻してしまった。
 あかりめ〜っ、バイト料削られたら、どーしてくれるんだぁ!

                   

 ツルギヤB2フロアの事務ブロック、遊撃班待機室。
 臨時バイトくんは、まず、ここに入るんだけど…。う〜ん、すでに誰もいねぇ。

「ひぃ〜、ろぉ〜、くぅ〜ん」
「…(げ)」
 お茶目に間延びさせた猫なで声。やべっ、今日は出張って言ってなかったっけ?
 途端に背後から、こめかみを拳骨、うめぼしグリグリ攻撃。
「こらっ!おそいっ!おそいゾ、ヒロくんっ!」
「うげっ…すっ、すいませんッス、主任っ。い、痛い、あいたたたっ…」
「あ〜ら、ゴメンね〜。…力の加減を間違っちゃったかなっ。えへへっ」
 えへへっ…じゃない!マジいてぇ〜。
 可愛い顔して、この、鬼のような莫迦力。トンデモねぇ。

 ツルギヤ臨時雑用人員を統括している、この遊撃班の主任は。なんと、まだ二十代前半
の女性だ。去年だか一昨年だか、大学出たばっかの。
 細身、小柄でかよわげな美人。黒髪のおかっぱ、…というか、ボブか? 確かに顔立ちは
整ってるけど、むしろ幼さを残した可愛い系。セーラー服とか着せれば、じゅーぶん、
高校生で通るぜ。ほとんど反則。
 んで、振り袖なら日本人形、お嬢様ドレスでアンティークドール。黙って俯きがちの
ポーズ決めてれば、来栖川先輩と同系統のハイソなオーラがただよってるのだけど。
「あたしのコトっ?そだねっ、んじゃ、カエちゃんって呼んでね〜。よしっ、きまりネ!」
 キャピキャピ&アッケラカンとしていて、いつもハイ。躁なくらいに陽性。この、
お軽いノリのネーチャンが、まさか主任とは…。

 テキパキ、チャキチャキ、いつでも旋風(つむじかぜ)のように走り回っている。バタ
バタってイメージじゃないのが流石。
 時季外れの今でこそ、オレを含めて五人といないが。年末商戦期などには、この十倍を
越えるアルバイターたちを徹夜で指揮して、店内の総模様替えなどもやってのけるってん
だから。
 重責はのしかかるの、臨機応変の処理能力は要求されるの、ハードワークだよなぁ。
  それを、こんな女の子(といっても年上なのだ)が。…いや、信じらんね〜世の中だ。
 ウワサじゃ、現場の一主任ながら、上の方にも顔が利くという…。コレが世に言う
キャリア組、幹部エリート候補生って奴か?

「チッコク、チコクッ♪チッコクだ、ワーイっ♪」
「なに歌ってるんすか、主任…」
「ん〜、しゅにん〜!?ぶーぶーぶー。もー、チョベリバってカーンジ!」
「…」
 おいおいおい、アンタ幾つや?…でも、異常なまでに違和感ねー!
「きみきみ。主任っての、アタシ、ヤなのよね〜。言ったでしょ?…もうっ、ぷんぷん、
ぷーんっ」
「あ、ハイハイ。カエさん、でしょ」
「ちっ、ちっ、ちっ」
 人差し指を立てて、舌打ちに合わせて左右に揺らす。ぱちんっ、とウィンク。…やべっ、
ちょっと主任、お茶目すぎるぜ。クラクラきちまう。
「カエさんじゃ、すっげー年増って感じじゃない?ダメだなぁ〜、却下、却下ぁ」
「…わかりました。んじゃ…、カエちゃん」
「そぉ、そぉ。良く出来ましたっ!それよね〜、やっぱ」
 無邪気にニコニコ。う〜む、なんだか疲れるぜぇ〜。
「ヒロくん、キミにはこのまま、食料品トコのレスキューしてもらうつもりだったんだけど」
 昨日からオレは、焼きハム&焼きウィンナ試食販売のお兄ちゃんなのだった。
「パートのオバチャンたちにも可愛がられてたみたいじゃない。いや、ケッコウ、ケッコウ。
このオネーサンの采配の冴え、バッチリ証明されたってワケね」
「はぁ…」
「…で〜も。残念っ、今日は他の子を入れちゃったよ〜。来るの遅いんだもんなぁ、
キミってば、もおっ」
 オレのオデコをコツンと小突く。
「バツとして。キミにはいっちゃんキツ〜いオシゴト、振ったげるねっ」
 にこぉっと微笑んで。
「いや〜、ありがとっ!こ〜れで、あたしの控えめなムネはちっとも痛まないよネっ。
悪いのはキミ。よくぞナイスなタイミングで遅刻してくれました!」
「は?…はぁ。…はい」
 よーするに。なんだかしんねーけど、それ、その仕事、やりたがるヤツがいねーんだろ。
 …で、あんなコト言ってるが、どーせオレに振るつもりだったんだ。この人は、そー
ゆーヒトだ。短いつきあいだけど、そんくらいは分かる。何よりその目が笑っている。
 悪い想像が、どんどんと頭ん中で膨らんでゆく。
 冷凍倉庫の霜落としか?大型家具類搬入作業か?…ま、まさか、エレベーターボーイ?
(って、おいおい、なんだよそれは!?)
 くそっ。やけっぱち気味に言ってやった。
「バイト料、はずんで下さいよっ!」
「もっちろんっ!」
 どっから出したのか、スチャッと、手にはカードタイプの計算機。
「特殊手当、ピッポッパッ…と、こんなもんで、どお?…あ、OK?…やたっ、話せるぅ!
しょーだんせーりつ!」

                   

 うげげげぇ〜〜〜〜〜っ。
 むしむしむしむし。
 あちぃ〜〜〜〜っ!
 引き受けるんじゃなかったあっ!あの笑顔に騙されたぁ!
 くるしぃ〜ぜぇ〜っ!
 過剰な重労働だぁ!アルバイターの人権無視だぁ!

 …でも、具体的に提示されちまった金額に。ぐぅっ…、さ、逆らえねぇ〜。

 デパートの屋上といえば。まさに定番、お子さま向け遊技場スペースだ。
 百円でガッコンガッコン揺れ動く、スポーツカーにウ○トラマン。ぐるりと屋上を一周
するミニSL。小さな小さな観覧車。どでかい空気人形の中に入るトランポリン。
 売店じゃアイスクリームとかも売ってるし、小さな芝生にベンチもあって。なんというか、
不思議と懐かしい空間だ。
 そこに。
 そういやぁ、昔っからいたっけな、こいつ。キグルミのクマ。
 かわいくねー顔だけど、手触りがやたらとふかふかで、ちっちゃなガキどもに人気の
あるマスコットキャラクター。
 …まさか、自分が中に入ろうとは。夢にも思わなかったぜ。

 う〜っ、重い〜っ!動きにくい〜っ!

「手をつないであげたり、頭をなでてあげたり。ま、ふらふら歩いて、てきとーにやって
れば、それだけでいーからさ」
 だから、それがタイヘンなんだろーが!

 オレがフラフラするたびに。
 きゃっきゃ、きゃっきゃと、ガキどもが喜ぶ。オレがわざとやってるとでも思ってい
るのだろう。ジョーダンじゃない。ヘロヘロで、汗だくで、視界も狭いし、マジでフラ
フラなんだよっ。
 え〜い、寄るなっ。気分的に暑いっ!
 間違って踏みつぶされても知らんぞっ!
 …だあっ!くそっ!
 おめーらなぁ、このヘンなクマの、ドコがイイんだ〜っ!

                   

 へろへろへろ〜っ。
 バテたぁ!…けど、終わったぁ!
「お疲れさまっ!オッケーオッケー、上手くこなしたじゃない!ハイ、これ!おねーさん、
オゴっちゃう!」
 よく冷えた缶ジュースを渡された。
「あ、すんません…」
 プシュッ!
 ごきゅごきゅごきゅ…くぅっ!うめーっ!何かちょっと苦いけど、炭酸がノドに沁み
渡るぜぇ〜!
「いやぁ!お見事な飲みっぷり!どぉ、おいしいっ?サイコーでしょ?仕事のあとの一杯
のビール!」
「ええ、最高ッス!…って、え?」
 あ。
 …おい、マジでビールか?…まじだ。
「え、みせいねん?そーだっけ?ま、気にしない気にしない。さあっ!この調子で一週間!
ピンチヒッターの大役を見事、乗り切っちゃおー!」
「きっちゃおー、って…え?」
「専任の子、しばらくお休みなのよぉ。あ、いや、しか〜し!だいじょーぶ!キミなら
出来る!頑張れ色男っ!ニクイよ、このっ!」
「は?」
「ほらほら、もっと、ぐぐっと!飲んで飲んで!」
 ゴクゴクゴクゴクッ!…くわ〜っ、つめて〜っ、きくぅ!
 …じゃ、なくて。をい。ちょっと待て。
「ね、お願いっ!このとーり!ほら、ただウロウロしてるだけでお金がもらえるなんて、
キミってすっごく幸せ者だと思うなっ!よっ!町一番のキグルミ師!」
「…」

 とまぁ、ごーいんな押しで…。

 くそぉ〜っ!
 なんて女なんだぁ〜っ!


PREV    NEXT

二次創作おきばへ戻る