(Leaf Visual Novel Series vol.3) "To Heart" Another Side Story

for 「本日のお題」

手をつないで帰ろう

Episode:神岸 あかり

Original Works "To Heart" Copyright 1997 Leaf/Aquaplus co. allrights reserved

written by CRUISER



 カチャ、
  
  呼び鈴が押されてから、きっかり2分30秒後にオレは玄関のドアを開けた。
  
「おはよ、浩之ちゃん」
「おう、今日も元気だなぁオメエは」

  にっこりと、いつもの笑顔が迎える。

「ふあーぁ」

 大きなあくびを一つすると、オレ達はいつもの道をいつもの様に学校へ向かった。

  12月下旬。師走の喧騒もピークになりつつある。
  このところの寒さのせいで、元々朝に弱いオレの起床時間は徐々に予断を許さぬ深刻
な状況へと追い詰められている。
 もしあかりが毎朝起こしに来てくれなかったら、“遅刻大魔王”のあだ名を付けられ
てたかもしれない。
 そんな事を考えてたら、ふと志保の顔がよぎった。
  ヤベぇヤベぇ、そんな恐ろしい事にはならないように気を付けよう。
  
  ぴんと張った冷たい朝の空気から身を庇う様にして、コートの前を合わせるあかり。
  あかりの着ているコートは、なんの飾り気も無い、紺色の学校指定の物だ。
  
「なぁ、そのコートってもっとこう可愛げのあるヤツとかじゃダメなのか?」

 言葉と同時に白い息が吐き出される。

「えっ、だって学校行くんだよ。校則じゃあこれって決まってるし…」

 あかりの口からも白い息。
  なんだかマンガのフキダシみたいで、オレはちょっと可笑しくなった。
  
「でもなぁ、なんか地味すぎんだよなー。夕べやってた深夜番組に出てきた女子高生な
んか、もうっとこうふわふわしたヤツがついた洒落っ気のあるやつ着てたぜ。学校帰り
だっていうのによ」
  
  オレがそう言うと、あかりは『もう、しょうがないなぁ…』という顔をする。

「また夜更かししたの? ダメだよー、学校ある日はちゃんと寝ないと…」

  ひゅぅ、と冷たい風が、オレ達の顔を撫でて行った。
  まるでカミソリで切りつけられたみたいに痛い。

「でもよー、平日の深夜TVってな結構面白いのやってんだぜ。こういうのってオンエ
アされる時まで内容わかんねぇから、ビデオかけとくわけにもいかねぇだろ。だから自
動的にリアルタイムで見るっちゅーわけだ」

 ここで、ふぁ、とまたあくびが出た。
  しかしマジねみぃ。

「浩之ちゃん、授業中は寝ちゃダメだよ」

「わーってるよ」

 近所の公園を通り過ぎ、校門まで一直線の上り坂にさしかかる。
  この辺りから、他の生徒たちの姿が目立つ様になってくる。
  オレ達と同じ徒歩のやつもいれば、自転車でぜいぜい言いながら登っていく根性入っ
たやつもいる。

  そんなやつらを何気に見ていたら、あかりが思い出したように、
「あ、今日浩之ちゃんの家に行ってもいい?」
 と言ってきた。

「なんだ急に? メシでも作ってくれるのか?」
 
  そいや、ここんとこ色々忙しくて、あかりの手料理は御無沙汰だったな。
  
「うん、そのつもりだよ。」
 
  やった、一食浮いたぜ。
  …こんな状態でも、食費に敏感になるとは、オレも貧乏性が板についてきたもんだ。

「おし、久々に頼むぜ。家庭料理の鉄人の底力を見せてくれ」

 というと、あかりは両の拳を胸の前で組んで、気合いのポーズをとった。

「うん、がんばる」


                   ***


  冬休みを目前に控えた校内では、この時期特有というか、長期の休みの前にはほぼ必
ずある、ちょっと浮いた雰囲気が辺りに伝染している。
 どうやら、男も女も日頃気になっているヤツをデートに誘って、休みの間に親睦を深
めようって魂胆らしい。
 テストも終って、後はオマケの様な授業を消化すればいいという、お気楽なスケジュ
ールなもんだから、みんな休み時間ともなると、あっちこっちの教室へ移動しては、ア
ポ取りに精を出している。
 ホント、タフだぜ。
 冬休みまであと3日だしな。
  
 オレは…というと、別にそんな気分にもならないので、休み時間はいつも通り貴重な
睡眠時間として活用させてもらっているわけだ。
 で、今は昼休み。壮絶なパン争奪戦も終了し、ゲットした昼メシも平らげた。
  さて、一眠りするか…
  
「じゃじゃ〜ん! 大ニュースよ、大ニュース!」

  せっかく人が安眠に浸ろうという矢先に、志保が例のごとくテンション上げまくって
オレ達の教室にやってきた。

「今度はなんだ? どーせまたくだらねぇデマだろ。あっちいけしっしっ。」

 と、オレは手を振って、志保を牽制する。
  早く追っ払って睡眠欲を少しでも満足させるのだ。

「なによそれは、あたしは犬じゃないんだから。そんな邪険に扱ったらバチが当たるわよ」

「なんのバチだそりゃ。」

「そんなの神罰に決まってるじゃん。なんてったってあたしにはラッキーの神様が付い
てるんですからね。」

 そりゃお前、悪魔の間違いだろう。

「何か憑いてるのはたしかだろうが、神様じゃぁねぇと思うぞ。」

「むっ、まったく可愛くないわね〜。」

「はいはい、可愛くなくて結構。それでいったい何だ?」

 きりがないので、適当な所で本題に戻してやる。
  こういう気配りが志保相手に出来るようになったとは、オレも成長したもんだぜ。

「ふふふ…、じつはね…」

 毎度の事だがこいつ、もったいぶるの好きだよなー。

「あ、志保。香坂先輩とデートするってホント?」

 いつの間にか横へやってきた雅史が、何気に問いかける。
 
 ズッ。
  
  お、志保が斜め直線状にコケたぞ。
  この技はいわゆる”ショウスケちゃん”だな。
  これができるとは、志保のヤツ、かなり修練を積んだと見える。
 …じゃねぇ、なんつー器用なやつだ。
  
「ま、雅史〜! あんたね〜、今から志保ちゃんが直々に言おうと思ってた事を…」

「あ、そうだったんだ。ゴメン。」

 そう言って爽やかにはにかむ雅史。
  爽やかなのはいいんだが、いまいち場違いだぞお前。

「で、その誰とデートするって?」
 オレは話を続けた。
「3年の香坂先輩よ! サッカー部のキャプテンの。」

 ……。
  記憶の糸を手繰り寄せると、該当するデータがあった。
  香坂先輩ってのは、志保の言うとおりサッカー部のキャプテンで、当然雅史の直接の
先輩だ。雅史に輪をかけた爽やかくんで、スポーツ刈りと浅黒い肌が印象的なナイスガ
イ。
 体格も筋肉質でガッシリしていて、校内の大勢の女子は、彼にイっちまってる。
  その彼が、よりにもよって、なんで志保なんかとデートするハメになったのか?
  これは僅かながらも興味がある話題だ。

「で、その香坂先輩はわかったけどよ、そんなんどうやって引っ掛けたんだ? まさか
向こうから申し込んできたわけじゃないだろ?」

 そう言ったオレの顔を、不敵な笑みを浮かべ、勝ち誇った様に見下す志保。
 なんかしらんがムカつくな。

「ふっふっふ…何とでも言うがいいわ。どんな虚言も、事実の前には無力なのよ。」

 って、いつもはお前が虚言吐きまくってるんだろーが。

「…そのうさんくせー事実ってのを聞いてやろうじゃねぇか、言ってみな。」

 眉をひそめて問うオレに、志保はさも得意そうに答える。

「それがねー、さっき突然香坂先輩が私のクラスに来てね。廊下に呼び出されたワケ。
でね、『あ、あのさ。長岡さんってカレシ居る?』って聞かれて…」

「………」

「で、あたしがちょっとだけ演技入れて『えっ! あたしですか〜!? そ、そんなヒ
トいないですぅ〜』って言ったら、『じゃあ、冬休みの間に一度、遊びに行かないか?』
って真っ赤な顔して言うのよ〜、もう可愛いったら。年上のスポーツマンタイプに弱かっ
たのねあたし…」

 そんな戯れ言をほざきつつ、空ろな目をしている。
  なにが『ちょっとだけ演技入れて』だ、バリバリ演技入りまくりじゃねーか。
  そんなもんはサギだサギ。
  それにしてもにわかには信じ難い内容だ。
  まぁ確かに志保は外見だけなら結構イケてる方だし、本性を知らないヤツなら、なんか
の勘違いでそういう行動を起こす可能性が無いとも限らない。
  でもなぁ…
  校内では一番女に不自由していてないともっぱら評判の香坂先輩が、志保に気がある
とは…

「お前、それホントか? どーもうさんくせー。」

 オレが言うと、志保は捨て猫を見るような憐れみの表情をオレに向け、

「んーわかるわかる。いっつも身近にいた美少女が、突然現れたハンサムボーイに取ら
れそうだから、気が気じゃないのねぇ。」

 コイツ…

「くだらねぇ事言うんじゃねぇ。誰が『いっつも身近にいた美少女』だ。テメーんちに
は凹面鏡しかねぇのか!?」

 オレの叫びに、志保はさも不服そうに両手を腰にあてて膨れッつらを向ける。

「なにようそれは、アンタあたしが太ってるって言いたいワケ? 言っときますけどあ
たしの今の体重は理想体重そのものなのよ。アンタにそんな事言われる筋合いは無いわ。
あ〜あ、イヤねぇ。嫉妬に狂ったオトコの遠吠えは」

 こ、コイツは…
 マジでブチキレ5秒前とはこの事だ。

「てんめぇ、言うに事欠いて『嫉妬に狂った』だと? ジョーダンじゃねぇ。テメエな
んぞに誰が嫉妬するか!? そのナントカってオトコにどこでも連れてかれて手込めに
でも何でもされやがれってんだ!」

 と、志保は急に澄ました声音になって、

「あっそ、じゃ、そうさせてもうらうわ。志保ちゃんの嬉し恥ずかしラブラブストーリー
を、後で事後報告したげるからね〜」

 と言いつつ右手をひらひらさせて教室の出口へと向かう。

「もう来んな!」

 オレの捨てセリフが届いたかどうかわからないが、そのまま志保は廊下へ消えていった。

 なんなんだ、全く…。
  
  
  
  嫉妬か…
  言われてみりゃ、志保のセリフについカッとなっちまうあたり、我ながら怪しいかもしれねぇな。
 日頃、割と距離の近かった女のコが、どこかの知らないオトコとデートする。
  それを聞いて意味も無く苛立ってるのは…事実なんだが。
  嫉妬というより、距離の近かった女のコが、急に遠くに行っちまいそうで、不安なんだと思う。
 自分は何も変わっていないのに、周りはどんどん変化していくからか…
  あ〜〜、ヤメヤメ。
  オレには似合わんぜ、こんな雰囲気はよ。
  
  妨害された睡眠を続行しようと、オレは机に突っ伏したポーズのまま動かなくなった。
 ………

 しばらくそのままで、忘我の領域をさまよっていると、ふいに声が聞こえた。
  
「神岸さん、お呼びよ」

「え、私?」
 
 同じクラスの女子(こいつは可愛くねぇ)が、あかりを呼んだらしい。
 なんなんだ?
  眠いが気になるので顔を上げてみる。
  すると、あかりとその女子がなにやら話しているところだった。
  聞き耳を立てる。
  
「…軽音楽部の小村先輩。知ってるでしょ?」

「え、う、うん」

「ほら、廊下で待ってるって。とりえず行ってみたら」
 
「え…でも…」
 
  廊下で待ってるって事は…
  
 …わかっている。
 
  もう何度目かのお誘い。
 ちら、っと廊下を見やると、ロン毛でひょろっとした感じの、どことなく不健康そう
なヤツが、こっちを見ながら立っている。
  上級生か…。
  
  オレ達と違って、3年生はもう後が無い。冬休みが始まってしまえば、あとは受験に
まっしぐらだから、下級生をなんとかしようと思ったら、もう今しかない。
 そして、あかりは最近周りにウケが良い。
  
 心当たりは…ある。
 
  ひとつは、春の終り頃に髪型を変えた事。
  これはオレも正直焦った。
  いつもおさげのあかりが、まるでどこかの知らない女のコになってしまった様な、不
思議な感覚。
  この頃から徐々に、男子の間であかりの事が話題になり始めた。
  『イメージ変わったよな』
  とか
  『結構可愛い顔してるよな、おとなしいし、今時にしては貴重なタイプだぜ』
  などなど…
  オレはそういう話には参加しなかったが、第三者のあかりに対する好印象ってのは、
聞いてて悪い気はしない。
  毎日顔を突き合わせて一緒にいる時間が長いから、そういったヤツらの話はなんか新
鮮だったし。
 ただそんな話を聞いていると、不思議に心のどこかがざわついていた…。
  自分でもよく解らない、自分の心の一部があると知った。
  
  そして秋。文化祭。
  オレ、あかり、志保の3人で弁当屋をやった。
 元々は、
『文化祭みたいなお祭りの日ってのは、皆でてきとーな場所で弁当でも食ってるのが楽
しいんだよなー』
 というオレのセリフが端を発し、志保の
『ならいっそのことそれで稼がない?』
 で決まったのだ。
  前日から半徹夜で準備をしてるヤツらを相手に、試験販売したのが効を奏したのか、
いざ蓋をあけてみるとこれがすごぶる好評で、売り子に徹してた志保、搬送専任のオレ
はともかく、実際に弁当を作ったあかりの料理の上手さは、瞬く間に全校に知れ渡る事
となったのだ。

 それからだ。
  あかりは時々見知らぬ男子に呼び出されては、手紙を受け取ったり、休日の予定を聞
かれたりするようになった。

 …今みたいに。
  
「ねぇ、早く行ってあげたら? 小村先輩だったら私が変わって欲しいぐらいなのよ」

 クラスにひとりはいるもんだが、とにかく他人の恋愛事に首を突っ込んでは、なにか
と世話を焼きたがるタイプなんだ、この女は。
 変わって欲しいなら、さっさとテメーが行けよ。
  まぁそのとたんに、件の上級生は帰っちまうだろうがな。
 あかりは困った表情でオレに目線を振った。
  
  ………
  オレにどうせえちゅーんだ。
  春の矢島の時みたくオレ経由の話ならなんとでもなるが、直接お前に呼出しがかかっ
たのはどうすればいいんだ?
 ここで、『あかり、やめとけ』なんて言ったら、それこそクラス中にあらぬ印象を伝
える事になる。
 それに相手が悪い男だと決まったわけでもないしな…
  
(…行ってこいよ)
 
  とオレがアイコンタクトを送ると、
  
(えっ、う、うん…)
 
  とこれもアイコンタクトで返事が返ってくる。
  前にも言ったが、長年の付き合いだから出来る芸当だ。
  
  カタッと音がして、あかりは席を立った。
  そのまま教室を出て廊下へ向かう。
  その名残惜しそうな目線はよせよ。
  胸の奥がなんだかヒリヒリする。

「浩之…いいの?」
 
  雅史がふいに話しかけてきた。

「なんだよ、オレが止めなきゃいかんわけでもねえだろ」
 
  まじぃ、苛ついてたんでついイヤな言い方をしちまった。
  
「そう? そう思ってるのは浩之だけだと思うけど」

「………」
 
  雅史はそこで言葉を止めた。

  ………。
  しょーがねぇ。
  様子ぐらいは見に行ってみるか。
  オレは無言のまま席を立った。
  あかりの後を追う様な形になっちまうが、まぁ気にしない事にする。
  雅史が、わかった様に笑ってるのが、ちょいシャクだった。
  
                     
 
 廊下の突き当たり、非常階段へと繋がる踊り場。
  ちょっと目にはわかりにくい柱の陰に、あかりの顔を見みつけた。
 
 あかりと…知らない男子。
 
 離れているせいか、あかりはオレの目線には気づいていない。
  ちょっと困った様な顔でうつむいている。
 男の方は少々オーバーな手振りを加えつつ、なにかを必死に訴えかけている様だ。
  
  様子を見に来ると言っても、オレにできる事はホントに見ているだけだった。
  ただ、あかりが困ってるのか喜んでるのか、それが知りたかった。
  話に割って入るわけにもいかず、かといってこのまま立ち去るのも心配だ。
  オレはそのままぼぅっと立ち尽くしていた。
  
  キーンコーンカーンコーン…
  
  次の授業の始まりを知らせるチャイムが鳴る。
  見知らぬ上級生は、丁寧にも手を振って向こう側へ去って行き、ほっとひとつため息
をついたあかりがこっちへやってくる。
 オレは、どんな顔をすればいんだろうか。
  くるりと背中を向け、気付かなかった風を装うつもりで、オレは教室へ向かって歩き
だす。

「浩之ちゃん」

 …やっぱり呼び止められたか。

「おぅ、なんだ、こんなとこにいたのか。」

  オレはそこで初めてあかりの存在に気付いた様に、ちょっと驚いて見せた。

「浩之ちゃん、私そこに居たの知ってたよ…声かけてくれればよかったのに…」

「だってよ、なんか大事そうな話だったしな。ジャマしちゃ悪いと思って。」

 アメリカ人がやるように、両手を広げておどけてみせる。
  なんだかそうでもしないと、こいつとうまく喋れ無い。
  …らしくないな、オレ。
  
「ううん、そんな事ないよ。浩之ちゃんに声かけてもらったほうがよかったよ…」

「……」

「知らない人に、いきなり色々聞かれても、怖いだけだもの…」

 そういうあかりの表情は、大変な用事を押し付けられた子供の様だ。
 いや、こいつの事だから本当に困ってるに違いない。
  押しに弱いもんだから、呼び出し食らっても、自分からキッパリと断れない。
  
  …そして…多分。
  
  オレがそいつらを追い払うか、断りを入れる事をあかりは期待してる。
  あのときの目線。
  知らないヤツが聞いたら、ずいぶん傲慢だと思うだろうが、おそらく、間違いなく事実だ。

  そうさ。

  とっくに気付いてるんだ、お互い。
  
  毎朝同じ道を同じ時刻に通い、時には同じ卓を挟んでメシを喰い、春には校庭の桜を、
夏はそびえる入道雲を、秋には裏山の紅葉を、そして冬は積もった雪を。

 ……ずっと一緒に見てきた。

  もう当たり前に、オレの横にはあかりがいて、あかりの前にはオレがいる。

  わかってる。
  他のやつらだって『ああ、やっぱりね』で済ませてしまうに決まってる。
  …あとはオレの気持ちだけなんだ。
  
  ………オレの気持ち、か。
  

『こら! お前ら授業はとっくに始まってるんだぞ!!』

 重苦しい雰囲気を、教室の方から響く怒声が一気に吹き飛ばす。
 やべ、リーダーの杉山だ。

「すんませーん」

 オレ達はそのまま教室へ駆け出した。


                   ***


  それからなんとなくあかりと喋らないまま、放課後になった。
  あかりは早々に教室からいなくなり、正直“夕メシはお預けか?”と思ったが、ヤツ
はちゃんと玄関で待っていた。

「ね、浩之ちゃん、浩之ちゃんは何が食べたい?」
 
  帰り道、まるで昼間の事は無かったかの様に話しかけてくるあかり。
  いや、微妙に意識はしてる。お互いに。
  
「中華だな。ただしラーメンだけってのはナシ」

「…うん、わかった」

 公園を通り過ぎ、お互いの家が近くなってきた所で、あかりが“一旦家に寄って、材
料持ってくるね”と言って自分の家へ向かった。
 
  ふぅ。
  
  なんか疲れるな。
  
  今までこんなにも、オレとあかりの距離を意識した事なんて無かった。
  オレとあかりの距離は、あって無きがごとしだったのに、第三者の存在が、目を逸ら
していた現実を浮き彫りにしていく。
  結論は出てるのに、そこへ辿り着くにはどうしていいかわからない…。

                    

 夕食の献立は、鶏のカラアゲ、蟹焼売、餃子、炒飯、エビチリと棒々鶏のサラダとい
ういかにもな内容だった。
 が、その味たるや絶品で、カラアゲは皮の部分までがパリパリとしてて歯ごたえ抜群。
 焼売はジューシィで蟹の風味が一口ごとに広がり、餃子はニンニクと肉のコンビネー
ションが絶妙。エビチリは辛過ぎず薄過ぎず、炒飯に至ってはもうなんともいえない
ふんわりした味が、オレをマジに感動させた。
 やはり料理に関しては、超高校生級だと認めざるを得ない。
  さすがだぜ、あかり。
  オレポイントを3つばかり上げておいてやろう。
  
  ぴろぴろぴろ〜ん。
  
  あと1ポイントで温泉旅行プレゼントだ。(気持ちだけな)
  
  
  テーブルいっぱいの夕食を二人で平らげた後、あかりはデザートを用意しにキッチン
へ向かった。
 TVに映るSWAPの外居クンを眺めながら、オレは昼間の事を思い出していた。
  
  上級生に、おそらくデートの誘いを受けていたあかり…
  今日だけじゃなく、今まで何回もの誘いがあった。
  手紙を渡しにくる古典的なヤツから、デートを申し込むヤツ、さらにはいきなり交際を
迫ってくるヤツもいた。
  それらをあかりは全部断っている。
 そして、その理由をオレは知ってる。
  いや、気付いている。
  …ずっと前から。
  なのに今の関係を変えたくなくて、いろんな物を壊したくなくて、気付かない振りを
してる。
 その為に、お互いの心に小さな傷をいっぱい作ってまで…
  
「お待たせ、浩之ちゃん」

「おう、こりゃまた凝ったモン作ったなー」

 あかりが持ってきた盆には、デザートの焼きプリンが2つ、と見慣れない物が乗って
いた。
 トパーズの様な透き通った黄色の、ガラスで出来た置物。
  表面には油性の絵の具で描いた、くまのデザインが施されている。
  ホントこいつ、くま好きだよなぁ。
  …いやいや。それよりこれは…
  
「…おい、こりゃ何だ?」

「えへへ、この間の日曜日に、駅前で見つけたの。可愛いからつい買ってきちゃった」

 そう言って、ちろっと舌を出す。
  そんな仕草も、以前より女のコらしくて、オレはどきっとした。
  
 じっくり見ると、それは古いオイルランプだった。
  下の部分には、入れたばかりなのだろうオイルがなみなみと入っている。

「ランプ…?」

「そうだよ、今火をつけるね。」

 そういってマッチをシュッと灯す。
  ランプの上部を外し、黒くなった芯を脇のネジを回して、少し引っ張り出す。
  そこへマッチをかざすと、ジュッという音と、独特の油の焦げる臭いが辺りに広がった。

 ちいさな炎がゆっくりと揺らめきながら燃え上がっていく…。
  その一部始終を、オレはなんだか幻想的な気分で見つめていた。
  なんだか懐かしい。
  昔もこうして、あかりとこの炎を眺めていたような気がした。
  あれは…いつの事だったか…。
  
  あかりが、ガラスで出来たランプのカサの部分を被せ、テーブルの中央に置いた。
  
「………」

「なんだか、あったかい…」

  ランプから目線を上げると、あかりは満足気な笑みを浮かべて、じっと目の前の炎に
見入っていた。

「ね?」

「ああ…」

  ゆらゆらと揺れるオレンジ色の小さな炎。
  顔を寄せてるオレ達の頬を、慎ましげに照らす。
  電球や蛍光燈の光とは違った、ぬくもりを伴った灯りが、オレと…たぶんあかりの心を
不思議と和ませる。

  にこっ、と微笑むあかり。
  
  それを見た時、唐突に気がついた。
  いや、気付いたというより、“解りかけた”と言った方が正確かもしれない。
  そうか。
  やっぱりオレは、こいつの事……
  
  ドキドキと胸が高鳴ったりとか、そういうハイな気分じゃないけど、でもこいつと今
こうしてるのが、とてもあったかい。
 身体が、気持ちが、全部暖かくなっていく……
  
  馬鹿みたいだけど、ようやく気付いた。
  他人の物になっちまいそうなあかりを、オレには止める資格があるのかもしれない、
って事を……
  
「どうしたの、浩之ちゃん? なんだかにやにやしてる…」

 はっと気付くと、あかりがオレの顔を覗き込む様にしていた。
  い、いかん、照れる。

「な、なんでもねぇ」

 ぷぃ、とそっぽを向く。

「…? そう」

  あかりは不思議そうに小首を傾げた。

「さ、さて。喰うか」

 柄にも無く焦ってるな、オレ。
  あかりに対してこんなに焦るなんて、オレいとっちゃスゲー珍しい事だぜ。
  春、あかりが髪型を変えた時以来だな…


                    ***


 夜9時を回り、あかりが『そろそろ帰るね』と言って席を立った。
  その時、オレの口から自然と漏れたセリフは『じゃあ送ってく』だった。
  
  あかりは『えっ?』という様な顔をしている。
  そりゃそうだ、オレん家からあかりの家まで、歩いて3分もかからないんだし、だい
たい今まで“送ってく”なんて言い出した事も無い。
 オレ自身、ちょっと驚いたが、あかりは満面の笑みを浮かべて、
  
  『うんっ!』
  
  と言った。
  
  こりゃもう送ってくしかないわな。

「じゃあ行くか、ほれさっさと上着きろ」

 オレは手直な所にあったコートを羽織り、あかりと一緒に玄関を出た。
  
  外気の寒さが身に染みる。
  見上げると、冷たく澄んだ夜空には、冬の星座が一杯に瞬いていた。

「寒いね…」

 ぽつり、とあかりが漏らす。
  
 オレが無言のまま歩きだそうとした瞬間に、再びあかりが口を開いた。

「お昼休みの時の事、聞いてくるかと思ってた」

 踏み出しかけた、足が止まる。

「3年生の小村先輩。軽音楽部の部長なんだって、私全然知らなかったけど…」

「………」

「『冬休みに遊園地に行かないか』って」

「………」

「悪い人じゃないと思うけど、でも、やっぱり怖くって。だからずっと『ごめんなさい』
って言ってた」

「………」

「だから…えっ?」

 オレは隣に立つあかりの左手を、すっ、と握った。
  なるべくさりげなくするつもりだったが、うまく行っただろうか。

「浩之…ちゃん?」

 オレは真直ぐ前を見ながら、そのままゆっくりと、あかりの手を引いて歩き始めた。
 二人の靴音だけが、夜の道に響く。
  
「…あかり」

「…うん」

「もう少し、あとちょっとだけ待っててくれ…」

「………」

「オレ、もうすぐ…」

「…うん……」

 きゅ、とあかりの手に力が入った。
  あかりの手は、さっきのランプの火の様に暖かい。
 オレはあかりの方を向いた。
  あかりもオレの方を見上げる。
  その瞳は、月の光を受けて澄んだ藍色に揺れていた。

「………」

「………」

 オレの目線と、あかりの潤んだ瞳が交差する。

 そのまま数秒の沈黙――

「…うん。わかってる、わかってるよ、浩之ちゃん」

 ぱっと晴れやかな笑顔になって、あかりが答えた。

「浩之ちゃんの事だから…わかるよ、私…」

「……すまんな…」

 本当は、“すまん”じゃなくて“ありがとうな”と言いたかった。

  今度はちゃんと言うよ。

 『いつもありがとうな』って。

 だから今はこのまま……
 
「だから浩之ちゃん、今日はこのまま…」

 オレ達二人の言葉の最後が、当たり前の様に重なった。


 ―― 手をつないで帰ろう


                       fin.



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