〜4月15日(火)〜 機械人形の少女


僕はまた、この公園にやってきていた。
手にはあの娘に貸してもらった赤い傘がある。
学校の制服姿だったから、おそらくここが通学路になっているんだろう。ここ
にいれば彼女に会える、そう信じて…待つ。

……実際、どうして自分がここにいるのかよくわからない。
貸してくれたといっても、向こうが一方的にしたことだ。別に律儀に返しに来
なくてもいいのだが…。

――あの瞳。月に照らされた深い湖のような澄んだ瞳。
心を持たない『壊れた』者の眼。
瑠璃子さんの瞳。

あの瞳が僕の脳裏からどうしても離れなかった。
彼女も瑠璃子さんや太田さんと同じ、心を壊された者なんだろうか?
しかし、それにしては何か様子がおかしかった。
……いや、『おかしくなかった』んだ。
話し方もしっかりとしていたし、足取りだってちゃんとしていた。あの『眼』
さえ見なければ、全く普通の女の子だ。
瑠璃子さんよりもさらに軽度の精神障害……そう考えるのが妥当だろうか?

そんな風に僕が憶測を巡らせている時だった。あの女の子が現れたのは。

「ねえ、君!」

茶色い革靴に白の三つ折りの靴下。すらりとした曲線を描く長く綺麗な足は、
グリーンのスカートに吸い込まれている。白いワイシャツの上にクリーム色の
ベストを重ね、胸元にあしらった赤いリボンがワンポイントになっている。
この辺りでは有名な名門女子校の制服だ。

呼ばれた彼女はチラッと僕の方に目をやった。

――やはり、あの目だ。

何の感情も映し出していない、ガラス玉の瞳。

「――なんでしょうか?」

彼女は昨日と同じ、綺麗で無機質な声を僕に返してきた。
まるで今日初めて会った相手のように…。

「あの…覚えてないかな? 昨日、これ、貸してくれたよね?」

相手の様子に僕はちょっと怖じ気づいてしまった。
まさか人違いってことはないよな? 
なにしろ『眼』に捕らわれていて、他の特徴はよく確認していない。

「――はい、確かにお貸ししました」

彼女が身をかがめて僕の持つ傘を見る。その時……流れる落ちる茜色の髪から
『それ』が目に飛び込んできた。

白く突き出た金属の突起物。

「……あの、それ、……何ですか?」
「――センサーです」
「は?」
「――サテライトサービス使用時などに必要となります」
「さ、さてぃ…何だって?」
「――サテライトサービス。軌道上の人工衛星にアクセスして、データを送信、
実行するシステムです」
「……で、その凄いセンサーが何できみの耳についているの?」
「――人間の皆さまの御要望に、限りなく応えられるようにするためです」
「人間って……あっ」

その時、僕の頭の中に、ひとつの言葉が浮かび上がってきた。
メイドロボット。
確かこの数年のうちに登場してきた家庭用・介護用ロボットの総称だ。

改めて目の前の女の子を見てみる。
特徴的な耳の飾り。長い茜色の髪の毛。作り物のように整った顔立ち。
そして――ポッカリと穴の空いたようなレンズの瞳。

そうか。何てことはない、彼女はロボットだったんだ。
それならあの感情のない瞳にも頷ける。
ロボットに心なんてあるはずないもんな。

……それにしてもロボットか。
僕はロボットというものに対してあまり良い印象を持っていない。
つい先日、『ロボットのような人間』に酷い目に遭わされたのもあるが、それ
以前に、僕は「機械」というのが嫌いだった。

なんの主体性も持たずに行動する人間。
ただ集団に流されるまま、何をするでもなく、何を考えるでもなく、ただ機械
的に変わりばえのない日常を生きる人間たち。
僕はそんな人間に、心底嫌気がさしていた。

だからそんな人間がさらに自らを機械化するために生み出したロボットなどは、
滑稽でしかなかったのだ。
僕がロボットたちに期待したことは、せいぜい、将来そんな人間どもを滅ぼし
てくれることだった。

……もっとも、それは瑠璃子さんに出会う前の僕の話だが。
世界から色を失い、自分自身も世界から消えそうになっていた僕…。
……今は……どうなんだろう?

僕の両目はずっと、前に立つロボットの目を捉えていた。

そういえば、何でロボットが女子校の制服なんて着ているんだろう?
しかも手には鞄。
考えてみると不自然だ。

「……ねえ、きみは…」
「――申し遅れました。HMX−13型、通称セリオです」
「…HMっていうと来栖川電工のやつか。じゃあセリオ、どうしてきみは学校
の制服なんか着ているの?」
「――はい。起動試験のために先週の土曜日から8日間、西音寺女子学院に通
っています」
「起動試験? ふ〜ん、学校でやっているんだ」

僕はそう言って、彼女の姿をじろじろと眺めた。そしてハッと気がついて、持
っていた赤い傘を手渡した。

「あ、ごめん。これ、ありがとう。助かったよ」

ロボット相手に礼を言うのは変な気もするが、ここまで人に似せて作ってある
と、自然にそう口にでてしまう。
それにこちらには傘を貸してもらったという恩もあることだし。

彼女――セリオは僕から傘を受け取ると、一回、瞬きをした後「ありがとうご
ざいます」と、深々とお辞儀をした。

「い、いや、貸してもらったのは僕の方なんだから、きみがお辞儀をすること
はないんじゃないか?」

僕は苦笑いをしながら、そう言うと、

「――そうですか?」

ちょっと小首を傾げて問い返すセリオ。その動作は妙に人間ぽかった。

「うん。こういう時は『どういたしまして』の方がいいと思うよ」
「――わかりました」

そう了解すると、セリオは半歩さがって、

「――どういたしまして」

と、また深々と礼をした。

「……ぷっ」

その変な光景に思わず笑ってしまった。
たぶん、大真面目にやってるんだろう、彼女は。

僕が声を抑えながら笑っているのを不審に思ったのか、セリオが訊いてきた。

「――何故笑っているのですか?」
「だ、だって、普通そんなに深くお辞儀をしながら『どういたしまして』とは
言わないよ」
「――角度が間違っていましたか?」
「い、いや。そういう問題じゃなくてね…」

僕はまるで何も知らない子供に教えるような気持ちで、その続きを言おうとし
たのだが、彼女の方が先だった。

「――申し訳ありません。待ち合わせの時間に遅れてしまうので、失礼させて
いただきます」
「え? あ、そう?」
「――はい。では、さようなら、……」
「あ、ごめん、名前言ってなかったね。僕は長瀬祐介」
「――祐介さんですか。では、さようなら、祐介さん」
「うん。さようなら、セリオ」

セリオは、今度は正しいお辞儀をすると、遅れているためか、少し早足でその
場を後にした。
僕はその後ろ姿を見送り、自分も家に帰ろうとしたのだが…

「…………………」

少し考えた後、僕は彼女が見えなくなった方角へと足を向けたのだった。





ぶろろぅぅぅ〜〜

後ろでバスが発車していく。

『来栖川電工第七開発研究所』と長たらしく銘打たれた看板が目の前にある。

「……これじゃあ、まるでストーカーだな」

ふと自嘲しながら僕は呟くと、手元の財布を覗き込んだ。
元々あんまりお金を持ち歩かない方なので、今のバス代で千円しか残っていな
い。あとで補充しておかないと、痛い目を見そうだ。

僕は辺りを見渡してみた。街からは割と離れたところにあるせいか、自然に囲
まれた、良い環境にあるといえる。緑の多い茂った中に佇む白い建物は、清涼
感とある種の偽善性とを持ち合わせている。
その中で行われている反自然的な行為を自然で覆い隠そうとしている……そん
な種類の偽善性だ。
もしかしたら、あの白い人工物の中では、神をも恐れぬ、人の道に外れた実験
がなされているかも知れないのに……。

……とまあ、そこまでは考えすぎだが、所詮、彼らのしていることは、自然と
は全くかけ離れたことなのである。
工事現場を花柄のフェンスで覆い隠すのと同じことだ。

それにしても、これからどうしようか。
正直言って、何も考えずにバスに乗ってしまったという感じだった。

セリオ――彼女のその焦点のない瞳と、その後に見せたどこかズレた反応が、
…瑠璃子さんを思い起こさせたからだろうか?

しかし、相手はロボットなんだぞ?
瑠璃子さんや太田さんみたいに途中で心を壊されていったんじゃない……元か
ら心なんて持ち合わせていない、ただの機械製品だ。

そんなのに瑠璃子さんを重ね合わせるなんてどうかしている。

「………………」

……そうだな、僕はどうかしている。

一番…大切な人を、この手で失ってしまったのだから……。


今なら理解できる。
瑠璃子さんは、月島さんを助けて欲しかったのだと。
自分ではなく、お兄さんを助けて欲しかったのだと。

彼女は言った。

『…お兄ちゃん。私、もう許してたよ』

彼女は兄の心が壊れることなんて、望んじゃいなかったんだ!

つまり、結局僕のしたことは……。

「おや? そこにいるのは祐介じゃないか?」

その時、後ろからどこかトボケた感じの声がした。

「……叔父さん…」
「どうした? お前がこんな所にいるなんて珍しいな」
「……なんでも、ないですよ」

僕は慌てて目元を拭ってから、後ろを振り返った。
そこには白衣を着た四十過ぎの男が、手に茶色い紙袋を持って立っていた。

長瀬源五郎。

僕の何人かいる叔父の一人である。
うちの高校で現国を教えている源一郎叔父さんのさらに下の弟だ。
どこかの研究所で働いているとは聞いていたが、まさかここだったとは……。

「? そうか。それにしてもせっかく来たんだ。少し寄っていくか?」

叔父はそう言って、目の前の白い建物を指差す。
僕はちょっと複雑な気分だった。
僕と叔父たちの付き合いというのは案外薄い。
同じ学校にいる源一郎叔父さんでさえそうなのに、仕事一辺倒の源五郎叔父さ
んとはそれこそ親戚会だけの関係だ。
さらに言うなら、僕はここ数年、その親戚会に出ていない。
なにしろあの親戚会ときたら………いや、やめよう。思い出すのも憚れる。

それに、なんか上手く乗せられているような気もするからだ。
あの事件以来、僕の様子が変わったことは、親父も源一郎叔父さんも知ってい
る。そこの辺りから何か話が伝わっているのではないだろうか?
とにかく、うちの親戚は一癖も二癖もある連中ばかりだからな。

「…………」
「どうした祐介。来ないのか?」
「あ、いえ。せっかくですから寄らせてもらいます」

少し迷ったものの、僕は叔父の誘いに乗ることにした。
何だかんだ言って、やっぱりバスの代金が無駄になってしまうのは忍びない。

「ところで叔父さん。その紙袋は何ですか?」
「ああ、コロッケだ。ここの肉屋で揚げたコロッケは絶品だぞ?」
「……街で買ってきたんですね」

……つまり、僕と同じバスに乗ってきたというわけだ。
気付かなかった僕も僕だが、やはり食えない人には違いない。




「紹介しよう。私の甥の祐介だ」
「わー。主任さんの甥さんですかー。初めまして、私、HMX−12型です。
皆さんからはマルチと呼んでいただいてますー」
「ど、どうも。長瀬祐介です」

僕はちょっと躊躇しながらも、礼儀正しくお辞儀をする彼女に挨拶をした。

『……ちょっと叔父さん。この娘……』
『ん、まあな。いい子だろ?』
『自分の娘をモデルに使うのは犯罪だとは思いませんか?』
『お、お前な、そういうことを言うか?』
『いくら現実の娘には相手にされていないからって……』
『おい、待て! そんなことはないぞ!』

「? あのー、お二人ともどうかなされたんですか?」

ひそひそ話を続ける僕らを、マルチは不思議そうに見つめていた。

「い、いや、何でもないんだよ、マルチ」

叔父は『ははは』と乾いた笑いを浮かべながら、僕の方に『しゃべるな』と目
配せをしてくる。
紹介されたメイドロボット――マルチは、僕の従妹にそっくりだったのである。
会った瞬間、思わず『久しぶり』と声を掛けそうになってしまった…。

それにしたって、実の娘そっくりのロボットを作るなんて趣味が悪い。
どう考えたって、一緒にお風呂に入ってもらえなくなった父親が、その代わり
に作ったとしか思えない。僕には以前、酔ってその事について愚痴をこぼして
いた叔父と、その叔父の頭を真っ赤になって『ポカポカ』やっていた従妹の姿
とが、鮮明に思い出されるのだった。

……そう言えばあれ以来、従妹には会っていない。今まではそれでも何とも思
わなかったが、今は……久しぶりに会ってみたい感じだ。
だから、僕のマルチに対する感想は、『懐かしい女の子と再会した』というも
のであり、……この娘がロボットだということは完全に失念していた。

それよりも僕は……。

「……おや? あちらさんもおいでですか」

僕と叔父がそんなやり取りをしていたとき、廊下の向こうから白衣を着た女性
と、セリオが歩いてきた。

「あら。マルチちゃん、こんにちは」
「――こんにちは、マルチさん」
「あ、主任のおねーさん、セリオさん、こんにちはですー」
「……相田主任、私は無視ですか」
「あら、長瀬主任。いたんですか?」
「――長瀬主任、こんにちは」
「やあ、セリオ。…別に気にはしませんけどね。毎度のことですから」
「そうそう。しつこい男は嫌われるだけですよ」
「………」

叔父のこめかみがちょっとヒクついている。僕は笑いを抑えるのが必死で挨拶
どころではなかった。
叔父をへこませているのは、肩口あたりまで伸びた黒髪に軽くソバージュをか
けた、綺麗な女の人だった。年は30前後だろうか。この年齢、しかも女性で
主任とは、きっとかなり優秀な人なんだろう。

「ところで、そこの可愛い彼は誰かな?」
「……それって、僕のことですか?」
「ええ。きみよ。きみ」
「……長瀬祐介です。いつも叔父がお世話になっているようで」
「へえ!? 長瀬主任の甥子さんですか? とてもそうには見えませんね」
「それ、どういう意味ですか?」
「言わなきゃわかりません?」
「………」

白衣のポケットに突っ込んだ左腕が、微かに震えている。もっとも僕も大人の
女性に『可愛い』と言われては複雑な気分だったが。

「はじめまして。相田祥子です。プロジェクト13(サーティーン)の開発責
任者です。長瀬主任には、それはもう『いろいろ』お世話になっています」

主任さんはニッコリと微笑して、右手を差し出してきた。
僕はその手を握り返しながら、すぐ横にいるセリオをチラッと見る。

「プロジェクト13て、セリオを作った人ですか?」
「ええ、そうよ」
「――こんにちは、祐介さん」

その会話の間を縫うように、セリオが僕に声を掛けてきた。

「こんにちは、セリオ」

そうは言っても、まだ別れてから1時間と経っていないんだけどね。

「なんだ、お前セリオのこと知っているのか?」
「ええ、昨日傘を貸してもらったんです」

僕が正直に言うと、まだ僕の手を握ったままだった相田主任は、あーっと声を
上げた。

「きみね? セリオをずぶぬれにして帰した男の子は!」
「えっ、…まあ結果的には、そうなりますけど……」
「あのねえ、きみ。あの時大変だったんだからね。 セリオが濡れて帰ってき
たときには、それこそ研究所がバケツをひっくり返したような大騒ぎになった
のよ」

主任さんはそう言って、「めっ!」と額を小突いた。

「は、はあ。…すみません」
「ん、よろしい。誰かさんと違って素直な良い子ね」
「……あの、ちょっと」

僕はムッとした声を漏らす。さすがに頭を撫でられて良い気をする年じゃない。

「あらあら、ごめんなさいね」

そう謝りつつも、ふふふっと笑っている。……どうも、この人のペースにはつ
いていけそうにない。

僕は改めてセリオに向き直った。

虚空を見つめているかような緑色の瞳――
焦点ズレた目で静かに佇んでいるこのロボットは、やはり彼女の姿を彷彿とさ
せてならない…。

――その温かく悲しい思い出とともに。

「――どうかしましたか?」

端正な顔を全く変化させることなく、セリオが訊いてきた。

「……いや、なんでもないよ」

その茜色の髪をした機械人形に、僕はただ、そう言葉を返すだけだった……。







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