(Leaf Visual Novel Series vol.3) "To Heart" Another Side Story

雨の夜に、晴れた朝に

Episode : 保科 智子

written by 尾張



 バタンと、音を立てて扉が閉まった。
 委員長が、雨の中へと出ていった音だ。自分の家へと帰るために。
「…泊まって、いかないか?」
 そのひとことを言うことが、オレにはどうしてもできなかった。
 このまま委員長を帰したくない。そう感じたのは、まぎれもない事実だったはずだ。
 だけど…迷いがあった。
 傷ついている彼女の、弱みに付け込むような真似をしたくない。
 ただそれだけの理由で、妙な意地を張った、オレ。
 今夜いっしょにすごすことを、オレも、そしておそらくは委員長も望んでいたはずな
のに。
 扉を開けて出ていくときの、委員長の悲しげな瞳が、オレの頭にこびりついて離れな
かった。
 情けない自分に、涙が出そうだった。
 やるせない想いを吐き出すように、扉に向かって、オレは拳を叩き付けた。



 ──どれほどの時間がたったのだろう。
 気がつくと、雨はまだ降り続いていた。
 単調な雨音が、静寂の中に途切れなく響いている。
 脳裏に、さっきまで部屋にいた委員長の姿が浮かぶ。
 男物のシャツを着て、風呂上がりの濡れた髪をとかす委員長。
 無防備にさらけ出され、ほんのり桜色に染まった肌。
 身体からは、石けんの匂いがかすかに漂っていた。
 …冷静に考えると、よく自制できたもんだ。とびきりの美少女が、それも好きになり
かけている相手が、自分の部屋のベッドの上にいたっていうのに。
 そう考えると、自分のこだわりがなんだか妙に滑稽に思えてきて、オレはそのまま声を
殺して笑った。
 吹き出していく感情が、とめどなく笑いの発作を引き起こしていった。
 後悔が、オレの心を包んでいく。
 二度とは戻らない時間。二人が、お互いに素直になれる貴重な時を逃してしまったの
ではないか。──そんな疑念が、オレを駆り立てた。
 もう間に合わないかも知れない。
 でも、そんな事は関係なく、委員長に会いたかった。
 追って、心を伝えたかった。
 一瞬の迷いのあと、オレは雨水が染み込んだままの靴を急いで履くと、扉を開けた。
 空を見上げる。
 暗やみの中で、雨は変わらず降り続いていた。
 傘もささずに、オレはその中へと飛び出した。



 パシャパシャ…パシャ。
 水たまりを踏む音が、足元で響く。
 顔に叩き付けられる雨粒が、髪を伝って落ちていく。
 水気を吸って重くなった服が、全身に張りついていた。
 走り続けてきたせいか、息が上がっている。
 ばくばくと、心臓が音を立てて鳴っていた。
 オレは、あの公園の前にいた。
 一息つくと、ゆっくりと公園の中へと足を踏みいれる。
 駅へはあと少しだ。
 息を整えるように、楽に感じる速度で歩く。
 今の時間からすれば、終電の時間までには駅に着けるはずだった。
 そうすれば、委員長に会えるかも知れない。
 なんの根拠もなく、そんなことを考えながら歩いていると…。
 ベンチに、人影があった。
 ──まさか?
 ゆっくりと、近づいていく。
 夢を見ているような気分だった。
 そこに立っていたのは、間違いなく委員長だった。
 うつむいているため顔は見えなかったが、間違いない。見間違えるはずもなかった。
 母親とはぐれてしまった子供のように、さみしげにたたずんでいる。
 近づいて、傘の中をのぞき込むようにしながら声をかけた。
「…いいんちょ?」
 会えた嬉しさと、委員長がここにいることに対するいぶかしさが、オレを混乱させていた。
 会いたくて飛び出してきたものの、本当に会えるとは思っていなかった。
 委員長は、もうとっくに家に着いていてもおかしくない時間なのだから。
「──藤田くん?」
 委員長が、伏せていた顔をゆっくりとこちらへ向ける。
 顔が濡れていた。
 雨粒ではない。瞳からあふれた、涙で。
「どうして、こんなところに…」
 考える間もなく、オレは訊ねていた。
「帰ろう、思ったんや…思ったんやけど…」
 委員長が、オレの濡れたシャツを指でつかむ。
「このまま帰ってしまったら、後悔するて思って…気がついたらここに来てた」
 指先に、力がこもる。わずかに、震えていた。
「藤田くんが来てくれたらええのにとか、身勝手に思ってた。来るわけないのに…そう
思ってたんや」
 委員長の両手が、オレのシャツを握りしめた。支えをなくした傘が、回りながら地面
へと落ちる。
 大粒の雨が、見る見るうちに委員長の服を水で染めていった。
 涙で濡れた委員長の頬を、オレは指先で優しくなでてやった。
 うつむいた顔を少し上向きにして、唇を触れ合わせる。
 腕で身体をきつく抱きしめながら、長いキスをした。
「来たぜ、委員長。…いや、智子」
 唇を放して、オレは委員長の名前を呼んだ。
 頬を寄せるようにして、ふたたび身体を引き寄せる。
 委員長が、いとしかった。それまでに感じていたわだかまりが、全部吹き飛んでしま
うほどに。
 想いをぶつけるように、背中に回した腕に力を込めた。
「…あのまま、いい友だちのフリして帰りたくなかった。藤田くんに、抱きしめて欲し
かったんや。好きや言うて欲しかった。一緒にいて欲しかった…」
 委員長が、応えるように背中に手を回した。
 指先から、震えが伝わってくる。
「ごめん、待たせちまって」
「うん…ええよ。藤田くん、来てくれたやんか」
 微笑む委員長に、オレはもう一度キスをした。
 しばらく唇を触れ合わせ、そっと離す。
 濡れた髪に、手を触れた。
「このまま雨の中にいたら、身体…よくないぜ。うちに来ないか、委員長」
「…そうやね。終電も、もう出てしもたみたいやし。お邪魔…させてもらう」
「よし、決まり」
 落ちている傘を拾って、委員長にさしかける。
 ──すでに二人ともずぶ濡れだったが、ないよりはましだろう。
 濡れた肩に手を回した。
 そのまま、身体を寄せあって、オレたちは歩き出した。



 家に着いてから、もう一度シャワーを浴びて身体を乾かすことにした。
 委員長を先に入らせ、待っている間にとりあえずタオルで濡れた身体を拭き、着替える。
 着替えを出して、浴室の外から声をかけた。
「委員長…着替え、ここに置いておくから」
「うん…」
 浴室の中にこもった声で、すぐに返事が返ってくる。
「藤田くん…あの…」
 なにか言いたげに、委員長が口ごもった。
「どうかしたのか?」
「…ううん。なんでもない、すぐ上がるから。藤田くんもはやく入らんと、風邪ひいた
らあかんし」
「ああ。じゃあ、キッチンのほうにいるから、出たら声をかけてくれよな」
 明るく言って、オレはその場をあとにした。
 ただそれだけのことで、オレの心臓は爆発しそうなくらいに早く鳴っていた。



 委員長と入れ代わりに、オレもシャワーを浴びる。
 部屋に戻ると、オレのシャツを着た委員長が、ベッドの上に腰掛けていた。
 所在なげに、床に伸ばした足をぶらつかせている。
「雨に打たれるの好きだよな、オレたちも」
 苦笑しながら、声をかけた。
「…藤田くんと一緒やったら、ええかもな」
 委員長が、そう言って恥ずかしそうに目を伏せる。
 しばしの沈黙。
 妙な気恥ずかしさが、部屋の中に流れる。
 一瞬迷ったが、オレは、手を伸ばして委員長の肩に触れた。
 びくっと、委員長の身体が反応して揺れる。
 安心させるように軽く肩を叩いて、隣へと腰掛けた。
「委員長…」
 手を伸ばして、髪に触れた。
 指先で、梳くようにして柔らかく触れる。
「委員長の髪、石けんの匂いがする…」
 耳元に顔を寄せながら、香りを胸の奥まで吸い込んだ。
 同時に、頭の芯がしびれそうな感覚に襲われる。
「シャンプー、使わせてもろたから」
 少し恥ずかしそうに、委員長が応えた。
 そのまま、髪をなでているオレに身をまかせる。
 目を閉じた、心地好さそうな表情を見ているうちに、オレはたまらなくなって委員長
の身体を抱き寄せていた。
 少し下がった部屋の空気に触れた、ひんやりとした肌を合わせる。
「委員長…服、いいか?」
 それだけしか言わず、オレはシャツのボタンに軽く手をかけた。
「…うん」
 視線をそらすようにしながら、委員長が小さく頷く。
 少し湿気の残る髪をなでながら、オレはゆっくりと前をはだけていった。
 暗やみの中で、委員長の豊かな胸があらわになっていく。
 下着を付けていない、柔らかなふくらみ。
 オレは、委員長の首筋に軽く口づけた。
 そのまま、唇をすべらすように下へと降ろしていく。
 鎖骨のくぼみ、胸の谷間…それから、少し横へずらしてふくらみの上へと導いていく。
 薄桃色の突起が、オレの舌先に触れた。
「あっ…」
 きゅっと目を閉じたままの、委員長が可愛らしい声をあげる。
 そのまま、舌先でつつくようにして、先端を刺激していった。
「委員長…ここは、気持ちいい?」
 あいた手のひらで胸全体を包み込みながら、ゆっくりと揉みしだいていく。
「気持ち…ええよ。藤田くんが触るところやったら、どこでも」
 胸に添えられたオレの手に、そっと触れるように手を重ねながら、委員長が吐息を漏
らした。
 言葉通り、指や肌が触れ合うたびに、委員長は切なげに何度も声を漏らす。
 触れ合う感触を求めて、オレは腿を委員長の両足の間に滑り込ませた。
 その瞬間、滑らかな肌が合わさる感触が、全身に広がっていくような錯覚を覚える。
「智子──」
 背中に手を回して、抱え込むように委員長の身体を抱く。
 お互いの体温が、混ざりあうように溶けあっていた。
 身体を密着させ、頬を触れ合わせる。
「藤田くんのからだ…あったかい」
 耳元で、委員長の声が聞こえる。
「こうして抱かれているだけで…藤田くんの心が伝わってくるような感じがする…優し
いぬくもりが…」
 委員長の心臓の音が、とくん、とくんと響いていた。
 それを聞いているうちに、それまで張り詰めていた気持がふっとゆるんだ。
 柔らかい委員長の身体。
 耳に響く心地よい声。
 それを感じているという、安心感。
「ごめん、委員長。オレ、安心したら急に眠く…」
 そこまで言っただけで、オレは、ゆっくり眠りへと落ちていった。



 目をあけると、委員長がオレを見つめていた。
 視線があうと、にっこりと微笑んだ。
「お・は・よっ」
 委員長が、明るい声で目覚めを告げた。
「あ…おはよう」
 少し寝ぼけた頭で、返事を返す。
「あれ? 委員長、なんでここに…?」
 脈絡がよくつかめなくて、思わず間抜けな質問をしてしまう。
 あ、そうか。昨日、委員長と一緒のベッドで寝てて…それで。
 あれ?
 それで、なんだっけ?
「それにしても、藤田くんがあんなにスケベだなんて思わんかったわ」
 委員長が、少し甘えた、すねたような声を出す。
 え?
「もう寝たい言うてるのに、全然寝かしてくれへんし…藤田くんのこと好きやけど、私
かて初めてやったんやしもう少し優しくしてくれても…」
 え? ええ?
「でも、良かったよ…藤田くん」
 えええっ???
「ちょ…ちょっと待った、委員長」
 首をかしげて、不思議そうに委員長がオレのほうを見る。
「その…オレ、あれからどうしたって?」
「どうしたって…もしかして、藤田くん、昨日の夜のこと覚えてへんの!?」
 ──全然記憶にない。
「昨日は、あんなに可愛がってくれたのに…愛してるよって何度も言ってくれたのに…
あれは嘘やったの?」
「いや、だからその。…委員長?」
「私のことなんか…どうでもよかったんや。しょせん、ゆきずりの恋なんや…」
 映画の中から出てきたようなセリフを、委員長が口にした。
 そのまま、枕に顔をうずめる。
「ご、ごめん。オレ、なんかあったときは責任取るから…さ」
 何が何だか分からないまま、オレは慌てて、その髪を優しくなでた。
 少しの沈黙。
 くすっと、委員長が笑った気がした。
「続きは…また今度な」
 小声で、ささやく。
 少したって、オレはその言葉の意味するところに気がついた。
「あーっ、やっぱり何もしてないんじゃないか〜〜」
「…ばれてもうた?」
 くすくすと、今度は本当に可笑しそうに委員長が笑う。
「あんな可愛らしい寝顔見ていたら、急にいたずらしたなったんや。…勘弁してな」
 両手を合わせながら、委員長が謝った。
 悪びれないそんな姿を見ていると、だまされていたという気分も飛んでいってしまう
気がした。
「…まあ、いいか。恥ずかしい姿も見せてもらったし、いずれその若い肢体がわしのも
のになると思えばそのくらいのことは…」
「突然、おやじになるなっ」
 委員長のツッコミが、オレのおでこにクリーンヒットする。
 そのまま、二人で顔を見合わせて笑い出した。
 ──こんな関係もいいかも知れない。
 オレは、ぼーっとそんなことを思っていた。
 友だちでもなく、恋人でもない、特別な関係。
 身体ではなく、心が結びついた間柄。
 そのうち、抱き合うこともあるだろう。お互いに、それに対しての抵抗はないはずだ
から。
 でも、いまはこうしていたかった。
 朝日が、カーテンのすき間から差し込んでくる。
 雨は上がったようだった。
 そのまましばらく、オレたちは飽きるまでベッドの上でじゃれあっていた。
 ──その日、学校に二人そろって遅刻したのは言うまでもない。






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