(Leaf Visual Novel Series vol.3) "To Heart" Another Side Story

Wedding

  ――Kotone After Story――

Episode : 姫川 琴音

written by 百道 真樹





「琴音、素敵よ!」
「ありがとう、葵…」

 松原葵、あの人が紹介してくれた高校の同級生、私の一番の親友。

「………」
「ありがとうございます、芹香先輩…」

 来栖川芹香さん、あの人が紹介してくれた高校のクラブの先輩、私に「力」のコント
ロールを教えてくれた人。

「本当に琴音ちゃん、きれいよねぇ…」
「ホント、ヒロの焦る顔が目に浮かぶようだわ。」
「あかりさん…志保さん…」

 佐藤あかりさん(旧姓神岸あかりさん)、長岡志保さん。あの人が紹介してくれた高校
の一年先輩。みんなあの人が会わせてくれた、私の大切な人たち。

「ところであいつ、まだ来てないの?」
「うん…どんな事をしても間に合わせるって雅史ちゃんに電話が入ってたみたいだけど…」

「まったく、いくら忙しいったってこんな日まで仕事入れなくてもいいでしょうに…」
「浩之ちゃん、最近特に忙しかったみたいだから…あっ、でも大丈夫よ、琴音ちゃん。
浩之ちゃんはどんな事でも必ず何とかする人だから。って、私がこんな事言わなくても
琴音ちゃんはよく知ってるよね?」
「はい…!」

 そう、あの人はどんな事でも必ず何とかしてくれました。私にとってあの人こそが他人
(ひと)にはない力の持ち主、奇跡のような人です。

 パラパラパラパラ…

 ヘリコプターの近づいてくる音。もしかして…

「……………」

 藤田さんがお見えになりました…いつもの、芹香先輩の囁くような声。

「はい」

 あのヘリにはあの人が乗っています。私たちにはわかるんです。私と芹香先輩には。
 どんな人ごみの中でも、あの人の心が放つ輝きだけは決して見間違えることはありま
せん。あの人を感じることが出来る、ただそれだけで「力」を持っていることを肯定で
きるような気がします。


「なになに、あのヘリに乗ってるの?随分派手なご登場ねぇ」
「浩之ちゃんたら…もう少し早く出てくればいいのに……」

 中庭に着陸したようです。外で人のざわめく声が聞こえます。飛び立つヘリの音に紛れ
てよく聞き取れないけど、大勢の人があの人を囲んでいるのが手にとるようにわかります。
人垣を割ってあの人がこちらに歩いてきます。足音は聞こえないけれど、この部屋にあの
人がやってくるのがわかります。

 コン、コン

 扉を叩く音。私の運命の扉を開いてくれた人のノックの音。

「藤田ですけど」

 みんなの視線が私に集まります。私が小さく頷くと、葵が扉を開けてくれました。

「ゴメンゴメン、でも、何とか間に合ったかな?」

 正装したあの人の姿。相変わらずフォーマルな服を着ていてもどことなくラフなイメー
ジ、でも颯爽とした雰囲気。誰もが認める二枚目ではないけど、たいていの女の子が「カ
ッコいい」と思う外見。でも私たちは知っています。あの人が本当に輝いているのは外見
ではなく心だって。

「ヒロったら相変わらず遅刻大魔王ね〜」
「おめえの憎まれ口も相変わらずだな」
「なんですってぇっ」
「おいおい、よそうぜ、こんな日に。」
「そうよ、志保。」
「うぐぐ…」

 変らない、飾らない人柄。この人はいつまでも変らないでしょう。何物にも侵されるこ
との無い黄金の心を持っている人だから。

 あの人が私の前に立ちます。あの人の前に出ると今も変らずにドキドキする私がいます。
 あの頃のままに。

「琴音ちゃん…とてもきれいだよ。おめでとう」
「ありがとうございます」

 切ない気持ちがこみ上げてきます。この人の祝福は私にとって、何よりも嬉しくて何よ
りも切ないものなのです。
 藤田浩之さん。高校の一年先輩でクラブの先輩。私の、魂を救ってくれた人。私の一番
大切な…お友達。
 大切な人たちも生きる希望も未来を信じる力も、みんなみんなこの人がくれました。
 絶望の中に心を閉ざし息をしているだけの屍となっていた私の心を解放してくれた、生
きるということへ連れ戻してくれた、大袈裟ではなく生命(いのち)の恩人です。
 私はこの人が好きでした。この人の一番になりたい、この人のただ一人の女性になりた
いって心の底から思っていました。いいえ、ただ抱いてくれるだけでもいいとすら思って
いました。この人になら何をされても構わないとまで思っていたんです。でもこの人は、
あの日の夕暮れ、気を失った私をただ優しく抱きしめていてくれた様に、優しく触れる以
上のことは決してしようとしませんでした。優しい、優しい藤田さん。私はそんな藤田さ
んが好きで好きでたまらなくて、ある日とうとう気持ちが溢れ出してしまいました。

 ……あの日のことは今も昨日のことのように憶えています。いいえ、ついさっきのこと
のように思い出すことが出来ます。こうして目を閉じると、あの時の藤田さんの声が、表
情が、全てが甦ってきます。

 ……………

「藤田さん…私を、抱いて下さい…!!」
「琴音ちゃん!?」
「私のこと、好きじゃなくてもいいんです。同情でもいいんです!私を、藤田さんのもの
にして下さい!!」

 縋りついて泣く私にしばらくじっと胸を貸していてくれた藤田さんは、やがて私の肩を
そっと掴んで私を起き上がらせました。顔を上げた私の、涙の向こう側に見えたのはとて
も優しく微笑む藤田さんの目。優しくて、どこか哀しげな瞳。

「それは…出来ないよ。」

 私の表情はきっと凍りついていたでしょう。でも逃げ出すことは出来ませんでした。藤
田さんの手にはほとんど力が入っていなかったけど、藤田さんの視線が私を繋ぎとめてい
ました。

「俺はそんなことのために体を張ったんじゃない。気障なことを言うようだけど、俺は琴
音ちゃんに笑って欲しかっただけなんだ。わかって欲しかっただけなんだ。君は一人きり
なんかじゃないって。世の中、人と違う力が有るってだけで逃げ出すようなくだらない奴
ばかりじゃないって。」

 藤田さんの表情はとても穏やかで、でもその瞳は怖いくらい真剣でした。

「俺にもわかっていたよ。俺が一言囁けば君をどうにでも自由に出来るって。だけどそれ
じゃ駄目なんだ。「オレ」だけじゃないことをわかって欲しいんだ。俺は琴音ちゃんにと
って特別な存在なんだろうけど、それはたまたま俺が最初だったってだけなんだ。」
「藤田さん…」
「俺は琴音ちゃんのことが好きだよ。とても可愛いと思ってる。でもこれは多分、妹に対
するような気持ちだよ。」
「それでもいいんです!藤田さん、私」
「いいや。それじゃ駄目だ。」

 ひどくきっぱりと断言して、言葉を切った藤田さんに私は不思議そうな顔をしていたと
思います。それは不思議な響きでした。全てを許し受け容れるような慈しみに溢れた拒絶
の言葉。

「今俺が君を抱いたら、君の世界は俺たった一人になってしまう。それじゃ今までと変ら
ない。俺の望みはそんなことじゃないんだ。」
「………」

 私は言葉が出ませんでした。そこまで考えていてくれたなんて夢にも思っていなかったんです。

「これは俺の願いなんだ。俺の勝手な押し付けかもしれないけど、俺の本当の気持ちだよ
。俺は自分の想いを裏切りたくない。だから、ゴメン、琴音ちゃん。」
 最後に一瞬だけ見せたとても辛そうな表情。背を向けた藤田さんのその顔が私の瞼に焼
きついていました……

 ……………

 その日から、私はしばらく布団の中で泣いて過ごす夜を重ねました。私が藤田さんの一
番になれないってはっきりわかったからです。そして藤田さんのことがますます好きにな
ってしまったからです。
 私は今でもこの人のことが好きです。

「本当に想ってくれる恋人を作るより、本当に想ってくれるお友達を作ることの方がずっ
と難しいと思いますよ…」

 芹香先輩の言葉です。落ち込んでいた私を慰めてくれた時に教えてくれたことです。芹
香先輩も、葵もあかりさんも志保さんもみんながこの人のことを好きで、でもこの人が選
んだのは私たちの誰でもない、別の女性(ひと)でした。太陽をいっぱいに浴びた南国の
果実のような、瑞々しい命の輝きに溢れた女性(ひと)。
 そして今もみんなが、この人のことが好きです。「好き」の意味は変ったけど、「好き」
という気持ちの強さは変りません。それはきっと、私たちみんなが知っているからです。
この人が本当に自分のことを想ってくれる、性別を超えた得難い「友」だということを。
この人が恋人と同じくらい友人のことを思いやることの出来る希有の心の持ち主だという
ことを。

「琴音ちゃん、どうしたの?」

 不思議そうな声で藤田さんが訊いています。私は目を瞑ったまま黙り込んでしまってい
たのですから当然です。あの時のことを思い出すといつも涙が出てくるけど、今は笑わな
くてはなりません。それがこの人の願いですから。

「すみません、藤田さん。ちょっと昔のことを思い出していたんです。」
「そういえばヒロって、一時期琴音ちゃんのことばかり追いかけ回していたわよね〜」

 みんなから散々冷やかされて、むきになって反論している藤田さん。変らない、私の大
切な景色。私のいる、私の人生の一幕。

「…………」
「綾香はやっぱり都合がつかないってさ。ゴメン、琴音ちゃん。あいつもギリギリまであ
がいてたんだけど、よく謝っといてって。」

 綾香は来られないのですか、という芹香先輩の質問に藤田さんがペコペコ頭を下げてい
ます。フフッ、可笑しい。普段は相手がどんな大富豪だろうと決して頭を下げたりしない
人なのに。
 綾香さん、来栖川綾香さんは芹香先輩の妹さんで日本経済界のプリンセスと綽名されて
いる人です。芹香先輩が普段決して表に出ること無く来栖川グループの未来を指し示して
いるのに対して、綾香さんは来栖川グループの顔としてメディアにほぼ毎週くらいのペー
スで登場します。ほとんど売れっ子芸能人並みです。容姿はそれ以上。本当に綺麗な、華
のある人です。でも、見かけだけの人じゃありません。来栖川サイバネティクスの事実上
の創設者で事実上の経営者。来栖川サイバネティクスを来栖川エレクトロニクスから独立
させて、僅か5年足らずの間に来栖川グループ屈指の優良企業に育て上げたのは半分は綾
香さんの手腕だって言われているみたいです。藤田さんの隣に、コンピューターソフトで
史上空前の大ヒットになり社会現象にまでなっているVB(バーチャル・ビーイング)の
開発者で、20代半ばの若さでありながら感情装備型AIの分野では世界で5本の指に入る
と言われている天才電脳学者、ドクターフジタの隣に立つのに、この上なく相応しい女性
(ひと)。藤田さんの成功は綾香さんのバックアップあってこそで、来栖川サイバネティ
クスの成長は藤田さんの情熱あってこそ、そんな、お互いを支え合い高め合うことの出来
る最良のパートナー。なにより、藤田さんが選んだ人。
 よく二人のことを「最も華麗な打算のカップル」なんて悪し様に噂する人達がいます。
でも私達は知っています。二人がお互いをパートナーとして選んだから、二人はそれに相
応しくなる為に自分を高めていったということを。私は藤田さんに縋りつくことしか出来
ませんでした。藤田さんの恋人になれても、たぶん傍で応援することしか出来なかったと
思います。あの人の様に、この人と努力を競い合い高め合うことなんて出来なかったでしょう。

「琴音ちゃんが片付いたら今度はヒロ達の番ね?」
「そういうオメーはどうなんだよ」
「ほら、あたしが一人に決めちゃったら世をはかなんで自殺する男が大勢いるからさ」
「言ってろ」

 こんなやり取りも今は笑顔で聞いていられます。笑顔でいられる今の私が、私はとても
好きです。藤田さんにもらった最も貴重なもの、それは自分を好きでいられるということ
だと思います。

「姫川さん、そろそろお時間です。」

 係の人が知らせに来てくれました。

「琴音ちゃん、はい」

 あかりさんがベールを被せてくれました。芹香先輩がブーケを持たせてくれました。そ
して、藤田さんがあの頃と変わらない優しい瞳で頷いてくれました。
 この向こうにはあの人が待っています。藤田さんではないあの人。藤田さんと別の意味
で、同じくらい好きな人。

「藤田さん、ありがとうございました…」

 それ以上は何も言うことが出来ません。これ以上はきっと泣き出してしまうから。

「琴音ちゃん、世の中、そう捨てたもんじゃないだろ?」

 きっと私の流さなかった涙が見えたのでしょう。藤田さんは片目を瞑ってお道化てみせ
てくれました。不思議な人。そしてとても暖かい、とても素敵な人。

「必ず幸せになれるよ」

 私に未来を信じることを教えてくれた祝福の言葉。本当に、ありがとうございました。
藤田さん、貴方にもらった人生をこれから貴方ではない人と一緒に精一杯紡いでいきます
。でもさよならは言いません。貴方はこれからも、私の大切なお友達ですから。私の大切
なお友達でいてくれると私は知っていますから。
 私は貴方に見守られて、明日への一歩を踏み出します。






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