1.COM-FUSION
<5月某日 夕刻 来栖川邸>
およそ17歳の女の子の私室とは思えないほど広く、贅を尽くした部屋のなか
で、彼女−来栖川綾香と呼ばれる少女は困惑していた。
寺女−西音寺女子高校の制服を脱いで私服に着替えるのも忘れ、姿見の前で
鏡に映る自分の姿をためつすがめつしながらため息をつく。いつも快活なはず
の彼女にしては珍しく、微かに憂いの表情を浮かべている。
「−どうして、こんな事態になったのでしょう?」
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<同時刻 来栖川エレクトロニクス>
HM開発7課に置かれた、メンテナンスユニットに横たわり、身体各部に接
続されたケーブルからデータを採取されながら、彼女−HX-13セリオと名づけ
られた存在もまた、混乱の極みに達していた。もっとも、その無表情さ故に、
少なくとも表面的にはまったく判別できなかったが。
(ちょっとォ、何でこんなことになってるわけ!?)
とはいえ、そこで無闇に騒ぎたてない程度の分別は彼女にもあった。
(このことが知られたら、動きにくくなるわね。ここは猫をかぶって……)
その点はもうひとりの少女も同じだったようだ。
「−軽々しく余人に漏らすべき事態ではありませんね」
そして、ふたりはまったく同様の結論に達する。
「ともかく、明日の朝、早急にあのかた(娘)と会ってみる必要があります
ね(るわね)。その後は……浩之さん(浩之)にでも相談してみましょう(るか)」
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<同日 数時間前>
「浩之!」
放課後。葵や芹香のクラブ活動に参加せず、珍しくひとりで学校の前の坂を
ぶらぶらと下っていた浩之を呼び止める声があった。
彼の名前を呼び捨てにする女性は3人しかいない。
うち、ひとりが母親で、もうひとりの志保はいまごろ宿題を忘れた補習で
ヒイコラ言ってるはずだから、自動的に除外される。
そうなると消去法で……。
「やっぱりオメーか綾香……って、何だ、そりゃ!?」
振り向いた浩之の目には、ふたりの少女の姿が飛び込んできた。
そのうち、ひとりはよく知っている。流れるような長い黒髪と白磁の肌、
整った顔立ち−と、ここまでは彼が親しくしている先輩、来栖川芹香とそっ
くりだが、こちらは瞳に自信に溢れた輝きが宿り、表情豊かな点が、姉とは
異なる。言わずと知れた、芹香の妹、天才格闘家お嬢様、来栖川綾香だ。
こちらはいい。このお嬢様らしからぬフランクな少女は、これまでも姉を
迎えに来たり、姉と親しくしている浩之に興味をってからかいに来たりして
いたのだから。問題はもうひとりのほうだ。浩之はこちらとも面識があった。
風になびく緋色の髪と紅い瞳。スレンダーだがバランスのとれた肢体。綾香
と並んで立っても見劣りしないくらいの美少女だが、その耳には無粋な金属製
のパーツが取り付けられている。試作型メイドロボHMX-13セリオだった。
・・・・
「−お久しぶりです、浩之さん」
「な、何でセリオがここにいるんだ? 確か研究所で眠ってるはずじゃ……」
ハッと気づいたように綾香に視線を向ける浩之。
「オメーの差し金か?」
「フフ、半分だけ正解。HMX-12マルチの現状については、もう知ってる
わよね?」
8日間の実地試験の後、浩之たちの前から姿を消したメイドロボ。ドジで
泣き虫で、でもいつも一生懸命な女の子。浩之にとっては、葵や琴音と同様、
かわいい妹分だ。最後の日、校門前で「仰げば尊し」を歌ったときの思い出は、
今も鮮やかに心に残っている。
研究所の奥で眠りについているはずのそのマルチから、電話があったのが
1週間前のことだ。より進んだ感情制御プログラムの開発のために、再び実
地試験に出されることになったのだという。今度は学生ではなく、来栖川系
の幼稚園で保母をかなりの長期に渡ってやることになったらしい。
あのドジなマルチに保母さんが務まるのかと危ぶんだものの、昨日その幼
稚園をあかりと訪ねたところ、マルチは結構うまくやってるようだった。
「で、今度はHMX-13も長期実地試験をやることになってね。別に系列会
社のOLとかでも良かったんだけど、折角だから私の護衛を兼てウチの学校
にまた通ってもらってるわけ」
なるほど、見慣れて−というか、その格好しか見たことが無かったので
気づかなかったが、確かにセリオもまた寺女の制服に身を包んでいる。
「まあ、これでセリオは暴漢の2、3人なら軽くひねれるだけの実力があ
るし、無粋な黒服に校門前で待たれるのって、結構うっとうしいしね」
「それ以前に、オメーなら暴漢の4、5人は自分でノせるだろうが」
「まあね。どっちかって言うと保険というか体裁のためかな。それで、セ
リオと身近に接するようになっていろいろ話を聞いてみると、なんとあんた
とも会ったことがあるって言うじゃない? 世間は狭いわよねぇ。で、感動の
対面をさせてあげようと、ここまで来たってわけ」
「フーン……でも、良かったな、セリオ。また暇ができたら遊ぼうぜ」
かつて、マルチと一緒に帰るとき、バス停で待っていたセリオも巻き込ん
で、3人でゲーセンで1時間ほど遊んだことがある。そのことを思い出して、
何気なく浩之はそんな言葉を口にした。
「−はい。よろしくお願いします」
無言のままふたりの会話を聞いていたセリオだが、浩之の言葉には即座に
反応した。
「あら、私の目の前でボディガードはデートに誘うくせに、本人は誘って
くれないの?」
からかうような綾香の言葉に、一瞬言葉に詰まる浩之。
「そ、そういうわけじゃなくてだな……」
だが、浩之はその続きを口にすることはできなかった。
坂の上から暴走してきたバイクが故意か偶然か3人に向って突っ込んで
きたのだ。バイクに背を向けていた形の浩之の反応が一瞬遅れる。
位置的に見て浩之とバイクが僅かに接触する。
そう判断したふたりの少女は、咄嗟にまったく同じ行動をとっていた。
すなわち。
浩之を斜め後方に突き飛ばしたのだ。おかげで、間一髪浩之はバイクに
引っかけられることを免れるが、代わりに綾香とセリオの額が正面衝突す
るハメになる。
ゴッチン!!!
聞いてるだけで痛そうな音が、浩之の耳にまで届いてきた。
「お、おい、大丈夫かよ!?」
よく見るとふたりとも目をまわしている。綾香が失神したのはともかく、
セリオのブレーカーが落ちるとは、よほどの衝撃だったのだろう。
「綾香お嬢様ーーーーーっ!!」
ちょうどそこへ、タイミングよくセバスチャンが乗った黒塗りの
ロールスロイスが到着する。
「おおっ、お嬢様! 小僧、これはいったい…?」
「話はあとだ。ジイさん、早くふたりを車へ!!」
セバスチャンが綾香を抱えて後部座席へ乗り込むのを確認すると、浩之も
セリオを抱き上げて、助手席へと向う。
(セリオってこんなに軽かったんだ。やっぱ女の子だよな……って、何考え
てんだ、オレ)
苦笑しながら、セリオを助手席に寝かす。
「とりあえず、お屋敷へ戻るぞ。あそこには、来栖川家の専属医師もおる。
そのHMX-13は、あとでワシの甥っ子のところにでも届ければよかろう」
テキパキと運転手に指示を下すセバスチャン。ギロリと浩之のほうをニラむ。
「小僧、話は道々じっくり聞かせてらうぞ」
(ま、しょうがないか。今回はオレを庇ってくれたおかげで、こんなになった
わけだし……)
浩之は覚悟を決めてセリオの隣に乗り込んだ。
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<夜 来栖川邸>
コンコン……。
「綾香お嬢様、お夜食をお持ちいたしました」
「−どうぞ」
綾香−賢明な読者諸君なら既にお気づきであろう。ここにいるのは、じつは
綾香の身体にセリオの心、というか人格が入った存在である−の許しを得て、
サンドイッチとティーセットの乗ったトレーを持って、メイドが部屋に入って
くる。
一瞬躊躇した後、綾香=セリオはメイドからトレーを受け取る。
「−ごくろうさま。あとは自分でやるからいいわ」
おそらく綾香ならこうするであろうという予測に基づいた言動である。
1週間ほど朝から夕刻まで身近に接してきた結果、おおよその綾香の行動
パターンは飲み込めている。
「では、失礼いたします」
一礼してメイドが部屋を出て行くと、綾香=セリオ−ややこしいので、以後
便宜上「芹緒」と表記する−は、トレーをデスクの上に置き、おそるおそるサン
ドイッチに手を伸ばした。
マルチ同様、セリオにも「メイドロボ」の字義どおり、家事のための機能は
標準装備されている。それには料理を作っているとき味見するための"味覚"
も含まれている。メモリーには、「おいしいサンドイッチの味」というものも
記録されているわけだが……。じつは、この時、芹緒は生まれて初めて、味
を見るためではなく、「食べたいという欲求」、平たく言うと空腹のために、
食物を口にしようとしていたのだ。
「−おいしい」
もちろん、来栖川家お抱えのコックが作ったものなのだから、不味いはず
はないのだが、そういう次元とは別の感動を芹緒は味わっているのだ。
(−これが、「物を食べる」ということ……単なるエネルギーの補給ではなく、
「食べる」ということ自体が心地良さにつながり、身体的のみならず心理的な面
でも、満足が得られること……)
そこまで考えて、微かに苦笑する芹緒。
(−心理的、か。HMX-12ならいざ知らず、試作型メイドロボに過ぎない私
に、はたして心があるのでしょうか? )
そんなことを考えながら、サンドイッチを平らげ紅茶を飲み干すと、芹緒は
制服を脱いでクローゼットから取り出したブルーのパジャマに着替えて、洗面
所(当然、綾香の部屋に付いているのである!)に向った。正確に1分間ローリ
ング法で歯を磨き、用足しを済ませる−老人介護の目的から、その知識もある
−と、先ほどまで寝かされていたベッドに再び横たわる。
「−とにかく、明日の朝……と会ってか……ら」
間もなく、穏やかな寝息とともに、芹緒は夢の世界へと入って行った。
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<同じく 来栖川エレクトロニクス>
「よぉーし、今日の点検は終了。マルチ、セリオ、もうコネクター外して
いいよ。あとは充電してから明日の朝まで待機状態に入ってて」
長瀬主任の声に、パッと表情を輝かせるマルチ。じつは、長期実地試験を
始めるに際して、マルチの感情制御プログラムの成果の一部がセリオにフィ
ードバックされているため、彼女のメンテもこの7課で行っているのだ。
セリオ−もちろん、こちらはセリオのボディに綾香の心が入った状態であ
る。以後は「アヤカ」と表記しよう−は極力表情に出さないようにしながら、
心の中では、ようやく退屈な検査が終わったことに快哉を叫んでいる。幸い、
セリオの顔面部に装備された感情表現機能は、マルチとは比べてかなり単純
なものだったため、「微苦笑しながらため息をつく」などいう複雑な心境は、
表に出さずにすんだようだ。
「今日も何事もなくすんで、良かったですねぇ、セリオさん」
マルチが嬉々として話し掛けてくる。アヤカは内心、「大アリよ!」と抗議
しながらも、表面上は努めて冷静にマルチに答える。
「そうですね」
「でも、セリオさんが夕方、気を失ってここに運び込まれてきたときは、
ほんとに心配しましたぁ。いったい何があったんですかぁ」
僅かに目元を潤ませるマルチを、意外な想いで見つめるアヤカ。
(この娘、本心からセリオのこと心配してるわ)
「どうかしましたかぁ?」
「なんでもありません。今日は綾香お嬢様と一緒に藤田様に会いに行きま
した」
と、セリオなら口にするだろうセリフを並べながら、ふとアヤカは違和感
を感じる。
「わぁ、ホントですかぁ? 浩之さん、元気でした? あ、でも、わたしが
昨日会ったときはお元気そうでしたから、きっと大丈夫ですよね?」
マルチの言葉に先ほどの違和感の正体を悟る。
昼間、セリオは確か彼のことを、マルチ同様「浩之さん」と呼んでいたのだ。
アヤカが知る限りでは、セリオが人間を呼ぶときは、ほとんど姓+様付けに
なるはずなのだ。もちろん、浩之自身がそう呼ぶように仕向けたという可能
性もあるが……。
「はい。その際、浩之さんがバイクにひかれそうになったので、突き飛ばし
た弾みで、綾香お嬢様とぶつかってしまったのです」
「あぁ、そうなんですか。でも、セリオさんらしくないドジですねぇ」
確かにそうだ。あのとき、冷静に判断すれば、セリオには自分が浩之を
突き飛ばすことがわかったはずだ。それで浩之が無事なことも。まさか、
メイドロボが冷静さを欠いていたというのか? マルチならいざ知らず、
あのセリオが……。
そんなことを考えながら、傍らのマルチを見習ってメンテナンスユニット
に横たわり、電源をチャージする。
(あ、これがエネルギー充填ってヤツね。ふーん、拳法の「気」を練る感覚
に似ているかしら……)
そんなことを考えながら、アヤカの意識はいつしか待機状態−スリープ
モードへと移行していた。