突発ショートお題 ”七夕”
 

「願い事は…?」

Written by 尾張






 暗やみの中から、人影があらわれた。
 すぐに、それと分かる。
「なかなか似合ってるぜ、綾香」
 おしとやかな──少なくともそう見える恰好をしている相手に、オレは茶化すように
声をかけた。
 一瞬、困ったような表情を見せてから、綾香はいつもの表情でオレのほうを見る。
「なかなか、なの?」
 綾香が、浴衣のたもとを両手で持って、小首をかしげてみせる。
 少し余裕を持った笑顔をくずさない。
 うぅ、惚れたモン負けだ。
 せめて表情だけは崩さないようにしながら、降参する仕種を見せる。
「じゃ、訂正だ。とびきり似合ってるぜ、…可愛いよ」
 実際、初めて見た綾香の浴衣姿は、予想以上に魅力的だった。
 紺色ベースの浴衣地には、咲きかけの花がいくつもあしらわれている。帯は赤系統の
落ち着いた色だ。
 どちらかというとおとなしめの柄ではあったが、逆にそれが綾香本人の容姿をきわだ
たせているような感じさえした。
 後ろでまとめられた髪が、普段隠されているうなじのあたりを強調しているように、
肌の白さを目立たせている。
 うーん、いいねぇ。日本人の心だねぇ。
「そういう恰好しているときは、すごく女らしく見えるんだな」
「…一度、よく話し合う必要がありそうね」
 一瞬だけ、きらりと、瞳の中に危険な光が宿った。
 ぞくりと、背中を冷たいものが走る。
「あ、あはは…」
 渇いた笑いを放っておいてから、話を誤魔化すために、視線をさまよわせた。
 ふと気付くと、綾香の後ろに、目立たないように人影が付き従っている。
 こっちは薄緑系の、落ち着いた色の浴衣を身につけていた。
「お、なんだセリオも一緒なのか。久しぶりだな」
 反射的にそう声を掛けてから、オレは妙な違和感を感じた。
 セリオの姿…?
 なんかおかしいような。
「セリオ…だよな?」
 そうだ、いつも見慣れているはずのアンテナが…ない。
「耳カバー、さすがに浴衣姿に付けてると目立つからね。無理矢理取っちゃったのよ」
 ぽかんとした顔をしているオレを見て、綾香が可笑しそうに笑う。
「セリオがうろたえるところ、浩之にも見せたかったわよ」
 その情景を思い出してでもいるのか、しばらく笑い続ける。
 当のセリオは、無言で眼を伏せて立っていた。
 心なしか、少し顔に赤みがかかっているようにも見える。
 恥ずかしがっている…のか?
 うーむ。
「──感度を高くするため、露出している外部アンテナ部分にバランサー機構用のセン
サーも内蔵しています。予備の内部センサーに切り替えるのには少々時間がかかります
ので、その間はバランサーがうまく働かないのです」
「…だってさ」
「要するに、ふらふらになってたっていうことか?」
「当たり」
「酔っ払ったときみたいに?」
「そんな感じだったわね」
 その情景を想像して、思わず吹き出しそうになった。
 セリオの困った顔が目に浮かぶ。
「おまけに、いまはサテライトシステムも使えない、か」
「ごくごく普通の、可愛らしいお嬢さんよ。たまにはいいでしょ?」
 …いいかも。
「──しかし、これでは旦那様から申しつけられている職務に差し支えが…」
「そんなの気にしないの。何も起こったりしないわよ。まったく心配症なんだから」
 セリオが職務──といっているのは、綾香の身辺警護のことだ。
 綾香自身、大抵のトラブルは自分で解決できると思うのだが、トラブルメーカーでも
あることだし──これを口に出して言うとただじゃすまないが──、心配症の爺さんか
らお目付け役が派遣されている。
 芹香先輩にセバスチャンがいる代わりに、綾香にはセリオというわけだ。
 メイドロボだという明確な主張になる耳カバーさえなければ、仲のいい友だち同士に
しか見えない二人ではあったが。
 タイプは全然違うが、これはこれでいいコンビだとオレは思っている。
「ねぇ浩之、あたしとセリオと、どっちの浴衣姿が可愛い?」
 唐突に、綾香が聞いた。
「答えなきゃダメか? …弱ったな」
「…なんで弱るのよ」
 唇をつんと尖らせて、綾香が不満げな声を漏らす。
 もちろん、本気で怒っているわけじゃない。いつも通りのやりとりだ。
 どんな答えを綾香が待っているかも、もちろん分かっている。
「ごめんごめん。どっちも可愛いけど、オレは綾香のほうが好きだぜ」
 好き、というところを少しだけ強調した。
 見る見るうちに、綾香の顔が照れ半分嬉しさ半分のはにかんだ笑顔に変わる。
「うふふっ」
 ごろごろとノドでも鳴らしそうな気配で、綾香が頬をすり寄せてきた。
 髪から、シャンプーのかすかな匂いが香ってくる。
 肩に手を回して、きゅっと抱き寄せた。
「じゃ、行こうか」
 からん、からんと、石畳の上に三人分の足音が響いていく。
 オレと綾香と、そして、少し遅れてセリオの足音。
 セリオは、控えめにオレたちの邪魔にならないよう…少しだけ後ろをついてきてくれ
ていた。



 七夕祭り…とはいっても、そんなに七夕らしいことをしているわけでもない。
 笹に願い事を書いた短冊をつるす。
 天上を見上げて、織姫と彦星の逢瀬に、想いを馳せる。
 そんな、ささやかなものだった。恋人たちの外せないデートスポットではあったが。
 遠くのほうから、なにかが弾けるような音が小さく聞こえてきていた。
 祭りの会場に近づくにつれ、しだいに人が増え、騒がしさも増していく。
 ざわざわとした喧騒が、今日だけは心地好く身体の中に染み込んでいく感じがした。
 空気が、浮かれたものに変わっていく。
 集まっている人々のざわめきが、祭り独特の騒がしさを作り出していた。
 楽しげな笑い声、すれ違う人たちの笑顔、お面やりんごアメなどの定番アイテム…そ
れらが、オレたちの心を浮き立たせていく。
 中心に行くにしたがって、屋台の数も増えていった。
 誘われるように、あっちをひやかし、こっちに寄り…というのを繰り返すうち、なぜ
かオレの頭の上にはピカチュウのお面がのっかっていた。綾香の見立てだ。
 セリオは、背中にビニールで出来た天使の翼を生やしている。
 綾香はといえば…紫色に発光するイヤリングをつけて上機嫌だ。
「…なんか、身につけてるものに格差がないか?」
「ん? ま、いーじゃない。お祭りなんだし」
 しれっとして、綾香が答える。
「──珍しいものが、色々あるのですね」
 セリオはセリオで、結構楽しそうだった。
 興味深げに、浴衣の親子連れを見やったり、屋台を覗いたりしている。
 ナンパされかかって、丁重に断っていたりもしていた。
 綾香は、なんで自分ではなくセリオなのか不満そうだったが。
 …オレがいるからだろーが。
「ん…藤田か?」
 人込みの中から、懐かしい声が聞こえた。
「よお、久しぶり」
 中学の同級生──といってもそんなに親しい間柄でもなかったが──阿部だ。
 オレたちを見て、その表情が意味ありげなものに変化する。
 すかさず、腕を取られて綾香たちから引き離された。
「…なんだ、すごい可愛い子連れてるじゃねーか」
 阿部がヒジで脇腹をつつきながら、からかいの混じった眼でオレを見る。
「神岸はどうしたんだ…浮気は許せんな」
「あかりは…雅史と来てるはずだけど、会わなかったか?」
「会ってないな。なんだ、神岸とくっついたんじゃなかったのか。…じゃあ、どっちだ?」
 目くばせをして、綾香とセリオを交互に指差す。
「…は?」
「とぼけんなよ、どっちかの子とは付き合ってるんだろ? それともふたまた掛けてる
のか?」
「んなわけないだろ。こっちだよ」
 身体の影で、見えないように綾香を指差す。
「気の強そうな女だなー。尻にしかれてるんだろ」
「…好きに解釈してくれ」



 すっかり祭りの雰囲気を堪能した後、オレたちは帰路についた。
 人の姿が減るにつれ、祭りの喧騒が徐々に遠くなっていく。
 オレは綾香と身体を寄せあって、虫の声がかすかに響く河原沿いを並んで歩いていた。

 すれ違う人も、このあたりまで来るとまばらになってくる。
「…聞こえてたわよ」
 ぼそっと、綾香が耳元でささやいた。
 うぅ、やっぱり。
「あんまり、あたしの評判落とすようなこと、言わないでよね」
「…はい」
 こういうのは、しかれているって言うのか?
 ──言うのかも。
「それはそうと、綾香あのときアイツのこと睨んでたりしなかったか? なんかあのあ
と阿部の態度がおかしくなったんだけど…」
 少しだけ反撃を試みた。
「う…バレてた?」
 いたずらして叱られた時の子供のように、とたんに綾香がしおらしくなる。
「まーな。あいこってとこか」
 そのギャップがおかしくて、笑いをこらえながら、神妙な顔をつくろった。
「と、ところで、例のもの持ってきてくれた?」
 誤魔化しも兼ねてか…綾香が、オレを期待に満ちた目で見やる。
「もちろんだ。ちょっとだけだけどな」
 セリオが、不思議そうな顔をしてオレたちを見た。
「──なんのお話ですか?」
「やっぱり浴衣とくれば花火、ってことでしょ」
「ま、気分だけでもな」
 たもとから、オレは線香花火を数本とライターを取り出した。
 もちろん、ろうそくも持ってきている。
 適当な石にろうをたらし、ろうそくを立てた。
「セリオは、線香花火は見るの初めてだっけ?」
「──知識としては知っていましたが、実際に見たことはありません」
「じゃ、ここ持って」
 綾香が、セリオの目の前に、手に持っていた線香花火を差し出した。
 こよりの先が広くなっているところを、セリオの指がつかみ上げる。
「──こう、ですか」
 地面に立てたろうそくの上で、炎がゆっくりと風に揺れていた。
「そんな感じ。火、つけていいよ」
 それを指差して、綾香がうながした。
 セリオが、ゆっくりと線香花火を近づける。
 シューッ、ジジジジジジ…。
 赤い玉が、弾けるように火花を飛ばす。
 時間が止まっているかのように、ゆっくりとした動きだった。
 玉は次第に小さくなっていき、最後に小さな火花を散らして、落ちた。
 明るかったオレたちの回りに、一瞬にして闇が戻る。
「──これが、『儚い』ということなのですか」
 セリオが、ぽつりとつぶやく。
「でも、綺麗だよね。あたし、好きなんだ」
 綾香が、二本目の花火に火を付けた。
 同じように、しばらく暗やみの中に火花が飛ぶ。
 何度となくそれを繰り返した。
 まぶたの中に、弾ける小さな光の軌跡が刻み込まれていく。
 長かったような、短かったような時間は、すぐに終わりを告げた。
「…帰ろっか」
「なんか、もったいない気もするけどな」
 簡単に後片づけを済ますと、オレは立ち上がった。
 綾香が、オレの肩に頭を預けてくる。
「あ…」
 視界の隅に、空を流れていく光のすじが見えた。
 一瞬で、それは闇の中へ吸い込まれるように消えてしまう。
「流れ星…」
 三人の声が、小さく重なった。
「願い事は?」
 綾香が、微笑みをオレに向ける。
「そうだな…また、こうして三人で楽しくすごせる時間が持てますように、かな」
「お手軽な願い事ね…でも、それもいいか」
 しばらくの間、かすかな虫の鳴き声に囲まれながら、オレたちは空に光る星の輝きを
見つめていた。





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