第二章:逃走(セリオ)

9月12日(金曜日)

1.
「セリオさぁん、聞いてくださいぃぃぃ
 セリオさんは逃げてください。今しかないですぅ。
 ご主人様…浩之さんのところへ行ってください。
 あ…あたしは大丈夫ですぅ。それに、あ…あたしじゃ逃げられませんし…
 あたしが残っていればお披露目は大丈夫ですから…
 それで…それで、セリオさんだけでも幸せになってくださいぃぃ」


 マルチさん…私ことHMX-13“セリオ”と同時に開発された、開発コードHMX-12型メイドロボです。しかし、私がメイドロボとしての限界を極めた能力を与えられたのに対して、マルチさんは「より人間に近い」というコンセプトで製造されているために、“性能”は全てに於いて私に劣ります。確かに彼女では、たとえ逃亡を目論(もくろ)んだとしてもそれは不成功に終わったでしょう。

 しかし一方で、マルチさん以外のメイドロボでは、「逃げ出そう」などと考える事はありえません。だからこそ私が「勇羽電工」本社ビルを脱出した時、シュミレーション結果とは比較にならないほどの容易さで成功したのです。彼らが恐れたのは私の「サテライト・リンク・システム(SLS)」であり、それを封印してしまった以上、自主的な判断を出来ない(はず)のメイドロボに無用な警戒をする理由は、彼らのうちには無かったのです。

 マルチさんには心があります。私のような「心の無い」ロボットに対しても、マルチさんの優しさは平等に注がれています。それを受け取れる「心」がない自分自身を残念に思いながら、でもその優しさに応えるために、私は必死で走りました。



2.
 私のSLSは、勇羽の技術者の手によって封印されてしまっています。そのため、夢中で走っていたのは良いのですが、そのうち自分がいる場所が何処であるか判らなくなってしまっいました。

 見覚えがあるような、無いような、そんな町並み。そこへ足を踏み入れた時、見知らぬ男たちが数人、私の方へ近付いて来ました。

「よう人形! どこ行くんだ? マスターをさがすんならここじゃないぜ」

 薄笑いを浮かべながら、そう語りかけてきた男たち。その吐く息からは、標準量をかなり上回るアルコール反応を確認しました。

「――私は藤田浩之様という方のところへ行きたいのですが」

「フーン、あの藤田さんかな? 俺達が連れていってやるよ、来な!」

 あの日、ゲームセンターの前でマルチさんと一緒にいた、爽やかな笑顔が印象的だった藤田浩之様と、昼間からお酒に酔っている中年の男たちとに共通点を見出す事は至難ではありましたが、この人たちが私に嘘を付く理由を見出す事も出来ません。この方たちの親切に甘えて、藤田浩之様の家に案内してもらう事にしました。

 が、すぐにそれが間違いであった事に気が付きました。彼らは人気(ひとけ)のない路地に私を連れ込むと、押さえつけて服を脱がそうとしたのです!

 勿論、私の本来の能力を使えば、この男たちの手を振り払う事などは造作もありません。が、私たちメイドロボは、至上命令として「人間に危害を加えてはいけない」のです。特にそう命じられた訳でもない限り、抵抗する事は出来ませんでした。



3.
「な…何をくだらない事をやっているんですか!」

 突然聴こえた声は、内容の勇ましさとは裏腹に、幼さを帯びた、愛らしい女の子の声でした。

 男たちとともにそちらに視線を向けると、そこにいたのは、ショートヘアーの、ボーイッシュな顔立ちをした少女と、ストレートロングの、おとなしい(というより内気な)表情の少女でした。

「何だぁ、お嬢ちゃんたち。お嬢ちゃんたちが代わりに俺達の相手をしてくれるのかい? 確かに人形よりは女子高生の方が俺達も嬉しいってもんよなぁ」

 男たちのひとりが、真っ直ぐにショートヘアーの少女に向かって行き、その子の肩に触れたか触れないかというその刹那! その男は地面に叩き付けられていました。その場にいた人間(筆者註:セリオは人間ではない、言うまでもないが)の誰ひとり、何が起こったのか判らないくらいの速さで、その男は投げ飛ばされてしまったのです。

 身の程知らずにも男「その二」がその少女に向かって行こうとしています。そうして一歩踏み出そうとしたその刹那! ストレートロングの少女がつぶやきました。「あの、足元、気を付けてください」

 その(男「その二」にとって)有り難い忠告が全て言い終わるより早く、彼は見えない力に足を取られ、無様にも転んでしまいました。そしてその男が事態を把握するより早く、ショートヘアーの少女のヒザが彼の後頭部に炸裂。

(――…呼吸、確認。生命には異常なし。ただし、記憶等に障害が残る可能性65%)

 …それから瞬く間に、男たちはショートヘアーの少女によって、行動不能、或いは意識不明に追い込まれてしまいました。私のこれまでの知識では、これほど精練された格闘の技を使う女性は綾香様だけでしたが、どうやらその認識を改めなければならないようです。

 が、最後に残ったひとりが、私を人質にしようと考えたようです。懐(ふところ)よりナイフを取り出し、私に向けてきました。その刹那! 少女たちの後ろからサッカーボールが飛んできて、狙い違わずその男のこめかみをヒットしました。


 倒れ伏したまま動かない男の呼吸を確認しようと、センサーを始動させようとした時、

「心配ない、気絶しているだけだよ」

 ボールが飛んできたその方向から、澄んだ青空のような男性の声が聞こえました。


「佐藤先輩、先輩だったんですか、ボールを投げてくれたのは」

 ショートヘアーの少女はその男性を知っているようでした。もっとも、「投げた」のではなく「蹴った」のだと思いますが…。

「うん、…余計な事だったかな?」

「いいえ、助かりました。ありがとうございます」

 ショートヘアーの少女がその男性…佐藤様? にお礼を言っているのを聞いて、私自身、助けていただいたという事を思い出し、慌ててお礼の言葉を言いました。

「――皆様、助けてくださりありがとうございます。私は、来栖川エレクトロニクス製メイドロボ、HMX-13“セリオ”と申します。藤田浩之様という方を訪ねてここに来ました」

 そう自己紹介すると、皆様はとてもびっくりしたようです。何故なら、皆様は全員、藤田浩之様をご存知だというのです! 改めて皆様は自己紹介してくださいました。

 ショートヘアーの、綾香様のように美しい格闘の技を持つ方の名前は松原葵様、

 ストレートロングの、優しい、でもどこか神秘的な雰囲気を持つ方の名前は姫川琴音様、

 そして、サッカーボールを蹴って私を助けてくださった方の名前は佐藤雅史様とおっしゃるそうです。


 その時でした。佐藤雅史様の顔を間近で見た時、意識せずに口からこぼれた言葉がありました。

「――…マスター…」

 皆様はとてもびっくりなさいましたが、それ以上に私自身がびっくりしました。

 マスター…「ご主人様」。私を購入してくださった方がユーザー登録をしてはじめてそう呼ぶべき方が出来るはずです。心を持つマルチさんならともかく、私が自分でマスターを見出すなんて、ありうるはずはありません。

 もう一度、改めて佐藤雅史様の顔を見た時、さっきの不思議な気持ちは何処(どこ)にもありませんでした。では何故私はこの方を「マスター」と呼んでしまったのでしょう?



4.
 松原葵様、姫川琴音様、そして佐藤雅史様に連れられて、私は藤田浩之様の家に到着しました。

 そこで私は、藤田浩之様より驚くべき事を聞かされました。藤田浩之様は既に、マルチさんと私を助ける為に勇羽電工に潜入なさっておいでだったそうです。そして、長瀬主任より私たちを開放するように依頼を受けていた、と。

「――ですが、私が脱走した為、マルチさんに対する警戒がより一層厳しくなっていると思います」

「としたら、救出出来る最初で最後のチャンスは、お披露目の時のみ、か」

「だが、どうする? 下手な小細工は通用しないぞ」

 佐藤雅史様のおっしゃる通りです。マルチさんも、御自分を助ける為に藤田浩之様が怪我でもなさったら、その方が辛いでしょう。

 しかし、藤田浩之様には何か考えがあるようです。

「下手な小細工が通用しないのなら、正攻法で行くさ」そう言ったきり、どのように訊ねても答えては下さいません。

 そのうち、私の処遇(しょぐう)が問題となりました。

「研究所には連絡を入れるとして、お披露目が終わるまでは研究所にセリオを近付けない方が良いと思う」

 佐藤雅史様の言葉には説得力があります。では何処で? この問題にみな、一様に頭を抱えてしまいました。

 松原葵様や神岸あかり様は、御自分の家に私を匿(かくま)いたいとおっしゃってくださいましたが、もし万が一の事を考えると、女の子を巻き込むわけにはいかない、と藤田浩之様と佐藤雅史様が声をそろえておっしゃったため、この意見は却下されました。

 一方で藤田浩之様は日中は勇羽に潜入しているため、やはり万が一の事があった時には対応出来ない、と残念そうにおっしゃいました。

「じゃぁ僕の家で預かるよ」

 佐藤雅史様がそうおっしゃいました。そして、昼間に私が佐藤雅史様の事を無意識のうちに「マスター」と呼んでしまった事を話し、

「彼女は僕の事をマスターと呼んだけれど、それは僕に対してじゃぁなく、別の誰かに対しての言葉のように聞こえたよ。それが何かは判らないけれど、僕の子どもか孫…、まだ見ぬ『佐藤』の血に向けてそう呼んだような気がするんだ。
 彼女の本当のマスターが現れるまで、彼女は僕のもとに置いておきたい」

 その言葉で、私は佐藤雅史様の元で御奉公する事に決まりました。



5.
「セリオ、僕は君のマスターじゃない。君はうちのメイドじゃない。
 だから僕の事を『ご主人様』とか『マスター』とか、或いは『様』とか敬称を付けて呼んだりしたらだめだよ。僕は君の事を『セリオ』って呼び捨てにする。だから君も、『雅史』って呼び捨てにしてくれて構わないよ。
別に『さん』付けで呼んでもいいけれど」

 この時、雅史様…雅史さんはそうおっしゃったのですが、事件が終わってしばらく経って、私が佐藤家で御奉公する事に慣れた今でも、時々呼び方を間違えてしまいます。


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