〜4月16日(水)〜 歌を知らない少女
昨日に引き続き、僕は来栖川第七開発研究所に来ていた。
何故かは知らないが、僕は相田主任に気に入られてしまったようで、研究所内
の通行パス、バスの回数カードまでもらってしまった。
あまりの待遇の良さに『部外者を自由に歩き回らせて良いんですか?』と訊い
てみたら、『何かあったら長瀬主任に責任取らせるから大丈夫よ』とのことだ。
実際、パスの発行者名を見てみたら、叔父の名前になっていたので、ちょっと
恐い気がした。
そして研究所にやってきた僕は、自然と彼女の姿を探してしまうのだった。
「セリオ」
中庭のベンチに一人座っていた彼女に、僕は声を掛けた。
セリオは僕の姿をその瞳に確認すると、立ち上がり、丁寧なお辞儀をした。
「――こんにちは、祐介さん」
「こんにちは」
僕も軽く会釈をして、彼女の隣に座った。
「………………」
「――…………」
しかし、会話が続かない……。
セリオはロボットだから自分から話そうとはしない。
つまり、必然的に僕の方から何か話題を提供しなければならないということだ。
しかし、はっきり言って人と話すのは苦手だ。今まで他人との関わりを避けて
きた僕には、一日中、誰とも話さないなんてことがザラにあった。
こんな時、沙織ちゃんだったら、相手がロボットだろうがなんだろうが、ぺち
ゃくちゃと楽しくお喋りを始めてしまうんだろうが……。
……僕には、そういった才覚はない。
「……ねえ、セリオ」
「――はい、なんでしょうか?」
「セリオって……何ができるの?」
結局、僕の口から出たのは、そんなありきたりの質問だった。
質問した僕自身、どうでもいいような…。
「――サテライトサービスを使用することによって、私はほとんどの業種の仕
事を行うことができます」
それでもセリオは真面目に応えてくれる。
「ふ〜ん。サテライトサービスか…」
「――なにか御要望があれば承りますが」
続けてセリオはそう言ってくれた。
そうだな…。
僕は少し考えた後、ポツリと声を漏らした。
「……うた…歌える……?」
「――はい。どういった曲にいたしましょうか?」
「セリオの一番得意なやつでいいよ」
「――私の仕様はどのような曲でも対応できるようになっておりますので、祐
介さんのお好きな曲をお選びください」
「そう? それじゃあ……」
僕は一曲の歌をリクエストした。
それは以前、僕が瑞穂ちゃんから聴いた曲だった。
もっとも彼女が僕のことを憶えていたわけではなく、一階の廊下を歩いていた
時、偶然、その微かな音色が聞こえてきたのだった。
僕は引き寄せられるように、中庭に降り立った。
『……瑞穂ちゃん……』
中庭にぽつんと一本立った木の下。
彼女はその小さな手のひらに、一つのオルゴールをのせ、…涙を流していた。
その染み入るような音色は、どこか物悲しく、綺麗で、澄んだ音を立てていた。
そして彼女が小さく口ずさんでいたその歌詞を聴いた時、僕もまた涙した。
それは弔いの歌――
逝ってしまった者に対するのではない。
遺された者のための――弔いの歌。
あまりに、哀しすぎた。
「……あの、どうかなさいました?」
「!」
その声に気づいて顔を上げた時にはもう、彼女の眼が僕を捕らえていた。
人に見られていることを知って慌てて拭ったのか、その頬には涙の残痕がある
だけだった。
「………あの……きれいな……歌ですね」
「え、ああ、これですか。……そうですね。とても綺麗で……切ない曲です」
そう言って瑞穂ちゃんは悲しそうな瞳を、手のひらの上に落とした。
それから僕は、彼女からその曲名を教えてもらった。
そして……別れた。
僕はもう、彼女にも、沙織ちゃんにも、会ってはいけないんだ。
彼女たちの人生に触れ合うことは、二度と許されない。
それが、僕が彼女たちにしてやれる、唯一つのこと……。
「――どうかなさいましたか、祐介さん」
「…いや、なんでもないよ、セリオ。それより、わかった?」
「――はい。軌道上衛星からのデータ送信完了しました。これより再生いたし
ます」
「? ちょっと待って! …あの、セリオさ、君の歌うっていうのは、どうい
う行動を指して言っているの?」
「――はい。人工衛生から受信したデータを内部スピーカーから再生……」
「それじゃあ、駄目だよ。ちゃんとセリオが歌ってくれるんじゃなきゃ」
「――私が……ですか?」
「そう。下手とかそういうのは気にしなくていいんだ。セリオが心を込めて歌
ってくれれば」
……ちょっと皮肉っぽく聞こえたかな? でもあの歌は、ただステレオで再生
したって何の意味もないんだ。
……だけどそう考えると、この歌は哀しい記憶を持つ人以外には、本当に歌い
こなすことはできないんじゃないか?
「……………」
……………………。
僕の予想通りだった。
セリオは自分の声でその歌を歌ってくれたけれども、それはひどく…冷めたも
のに聞こえた……。
「……ごめん。やっぱり、もう、いいよ」
「――……お気に召しませんでしたか?」
「…いや、セリオのせいじゃないだ。……あのさ、セリオは生まれてからどの
くらい経つの」
「――はい、2週間と4日になります」
セリオは表情を動かすことなく、僕の質問に応える。
「その間に、哀しい経験とか……したはずないよな……」
なんか言ってる自分が、馬鹿みたいに覚えてきた。
どうしてロボットが哀しいと感じるって言うんだ。
その時点でもう話が狂ってきている。
僕はそう思って席を立った。
そして空を見上げ、自分で歌いだす。
……彼女のことを思い出しながら……。
『長瀬ちゃん』
彼女は物静かな女の子だった。文学風に言うのならば、深窓のお嬢様といった
ところか…。僕も他の男子生徒たちも、声を掛けることもできず、ただ遠くか
ら見つめているだけだった。
『長瀬ちゃん、電波届いた?』
一年ぶりに会った彼女は、あまりにも変わっていた。『電波』という不思議な
言葉を使い、まるで童女のような無垢な眼差しを僕に投げかけてきた。
…でも僕は、彼女が僕のことを憶えていてくれたということの方が、たまらな
く嬉しかった。
『…ごめんね。長瀬ちゃん。…いまも…大好きだよ』
…………。
好きだった。
誰よりも……。
君がいたからこそ、僕はこの世界に帰ってこれた……。
それなのにっ……。
青い空の下、哀しい歌声が木魂する。
どんなに想いを込めても、どんなに電波を飛ばしても、もはや彼女に届くこと
はない。
――永遠に――
心を持たない機械人形の少女は、そんな少年の姿をただ黙って、見つめていた。