written by Taka with Jun686 |
9月8日(月曜日)
1.
「ニュースニュース、大ニュースよ!」
…ったく、朝もはよからにぎやかな奴だ。朝の喧騒(けんそう)を貫く莫迦でかい声の持ち主が誰かなど、確認しなくても疑う余地すらない。
「で? 今度はどんなガセを仕入れて来たって?」
振り向きながらそう言ってみると、やはり声の主は長沢志保。信頼性30%の「志保ちゃん情報」を振りまく歩くワイドショー女だ。いいかげんな情報を掻き集め、ろくでもない噂を広める事を生き甲斐にしているくせに、中途半端に本当の事も混じっているから始末に負えない。1から10までガセネタなら、全部無視すれば良いんだが…。
「ちょっとなによ、その言い方は! せっかくあんたが興味を惹きそうなニュースを仕入れて来たって言うのにぃ〜」
「だったらさっさと言えよ、無駄話ばっかしてると遅刻しちまうだろ!」
「無駄話してるのはあんたでしょ!」
当然のなりゆきで口喧嘩モードに入った俺達を、仲裁したのはあかりであった。
「浩之ちゃん、志保も。喧嘩しないで、みんなが見てて恥ずかしいよ。それに、あたしも志保の持って来たニュースっていうの聞いてみたいし」
…で、志保が話したニュースは、俺にとっては天地が引っくり返るほどの衝撃的なものだった。
何と、来栖川のHM開発室から、HMX-12とHMX-13の全てのデータ及び本体(つまりマルチとセリオのボディ)が盗まれ、HM-12とHM-13の開発が事実上不可能になった、というのだ!
来栖川の、時期主力メイドロボのプロトタイプ二体とそのデータ。来栖川の損失は計り知れない、などと志保は言っていたが、そんなことは俺には関係無い。俺にとって重要なのは、「マルチ」が永久にいなくなったという事だけ。
その日、俺は授業の内容などは頭に入らず、呆然と一日をすごす事になったのは言うまでもない。
2.
マルチがいた一週間。それは、俺にとってカルチャーショックの連続であった。
ロボット。機械。プログラム。そして…心。それまでは考える事も無かった、そういった事に関して興味を持つようになったのは、間違いなくマルチと出逢ったからだ。
人間以上に表情豊かで、人間以上に感情豊かで、人間以上に涙もろくて、人間以上に人間らしい「ロボット」…。
もう二度と彼女には逢えないのか…。
志保のニュースを聞いてから落ち込みっぱなしだった俺を励まそうと、あかりはいろんな事をしてくれた。屋上へ引っ張っていったかと思うと、「あたしに『あご!』ってやっていいよ」などと言ったり、うちに来て夕飯を作ってくれたり。あかりの気持ちは嬉しかったが、気分が向上する事はなかった。
そんな時、電話がかかってきた。電話に出る事すら億劫(おっくう)になっていた俺は、それを無視しようとしたのだが、そうしたら代わりにあかりが電話に出てしまった。二・三受け答えをした後に、長瀬源五郎という人が浩之ちゃんと話をしたがっている、と言って来た。
長瀬源五郎…。聞いたことがない名前だ。詳しく誰何(すいか)すると、マルチの生みの親だという。しかしその肩書きは、逆に俺を陰鬱(いんうつ)にするに十分なものであった。
結局、俺は電話に出なかった。が、あかりが勝手に話を進めてしまったようだ。電話を切ると、
「マルチちゃんの事で浩之ちゃんの助けが必要なんだって。今夜遅くなっても構わないから、研究所の方に来て欲しいって言ってたよ」
俺の助け…。俺に何が出来るって言うんだ。俺は一介の高校生で、綾香みたいに格闘技の達人って訳じゃぁないし、来栖川先輩みたいに魔法が使える訳でもなければ琴音ちゃんみたいに超能力を持ってる訳でもない。俺に出来る事なんて…
「…行かないの?」
「…行って、俺に何が出来る?」
「マルチちゃんを助ける事が出来るわ」
「どうやって!」
「…それは判らない。でも、浩之ちゃん以外の誰がマルチちゃんを助ける事が出来るの? ううん、マルチちゃんは浩之ちゃん以外の誰の助けを待ってるの?」
マルチは俺が助けに行くのを待っている。
あかりのその言葉は、俺の中で何かを目醒めさせた。そうだ。俺が助けに行かないで、誰がマルチを助けるっていうんだ。そのことを気付かせてくれた幼なじみの頬に、俺は最大級の感謝を込めてキスをした。
「サンキュー。行ってくるぜ!」
浩之が出ていった後、彼の家の中であかりがつぶやいた言葉を、彼は知らない。
「ロボットに負けを認めたくないけど、ね…」
3.
もうすぐ日付も変わろうかというのに、来栖川のHM研究所は真昼のように煌々と明かりが灯されていた。
受け付けで俺は自分の名前を告げると、趣味の良い調度に囲まれた、広い部屋に案内された。
出されたお茶を飲みながら、暫く時間をつぶしていたら、よれよれの白衣を着て、無精ひげをはやした男が現れた。
…この男とは何処かで会った事がある。
そうだ、以前公園で俺に「ロボットに心があった方が良いか」と訊いて来た男だ。
「…あんたが長瀬源五郎か」
「遅かったね藤田浩之君。どうしたんだい? 随分汚れているようだが」
まるで全てを見透かしているような、そしてその言い訳のための助け船を出しているような後半の台詞に腹が立ち、「あんたに関係無いね」とつっけんどんに返してやったら、
「…意地をはるから…」
苦笑を堪(たた)えたようなその言い方が気に喰わない。こいつ、本当に俺んちに監視カメラでも設置してあるんじゃぁないか…。
そのことを突っ込んでもシラを切り通されるだけだろう、観念して話を促(うなが)す事にした。
「で? 何の用だ、俺を呼び出すなんて」
長瀬は暫く躊躇(ためら)った後、口を開いた。しかし、真っ先に彼が言ったのは、問題に直接関係が無いような事だった。
「勇羽(ゆうば)電工という名を聞いた事はあるか? 二年前からメイドロボ業界に参入した会社だが」
「あの自動車の開発から転じたって会社だろう? あまり良い噂は聞かないね」
この辺の情報源は、かの「志保ちゃん情報」である。が、その噂を否定する噂も聞かないので、事実なのかもしれない。もっとも、俺にはそんな財界の噂など直接関係無いからどうでも良い事だが…。
しかし、そんな無責任な噂のはずだが、長瀬が真剣な表情をして肯(うなず)いているところを見ると、やはりそれは事実であったようだ。
「ラボへ来てくれ」
4.
その部屋の中央には、怪しげなパイプラインやコードに繋がれた、ガラス張りの棺桶(かんおけ)のようなものが安置されている。しかし、“棺桶”の中には誰かが横たわっている訳ではない。
「ここは…」
「マルチはここで生まれた。」
長瀬の、たった一言の返答が、全てを説明していた。
「4日前だったよ。黒づくめの男たちがここに押し入ってマルチを誘拐していったのは」
誘拐。それは人間に対して使われる単語だ。敢えてそれを使う長瀬の、マルチに向ける感情が理解出来たような気がする。
「セリオはどうした?」
「セリオももういない…」
「同じ連中に、か?」
そうだ、という答えは聞く必要すらなかった。そして長瀬はおもむろに話しはじめた、勇羽電工の黒い噂を。
勇羽電工の前身は、先にも述べたが自動車会社である。そしてその「勇羽自動車」は、重量の割に頑丈なボディと、故障の少ない駆動系で定評があった。事実、一時期の来栖川製のメイドロボも、勇羽自動車にボディの製造を委託していた事もあるくらいなのだ。もっともメイドロボに必要なものは頑強なボディではなく、繊細な触感である。そのため来栖川はそれほど時を置かずにメイドロボの外皮を自己製造するようになったのだが。
が、二年前(来栖川がメイドロボの外皮を自己製造するようになったのと時期が一致しているのは、はたして偶然であろうか?)、勇羽自動車は当時の社長の長男・一(はじめ)の、「乗っ取り」とも思える社長就任劇を機に勇羽電工と名を改め、メイドロボの製造を開始した。が、それらは何処となく既存のメイドロボ開発に携わる各社の製品に似通ったものであったという。
「機械製品というのは、製作者サイドの癖(くせ)が見えるんだ。例えばこのマニュピレイター…つまりアームは四菱電工特有の形だ、とか、このバッテリーはモトダエレクトロニクス特有のシステムだ、とかね。マルチやセリオはうちのHMシリーズとは全く違うが、それでもセンサーの形で来栖川のものだと判断出来る。そう思って勇羽電工のメイドロボを見てみると、何処かがおかしいんだ。そういった共通項が見当たらない。それどころか、勇羽電工の最新作、YRM-08などはモトダエレクトロニクス社製のCR-14“デル=ソル”に酷似(こくじ)している。つまり、CR-14の後継機を盗んで自社製品として発表している可能性があるんだ」
「もしその通りだとしたら、どうして訴えないんだ?」
「水掛け論になるのがオチさ。勇羽の方も、モトダが言い掛かりを付けて来たと言い張るだろうからね。そうなったら、新興の勇羽より古参のモトダの方がダメージは大きい。
それに、そういった問題を起こさないために、新作メイドロボの公開…“お披露目”があるんだ」
「…つまり、マルチとセリオを盗…誘拐したのは」
「勇羽の手の者と見てほぼ間違いはない」
「だとしたら…どうする?」
「お披露目を行う前にあの二人を逃がさなければならない。そうでなければあの二人は、二度とここへは戻ってこれなくなる」
その言葉を聞いた時、少し意地の悪い事を考えた。
「結局あんたは自社製品を取り戻したいだけなんじゃ無いのかい? このままだとかなりの損失なんだろう?」
「君は知っているはずだ、マルチの“心”のことを。そして同じ事がセリオにも言える。マルチほどではないがね。彼女らの身体のケアは勇羽電工でも出来るかもしれない。だが、心…ソフト面でのケアは、うちでなければ不可能だ。…企業に属する者として、損害を最小限に押さえたいという考えがある事は否定しないがね」
…ぐうの音も出ない。たしかに反論の余地はない。だいたい、ここ以外の何処でメイドロボの“心”を守ろうなんて考えるんだ?
「それに、彼女たち“Xナンバーズ”(プロトタイプ)を世に出すわけにはいかないんだ。彼女らは心がある。自我がある。彼女らは、もしかしたら所有者以外の人間をマスターと呼ぶかもしれない」
…俺は内心顔を赤らめて、「あの日」のマルチを思い出した。
マルチとの最後の一夜。マルチは確かに俺の事を「ご主人様」と呼んだ。俺はマルチの「主人」としての登録をした訳ではないのに。マルチは自分で、自分のマスターを選んだのだ。
もし世のメイドロボが、自分で勝手にマスターを選んだら、高い金を出して買った人たちがどう感じるだろう? 改めて俺は、メイドロボは「道具」でなければいけないという事に気が付いた。
長瀬は話を続けた。
「あの二人は私の娘たちの中でも最高のものだ。もっともセリオを直接育てたのは、一課の主任だがね。
藤田君。私はもう長くはない。今回の件の責任を取って辞めさせられる事になるだろうからね。
だから、最初で最後の頼みになる。勇羽電工に潜入して二人を逃がしてやって欲しい。ここに連れ戻してくれ、とは言わない。奴等の目の届かないところへ逃がしてくれればそれで良い」
5.
「元勇羽自動車社長の推薦状がある。君のものだ。これで勇羽電工にアルバイトとして入り込む事が出来るだろう」
「やれやれ…来るんじゃなかったよ。俺は女の子の扱いが下手なんだぞ!」
長瀬の期待が重過ぎて、俺は照れ隠しにそう答えた。
「そう言わないでくれ、あの二人も美しくなっているよ…
ただ申し訳ないが、親としての勘で言えば、あの子達は、たとえ総理大臣や財閥の総帥を前にしたってマスターとは言わんだろうね」
その言葉は、マルチとセリオには相手が誰であれ流されないだけの強固な心がある、という意味と、そんなマルチに俺がマスターとして選ばれたのだ、という意味が込められていた。同時に長瀬の期待なんぞより、マルチとセリオの信頼にこそ答えろ、という、家であかりが言ったのと同じ、俺に決意を促す言葉でもあった。