(Leaf Visual Novel Series vol.3) "To Heart" Another Side Story

for Crystal Kaleidoscope「御題万華鏡」

ある妄想の産物

Episode:マルチ

Original Works "To Heart" Copyright 1997 Leaf/Aquaplus co. allrights reserved

written by 尾張




「なんだこれ。…マルチカバー?」
 あかりと一緒に訪れた雑貨屋の店先で、そんなものを見つけた。
 マルチカバー…ってことは、もしかして全裸のマルチをこれでこうきゅきゅっと
包んでとか、上からおおいかぶさっているカバーを取り除けずにじたばたしている
全裸のマルチとか…。
 ──ダメかも、オレ。
 思いつつも、ついつい目が単語を追ってしまう。
『マルチキャリングバッグ ¥2980』
 …身ひとつのマルチをこの中にきゅきゅっと詰め込んで…って、さすがにこの
大きさじゃ入らないか。普通のかばんのサイズだもんなぁ。
 オレは、しばらくぼーっと、店先で商品を手にしたまま突っ立っていたらしい。
 気がつくと、あかりの顔が目の前にあった。
「浩之ちゃん、大丈夫?」
 心配そうな顔で、上目づかいにオレを見る。
「あ、…ああ」
「具合悪いのなら、私の用事は済んだし、もう帰ろうか?」
「いや、身体はなんともない。ただ…」
 そこで、あかりはオレの手にしていたものに気付いたらしい。
「あ…、マルチちゃんのこと、思い出してたんだ」
 値札を見て、オレの思考経路を把握したようだった。
 まったく、よく分かるもんだ。時々感心しちまうぜ。
 もっとも、さすがに妄想の中身までは思い至らないか。悟られたらちょっと洒落に
なりそうもないけど。
「…出ようか」
 少し沈み込んだ雰囲気が嫌で、オレたちは店を出ることにした。
 春の日差しが、眩しいくらいに感じられる。
 あかりが、困ったような顔で、オレのほうを見ていた。
「そんなに心配しなくても、大丈夫だ」
 安心させるように、肩を抱いた。
 ぽてっ…と、あかりが頭をオレの身体に預ける。
 その髪を、オレは優しくなでてやった。
「あ、浩之さーん」
 どこからか、そんな声がした。
 ぶんぶんと手を振りながら、見覚えのある姿がこっちへ向かって走ってくる。
 あれは…マルチ!?
 あ、コケた。
 変わってねーなぁ。
「ふえええええええん、浩之さーん」
 べそをかきながら、マルチはオレたちの前にやってきた。
「ほんとに…マルチちゃんなの?」
 半信半疑といった様子で、あかりがたずねる。
 無理もない。運用テストでマルチがオレたちの前にあらわれ、そして去ってから
もう二年半…くらいにもなる。
 もう、二度と会えないと思っていたのだから。
「どうしたんだ、マルチ」
「妹たちが発売されるということで、それの販売促進キャンペーンに呼ばれたんですー。
結構いろいろなこと、してるんですよ」
「…なるほど。で、その手に持っている袋はなんなんだ?」
 オレは、妙な模様の入った袋を指差した。
「あ、お客様へのプレゼントなんですよー。よかったらどうですか、浩之さん」
 がさごそと、マルチが袋の中をさぐる。
「HM-12発売記念予約特典として、マルチカバーとマルチキャリングバッグがもらえる
キャンペーンをやっているんですぅ」
 そんな言葉とともに出てきたのは、マルチ──HM-12をデフォルメ化したキャラ
クターが描かれたカバーとバッグだった。
「…あのな、マルチ」
 マルチのほっぺたを、両手でつまんで引っ張る。
「もうちょっとひねりを入れろと、長瀬のおっさんに言っておけ」
「ひゅ、ひゅいみゃひぇーん」
 …考えることが長瀬のおっさんと同レベルか。
「浩之ちゃん、でもそれ欲しいとか思ってるでしょ」
 あかりが、ぼそっとオレにささやいた。
 ぎくっ。す、するどいじゃないか、あかり。
「どうぞー。あ、あかりさんの分もお渡ししておきましょうか?」
 返事を待たずに、手早く袋からカバーとバッグを出してくるマルチ。
 …見た感じ、こんな大きなものが入るような袋には見えないんだけどな。これが
来栖川電工のテクノロジーってやつなんだろうか。
「あ、まだお仕事の続きがありますんで、これで失礼します。また、お会いできると
いいですね」
 ぺこりと頭を下げると、マルチはあらわれたときと同じように走って去っていく。
 少しあっけにとられて、オレたちはそれを見送った。
 あれ?
 いま、遠くのほうでまたコケなかったか、マルチ。
「浩之ちゃん、浮気はダメだからね」
 笑顔であかりが釘を刺す。
「馬鹿なこと言ってんじゃねー」
 あかりの頭を軽くこづくと、オレは歩き出した。




あとがき インデックスへ戻る