(Leaf Visual Novel Series vol.3) "To Heart" Another Side Story

for 「本日のお題」

Seven Years After

〜 撫子色の口紅 〜

Episode:来栖川 綾香

Original Works "To Heart" Copyright 1997 Leaf/Aquaplus co. allrights reserved

written by ふうら


                 ∴

 駅のホームで、抱きつかれて、濃密なKISS。
 コイツのやることは、いつもながら洒落にならねえ。ならないんだけど…それに
流されてるオレもオレか。
 一分前までは混みまくっていたホームも、やってきた電車に人々が吸い込まれて
いき、今はガラガラ。五分に一本ほどの電車めざして、過密になったり過疎したり、
人口密度の変化が激しい時間帯。重役出勤って頃合い。
 よーするに、電車一本、乗り過ごしたわけだ。
「…ふはっ。おいおい、口紅、ベッタリじゃないか」
「春先の新色よ。今日がお初なのよね。色と、味と、見ていただきたかっただけ」
「いつもながら、色はバッチリ映えてる。そう、味はだな…、ぷりっとしていて柔
らかく、仄かに柑橘系の匂いが漂ってる。相変わらず甘いんだけど、すーすーする
よな…」
「口紅じゃなくて、唇の感想ね。最近は、使う匂い玉、薄荷玉ひとつに八朔玉ふた
つって決めてるから」
「あの不味い飴だな」
「飴じゃないの。すっぴんで外を歩かないのと一緒ね、女として当たり前のエチケ
ットよ」
「そーか? いや、もったいないよ。オレは、化粧落とした方が好きだけどな」
「…。喜んでいいのかな、それとも、悲しむべきかしら。ナチュラルメイクの技術
は、それなりに上達したつもりだったんだけど、認めては下さらないのね」
「あ、そーゆーわけじゃなくってだな…」
「嘘よ。嬉しい」
 再び、熱烈なKISS。
「おいおい。だからなぁ、口紅が…」
「あら。これだけぺったり付いてるんだもの、拭い落とす手間は一緒でしょ。…ち
なみに、次は通過列車らしいから。しばらくは来ないわよ」
「…続けようか」
「そうね、人間、素直が一番よね」

 オレの背後、けたたましい音を発てて、電車が通り過ぎていった。

「あ、姉さんだわ」
「!」
 げ。
 オレの頭は、一瞬のうちにパニック。真っ白だ。
 それでも、表情はポーカーフェイスを決め込んでいる。それだけ大人になったと
言うことか。
「肩を抱く手がコーチョクしてるわ。…ふふっ、隠してもダメ、焦ってるの、バレ
バレよ」
「………」
「安心なさいな。姉さんがこんなところに来るワケないじゃないの。今頃は、愛し
い愛しい旦那様のため、せっせとお料理教室してる頃でしょ」
 ずきずきっ。う〜、やなヤツだなぁ。
 ペロッと舌を出して笑う。コイツみたいなの、小悪魔って言うんだよな。
「姉さんじゃなくって、葵だったわ」
「…」
 おいおい。いくら会社が近いからってな。おまえと違って生真面目な葵ちゃんが、
勤務中に抜け出してくるわけが…。
「綾香さーん!」
 ぐ。まぢかよ。
「振り向いちゃダメ。大丈夫、向こうのホームだし、気付かれやしないわよ」
「そ、そーか?」
「うーん、こーゆーのも、スリルがあってイイわよねぇ」
 そんなコト言ってる場合か。

「綾香さーんっ! 探しましたよぉ! 午後の会議で使う書類が紛失…」
「こら葵! 何度言ったら判るのよっ! 綾香室長とお呼びなさいっ!」
 こら綾香、オレの耳元で叫ぶな、耳元で!
「あ…。ごめんなさーい!」
「それからっ! 見れば判るよーに、お取り込み中ってヤツなの! 状況を見て気
を利かせるってのが、秘書の道の第一歩ってモノよっ!」
「わっかりましたぁ!」
 葵ちゃんもこんな駅のホームで、ずいぶん元気に声出すよなぁ。綾香直属の部下
だもんな、日頃、しごかれているに違いない。可哀想に。
「次長の机、向かって右側の隙間、探してごらんなさい! あのヒト、よくあそこ
にモノ落とすから!」
「あっ、はいっ! さっそく探してみますねっ!」
「十分もしたら戻るわ!」
 そう言ってすぐ、綾香のヤツは。
 葵ちゃんに対して、これ見よがしに(…だと思うぞ。オレは振り向けないから、
確認は出来ないけれど)。またもや深く深く、口づけ。

「…ハイ。来たわよ、電車」
「あ、ああ」
「商談、頑張ってね、お義兄さん」

「あっ、それから。私という愛人がありながら、純真な葵にまで手を出したりした
ら…」
「…」
「血を見るわよ」
 ニコヤカに言ってくれちゃったりする綾香。
 いやはや、そんな、滅相もないっす。オレはまだ死にたくないって。

 天使の芹香に、小悪魔な綾香。これだけでもう、望外の喜び、至福の境地。
 これ以上いったい何を望もうか。バチが当たるぜ。

 …あ、でも、葵ちゃんかぁ〜。う〜ん。

「…あっ、イテテッ! 頬を抓(つね)るなって!」
「顔がニヤけてるわ。悪いこと考えてたでしょ。おイタは駄目よ」
「ああ。ご免な、オレ、嫉妬する綾香の顔、思い浮かべてた。ただその為に…って
んじゃあ、葵ちゃんに対して失礼だよな」
「…な、なんなのよそれは。ヘンなこと言わないで」
 すっと顔、そむける綾香。おっ、赤くなってる、赤くなってる。
 よし、今日のところは、土壇場でオレの勝ちだな。


...END



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