chapter 4

                   

 雅史との約束の、前の日。水曜日。

「はいはーい、本日もおつかれ〜。…んじゃ。はいっ!かっきり一週間分のお給料〜っ!」
「ううっ…あ、ありがとぉごぜーますだ」
 生きて金銭をこの手に…。こんな嬉しいことはない。
「やぁ〜ね〜、嘘泣きなんかしちゃって。このっ、オチャメさんっ!」
 ばしんっ!
 ぐえ。よたよたよたっ。げほげほげほっ…。
 しゅ、主任…、あんたってヒトは。今のオレは赤ランプ点滅のレッドゾーン、本気で死線の
存在を感じてるんだよおっ!

 …な〜んて、な。
 いや、まぁ、ジツを言えば。あのクマにも慣れてはきている。三日目だもんな。
 楽な歩き方、動き方。ない知恵を絞って、研究(ってホドでもないが)してみた。
  ガキどもの扱いも、自分で言うのもなんだが、要領よくやれるようになってきた。
 やっぱり重労働には違いないけど。

 今休んでいる専任ってヤツは、それこそクマのような大男に違いない。柔道部とか、
アメフトとかやってそーな、ガタイのイイにーちゃん。
 カエちゃん主任にそう言ったら。
「ううん、違うよ。女の子よぉ。すっごく、かあいい子。ま、あたしには及ばないかなっ。
…言わなかったっけ?」
「げ。うそ…」
「のー、のー、のーっ。ワタシ、ウソはイイマセ〜ン。マジで〜す」
「…」
 それを聞いちまった以上は。男として、こりゃあ負けるわけにゃあいかねぇぜ!…で。
 体力の限界をだましだまし、頑張ってるってワケだ。

                   

「はい。確かに返してもらったよ」
「おし。コレでちょっと、一息ついたってトコだぜ。…けど、ホントに利子、いらねー
のか?」
「いいよ、いいよ、やめてよ。僕と浩之の仲じゃないか」
「そっか?んじゃ、すまねー」
 昼休み。屋上の片隅で、こそこそと。…ハタから見たら、カツアゲと誤解されるよう
な光景かもな。
 カエちゃん主任は、かっきり一週間分なんて言っていたが。計算してみたらケッコウな
イロがつけてあった。もちろん、特殊作業従事分は別にして、だ。
 …う〜む。これは。
 ますます悪い予感を禁じ得ないオレである。…いや、「アメとムチ」のアメだと、
思いたいトコだ。
 と、まぁ、そんなわけで、幾らか利子つけてやるつもりだったのに、いらねーって。
  スゲーいいヤツだよなぁ、雅史って。

「んでよ、雅史。今日つきあってやるってハナシなんだけど…」
 当然。クマ公のバイトなんで、つきあえないのだが。それを言おうとすると、雅史は
こっちのコトバを遮るように。
「えっと、ごめん、浩之。僕、志保と約束しちゃったんだ。一緒に今日、あかりちゃんの
誕生日プレゼント買いに行くって。ホントにごめん」
「あ、そうか。いや、オレ今日もバイトあるし。それなら良いんだ」
「ねぇ浩之。…プレゼント、決めた?」
「う。…あ、いや、まだだぜ、まだ。そんなヒマねーって。そーゆーオメーは?」
「そりゃあ内緒だよ。…あ、でも、僕のは高くてキラキラしたモノじゃないから」
「はぁ?」
「あ、ううん。なんでもないさ。…頑張ってね、浩之」
「…何をだよ」
 雅史はニコニコしてるだけ。いいヤツだけど、ちょっと謎なトコもあるよな。

                   

「ふぃ〜〜〜〜っ」
 夕方のこと。オレは隅っこのベンチに腰掛けて、休憩を取っていた。もちろん、キグ
ルミ姿のままだ。まだ後半戦があるからな。
 このキグルミって、つまりはド○エモン状態だから。腰のトコ曲がらねーし。座るのも
(というか、上の面に座るんじゃなく、斜めに体重を預けるって形なんだけど)一苦労。
ちょっとバランスを狂わすと、後ろにひっくり返るか、前にずり落ちるか、横に転がるか。
大変だぜ。
 さて、かぶりモノをとって額の汗を拭おうかな…と、思った矢先に。オレは、世にも
恐ろしいモノを見つけた。
 この遊技場スペースの真ん中あたり、見覚えのある女生徒。キョロキョロしているあ
れは…げげっ!志保じゃねーか!
 やべっ。何でアイツ、こんなところに…。まさか、オレのバイトがバレたかっ!
 パニックに陥りかけて。
 …いや、浩之、落ち着け、落ち着くんだ。すー、はー、すー、はー。…よし。
 委員長もセンパイも、喋るわきゃねー。それから、雅史だって。みんな、口止めして
ある。きっと偶然だ、偶然。
 …あれ?けど、志保のヤツ、雅史と買い物じゃねーのか?
「あっ!」
 もう一人、いた。あかりだ。
 どーも、二人して何かを探しているらしい。…んで、あかりが志保に何か言って、その
あとずんずんと…、なにいっ、何でこっちの方に来るんだよぉ!

「あ、いたいた。やっぱりここでしたね。クマのおねーさん、こんにちは〜」
 あかりのヤツ、オレに向かって、ぺこっとお辞儀する。
 オレはじっとしていた。とりあえず、相手の出方を待つんだ。冷静に、冷静に。
「あ、えっと、こんにちは。…それじゃあかり、あたしは雅史と買い物してるから。六時
くらいに…」
「うん」
 こっちに軽く会釈して、志保のヤツは退場。
「あの、隣に座っても…」
 とっさにオレは、コクコクコクと頭部を揺すった。
「それじゃ…」
 あかりとオレ、並んでベンチに座っている。…なんなんだ、この状況は。

 覗き穴は前にしか付いてないので、当然、あかりの様子を伺い知ることは出来ないの
だった。
 耳に慣れた声だけが聞こえてくる。

「あの…、相変わらず、大変ですよね」
「…」
 確かにそうだな。…だから、こくこくこく。
「あ、でも…夏よりは、少し良いですね」
「…」
 夏でこのバイトは地獄だろうな。…で、こくこくこく。
「…今、休憩ですよね?」
「…」
 そーだよ。…で、こくこくこく。
「頭、取らないんですか?」
「…」
 げ。とっさにオレは、遠くの、ボケッとこっちを見ている(ように見えなくもない)
子供を、腕で示した。
「え?…あ、ちっちゃい子が見てるから…そーですよね。大変ですよねぇ」
 よっしゃ、らっきぃ〜!切り抜けたぁ!

 う〜ん、なんとなく分かってきたぞ。
 どーも、ここでいつもクマのバイトしてるヤツと、あかりは顔見知りらしい。…んで、
勘違いしてるのだ、このオレを、そいつと。その「クマのオネーサン」ってのと。
 よーするに、例の怪力化け物女だな。そいつが休むから、オレはこんな羽目に…。

「あの…」
 なんだなんだ。今度は何を言う気だ?
「声。どーかされたんですか?」
 う。そんな、無茶言いやがって。声出したら正体ばれるだろーが。
「…けほけほけほ」
 控えめに、咳こむトコを装う。あかりぃ〜、ひっかかってくれ〜。
「あ、風邪?ノドを痛めてる?」
 オレはすかさず、こくこくこくこくこくっ。…頭部が重いから、首が疲れるぜ。

 どーでもいいような会話と。沈黙。このサンドイッチがしばらく続いた。
 表情は見えないけど。…なんか、なぁ。あかりのヤツ、元気がないみたいだ。なんで
だか知んねーが、落ち込んでねーか?
 たまに聞こえる声が、弱いぞ。
 何かあったんだろうか。
 …ここんトコ、バイトで忙しいからな。わからねー。一緒に帰れねーし、学校じゃ寝て
るから、話しかけられても寝惚けた返事しかしてねぇし。…あ、でも、朝は一緒じゃねーか。
…って、あかりに歩かされながら、ノーミソは寝てるけど。
 うーん…。
 と、その時。
「…あ、あのっ」
 声の調子が変わった。…おっ?なんだなんだ?
「え、えっと…、あの…。いつも言ってる友達の…、男の子のこと…なんです、また。
…ご免なさい、なんだかいつも、つまんないハナシ、聞いてもらっちゃって…」
 男の子?
 ちょっと待て、なんだよ、おい。なにを言いだすつもりだ、あかり?
「最近…その、あんまり…」
 言いかけて、また、黙ってしまった。
 …男子生徒で、あかりの友達なんて…まさか、オレのことか?

 その通りだった…。
 あかりの話は、いきつ、もどりつ。絶えたと思えば、また繋がって。まどろっこしいったら、ない。
 で、要するに、愚痴なのだ、残らず、このオレに対する。
 いわく、最近、口を利いてくれない、だの(…そ、そっか?そだっけ?…そだなぁ)。
 いわく、毎朝、むすっとしているか、そっぽ向いているか、目を閉じているか。とにかく
なんだか不機嫌である、だの(そりゃ、寝起きは不機嫌だよ)。
 いわく、授業時間も休み時間も、時には昼食時にも、ひたすらまんべんなく寝てるから、
やっぱりお喋りできない、だの(…ふ、不可抗力や。襲いくる眠気に言ってくれぇ)。
 いわく、帰りは、バイバイもせずに、すたこらさっさといずこかへ遁走してしまう、
だの(…だ、だって、なぁ。う〜ん…)。しかも、いつも声をかけてるのに行ってしま
うので、あるいは故意に無視されてるんじゃないかと心配になってしまう、と(…げ。
いや、聞こえてねーんだよ、それ。ワザとじゃねーって)。
 …と、まぁ。そーゆーよーなコト、あかりのコトバで、あかりらしくゆっくり時間を
かけて。ぽそぽそぽそぽそ、語って下さったワケだ。

 だんだん、ハラが立ってきたぞ。
 おいおいおいおい。なんなんだよっ、あかりっ!なんか、めちゃめちゃ悪者じゃねー
かよ、オレ。
 そりゃ、オメーは、まさかこのキグルミの中身がオレだなんて、しらねーだろーけどよ。
だからって、言いたい放題、言ってくれる。
 だいたい、なんでこんなクマのヌイグルミなんかに、ヒトのコトぺらぺら喋ってんだっ。
ふざけんなよっ!
 …。けど。ここで声を出すワケにゃ、いかねー。イライラ貧乏揺すりしながら、ひた
すら聞き続けるしかない。

 …で。
 あかりが一番、悲しいのは。
 あかりの知らないところで何かをしているらしいオレが、そのこと、あかりにぜんぜん
話してくれないこと。
「…」
 …なんだってさ。

 なんて言うんだろうなぁ。
 うん、へんだよな。
 …ま、なんつーか。
 メッチャメチャ腹立ててたんだよなぁ、オレ。ちょっと切れそうだった。…それなのに。
 そんなん、もー、どーでも良くなっちまった。…それよりも。
 あかり、こいつってば、なんか、かわいそーだな。
 言ってることよりも、その喋り方。そりゃ、確かに内容は愚痴になっちまってるんだけど。
コイツ、単純だからな、そんなコト考えてない、意識しちゃいない。とにかく、なにより
も悲しいんだ、こーゆー、ここんところのミョーな状態が。で、誰かに喋りたいだけ。
 声。あかりの、コトバ。その強弱、ニュアンス。
 顔は見えない。見えないけれど。
 なんでだろ。なんでだか、あかりの泣き顔。泣いてるワケでもないのに、思い浮かんじまってしょうがなかった。

 オレはクマのキグルミの手で、あかりの頭を撫でてやった。
 たどたどしく喋っていたあかりは、髪に圧力を感じた瞬間、ふっとコトバを切る。
 重くならないように、注意を払いつつ。寄ってくるガキどもにやってるから、加減は
慣れてる。
 優しく、とにかく優しく、そしてゆっくりと。今だけ、一瞬だけは、優しい気持ちで
来栖川先輩がやってくれるみたいに…とか、祈るように思いつつ。
 穏やかに、やわらかく、頭を撫でる。
 あかりは、黙ったまま。
 …ちょっと、オレに寄りかかっているようだ。リラックスして。

                   

 あかりもオレも、ベンチを立っていた。もうちょっとしたら、六時。
「あのっ。ごめんなさいっ。いつもいつも」
 …をひ。い、いつもなのか?

 あかりの声は、幾分、明るくなっていた。「アタマ撫で撫で」が効いたのか?…ま、
なんにしろ、良かったけどよ。
「あの…それで」
「…」
「いつものヤツ、やってもいいですか?」
 なんだ?いつものヤツって?あかりのヤツ、ちょっと顔が赤いぞ。恥ずかしそうだな。
 よく分かんないけど、とりあえず、こくこくこくっ。
 …次の瞬間、オレの時間は凍りついた。
 きゅう〜っ、と。あかりは、ふかふかの等身大クマに抱きついて、その顔を埋める。
「こうすると、なんだかとっても安心するんです…。子供っぽいですよね」

 こーちょくしてる、クマ(つまり、オレ)。その胴体にしがみついてる、あかり。
 …あんまりな状況に、脳は思考停止、現実逃避。
 あいや〜、まったく、夕日がキレイだぜ〜。

 小さな女の子が、不思議そうにあかりを見あげている。あかりは気がついて、顔を
真っ赤にする。慌ててぱっと離れた。
「ねぇ、どおしたの?なにしてたの、おねーちゃん?」
「え、えっとね、えっと、その…」
 困ってる困ってる。さて、なんて答えるんだよ、あかり?
「…そう、あなたもちょっとだけ、こーやってごらんなさい。イヤなことなんか、ぴゅーっと、
どっかへ飛んでいっちゃうんだから」
「イヤなこと?」
「失敗しておこられちゃったコトとか、転んで痛かったコトとか、迷子になって怖かったコトとか…えっと…」
「ふ〜ん。ホント〜?…そっかぁ、くまちゃんって、すっごいんだね〜ぇ」
「そーよぉ、このクマさん、すっごいんだから」
 ヤケに感心する子供。
 ばふばふばふっと、ヌイグルミの足の部分を叩いて。それから、バイバイとオレたちに
手を振って。てけてけてけっと走って、行ってしまった。

 いっちまう前に。あかりのヤツ、こんな事を言った。
「でも、その男の子。一回だけ、言ってくれたんです。私、もうすぐ誕生日で、みんなで集まって
遊ぶって言うか、お誕生日会みたいなの、するんですけど…」
「…」
 そーいやオレ、なんか大事なことを忘れてたよーな。
「ちゃんと行くからな、って」
 あっ!
「それじゃ、ありがとーございました。また来ますね〜」
 礼儀正しくペコッとアタマ下げて。あかりは行ってしまった。

                   

「あの、あの、カエちゃん主任、つかぬ事をお伺いしますが…」
「はいは〜い。なんでしょ?」
「今のヤツって、あの、一週間ってコトは…」
「うん、土曜日までよ。キミ、日曜お休みだもんね。…そうそう、頼まれてたアレ。ホン
トは手続き上、まずいんだけどぉ〜。残りのバイト料、前借りって形で、土曜日に支払っ
てあげてって、経理さんに言っといたよんっ。ホ〜ラ、喜べっ」
 う。
 これじゃ、土曜日に休ませてくれなんて、言い出せね〜っ。
 …ってゆーか、主任〜っ、オレ、金曜日にって頼まなかったか?
 んじゃ、土曜日にバイト出なけりゃ、給料もらえねーってコトかい!

 す、すまねぇ、あかり…。
 だめだあ、やっぱり行けねぇ。

                   

 明くる日。
 クマのバイト。
 ひたすら、こうるせーガキどもがわんさかべったりしがみつきで、うっとおしいった
らありゃしない。あの女の子から、口コミで拡がったらしい。
 あかりのヤツめ、いい加減なこと言いやがって〜っ!
 くそぉ〜!


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