【BGM:オルゴール〜雫〜】
〜4月14日(月)〜 赤い傘の少女
ザ―――ザ―――
雨が降っていた。
大粒の滴がシトシトと……灰色の空から静かに落ちてくる。
「………………」
誰もいない公園。
青々と芽吹いた木々が、園内の至る所に植えられており、天気が良ければさぞ
かし目に眩しいことだろう。
僕はそんな緑豊かな公園のベンチに、ひとり座っていた。
ザ―――ザ―――
ずいぶんよく降るな。
雨に打たれながら、僕はそう思った。
見上げた顔に、いくつもの雨粒があたり、小さな飛沫をたてる。
今朝天気予報を見てこなかったのが痛かった。
しかも、ちょうどふらっと「散歩」にきた時とは……ついていない。
気づいた時には、もうかなり濡れてしまっていた。
考えた末、今更傘を買ってもたいして変わらないので、そのまま雨の神様の洗
礼を受けることにしたのだった。
まあこういうのも風流だと思えば、まんざら悪いもんじゃない。
……ガクランが濡れてしまうのは困ったことだが、今更もう遅いし…。
明日は中学校のやつでも引っ張り出して着て行くさ。
それにこうやって雨に中にいると、まるで自分の中のすべてが、洗い流されて
いくように感じる。
ザ―――ザ―――
「……空が泣いているみたいだ」
僕は誰とはなしに、そう呟き掛けた。
応える者は、誰もいない。
――もう、だれも――
「……………………」
長瀬祐介は、ただ黙って、雨に打たれていた。
ザ―――ザ―――
パシャ、パシャ
……水の撥ねる音がする。
パシャ、パシャ
それは一定の速さで、こちらに近づいてくるようだった。
パシャ……。
止まった…。
タタタタタタ
体に当たる雨粒の感触がなくなった。
代わりに張りつめた布を打つ、小気味よい音が聞こえてきた。
僕はその乾いた空間に気付き、垂らしていた頭を正面へと上げる。
「……………」
気怠い……。
雨の中にいるときには感じなかった水分の重みが、いやに重く体にのしかかる。
顔にへばりついた前髪が、黒いナメクジのようで気持ち悪い…。
僕はその黒い物体をかき分けながら、真正面を見た。
「………誰……?」
そこにはクリーム色のベストを着た、高校生くらいの少女が立っていた。
彼女は右手に傘を持ち、僕に降りかかるはずの雨の雫を防いでくれていた。
その傘の色は、どこかぼやけたように淡く、温かい、夕焼けの赤をしていた。
「――濡れたままでいると、――風邪をひいてしまいますよ」
まるでテープレコーダーを再生したような、綺麗で、無機質な声が、その娘の
唇から流れた。
「………いいんだ……べつに……」
僕はそう言って、また下を向いた。
余計なお世話だった。
人には人の事情というものがある。
何も考えず、ただ自然の恵みというやつに触れていたいときがあるんだ。
雨は人の心を癒してくれる。
人間の頭の中の余計な電波を溶かし込んで、地面の下にまで持っていってくれ
るんだ。
だから……ほっといてくれ。
今は、何も考えたくない……。
「……っ………」
顔に張り付いた前髪から、一粒の雫が落ちた。
ポタッ…
濡れた左手に、何かが触れた。
温かいそれは、僕の手のひらをゆっくりと開かせると、傘の取っ手を押し当て
た。
「……………」
そして、優しく、自分の手で包み込むようにして、僕に取っ手を握らせると、
その白い手は僕から離れていった。
ザ―――ザ―――
タタタタタタ
僕はもう一度、静かに顔を上げた。
目の前の少女は、雨に濡れるのもかまわず、両手で鞄を持ち、何もしゃべらず
に、黙って立っていた。
水気を含んだ茜色の髪に隠れるように、焦点のない緑色の瞳が二つ――まるで
月夜の暗い湖のような深さを持って――僕の顔を見つめている。
僕は大きく目を見開き、一言、掠れた小さな声で、その大切な名前を呟いたの
だった。
あの日以来、もう口にすることのないはずだった、その名前を――
「………瑠璃子さん………」
雨は決して、すべてを洗い流してはくれなかった………。