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…。
ある日、財布を落とした。
…らしい。どうやら。いや、まじで。
おろしたばかりの、有り金、全部。
おいおいおいっ!ちょっと待てこら、洒落になってねーぞ!
軽くなってる尻んトコのポケット。事実発覚直後、パニックに陥るオレ。
居間のカレンダーで確認する。
今日がここだ、月半ばより手前の…、んで、銀行に生活費が振り込まれんのが、来月
のあたまのこの辺で…。
がーん。
折っていく指から、だんだんと力が抜けていく。血の気も引いていく。
はじかれるように家を飛び出し、オレはその日歩いた道、死ぬ気で探した。…けど。
そんなん、あるワケねぇ〜。
捨てる神あれば、拾う神あり、で。…とっくの昔に消えていた。
しかも夜、真っ暗。もしあったとしても、見つかるワケねぇ〜。
あうぅ〜、オレの万札ぅ…。
翌日。学校で。
「すまねっ、雅史。恩に着るぜっ!」
「ううん、別にいいんだけど…」
持つべきものは友達だな。正直、オレは涙ぐみそうになる。
…だいたい、こんなカッコワリぃコト、他の誰に言えるかっての。
なかでも志保、アイツにだけは。天地がひっくり返っても、言えねぇ。言ったが最後、
おもしろおかしく嘘八百万(やおよろず)に脚色されて、嘲笑の渦ん中、叩き込まれ
ちゃうぜ。
こんなオレにだって、守るべきイメージってモンがあるからな。
「え? ねぇ、ヒロ、なんか呼んだ?」
「いーや、呼んでねぇ呼んでねぇ。用はねーし、東スポ大スポどっちも間に合ってっか
らな、黙ってあっち行っててくれ」
「なによぉそれ。ふん、覚えてなさいよ。いつか絶対、ヒロの大失敗を志保ちゃんネッ
トワークに…」
「しっ、しっ、しっ、しっ」
…ふぅ、あぶねぇあぶねぇ。
「大変だね、浩之も」
「ああ。…なぁ雅史、んで、これ、いつまでに返せばいい?」
「新しいシューズ買うためにって貰ったお金だから…その、出来れば二週間くらいで」
「あ?おいおい、二週間後ってオメー、次の次の日曜が試合だろ。出来ればぁ…じゃねーよ。それじゃ、まにあわねー」
「う、うん。そっか、そーだよね」
「よし。ま、任せろ。今日、火曜だよな。遅くとも、来週の木曜日にゃ、きっちり耳揃
えて返すかんな。その後買いに行くの、つきあってやる」
…金借りといて、えらそーだな、オレ。
雅史は嬉しそうに頷いた。…うーん、こいつって。これじゃ、女子に人気があるのも
納得だぜ。
よっし、コレで当座は凌(しの)げるな。
家に帰ったオレは、カレンダーを前にして一安心。
あとはこっそり、単発のバイトでもやって。いちお、バイト禁止だからな。
…ま、なんとかなるさ。
そーなのだ、つまるところ、問題は食費だけなのだ。
一人暮らしって言ってもここは自宅、家賃はいらない。電気、水、ガスは…、そーいや、
集金人が来たことねーな。それでもこうして使えるところをみると、きっと銀行引き落とし
になってるのだろう、よく知らねーけど。N○Kのおじさんおばさんは、テレビ壊れて
ます作戦か、でなけりゃ無言でバックレだから、OKと。
バイトで、春先のレミィみたいに食べ物系にしとけば、食費も幾らか浮くな。うん、
一人暮らし大学生のセオリーと言われるだけあって、ナイスでグッドなアイディアだ。
…おっと、忘れちゃいけない。食いもんといやぁ、オレには救いの女神がついてるじゃ
ないか。カミサマホトケサマ神岸あかりサマ、なにとぞなにとぞ〜、だ。
うまいこと(ポイントは、あくまでもさりげなく、だが)話を食べ物に持っていって。
結果、藤田家の食卓に極上の夕食が並ぶ、と。ハンバーガーや出前ピザ、カップ麺に
お茶漬け、そーいったモンとは比べものにならない、これからの数週間を乗り切る上では、
まさに必須の栄養源であると言えよう。
そういやあかり、こないだも新作をマスターしたとか、言ってたっけ。
…と。
お? あれ? なんだっけ、これ。
カレンダー。二週間くらい後の…んと、これは土曜日か、マジックの赤でくるっと○印。
雅史のサッカーの試合…は、日曜だろ。違うぞ。
…えーっと。う〜ん…。
なんじゃ、こりゃ。
そーいや、書き込んだ記憶は、あるなぁ。確かにオレだぞ、コレは。…けど、なんだっ
たかなぁ。
わかんねー。忘れた。…ま、いいか。
∴
「…だぁからぁ」
「…………」
「ちょっとぉ?ヒロ、聞いてるの?」
「…だぁっ!わかったっ。何度も繰り返すな!オメーはオウムか!」
「そっちこそオウム並のオツムのクセにっ!いい?忘れたら承知しないわよ!」
「うっせーなぁ。OK、OK」
「この志保ちゃんが、連絡係を買って出た以上は…」
「くどいっての。…ちぇっ。おい、ちょっと待ってろよ(ドタドタドタ…)」
「あ、こらっ、ヒロ!なによ、ねぇ…」
「(ドタドタドタ…)ふぅ。ちゃんと居間のカレンダーに印を付けといたぞ」
「それでも忘れるタコでしょ、アンタは」
「なんだとぅ!」
「コレでもしも忘れてたら…」
「忘れてたら…、なんなんだよ?」
「『女泣かせの藤田浩之』って噂が、学校中を駆けめぐることに…」
「おいこら、でっちあげるな。脅迫だっつーの。悪質記者ゴロか、オマエわ」
「違うでしょ。アンタが忘れてたら、少なくともあかりは…」
∴
「…あっ!!」
ばふっ!
布団けっ飛ばして、跳ね起きる。
真夜中。ベッドでうつらうつらしてた時だ。不意に、オレは思い出した。
「やべっ!あれは、あかりの…」
そう。あかりの、お誕生日会だ。
誕生日といえば、とーぜん、プレゼント。
もちろん、まだ、な〜んも。用意してねぇ〜!
…んでもって、オレは。
仕方なし、やむを得ず、不可抗力、で。
ハードなバイト生活へと、その身を投じたのだった。